ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

別れ

 邪魔をされた。まさかあの悪魔が裏で別の計画を遂行していたなんて。せっかくこの世界を利用してアルドと両想いになろうとしたのに、これでは全てが台無しだ。あの闇に呑まれたとしてもアルドはきっと帰ってくるだろうが、そうなれば全てが終わる。事態が解決すればアルドは再び国へ戻り、内部の安定化に努めようとする。自分に仕事を貰いに来る事もあるだろう、だがそれだけだ。それは両想いになる切っ掛けにしては弱すぎて、意味がない。二人きりの、それも一歩間違えれば永久に閉じ込められてしまうという状況だけが、両想いの切っ掛けを作ってくれる。今しかないのだ。アルドに好きになってもらうタイミングは今しかないのだ。だから……こんな事では終わらせない。何としてでも彼には、自分を好きになってもらわなくては。
 ……おかしな勘違いをしてしまってはいけないので、一応確認して奥が。現段階で彼が自分に振り向いている、というのは妄想でしかない。それはこの家が闇に侵食される直前に、自分ではなくエルアを助けようとした事からも明らかだ。自分に好意を持っているのなら、エルアではなくまず自分を助けようとする筈。しかし現実は……いや、気にするな。まだ機会はある。アルドが無事に悪魔を打ち倒し、こちらの世界に帰還した直後。今までの状況を考えればアルドの感情が最も不安定になっている時なので、ゼノンが付け入る隙があるとするならば―――ここだけだ。一応それ以外の隙も考えてはみるが、国に帰ればナイツが居る。それ以前に事件が解決すればあの同行者達と合流してしまうので、やはり隙は帰還直後にしかない。
 作戦としては、まずアルドの姿が見えた瞬間に抱き付く。地上最強の人間だったとしても、彼は特異な体質を持っている訳でも、恵まれた才能を持っている訳でもない。そんな人間が悪魔との戦いで無傷で済むはずが無いと考えると、アルドの姿が見えた瞬間は、同時に傷だらけのアルドが潰えそうな意識を引きずったまま帰ってきた瞬間でもある。自分がそこで抱き付けば、彼はきっとこう思うだろう。『ああ、やっと帰ってきた』と。
 しかし重傷を負っているアルドはゼノンの体重を支え切れず、倒れ込んでしまう。そこで今更のようにアルドの傷に気付いた自分は、急いでエルアのベッドに移動させて、介抱する。エルアと一緒に出てきた場合は……一緒に介抱した方が印象が良いだろう。エルアからも好感度を得られるし、そっちの方がいい。
 数時間後、アルドは目を覚まして、真っ先に自分を見るだろう。そして思う。『ゼノンが介抱をしてくれたのか』と。悪魔を打ち倒した以上、家を出て普通に帰ろうとするだけで国には帰れる。だが傷だらけのアルドにはそんな力が残っている筈もなく、傷が完治するまでの数日間、アルドは自分の介抱を受けながら共に過ごす―――そうすれば身も心も寄り添い続けた自分に、アルドはきっと振り向いてくれる筈だ。自分に…………きっと…………
 その時、視界の端に金色の物体を捉えた。闇に侵食されたこの家の中にある筈のない金色。それが何を意味するかはゼノンが一番よく分かっていた。
「アルド!」
 そう、アルドだ。虚空を引き裂いて、アルドが帰ってきた。その肩にはエルアが背負われておらず、表情は何処か暗かった。
 ゼノンは計画通り、傷だらけのアルドへ抱き付こうとして……止まる。アルドの体は、とても綺麗だった。まるでそもそも戦ってなど居ないかのように、傷一つ。出血すらしていなかった。瞳の奥からこちらを覗いている意識はとても明瞭で、付け入る隙など何処にもない。
 ……え?
「だ、大丈夫なの……悪魔は……それに、エルアも―――」
「ゼノン」
 聞く耳持たず。言葉にはならなくとも、アルドはそう言っていた。
「ど、どうしたの?」
「どうしてこんな事をしたんだ」
 雰囲気からは柔らかさが無くなった。だが怒っている訳ではなさそうだし、悲しんでいる訳でも無いだろう。アルドの表情からは何も読み取れない。怒っている訳でも、嬉しそうな訳でも、悲しそうな訳でも無い。この時の彼の表情を言葉で表すとするならば、『失望』。その表現が最も似合う、そんな表情だった。
「どうしてお前は、こんな事をしたんだ」
「え―――いや、こんな事って何ッ? 分からないよ!」
 嘘だ。自分が何をしようとしていたかは自分が一番良く分かっている。だけど明かす訳にはいかない。だってこんな事を本人に明かしたら、きっと……


 ……失…………望…………?


「そんなに私に振り向いて欲しかったのか? 嘘を吐いてまで、振り向いて欲しかったのか? 魔人が攫われている? 効果の例外? ……エルアに余計な罪まで着せて、お前は―――そこまでして私に振り向いてもらいたかったのか?」
 積み上げるのに数年、崩すのに一秒。この時ハッキリと理解した。ゼノンが積み上げた信用は、全て崩れ去ったのだと。
「お前の尻尾が速く動いていた時から、疑問には思っていた。手を繋いだ時も、お前が誤魔化したのが分かった。あの時はエルアの事以外で不安を抱えているという思考は即座に放棄したが、そういえばお前、握り返してきたよな。あの時は私と二人きりで居る事がそんなに心許ないのかとも思ったが、私に振り向いて欲しかったと考えれば全ての辻褄が合うな。お前はエルアの事以外―――つまり私の事で不安を抱いていた。だから私が何をしてもその不安が消える事は無かった……違うか?」
 唇を噛んで、喉の奥からどうにか声を出そうとしても、出てくる音は掠れて消える。否定をする事は簡単だ。自分は今まで遊び人のような態度を取ってきている。『貴方の思い違い』とでも言っておいて、不安については何かしら嘘を吐いておけば、この場は取り合えず逃れられる筈だ。だがこの場を逃したらアルドは離れていってしまう……言い返せる訳が無かった。
「私は自分にそんなに自信のある方じゃない。火傷痕を抜きにしても、大した面ではないからな。だが……幾らそんな私と言えども、ここまで情報が揃えば流石に分かる。だから『思い違い』だなんて言い逃れはするなよ? 目は口ほどに物を言う。嘘かどうかなんて、簡単に分かる事だ……正直に答えてくれ。『俺』はお前の事、友人としては大好きだったし、多少なりとも異性として意識はしていた。お前はどうだ?」
「…………私、は。大好きだよ。アルドの事。ずっと前から、ずっと……大好き」
 だからこそゼノンはこの計画を実行した。ずっと前から好きだったアルドと、結ばれたかったから。一緒に居たかったから。でも彼の傍にはナイツが居た。だから自分は……あれ?
 何だかまるで意味のない行動をしているような気がしてきた。今までその為に動いてきたというのに、何で―――
「……どうやら、背中を向けていたのはお前だったようだな。私と面と向かい合う事はせず、勝手な思い込みと迷惑を顧みない計画まで立てたんだ。違うとは言わせない。だがそのせいでお前は、私から得た信用を失ってしまった。最初から素直に好意を伝えてくれれば、私はお前の好意を受け入れるつもりだった……こんな形でお前に、別れを告げるような事にはならなかった」
「別……れ?」
「エルアの好意は行き過ぎたものだった。だがそれはこの村に閉じ込められた、言わば世間知らずの少女の好意が悪魔に悪用されただけの事。一方でお前はそんな彼女の好意を踏み台に、己の好意を届けようとした…確かに被害は無い。エルア達の作戦をお前が利用しただけだからな。だが問題は、お前が嘘を吐いてまで私を振り向かせようとしたという事だ」
 アルドの言葉は、仲間に掛けている言葉とは思えないくらい淡々としていて、冷たかった。『別れ』という言葉が何を意味しているのかは、この時はまだ分からなかった。
「信用っていうのは、とても大事なんだ。そいつを特別な理屈無しに信じられる材料だからな。一方で嘘ってのは、どんな事にも使える代わりに嘘がバレればそれで終わり。全ての信用を失う。お前は今回、私の信用を失った」
 アルドはゆっくりとゼノンに歩み寄り、耳元で囁いた。
「エルアの作戦を利用して、私に付け入ろうとしたお前を、もう信じる事は出来ない」












 ―――さよならだ。










 自分への想いが間違いを起こすのならば。そもそもそんな想いなど消してしまえばいい。それがアルドの出した結論だった。気絶させた彼女をフェリーテに操ってもらい、『邂逅の森』にて『アルドへの想い』を捨てさせる。ゼノンが最後に何を考えたか分からないが、これが彼女の想いと、この事件の結末だ。アルドは基本的にはどんな想いであろうと(たとえそれが殺意であったとしても)許容するが、それが―――例えば今回のように、想いそのものは正常であっても、後々に悪影響を与えると分かれば、そんな想いはなかった事にする。それが内部の安定化に繋がるのであれば、アルドは一切の躊躇なくその想いを蔑ろにしよう。
 この行いを責めるならば、責めればいい。人の想いを踏み躙るようなクズだと罵ればいい。今回のゼノンの行動は好意から生じた事で、記憶まで消す事無いじゃないかと非難すればいい。
 嘘はいつか破滅を導く。仮に内部の安定化が成功し、玉座に戻れたとしても、彼女のような存在がいる限り真の安定は得られない。またいつか、己の好意を優先して混乱を招くかもしれない。今回の判断はそれを見越してのものだ。決して曲げるつもりはない。
 しかし、誰からも忘れ去られたとしても、その好意を忘れるつもりもない。
 ゼノンはアルド・クウィンツの事が好きだった。かつて存在した、この想いだけは、忘れたくない。










 

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