ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

視察

 何か特別な音が聞こえた訳でも無ければ、何かに違和感を覚えた訳でも無い。それでも何故か目覚めてしまう事は、きっと自分以外の人間にもある事だ。日はまだ昇っていない。私室には光が淡く差し込むばかりで、まだまだ闇が空間を支配しているが、その程度でも視界を確保するには十分過ぎた。アルドは寝台から体を降ろして、軽く首を回す。どうして自分はこんな所に居るのか分かっていないのは、意識が完全に覚醒していない証拠でもある。特にやる事もないので部屋を出てみるが、何処に行こうかという目的も無いのでは何処に行っても大して変わらない……取り合えず厨房に行くとしよう。
「…………ん」
 刃物の下ろされる音が聞こえる。肉の切れる音が聞こえる。音の方向に視線を向けると女性が居た。赤髪を後ろで束ねている女性は、服越しからでも柔らかく強靭な肢体を持っている事が分かった。刃物を下ろす時の動きも、まるで一切の無駄が無い。食材もその刃を受け入れるように切れていく。
「……オールワーク?」
「……アルド、目覚めたのですね。タイミングの悪い事に今は朝食の準備をしていますから、他の命令は承れませんよ」
「余計な気遣いだ。こんな時間にお前に頼む事は無い。朝食を作ってくれるだけでも、私からすれば非常に有難いよ」
 アルドは席に着いて、目を瞑る。段々と意識が明瞭になっていくのが分かった。どうして自分がこんな所に居るかも、勿論思い出せた。
「所で……今日も依頼の消化を為さるおつもりですか?」
「やる事が無い……と言っては言い方が悪いな。私は今まで外に目を向け過ぎていた。多少退屈でも何でも、今は少しでも我が下に居た民を助けなくてはな」
 内部の安定化が難しい理由の一つに、具体性が無い事が挙げられる。
 人を殺すにはどうするのが手っ取り早い? 特殊な体質でも無ければ首を切ればそれで済む。
 子供を作るにはどうするのが手っ取り早い? 性行為が手っ取り早い。
 女性の扱いに慣れる為にはどうすればいい? ……分からないが、取り合えず頑張るしかない。落ち着いて、取り乱さない様に、ありのままの気持ちを伝える事を心がけていれば、何十年も掛かるかもしれないが慣れるとは思う。自分も以前よりはマシにはなってきた……と思う。正直自信は無い。お誂え向きな環境と、誰かの助けが無ければ、まともに気持ちを伝える事も出来ないのだから。
 それと同じで、内部の安定化も正直どうしていいかは分からない。しかしやると言った以上はやらなければいけないので、取り敢えず依頼……言い換えれば、国民の不満を消化する事にした訳だ。だから退屈だろうと何だろうとやる。それが内部の安定化に繋がると信じて。
「……何か引っかかるな、お前の言い方。何かあるのか?」
「アルドの行動に文句を言っている訳では無いのですが、アジェンタ大陸の方に行ってみては如何かと」
「……何故?」
 アジェンタ大陸は子供が大人、大人が奴隷こどもという独特の価値観を持っていた大陸だ。フルノワ大帝国の女王であるエニーアを殺した事は未だ忘れていない。忘れられる筈が無い。彼女は自分が殺される事になっても尚自分を想い続けてくれた少女だ。そんな彼女を殺した事実を、一体どうして忘れられようか。
 その綺麗な魂を、純真な恋を。アルドは生涯忘れない。
「視察という言い方が正しいかは分かりませんが、王の居なくなったあの大陸は、現在末端の者が統治しております。ルセルドラグ様の配下だとは記憶しておりますが……何分悪い噂の絶えない者でして」
「魔人が良い奴とは限らないからな。そういう事があってもおかしくないだろう。だが、それならばルセルドラグを向かわせればいい……ってそうか。私は玉座から降りているのだったな」
「それだけではございません。ルセルドラグ様はアルド以外には基本的に見えませんから、行った所で……という問題もございます。配下は直属という意味ではございませんので」
 カテドラル・ナイツは信用の問題から全員アルドが直々に連れてきたので、当然そこに直属の部下はいない。部下を持てるような身分の奴も少ないので、確かに意味は薄いように感じる。ルセルドラグを向かわせるにしても、やはり自分の同行は必要になるだろう。
「大陸奪還はそう簡単な話では無いのは既にお分かりかと思いますが、仮に奪還した所でそれを統治できなければ意味はありません。内部に目を向けるというご判断は正しいモノと思いますが、あの大陸も『内部』なのですから、目を向けるべきかと」
「……ふむ。まあ確かに、アジェンタ大陸を含めた内部の安定化だものな。一年間は猶予があるからか、この大陸ばかりやっていても仕方ないという思いもある。お前の言う通り、アジェンタに向かってもいいのかもしれないな」
 包丁の落ちる音が止んだ。美味しそうな料理が次々とテーブルに並べられて、ついでにデザートが加わる。これを朝食と呼ぶには些か豪勢にも思えるが、彼女がせっかく作ったのだ。それは我儘というものだろう。
「ツェータ達に関しては、あの彼だか彼女だか分からない奴が起こしてくれるだろう。私はエルアを起こしに行ってくるよ。食事は皆で食べたほうが楽しいからな」
 席を立って、厨房を出ていこうとすると、オールワークの手が自分の肩を掴んだ。
「何だ」
「その……非常に申し訳ないというか、申し上げにくいのですが……昨晩は私がアルドと一緒に―――寝てしまったので、エルア様は彼等の所で寝ているかと」
 その言葉を聞いた瞬間、アルドの全身に思い出してはいけない記憶が蘇ってきた。抱き締めた時の体温、鼓動、果てはその感触。とても柔らかく温かかった。その感触と同時に、眼前に広がっていたのはどう評価しても美人にしかならないオールワークの顔。
 これ以上思い出すといよいよ理性が不味いので、取り敢えず精神を無念無想の境地へと昇華させる。流れであんな事になったとはいえ、今考えると……どうしてあれが出来たのかが不思議である。女性と体を密着させて寝るなんて、何だってそんな気が狂ったとしか思えない行動を……気でも狂わなくてはやってられないような行動を取れたのか。今のアルドには永遠の謎である。
「………………そう、か。だったら私は席に着いていよう。ついでに起こしてくれるだろうからな」
 ぎこちない動きで身を翻して、アルドは再び席に着いた。ここまで精神が動揺するなんて中々無いが、大丈夫。心を無にすれば、全ての波は鎮まる。
「もし、よろしければ……暫しの間、未来について話しませんか?」
「あ、ああ別にそれは気が紛れて……未来?」
「国を取った後の事です。理想で構いませんので、彼らが厨房を訪れるまで如何ですか?」
「――――――大した理想ではないぞ」
 自嘲気味にそう言うアルドに、オールワークは優しく包み込むように微笑んだ。
「お気になさらず。私はアルドの従者ですから。貴方がどんな理想を抱いていたとしても、私はいつも、貴方の傍に」




 

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