ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

幸せは未だ訪れない

 今回の食事も期待通りの美味しさだった。あれを食べればいつも『今日も一日頑張ろう』という気になれる。
 たとえどんなに疲れても、どんなに死にかけたとしても、彼女の作る料理と笑顔があれば全てが報われたような気がする。それは大聖堂を拠点としていた頃から変わらなかったが、あの日以降、笑顔が増えたような気がする。今日も何回か彼女の微笑む姿を見た。良い傾向だ。自分が玉座に戻っても、彼女にはあのままで居てもらいたい。我儘かもしれないが、自分は今の彼女の方が、好きなのだ。
 勿論強制をするつもりはない。魔王だからと言って横暴は許されない。出来れば今のままで居てほしいが、彼女が恥ずかしいというのであれば……以前のままに振舞っても、全然何の問題も無い。
「なあ師匠」
 いつの間にか、ツェートが自分の横に移動していた。さっきまではエルアが座っていた席であり、机の上には彼女が使っていた痕跡(エルアはまだナイフとフォークをうまく使えないようだ)が残っている。
「ツェータか……あれだけ食べたのに、随分と元気そうだな」
「だってオールワークさんの料理ったらめっちゃ美味いんだよ! 師匠も一回食べてみろってッ」
 本当に驚いているとばかりにツェートはこちらに顔を寄せてくる。まだまだ興奮が冷めないのか、身体をしきりに揺らしながら。
 ……ん?
「私も同席していただろうッ。目の前の人間を誰だと思っていたんだ」
「え、ああそうだったそうだった。オールワークさんは師匠の侍女だったよな、うん」
 どうやら本当に忘れていたらしい。呆れてモノが言えないとはこの事か。弟子同士を比較したくは無いが、ここまで頭の弱い弟子がかつていたかどうか……フィージェントも大概ふざけている方だが、あれは本人がワザとやっているのでツェートとは比べられない。もしかすると、素で一番頭が悪いのは実はツェ―――
 これ以上は本人の名誉の為にもやめておこう。
「一体誰の侍女だと思っていたのか大変疑問だな。まさか自分……とは言い出すまいな」
「まさか! あんな美人で有能な侍女が俺の侍女な訳ないだろッ。それに師匠の女性に手を出すなんて、俺にはとてもとても」
「……おい待て。『師匠の女性』とはまた誤解を招きかねない言い方だな? 侍女と言え侍女と。誰かに勘違いでもされたらどうすると言うんだ」
「別に勘違いされても良くないか? だって師匠達、昨日―――」
「もっと誤解を招く言い方はやめろと言っているんだ。それに私は、女性を所有物扱いするような男では無い」
 両肩を掴んで、余裕などかなぐり捨てて。更に語勢を強めてまでお願いしたのが通じた様だ。やはり自分の弟子は物分かりが良い。先程は素で頭が悪いなどと言いかけた自分が馬鹿みたいだ。やはりツェートも話せば分かってくれる類の人間なのだ。
 ツェートは一度大きく深呼吸をして、ゆっくりと向き直って。
「――――――ベッドで」
 先程は素で頭が悪いなどと言いかけた自分が馬鹿みたいだ、と反省しかけた自分が馬鹿みたいだ。こいつは人の弱い所を狙って突っつく最悪な奴だ。物分かりも悪い上、こちらが口に出すのも躊躇われる単語を平気で口にしてくる。
「……なあツェータ。私はお前をそれなりに力を注いで育ててきたつもりだ。どんな方向に進むにしても、それなりに生きていけるように育ててきたつもりだ。だがな―――師匠の女性関係をおかしな方向に拗らせようとする奴に育てた覚えは無い。お願いだからやめてくれ、頼む」
 恋愛についての知識や経験は一気に仕入れるモノではない。大陸侵攻のように、少しずつ、少しずつ溜めていくモノだ。流石にオールワークを『師匠の女性』呼ばわりされただけで動揺するのは酷いかもしれない。
 でも、仕方ないのだ。女性の事を考えるだけで幾つもの思考が意味も無く重なって、絡まって、増えていって。裏の裏の裏の裏のそのまた裏まで読み始めて、段々頭が真っ白になって。それでもどうにか思考を整理した結果が昨日というだけで、決してまだ女性に慣れた訳では無い。まだまだ受け身になりがちで、ちっとも男らしくない。
 男と言うのは、もっとこう自分から想いを伝えていくべきで……今の自分では、『環境』と『時間』と『二人きり』という条件が揃っていなければ、いや揃っていたとしても、ギリギリだ。そんな自分に今『女性』の話を振ろうものなら、こんな事になるのは自明の理である。
 懇願にも似た言葉が、ようやく届いたらしい。ツェートは「悪かったよ」と言って、改めて話を切り出した。
「じゃあ先生。オールワークさんの抱き心地はどうだっ―――」
「や・め・ろ!」
 まさか弟子に弱みを握られる事になるとは思ってもみなかった。この様子では、後一週間は軽く弄られかねない。
 ああ、地獄だ……








「ツェート君とアルド。盛り上がってるね!」
「あれは盛り上がってる訳では無いと思いますが……。ああ、はい。そうですね。野菜はリズムを作る事が大事です。怪我をしないように、慎重に切ってください」
 昨日の話をするのであればもう少し声を小さくしてほしいモノだが、何分、食堂と厨房が一緒になっている為、たとえ声を小さくしたとしても、嫌でも聞こえてしまう。こっちだって聞いているだけで昨夜の事が蘇って恥ずかしいのに、ツェートはやめる様子を見せない。
―――アルド、心中お察しします。
 彼にしては珍しく、本気で余裕を無くしている。ツェートの言葉を直ぐに遮っては怒っているアルドを見ていると、何だか昔が少しだけ懐かしくなってしまう。心が壊れて、全然笑顔何て見せなかった頃のアルドが。
「レンリー様。包丁は逆手で持つものではありません。直ちに修正してください」
「ええッ? でもこれ、刺しやすいわよ!」
「刺しやすくとも料理には向かないので、直ちに修正してください」
 ツェートの言ったお願いというのは、このレンリーに料理を教えてほしいとの事だった。断る理由も無いので承諾したが、この少女が中々に酷い。
 食事中のナイフも逆手、フォークも逆手。包丁に至っても逆手で、野菜を切れと言えば野菜に恨みでもあるのか滅多刺しにして。こういう言い方は悪いが、もうやめたい。これはもう料理の才能があるかどうか以前の問題だ。単純に認識がおかしい。
「でもこっちの方が私は―――」
「……いいのですか、レンリー様。料理が出来るようになれば、ツェート様も貴方に振り向いてくれるかもしれませんよ」
 彼女を一瞥してそう言うと、レンリーは露骨に視線を落として、力なく答えた。
「それは、そうなんだけど。でも、ほら。やっぱりツェートには料理が出来る人じゃなくて、夜の奉仕が出来る人っていうか―――」
 その言葉に、引っ掛かりを覚えた。もしかして彼女は知らないのだろうか。自分もユーヴァンから聞いて、本人にその話の真偽を問うただけなのであまり強い立場には居ないが……教えるべきか? 同じ女性として、そして誰かを愛する者として。
 レンリーの持っていた包丁を手に取って、オールワークは野菜を切り始める。何かをしていれば妙な恥ずかしさを覚える必要も無いだろう。ついでに二人にもお手本として見せられる。
「いいですかレンリー様。その方向で戦うというのであれば、貴方にはまず勝ち目がありません。ツェート様は、もう新たな恋を見つけたのです。今度こそ叶えたい恋を見つけたのです。私はその相手を知っていますが、貴方が彼女に勝てる要素が何処にもありません。スタイルの意味でも、性格の意味でも」
「な、何よ! 性格はちゃんとツェートに言われたから抑えてるしッ、あんまり勝手な事を言わないでよ!」
「勝手な事ではありません。事実です。しかし何と幸運な事でしょうか、ツェート様がご好意を寄せている方は、別の殿方を想っています。そしてその殿方もまた、ツェート様がご好意を寄せている方を想っています」
「……何が言いたいのよ」
「付け入る隙はある、という事です。尤も、今の貴方では無理でしょうがね」
 切り終わった野菜を皿に盛り付ける。軽く塩と酢と油で味をつけた後、オールワークは背後で言い争っている(アルドが一人で争っているだけだが)二人の机の前に、出来上がった料理を静かに置いた。
「二人とも、落ち着いてください」
 こちらに気付いたらしい。アルドがこちらに顔を向けた。
「しかしだな。ツェートが―――」
「それはレンリー様とエルア様が作った料理です。簡単な料理の上、少々私も手伝いましたが……皿に見向きもされない事が、一番傷つくんですよ」
 不味いと言われるよりも、何よりも。誰にも見てもらえない、というのは料理を作っている側に大きな傷を残す。もしかしたらその一回だけで料理をする事をやめてしまうかもしれない。もしかしたらそれが原因で仲が悪くなるかもしれない。目を見開いてそう言い放つオールワークに、遅まきながらアルドはハッとしたような表情を浮かべた。
「…………そうだな。申し訳ない」
「……それと、ツェート様。アルド様を弄る行為は構いませんが、今回アルド様が冷静さを欠いたのは貴方が原因です。もう少し場所を弁えてください」
「―――はーい」
 ツェートが自分の席に戻るのを見届け、オールワークも自らの席に着席する。何となしにアルドの方を一瞥すると、目が合ってしまった。直ぐに目を逸らす。
「貴方達も席に着いてください。僅か一品ですが、皆で食べられるくらいには量を用意したつもりですから」
 食事の後の一時。机に出されたのはデザートではなくサラダだが。それでもこの時間が愛おしい事に変わりはない。だって、そうだろう?


 皆で食べる食事は、好きな人と共に食べる料理は、とても美味しいのだから。


 







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