ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

長きは一瞬、短きは永遠

 船上の世界に生きていた自分達の時間は、あっという間に過ぎ去った。やれる事が少ないからあらゆる行動が反復的になりつつあったのも原因かもしれない。奇跡的に嵐にも海賊にも遭遇しなかった豪運が原因なのかもしれない。この三日間は恐怖や不安を感じるような事は一切なく、三人は無事にアジェンタ大陸へと到着した。
「……良し。お前達、荷物は―――ああ、失礼。そう言えばこの船には何も無かったな。今のは忘れてくれ」
 釣り竿もアルドの私物であり、この船に常備してあったモノは小舟とそれを漕ぐ為の櫂だけ。それも前述の業運のせいで使うべき時を見失ってしまった。この船から三人が下りれば、最早虚無しか残らないだろう。
「……師匠と別れてから、俺は直ぐにこの大陸を出て行ったんだ。だからこの港を見るのも幾分久々なんだけど」
「変わったか?」
「うん。前はほら、子供と大人の立場が他の大陸と逆転してただろ? でもさ……今は人間も魔人も関係なく働いててさ。凄く温かい」
嬉しそうに港町を見下ろすツェート。そんな彼に自分はそっと近づいて、頭に手を乗せた。少し背が伸びた様だ。
大人こどもは散々調教された結果か、主人が代わっても従順なままだ。丁度良かったからそのまま使っているだけ。お前から見れば温かいのかもしれないが、以前とは何も変わっていないぞ」
「師匠がそう言うんなら、支配形態は変わってないんだろうな。でも前は、笑顔何て一つも見れなかった」
 流石に自分の国の港とだけあって、ツェートも良く見ている。確かに以前のフェイリー港には活気というモノは存在しなかった。本来労われるべき老人が働き、子供がそれを指示する。命令に歯向かえば暴力を振るわれ、たとえ荒波を立てずに一日を終えても劣悪な環境で休みを取らされて。とにかく以前の港には明るさが無かった。周りに死体があっても誰も気に留めないし、誰かが暴力を振るわれていても誰も助けようとしない。それ程までに暗かった。
 しかし現在のフェイリー港にはそれが無い。余程の愚行をしなければ暴力など振るわれないし、死体放置は以ての外。魔人も人間おとなも汗水垂らしながら働いている、その見返りには相応の賃金と環境を用意しているのだから当たり前だ。だがこの当たり前が、以前は出来ていなかった。
 何もアルドは特別な事を指示した訳では無い。アルドは『労働者を大切にする』という只一点を改善しただけ。それだけで町はこんなにも変わるのだ。
「本当の街とはこうあるべきだと私は思うが、お前はどうだ? もしも魔人と人間が共存出来る様になったとしたら、お前は嬉しいか?」
「当たり前だッ。ヴァジュラさんとこんな町で一緒に過ごせたら、どんなに幸せかと思う……もしかして師匠、共存でも目指してるのか?」
 半分驚き、半分蔑みといった所か。驚いてこちらを振り向くツェートに、アルドは即座に頭を振った。
「まさか。私がどうしてそんな事を? そんな御伽話みたいな事は大馬鹿がやる事だ。何度も言っているが、支配形態は変わっていない。つまりアイツらからすれば主人が代わっただけ、私達からすれば動かせる駒が増えただけ。それは共存でも何でもない、只の主従関係だ。そう考えたら、人間達が文句一つ言わずに仕事している事にも、納得がいくだろう」
 嘘を吐いたつもりは無い。共存出来ればいいと思っているのは確かだが、それは裏返せば、絶対に共存なんて出来っこないと思っているという事。アルドは英雄だったかもしれないが、今は魔王だ。理想論を振りかざして生きているだけでは王は務まらないし、大陸奪還は果たせない。そんなふざけた思想は、その辺りの虫にでも食わせておけばいい。
 言い淀む事も無く言葉を紡ぐアルドに、彼は複雑そうな笑みを浮かべて、首を傾げた。
「ややこしいんだな、師匠。俺はてっきり共存を目指しているのかと思っちまったじゃないか」
「がっかりしたか?」
 ツェートの複雑な笑みの内情、それは言葉ではとても言い表しにくい、非常に微妙な感情の交差だが、弟子の言いたい事も見通せぬようでは師匠失格故に、アルドには良く分かる。自嘲するようにそう尋ねると、ツェートは虚を突かれた様に「えっ」と言葉を詰まらせて、それから少しだけ考え込んだ。
「いや、そういう訳じゃないんだけどさ。なんつーか……その。先生って英雄だったんだろ? 英雄ってやっぱり博愛主義者じゃないと、なれないんじゃねえのか」
「それは違うな。英雄とは稀代の大馬鹿を象徴する言葉だ。博愛主義者でなくとも成ることは出来る。いいかツェータ。博愛主義者は異常者と同義だ。この世界の平穏を願うのであれば、異常は許されない」
 魔人も人間を嫌うように教育されてきた。人間も魔人を嫌うように教育されてきた。そんな二つの種族が仲直りする事は永遠に無いだろう。あり得るとすればそれはきっと御伽噺の中だけだ。
「……このまま話していても良いが、私は仕事で来たからな。そろそろ降りるぞ。ダルノア、こっちに来い」
 小走りでこちらに駆け寄ってきた少女の手を掴み、アルド達は船を下りた。












「あ、魔王様! お久しぶりですッ」
「久しぶりだな……キスケ。生憎と今の私は玉座を下りている。魔王様なんて格式高い呼び方はやめてくれ……所で、港の調子はどうだ?」
 船を下りた三人を出迎えたのは、この港の管理を任されている『猪』の魔人キスケ。口から飛び出した大きな二本の歯が特徴的な、風貌だけで言えばディナントに匹敵する程の恐ろしさを持つ男である。ただし彼自身が小心者な事と、女性が苦手という事も相まって、どうにも他人とは思えない。戦闘能力も採用条件にしていた事もあって彼をカテドラル・ナイツに採用する事は無かったが、もしも戦闘能力が採用条件に無かったのであれば、アルドは真っ先に彼を誘っていただろう。因みにカテドラル・ナイツ加入の最低戦闘能力は、『本気の自分と殆ど対等に渡り合えるかどうか』である。 
「調子はそれなり、ですかね。人間達が居るので他の大陸の船が来てもどうにか誤魔化せますし、アルドさんのお蔭で怠け者のケツも叩けますし……」
「待て。私のお蔭だと? 意味が分からないぞ。どういう事だ」
 何となしに尋ねただけなのだが、キスケは露骨に動揺しながら首を振った。
「いや、命令にね? 取り敢えずアルドさんからの勅令って言っておけば、皆働くんですよ。利用しているみたいで、あんまりアルドさんには言いたく無かったんですが」
「完全に利用しているからな。しかし私は感心しているぞ。それを堂々と本人の前で漏らす事になッ」
 アジェンタの治安に目を向けたのは今が初めてなので、それまでに発生したどんな出来事もアルドは関知していない。そう言えば、千年以上前のフルシュガイドには名前だけを利用され続けた国があったような…………あれは数年と持たずして潰れてしまったが、もしかして今も……
 縁起でもない思考はここまでにしよう。これ以上は自分の能力に疑いを持ってしまいかねない。
「あはは……申し訳ございません。所で今日は、どういったご用件でこちらに?」
「視察、みたいなものだな。単純に大帝国の様子を見に来ただけだ。今の私は内部の安定化に動いて―――」
 そこまで言った所で、キスケの表情が曇ったのをアルドは見逃さなかった。途中で自分の言葉を切って、その目をじっと見つめる。
「―――どうした?」
「……ああ、えっと。アルドさんは大帝国がどんな状態になっているかをご存じないみたいですね。これは私からの個人的お願いでもあるんですが……大帝国、行かない方がいいと思います」
「行かない方がいい? いや、内部の安定化に努めているのだからそんな事を言われてもな。一体何が起きてると言うんだ」
 この時まで、アルドの思考は楽観性に偏っていた。『彼女』が己の恋の為に作り上げた特殊な規則のお蔭で、人間との関係が抉れる事はあり得ないから。統治者があまりいい噂を聞かない魔人との事なので、関連があったとしてもその辺り。どんなに思考がぶっ飛んでも正体の見えない怪物か殺人鬼の噂が国中に広がっているから……とか。その程度だろうと思っていた。もっとはっきり言えば舐めていた。
 それにしてもどうして自分の思考はこんな時に限って外れるのだろうか。キスケが口にした言葉には、楽観性の欠片も無かった。











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