ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

民の視点で

 あの時の予感は正しいモノだった。もしもあの時、理由を尋ねていれば、きっと他の者にも迷惑が掛かっていただろうから。
「……という訳です。では、そもそも民が何故依頼を持ち込んでくるかという事ですが―――」
 仮にも、自分は年齢的に大人ではあるのだが。まさかこんな年になってまで説教を、それも年下……少なくとも見た目の年齢では……にされるなんて。屈辱というより、単純に情けない。自分が如何に未熟な存在であるかを理解させられる。説教が始まって既に数時間が経過しているが、その勢いは未だ衰えを見せない。普段の彼女からは考えられないくらい饒舌で、早口で。ツェート達が扉の前で聞き耳を立てていようと関係ない。オールワークはこちらを見据えてずっと喋っている。
「……故に、民は依頼を持ち込んでいるのです。多少話が長くなりましたが、ご理解いただけましたか?」
「―――ああ。理解したとも。お前の声がまだ頭の中で響いている。とても詳細で、正確だった」
 彼女の言葉を要約すると、『自分の困っている事をわざわざ書き記しに来ているのだから、それらはとても重要で、特に生活に関わるような依頼は、たとえどれだけ些細な事であろうともそれは重要なので、問題の大小に拘らず解決するべきだ』と……こんな所だ。聞き逃していた部分も無くは無いが、そこは恐らく重要ではない筈だ。決してあまりにも話が長すぎたから思考が記憶する事を拒絶したとか、そういう事ではない。
「しかしお前、何か変わったな。エルアに料理を教えてもいいなんて言った事といい、ここまで私にせっきょ……依頼というモノの大切さについて語った事といい……どうした?」
「どうした、とはどういう事なのか。私には見当がつきませんね。私はアルド様の侍女、この身を捧げた従者でございます。アルド様を玉座に戻す為には、手段を選びません。エルア様に関しては……やはり、女性たるもの多少は料理が出来るようにならないと困るでしょう。配偶者が居たとしても、居なかったとしても。やはり料理が食材を利用した存在である以上、生きる為には欠かせませんから」
 彼女は顔色一つ変えずにそう答えるが、どうもそれだけとは思えない。確かに今挙げた思いがあるのは確かだろうが、まだ何かあるように感じる。何故言わないのかは定かではない。
「……そうか。まあこれ以上は時間の無駄だから聞かないでおこう。ではお前に言われた通り、私は早速依頼を解消してくるよ。民の声とやらは、今も増えていそうだからな」
 アルドは身を翻し、扉に手を掛ける。もう話は終わったというのに、まだ聞き耳を立てている奴らが居るが、そいつらは勿論連れて行く。その方が依頼の解消効率も良い筈だ。自分の手柄にはならないが、そもそも自分が行おうとしているのは内部の安定化。玉座に戻ろうと動いているのは事実だし、自分の信用を回復させようと動いている事も事実だが、最悪処刑されたとしても内部の安定化さえ出来ればそれでいい。
 内側が安定していれば、仮に自分が死んでしまったとしても後継者は簡単に見つかるだろうから。
「……アルド」
 自分の事を呼び捨てる懐かしい呼び方に、アルドは思わず足を止めた。外で聞き耳を立てている奴等に気付かない彼女ではないと思ったが、気づいていないのだろうか。アルドはゆっくりと彼女の方へ向き直り、注意をしようと……
―――その瞬間、世界が止まったような気がした。
「……ん。ぅんッ?」
 驚きのあまり言葉が出なかったのではない。言葉が出せなかったのだ。彼女の唇が、重なっていたから。どうにか離れようと距離を取ろうとするが、そういえば扉の前まで来ていたのだった。背中は直ぐに扉にぶつかり、進退窮まってしまう。彼女を突き放そうにも、殆ど体が密着している状態だ。これでは力ずくで引き剥がさなければどうにもならない。
 数秒後、ようやく唇が離れた。まるでつい先ほどまでの事など無かったように、オールワークは顔色一つ変えず、言った。
「お時間を割いていただき、有難うございました。出過ぎた事をしたとは思いますが、これも全てアルド様の為……お気を悪くさせたのならば、謝罪しますが」
「……この程度の事で気を悪くする程、私は狭量な人間ではない。では行ってくる」
 今度こそアルドは扉に手を掛けて、部屋を出た。外で聞き耳を立てていた者に、軽く拳骨を落としてやる事は忘れない。










 彼女にされた事をどうにか忘れようとしても、その事実は消え去らない。彼女は確かに自分にキスをした。そこにどんな思惑があったとしても、それだけは事実だ。だから街を訪れた所で忘れられる訳が無かった。彼女の唇の感触は。
「先生、オールワークさんとどんな関係なんだ?」
「どんな関係……とは、また曖昧な質問だな。どうしてそんな事を?」
 考えるまでもなく、オールワークが自分を呼び捨てにした事についてだろう。主と慕っている筈の者を呼び捨てにするなんて普通ではないし、最初から最後まで盗み聞きをしていたのなら、そう思うのは当然の事だ。
「だってほら、先生の事呼び捨てにしてたし」
「ふむ……そうだな。ではお前はどんな関係だと思っているんだ」
「――――――実は恋人とか?」
 確かに彼女のような人間が恋人であれば、これ以上に幸せな事は無いだろう。料理も出来る、話も出来る。更に物分かりがいいと来れば完璧だ。だが悲しい事に、彼女とは恋人関係ではない。少なくとも『今』は。
「残念ながら違うな。エルア、お前はどうだ?」
 自分の袖を掴みながら辺りを見回している彼女にそう振ってみると、エルアは露骨に動揺して、アルドの顔をじっと見上げた。
「え、えっと。侍女じゃないの?」
「……まあ、そうだな。だがツェータが満足できるような解答じゃなさそうだ。じゃあレンリー、お前は―――」
「『友』であろう」
 霞のように不安定な声は、しかし確かに『友』と発音していた。レンリーの声ではないのは口調からも明らかだった。だがその人物を指し示せる言葉をアルドは知らないので、『それ』には構わず、話を続ける事にする。
「……そうだな、それが一番近いだろう。オールワークと私は友人、共通の友達を介して繋がっていた友人だ。だから本来の関係は、侍女というより友人に近い。お前がどの部分を盗み聞いてそう思ったかは聞かないでおくが、彼女が私を呼び捨てにしたのはそういう理由だ。二人きりの時にはかつての様に呼んでほしい、と。これは私から願った事だから、彼女には何も非は無いぞ」
 ただし、キスの件に関しては自分の関知する所ではない。
「いや、非も何も責めるつもりはないんだけどさ、少し気になったんだよ。部屋から出てきた時の先生、様子がおかしかったし」
「……具体的には」
「え」
「具体的には」
 本人としては何となく、それこそ悪意なんて無かったのだろう。アルドの殺意の籠もった視線に、ツェートは困惑する事しか出来なかった。
「………………顔が赤くなってて、何かから目を逸らそうとしてるみたいに目が泳いでて。俺達にやった拳骨も、力がまるで入ってなかった」
「…………そうか」
「それに今も、表情が強張ってる。だから何かあるのかなあーなんて。何も無いなら、それでいいんだけどな!」
 こちらとしては感情を表に出さぬよう努めてきたつもりだったが、どうやら弟子にはバレバレなようだ。悟られぬ自信はあったのだが、この数年で表情が柔らかくなったのだろうか。これが数年前の出来事なのであれば、心を読まれない限りはまず間違いなく悟られる事は無かったと思うが。
「……先生?」
「……そろそろ依頼主の元に着くぞ。仮にもお前は人間で、私は魔王をやめた身だ。談笑しながら訪れるのは失礼にも程がある。この話はまたいずれ、今はしっかりと依頼をこなさなくちゃな」
 依頼主を利用するような形で申し訳ないが、これ以上追及されたくなかった。追及させる訳にはいかなかった。何せツェートの感じた違和感は、アルドすらも答えの分からぬモノから来た違和感だから。


 何故オールワークは自分にキスをした?


 何故自分はここまで動揺している?


 その答えは出そうにないが、今この場で出す必要は無いだろう。この依頼が終わった後でも……きっと、遅くない。 












  

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