ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

信じる者は報われぬ

 そこでは果てしない闇が世界を喰らい尽くしていた。自分達は確かにあの地獄のような世界を脱出した筈なのに、まさかその先ではそれ以上の地獄が待っているとは。
 一面の黒、その先の虚無。己が何処に立っているかもわからず、ここが何処なのかも分からない。もしも自分の思考が正常であり、今までの記憶が作られたものではないのなら、ここは……リスド大陸の何処かである筈だ。
「フォーナ。もしかしてここに師匠が居るのか?」
「……ふむ。中々の問題が発生してしまったようだ。ここは先程の世界とは違う……ともいえないが―――変容した、とだけ言えるだろう」
「変容?」
 黒ずくめのローブを着用している影響で、フォクナが何処に居るのかイマイチ掴みにくい。首を振り回しながら会話するのも阿呆らしいので、目を瞑っておこう。何処を見ても黒一色なのだから、目を瞑った所で何も問題はない。
「ここが主の師が居た世界である事は間違いない。だが……いや、これ以上は進めば自ずと分かるであろう」
 答えを言わなかったのは、単純に説明が面倒だったから……というより、見たほうが早いのだろう。或いは言葉では説明できないくらい複雑でややこしい事になってしまったか。いずれにしても進まないという選択肢はなかった。
「ねえツェート、この人って一体誰なの? 知り合いみたいだけど……それに主って」
「あーうん。気づかれた以上は説明しなくっちゃな。こいつはフォクナ・メルーサ。俺はフォーナって呼んでて、その……主従関係を結んだんだよ。俺は片腕が無いからさ、こいつが居ないとお前を守れないだろ?」
 嘘は言っていない。レンリーが自分ではない他の誰かを好きになるまでは守って見せるし、フォクナさえ居ればその誓いはずっと守る事が出来る。只、それが全てではないというだけだ。レンリーは、赤面した顔を覆って『ツェートが……私を……』と何やら小声で呟いている。言葉の裏にある真意を読まないで愚直に受ける辺りも、やはり以前の彼女とは変わっていた。
「―――そんじゃ、進むか……前に歩けばいいんだよな」
「然り」
 何処を向いても黒一色では境界線がはっきりしない。今の所は前に進むだけの簡単な道のり。何も問題は無いだろうが、もしも曲がり道などがあった場合はフォクナに案内を頼むとしよう。










 指輪から伸びる魔力の糸から無理やり宝物庫を開き、指輪をチロチンの宝物庫へと投げ入れる。後はチロチンが来てくれるかどうかという問題だが、それはもう信じるしかない。やるべき事は全てやった。後は彼が……何を思うかなのだから。
 そう考えると、この空間は中々悪くないかもしれない。自分は囚われのお姫様、助けに来てくれる王子様に手がかりを与えて、救いの時を待つ……なんて、柄ではないか。そもそもオールワークは侍女であり、決して誰かが求めてやまないような女性ではない。それに助けを求めたのは王子様のような尊い存在ではなく、もっと身近な関係にあるチロチンだ。そんなロマンは無い。尤も、そんなロマンを抜きにしてもこの場所は悪くない。永久に閉じ込められるのは御免だが、暫くの間なら……悪くないというより、最高だ。無限の退屈が日々の激務を忘れさせてくれる。座り込んで目を瞑っても、その場で寝転んでしまっても、誰にも何も言われない。他の侍女はトゥイ―二―を始めとても優秀だが、それでも自分が指示を出し管理しなければ何かしらの問題が発生してしまう。今まで休む時間を得られなかったのはそういう理由もあったのだが、この異空間に閉じ込められている間はそれも気にしなくていい。関知出来ない事を一々気にする道理は無いだろう。
―――ああ、全く本当に……退屈。
 アルドが居ればこの退屈は、幸せなモノになったかもしれない。ナイツとか大陸とか人間とか魔人とか細かい事を気にせずに一緒に居られるから。でもそれはあり得ない話。仮にアルドがこの場に居ても、きっと彼はこの異空間からの脱出を図っていただろう。彼の性格をよく考えれば、その結論に至る事はそう難しい事じゃない。
「待たせたな。助けに来たぞ」
 ゆっくりと目を開けると、珍しいモノでも見ているような表情でこちらを覗きこんでいるチロチンの姿が目に入った。その背後には巨大な髑髏を付き従わせるフェリーテの姿も。
「……ええ、本当に待ちましたよ」
 暫しの平和、束の間の休息。そう言い換えても差し支えない時間は終わりを告げる。彼らと共に行けば、また苦労と苦痛が自身の体を染め上げる。こんな僅かな時間の退屈など忘れて、オールワークは再び侍女に戻るだろう。
「こんな空間に居ると、事態の変化には疎くなってしまいますね。現在の状況を教えていただけると助かるのですが」
「そんな暇は無い! ……が、手短に説明しよう。走れるか?」
「勿論です」
 それでもいい。それが自分の生き方だ。アルドのように自身の命を顧みずに他者を助けようとする者は少なからず居るだろうが、アルドの為に生きようとする者は自分以外に誰が居る? ナイツとも、弟子とも、友人とも違う。オールワークは侍女。アルド・クウィンツの侍女だ。彼が居るだけで、それだけで自分は生きていける。だから、これからの未来に一切の休息が無くても構わない。オールワークは『侍女』として、最高の仕事をするだけだ。










「…全員揃ったようだな」
 まさかアルドが自分を信じてほしいなどと願うなど予想できなかった。そしてその上で事態の解決を図ろうとするとは……どうやらもう少し人間の感情について勉強が必要なようだ。今回の計画は男女の好き嫌いだけで完璧になるようなモノではなかった。だがまあ、結果論で言えば大成功だ。宿主だけではなく、アルドをも取り込むことに成功した。あの忌々しき剣のせいで完全に取り込むことが出来ないにしろ、削がれた力を取り戻すくらいならば出来る。
 今の自分は最早全能。アルドも消えて、宿主は完全に我が手中に収まった。今更誰が助けに来ようとも無意味。あまりにも無意味。丁度この場所に入り込んできた虫けらも居る事だし、せっかくなので腕試しといこう。そして虫けら共を蹂躙し終わった後は……手始めにこの大陸でも征服しようか。自分を宿主ごとこんな辺境に封印したのだ。それ相応の報いを受けてもらわねば。
「よく来たな、お前達」
 この世界に潜り込んできた者を合わせれば全部で六名。自分の前に立っていた。どうも自分の正体を理解した上で警戒しているのは魔人と、そこの不思議な人間だけのようだが、今の自分に叶わぬ者など居ない。手に負えそうになかったあの侍女にも、負ける未来が見えない。
「あれ、フェリーテさん? どうしてここに居るんだ?」
「……事情は後じゃ、ツェータ。今は目の前の怪物めに集中せんとのう」
 怪物……か。どうもあの魔人の言葉は自己嫌悪のようにも感じ取れる。まるで自分もかつては怪物だったような、そんな言い回し。アルドの体を完全に取り込んでしまえばその辺りの事情も掴めるのだろうが……この剣が邪魔でしかない。既に担い手は自分に渡っているというのに。
―――力を証明すればいいのか?
「……ああ、突然だがお前達、大人しく死ぬ気はないか? 勝ち目が無い戦いに命を懸ける必要はないだろう? それに対して俺は勝ち目しかないのに、お前達を潰すのに少しばかり労を必要としてしまうからな。これではあまりにも釣り合いが取れておらん……どうだ?」
 決して慢心などでは無い。自慢ではないが、自分は古来より人と付き合ってきた悪魔だ。その実力は姿を見れば分かる。今まではそうだった。だがあの黒ずくめの存在と、魔人の女に関しては、それが見えない。一体どれ程の底力があり、どれだけの芸を持ち、どれだけの生命力を持っているかすらも分からない。
「むしろその提案はこちらの台詞、勝手に奪わないでほしいな。悪魔」
 敵意を露骨に剥き出しにしている『烏』とは違い、他の者の敵意は静かなものだった。あまり期待などしていなかったが、結果は案の定。これではあの二人の底が分からないままだが―――
「誠に残念だ。大人しく殺されると言うのであれば、苦しみを味わわずに死ねたものを」
 関係ない。あの二人も所詮は魔人、所詮は人間なにかだ。存在を維持するのに不可欠な宿主と天敵アルドを封じ込めた以上、誰も自分を止められはしない。誰も自分を殺せはしない。悪魔とは人間の上位種、人が永遠に超える事の出来ない存在だ。その格の違いを今―――
「―――見せつけてやるとしよう、か?」
「……何?」
 合わせるように、嘲る様に。フェリーテは扇子越しに、その言葉を呟いた。
「宿主を取り込み、主様を取り込み、かつての力を取り戻したから何じゃ? 誰も自分を止められない? 誰も自分を殺せない? 思い上がりも甚だしいのう。わっぱ
 不敵な笑みが扇子によって隠され……閉じられた、その直後。彼女の雰囲気が一変した。全体的に艶やかだった動きは、殺意を纏って激しくなり。黒真珠のように丸く美しい瞳は輝きを失って。それでも尚、その奥に広がる青白い炎はこちらをしっかりと見据えていた。
「……人間アルドよ、恨むぞ。妾にこれ程の屈辱を味わわせた事をな……しかし、その話はまたいずれ―――する事にしようかの。今は口の利き方のなっとらん童が優先じゃ」
「……お前は誰だ?」
 それはチロチンだけでなく、ここに居る全員が思った事だろう。彼女は見てくれは確かにフェリーテだ。だがフェリーテではない。何かが明らかに変わったのだ。とても一言では表しづらいが、強いて言うならば……格が変わっている。
「妾が何者であるかなどお主達が一番よく知っておろう。語る必要もない。それよりお主等、何を見ておるのじゃ。お主等が戦うべきは眼前の童。ツェータには先ほど言うたはずじゃが、違うか?」
 いつもの彼女であれば、この場所にいる誰しもがその問いに答えただろう。だが明らかに格が変わってしまった彼女に対して、答える者は誰一人としていなかった。
 それを察したらしい彼女は、自嘲するように口元を吊り上げる。
「―――ふむ。それでは少し態度を改めよう。腹の立つ事に、妾一人では契りの事もあって眼前の小童にすら勝てぬ。……どうか力を貸してはくれぬか」
 気付いたのは、恐らく自分だけだろう。最後の言葉だけは紛れもなく『彼女』の言葉だった事に。今目の前にいる存在がたとえ彼女の『負』の側面が具現化した存在であっても、『彼女』は確かに助力を頼んだのだ。故に。
「……私は問題ない。お前が誰なのかは大体察しがついたが、今はアルド様を取り戻すことが先決だ。追及の暇はない」
「私も問題ありません。この身は既にアルド様へと捧げられました。貴方がどんな存在であろうとも、目的が一致しているのであれば異論はありません」
 その言葉に聞いた後。フェリーテのような何かは、人間達へと視線を向けた。正確には先頭にいる……青年に。
 ツェートは確かにアルドに同伴していたが、だからと言ってこの世界に意図的に入ってきた訳ではない。ただ別の世界に閉じ込められて、そこから脱出したらここに入っていただけの事。だから逃げ出したとしても、誰も何も言わない。そもそもが実力不足、悪魔となんて戦った事はないし、下手すれば足手まといにすら成り得るからだ。
「―――俺も戦うに決まってるだろ。師匠には最後まで協力するし、そもそも俺は戦う事を期待して付いてきたんだ。ここで逃げたら……男が廃る」
「……いい心構えじゃ。その心、忘れるでないぞ」
 フェリーテのような何かは、確かな殺意を持って再び悪魔を睨みつけた。
「待たせたのう。小童」
「ふん、構わんさ。どうせお前らは俺の力の前では何も出来ない。それを理解していても尚向かってくるのだから、せめて最後の会話ぐらいは自由にさせてやろうというのが俺なりの優しさだ。それで、死ぬ準備は出来たか? 喋り残したことはないか? これからお前達は地獄を味わう事になるんだから、死に急ぐ必要はないんだぞ」
「よく喋る小童じゃ……その余裕が果たして、いつまで持つか。見物じゃのう!」






 







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