ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

心はとても複雑で

 阿呆である。
 もう一度言おう。自分は阿呆である。少し考えればこんな事にはならなかったというのに、本当に自分と来たら考えが足りていない。一体どうしてオールワークが大聖堂に帰っていると思った? 今のこの時間帯、オールワークは依頼解消の手伝いついでに買い出しに行っている筈である。当然ながら大聖堂に居る道理は無く、アルドは時間を無駄に消費した訳だ。この生活をして一週間も経っているのだからそれくらい分かっても良さそうなものだが、ヴァジュラの言葉を聞いて完全に冷静さを失っていた。自分らしくない過ちだ、こんな姿をナイツに見られようモノなら―――


『あ、主様……らしくない……ふふふ』
『フハハハハハハ! アハハハハハハハハ! アルド様でもそういう事があるんですねえ! いやあ眼福眼福、まさかこんな光景が見られるなんて、俺様ってもしかして幸運?』
『……アル、ド……さ……ナさ、ない』


 ……ここに彼らが居ないのは幸運と言えるだろうが、ともかくオールワークはここに居ない。彼女に会いたいならば、再び街へと赴いて走り回る必要がある。それでも彼女が見つかるとは限らないし、もしかすると再びヴァジュラと会う事だってあるかもしれない……何の問題があるかって? あんな別れ方をしたのに、一体自分はどの面下げて再会しなければいけないのだ。さも問題が解決したような表情を浮かべていた自分が再び問題に頭を悩ませている光景を見て、彼女がどう思うかは想像に難くない。何とも言えない微妙な表情を浮かべる事だろう。
 それを考えると、街には行きづらい。しかし街に行かなければオールワークには出会えないし、依頼も解消出来ない。これでは職務怠慢どころの話ではない。内部の安定化が出来なければアルドは処刑なのだから、これでは最早生命の放棄である。
「……ダサいダサくないは、もうこの際気にしなくてもいいか」
 誰も居ないのにそう呟いてしまう、自分も独り言が多くなってきたようだ。侵攻にのみ目を向けていた以前は独り言など……あったとしても少ない方だとは思うのだが、こんな形で改めて内部を見つめると、自然と言葉が出てしまう。自分の情けなさにも、自分の考えの足らなさにも、自分の女性への理解にも。
 そう久しい話でもないが、メグナやファーカとはデートをした。オールワークとのこれがデートとは言えないが、気持ちとしては近いモノがある。
 そもそも何故自分はここまで動揺しているのか、その答えは今ならば直ぐに出た。彼女がそんな事をするような女性だと思っていなかったのだ。ファーカやメグナは言い方こそ悪いかもしれないが―――キスやハグを仕掛けてきてもおかしくない。それは今までの彼女達を見ていたら何となく理解出来るし、他でもないアルドがそういう状況を作っていた。だからまあ、あれは……別に良い。自分も、悪い気分はしなかったし。
 だがそれがオールワークとなれば話は別だ。彼女が好意を向けてくれている事は知っているが、しかし直接的行動はしないという事も良く知っている。今までの一週間がその証拠。アルドの良く知る彼女は、一歩引いた所でサポートをしてくれるそんな人物だ。決して不意打ち気味に接吻を仕掛けてくるような人物では……ない。
 冷静になって考えてみれば、あのオールワークが指輪ごときで動揺するだろうか(ヴァジュラの言葉を嘘と言っている訳ではない)。仮に動揺したとしても決してあんな事をするような女性では―――
「や、アルド。面白そうな事やってるね」
「面白ければそれでも良かったが、生憎今はそれ程面白くは―――って!」
 背後を振り返りつつ距離を取ると、意地の悪い笑顔を浮かべながらこちらに二本指を立てる『謠』が立っていた。いつもの事だが、『謠』は時間軸を無視して現れる為、驚かされる。
「……そういえばお前には、執行者を呼ばせに行かせたきり会っていなかったな」
「忘れてたのッ? 酷いなあ全く。色々あったみたいだから許してあげるけどね、他の子にこんな事をしたら怒っちゃうよ?」
「……すまない。気が利かない男だよな」
 予想以上に消沈するアルドに、『謠』は目を丸くした。
「ありゃ、皮肉も罵倒も言われない。いつものアルドだったら『お前だって時間軸を無視して会いに来ては私を驚かせているんだ、酷いことをしているのはお互い様だ』なんて言いそうなもんだけど」
「―――声真似、似てるな」
「あー……アルドが良かったら、相談に乗るけど」
 『謠』としても最初はからかうつもりだったのだろう。だが目の前の男の情けない面を見ていたら一気に萎えてしまった。何と言い表したらいいモノか分からないが、とにかく英雄が浮かべるような顔ではなかった。かと言って魔王が浮かべるような顔でもないし、剣士が浮かべるような顔でもない。
 しかしアルドらしい顔だった。彼が地上最強の業を背負わない道を選んでいたのなら、きっと何度もこんな表情を浮かべていたのだろう。
「……乗ってくれるのか?」
「勿論! 船の中でも言ったでしょ、アルドの事愛してるって。それに大好きな人が情けないにも程がある表情を浮かべてたら、女の子としては相談に乗ってあげたいでしょ?」
 屈託の無い『謠』の笑顔は、今のアルドにはとても眩しく見えた。ナイツからは過去の事もあってこんな笑顔は見られない。こんな一片の曇りもない笑顔は、ストレートに愛情を示す笑顔は、絶対に。
 ……ああ、そうか。だから自分は、『謠』を信頼しているのか。
「―――ありがとう。だったら女性であるお前に、一つ訪ねたい」
「うん、何かな」
「誰も居ないとはいえ、こうも広いと話しにくい。私の部屋へと行こうか」










「それで、どうしたのさ。そんな思い悩んだ顔しちゃって」
 ベッドに体重を預けながら、『謠』は首を傾げた。
「……実はな。オールワークにキスされたんだ。一週間くらい前の話になるがな。その理由が分からなくて困ってる。何でアイツがこんな事をしたのかって」
 ナイツとの接触を極力控えている以上、誰にも存在を知られていない『謠』だけが頼りだ。それもアルドが特に苦手としている恋愛関連については、『謠』程真面目に話を聞いてくれる人物は居ないだろう。仮にナイツとの接触を控えていなかったとしても、だ。彼女はそれくらい自分にとって大切な存在で、居なくなって欲しくない人物で。世の中では男女の友情は成立しないと言われているが、自分はそうは思っていない。『謠』との関係がその証拠だ。愛だ何だと言っているが、関係は友人どまり。だからこそ自分は、気兼ねなく彼女を頼る事が出来る。異性の友人として。
「一つ気になっているんだけど、何でアイツがこんな事をしたのかって……何でそう思ったの?」
「……『何でこんな事をしたのだろう』と思った理由? それはアイツが不意打ち気味にキスをするような奴じゃない事は私が―――」
「本当に分かってるの?」
「何?」
「アルドは、オールワークの事を本当に理解できてるの?」
 裏の言葉を多分に含んだ発言は、アルドの興味を引くには十分すぎた。その言葉があまりにも、自分が心の何処かで思っていた想いと一致していたから。
 『謠』に倣うようにベッドに体重を預けて顔を近づけると、口元を『謠』の指が塞いだ。
「そんな事をするような奴じゃない、なんて思いこみでしょ? 今までがどうだったかは知らないけど、それだけで人の全てが分かる程心は単純じゃない。乙女心だったらそれも猶更。何でもないきっかけから行動や性格が変わる事だってあり得るんだから」
 恋心が芽生えた事ですっかり性格の変わってしまった彼女の様に。アルドにお供した事で共存を志すようになった彼女の様に。それこそきっかけが何でもない事だったとしても、人の心はそれだけで揺れ動く。
 アルドは口元を塞ぐ指を取っ払った。
「……大袈裟だな。人の心は確かに複雑怪奇かもしれないが、だからと言ってそんな簡単に―――」
「心は複雑。だけど心情の変化は単純。矛盾してるかもしれないけど、心ってそういうモノだよ。アルドの体の状態から言葉を借りれば、『生きたいけど死にたい』ようなモノだよ」
「確かに私は生きなければならないが、死にたいとも思っているな。だがそれがどうした? オールワークの事とは何の関係も無い」
「―――じゃあさ、『アルドは死にたいと思うような人物じゃない』って誰かに言われたら、アルドはどう思うの?」
 悪意も嫌味も無い疑問に、アルドはようやく気付く事が出来た。『謠』が自分に言わんとしている事を。
「……分かったような事を言わないでほしい、と言うかもな」
 『○○はそういう奴ではない』『○○はそんな事しない』。その言葉はそいつを信用しているからこそ出る言葉だが、裏を返せばそれはイメージの押し付けに過ぎない。『アルドは死にたいと思うような人物じゃない』というのも、今まで必死に生きようとした自分を見ていたからこそ出た発言だ。言われたとしたら、決して他意はない。
 だが、アルドがナイツ達の為に生きたいと思っている反面、自分を殺してほしいという思いを抱えているのは事実。人が人のイメージ通りの性格、思想だとは限らない。それこそ他所は他所、うちはうち。他人の事なんて完全に理解できるはずが無いし、『覚』でも無ければそいつが真にどんな性格かなんて分かりやしない。
 ここまで言えば分かるだろうが、これはオールワークにも当てはまる。
「だよね。ここまで言えばもうわかってると思うけど、イメージの押し付けってね、結構しんどいんだよ? だって裏を返せば『信用』なんだもん。信用を裏切る事は出来ないでしょ、その人への愛が深ければ深い程さ。侍女であるオールワークだったら……猶更だと思うんだけど」
 どうしてこんな事に気付かなかったのかが不思議なくらいだ。自分事で無ければアルドも、きっと『謠』と同じ考えに至っただろうに。
「…………そう、だな」
「一応言っておくけど。オールワークがキスをしたというのは問題じゃないよ。問題なのは、アルドがオールワークに対してイメージを押し付けていた事と、今までアルドがそれに気づかなかった事。侍女だからとか知らないけどさ、彼女だって一人の女の子だよ。キスくらいしてもいいじゃん」
「…………………どうすればいいと思う?」
「聞かないでよ、こういう事に最適解なんてある訳ないでしょ。でも強いて言うならさ―――内部の安定化も大事だけど、心の整理も大事だよ。侍女だから、内部の安定化が先だからって……答えは確かにいつまでも遅らせる事が出来るだろうけど。それじゃオールワークがあんまりにも可哀想だよ。取り合えず、向き合ってみたら? 侍女としての彼女じゃなくて、『鳳』の魔人のオールワークとさ」
 『謠』はそれだけ言うと、立ち上がってアルドの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、にっこりと微笑んだ。荒らされた髪を整えながらも笑い返すと、彼女はゆっくりと頷いた。
「もう大丈夫だねッ! まあ暫くはこっちの大陸に居るつもりだけど、アルドが玉座に戻ってくるまでは出てくる予定はないから、もう頼られても応えてあげられないからそこのところ宜しくッ! ……じゃあね、アルド!」
 開いた扉が閉まると同時に、『謠』の姿は見えなくなった。何となしにノブに手を掛けて開いてみるが、やはり何処にも姿は無い。
























 

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