ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

退屈で最高な幸せの時間

 海の幸。良い言葉だ。海という存在にどれ程の生物と資源が存在しているかを良く表している。たとえアルドが五大陸奪還に成功したとしても、この海だけは独り占めする事は出来ないだろう。無論、この海を利用する事は出来る。その権利もまた、独り占め出来るモノではないからだ。
「…………今だ」
 手に伝わる反動を頼りに、アルドがそれを持ち上げると、水面から活きの良い魚が飛び出してきた。糸の先に取り付けられた針を咥えながら全身をバタバタと泳がせている。
「アルドさん、凄いですッ!」
 アルドの片腕程の体長を持つ魚を見て、傍らの少女は興味深そうに眼を輝かせていた。全くの思い付きから生まれた案だったが、ここまで楽しんでくれるとは想定外だった。一般的な少女であれば退屈を覚えそうなものだが。
「別に凄くはないさ。お前も全身の感覚を研ぎ澄ましていれば、或いはこれより大きい魚が釣れるかもな」
 少女―――ダルノアの言葉が強制的に断ち切られたのは、アルドが釣り竿を手にしていたからだった。そう、食糧は無限にある。何せここは海のど真ん中。魚たちが泳ぎ、集い、生きる場所。アルド達はその上を動いているだけで、釣り糸を垂らせば食糧など容易に入手する事が出来る。問題があるとすれば毒を持った魚に当たる可能性がある事と、食糧が偏ってしまう事くらいだ。解決できないのは後者くらいで、前者はアルドが居る以上心配は要らない。彼女には存分に楽しんでもらいたいものだ。釣りを。
「……………………」
 釣りの極意は待つ事と見つけたり、これは海と自分の忍耐の勝負だ。だからこそ、これはとてもではないが女性に人気のある行為とは言えず、ダルノアも退屈すると思っていた。結果的に楽しんでくれているので無問題だが、アルドからすれば『待つ』行為を楽しめる者は女性で二人目だ。一人目は……言うまでも無い。
「…………やッ!」
 まだ振動が甘かったような気もするが……果たしてその思いは裏切られた。彼女の釣り上げた魚は彼女の足首程の体長で、自分にはまだ及ばないがそれでも十分である。釣りとは釣り上げた魚の大きさで上手さを決めるモノでは無い。そもそも競うモノですらないのだから。
「ふむ。シラナミウオか。上出来だな」
「食べられるんですか?」
 こくりと頷くと、ダルノアは嬉しそうに魚を見て、「ありがとう」と言った。その反応に、アルドは思わず微笑んでしまう。
「……え? 何かおかしい事しましたか?」
 きょとんとした顔、という表現がこれ程似合う表情もそうそう無いだろう。アルドはどうにか笑いを堪えつつ、釣り糸を海へ放った。
「何もおかしい事はしていないさ。只、おまえみたいな奴は貴重でな。ついつい頬が緩んでしまうのさ」
 言っている意味は分からなくていい。彼女には、漁師がせっかく獲ってきた魚を『豚の餌』と評して道端に捨てるような奴にはなって欲しくない。『豚の餌なんぞ食べてるからいつまで経っても俺達に追いつけないんだよゴミが』と自分を罵っていたような奴にはなって欲しくない。その癖イティスが魚を食べると『何と素晴らしい』と称賛していたような奴にはなって欲しくない……まあ、全て同一人物なのだが。
 とにかく、彼女にはこれからも『食材』に感謝する人間で居てもらいたい。自分達は自然と共存しているんだという自覚を持っていてもらいたい。そういう人間が一人ずつでもいい、増えていけば―――この世界はどんなにか、綺麗になるだろう。
 ダルノアが存外に釣りを楽しんでくれているお蔭で、時間はあっと言う間に過ぎ去った。釣り上げた魚は二十数匹、消費時間は優に四時間を超えていた。ツェートの意識が回復するまでの時間つぶしも兼ねていたが、彼はどうやらまだ気を失っているらしい。そろそろ水でも掛けに行くべきだろうか。
 釣り竿を置いて、アルドが船内に戻ろうとすると、不意に掛けられた声に思わず立ち止まってしまった。
「……本当は私、ちょっと不安だったんです。滅ぼしたのはアルドさんっていうから、本当は悪い人なのかなって。でも……理由があるんですよね? だってアルドさん、全然あの時と変わらないから」
 あの時、と変わらない。確かにそうかもしれない。今は目的の場所へと向かう道中で、果たすべき事は何も無い。奴隷として投獄されていた時も、記憶を失っていたから何も無かった。あの時と何も変わらないのは、全然驚くような事でも何も無い。
 しかし彼女は一つ勘違いをしているようだ。そこだけはしっかりと伝えておかなければ。
「理由があっても無くても私は悪いさ。何百万人も殺してきた悪党の中の悪党だ、底辺ですらないゴミクズだ。例えばお前みたいな……私を信じてくれる奴等には優しいのかもしれないが、それでも私が悪である事に変わりはない。潮風のせいで分からないのか何なのか知らないが、お前は気付いている筈だぞ。私の体に染みついた、血の臭いに」
 続けて「アイツを起こしに行ってくる」とだけ言い残し、アルドは再び歩き出した。船内へと続く扉が、音を立てながら閉まる。








 どうしてこう、雰囲気を微妙にしてしまうのだろうか。釣りをしている時までは何の問題も無かった筈だ。そんな事を考えながら歩いていたら躓いてしまったが、その際に生じた痛みなど気にならないくらいには反省している。全く、自分は雰囲気を重苦しいモノへと変化させる天才らしい。閉める必要の無かった扉をわざわざ閉めてしまったのは無意識だが、結果的には正しかったと言える。あそこで閉めていなければ、彼女はいつまでも重苦しい雰囲気を引き摺ったまま甲板で待機する事になる。それだけは少女の精神的教育の為にも避けられて良かった。
 ツェートを運んだ部屋へと入ると、情けない表情で寝ている彼の顔が視界に入った。何故か腹が立ったので、腹の辺りを爪先で軽く突っついてみる。反応は無い。力を入れれば目覚めるとは思うが……寝覚めの一撃にしてはあまりにも酷なモノになりかねないのでやめておく。やはり水を掛ける方が負担も無いし、酷でも無い最良の方法だ。傷口に少し『効く』かもしれないが、痛みを伴った方が眠気も覚めるだろう。
 アルドは数年前に『頼まれたが、持っていったら本人も頼んだ事を忘れていた』という理由から、長らく保管されていた海水を虚空から取り出して―――一切の躊躇なくツェートへとぶっ掛けた。












 痛みが治まり、会話が可能なレベルになるまでにはおよそ数十分を要したが、その際に吐き出された言葉を、アルドは生涯忘れる事は無いだろう。
「アンタ殺す気かよッ!」
「死んだように眠っていたのはお前だ」
 顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけるツェートに、アルドは心の中で反論した。海水を掛けられたくらいで人は死なないから、安心しろ、と。
 死なないだけで、いっそ殺してほしいくらいの激痛が襲う事は、さておいて。


















 

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