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ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

原初は語る

 そいつはいつの間にかそこに立っていた。気づけない訳ではなかっただろう。だが誰も気に留めなかった。その男があまりにも自然に歩いていたモノだから、誰も気にしなかったのだ。
 男がツェートに触れた瞬間、氷塊が蒸発。同時にツェートに空けられた大穴が目を瞠らざるを得ない程の速度で修復されていく。詠唱破棄は当然として、同調破棄……魔術名称すら唱えることなく回復を行うなど尋常な事ではない。
 一体誰だこの……半毛半骨の仮面を被った奇妙な男は。
「……ふーん、成長したな、お前。昔はもう少ししょぼかった気もしたが、俺の気のせいかな?」
 言いつつ男はツェートの目の前でしゃがみ込み、意識の有無を確かめる。丁度リューゼイに背を向けるような形で、特に警戒心も無く。
 その間にリューゼイは素早くと立ち上がり、剣先を男の方へと向けた。
「……そいつを助けるのか? 私が勝てば無条件降伏。もしも負ければこの場は見逃す。そういう約束の上でお互い手助けなしで戦っていたんだぞ? それを破るという事は、再び戦争を始めたい……そう受け取ってしまってもいいのだな?」
 その言葉を皮切りに、後退していた騎士達が一斉に武器を構え始めた。それに対応する様に魔人達も武器を構えたが、あちらに比べると士気は低い。今更勝てるような戦いではないと思い始めているからだろうか。尤もそんな事は、この謎の男にはまるで関係ない話で、
「おう、魔人共。お前らは戦わなくていいぞ? もしも戦争をあっちが続けたいってんなら、俺が一人で引き受けてやる」
 あっさりと言い放たれた言葉に、両陣営共に言葉を失っていた。そんな言葉をあっさりと言えるような人間はそうそういない。人間という枠を無視すれば片手で数えられるくらいにはいるが、明らかにそれには該当しないし……では一体、誰だ?
「さて、リューゼイ。お前と一対一で戦って勝ったら……という話だが、選手交代だ。交代しちゃいけないというルールは無いよな、勿論」
「……確かに、無いが」
 何だろう。この男と話していると妙な突っかかりを感じる。全く知らない訳ではないのに、何故だか思い出せない。
「だろう? だったら別にいいよな、騎士団長様? どうせ誰にも負ける気は無いんだから、誰が相手でもいいに決まってる」
 男は誰も居ない筈の虚空に目配せした後、倒れ込んだツェートを護るようにして前に立つ。手には何も握られてはおらず、服の下から見える剣が一本あるのみ。あれが彼の武器だろうか。だとするならば話は早い。あの剣ごと男を叩き切り、今度こそこの勝負を終わらせようではないか。
「只な、一つだけ忠告したい事がある」
 リューゼイが武器を構える……それよりも早く。男の前蹴りがリューゼイを直撃。先程の一撃とは比べようもない程の速度で後方へと吹き飛ばした。どうにか受け止めようとした騎士達も一緒になって吹き飛んだのは、幸運か。
「俺は虫の居所が最高に悪い。本気を出さなきゃお前……死ぬぜ?」
「……良いだろう!」
 この際あの男が何者なのかはどうでもいい。今は只、奴を殺す事だけに注力する! リューゼイは体勢を整えると同時に男へと一気に肉迫。背後の魔人達をも切り殺す勢いで、裂剣を薙いだ。これで男が避けてしまえば斬撃は魔人達の方へと行く。そうしてしまえばどの道、こちらの勝利。ダメージを与えられなくとも、驚きはするだろう。
 だが実際に驚いたのは、リューゼイだった。男は全力で踏み込んできたリューゼイをしっかりと見据え溜まま、その斬撃を真正面から受け止めたのだ。片手で、一歩も動くことなく。
「どんな名剣も魔剣も太刀筋をずらしちまえば鈍刀と変わりない。お前の剣の切れ味が幾ら上がろうとも、俺には通用しないんだよ」
 今までそんな経験が無かったからか、リューゼイは硬直してしまった。男はそんな隙を突くように頬に一発。ニ、三歩よろめいてしまうが直ぐに体勢を立て直す―――そしてもう一発。腰の入った重いパンチは、まるでこちらの心を読んでいるかのように的確に、鋭く撃ち込まれる。
 防御をしてもすり抜けて。
 回避をしても蹴りがあり。
 転じて攻撃しようと避けられる。
 動けば動く程攻撃が当たる。頬に顎に胸に股間に、太ももに膝に頭に耳に。文字通り為す術がないままに、リューゼイの体には既に四十発以上の拳が撃ち込まれていた。
―――この間合いでは剣が使えない。
「『転露ブリューテ』!」
 どうにか後方に転移して剣を抜く。男は追撃の意志などないようで、こちらを深追いするつもりは無いようだった。そしてそれは、この状況では一番困る判断だった。
 攻めとは隙である。隙とは即ち攻撃の機会であり、達人同士の戦いでは先に攻撃を仕掛けた者が負けるとまで言われている。だからもし深追いをしてくるようならば出し抜けに攻勢に転じて動揺を誘うという手も使えたが、相手はこれでは仕方がない。
「剣を抜けよ。使いたいんだろ、それ」
「……先程のようになっても困るのでな。貴様が抜くまでは、私も迂闊には使わない事にした」
 そんなリューゼイの強がりを見抜いたように、男の語調が荒く、挑発的になった。
「へえ、強者の余裕って奴か? そりゃ弱者を前にしてやるもんだが、弱者はお前だろ。だったら弱者は弱者らしく全力を見せて掛かって来いよ。その全力が俺に劣ってると分かるのが怖いから出さないとか言い出すつもりなら問題ないぞ。そもそもどんな策を弄したところでお前は俺に劣っているからな。安心してく―――」
 話を遮るようで悪いが、これが一番効果的だったりする。途中でこちらに踏み込んできたリューゼイに、男の反応は遅れているようだった。防御は間に合わないと悟ったか、男はじろりとリューゼイを一瞥した後……その姿を消した。
 いや消えたのではない。その刃が体に触れようかというわずかな時間に、その場に倒れ込んだだけだ。ただその速さが常軌を逸していたために視認できなかった。それに気づいて刃を返すも、遅かった。突き上げるような前蹴りがリューゼイの顎を打ち上げたのだ。男はその蹴りの勢いを利用して起き上がったが、リューゼイは受け身も取れずにその場に倒れ込んだ。ここまで武器は一切使われていない
 何という強さだ。まるで歯が立たない。力であればアルドさえも圧倒する自分がここまで惨めに負ける等……あってたまるか!
「ぬおおおおおおおおお!」
 『転露』を使って前後の体勢を無視して上空へ。そのまま大上段で男へと斬りかかるが、軽く身を捩って躱される。剣先が地面に突き刺さって、隙だらけのリューゼイの耳を男の爪先が撃ち抜いた。瞬間耳が遠くなり、世界から一時的に平衡感覚と共に音が消えた。
「ぐっ……」
 このままでは面目が立たない。フルシュガイド大帝国騎士団団長としてのメンツが……騎士達は不安そうな表情で自分を見ている。自分を心配している。本来格下の筈の彼らに、自分が心配されている。それは何よりも屈辱的で、恥じらうべき事。
―――たとえこの身が砕けても、我が人類の勝利の為にも、負ける訳には行かない……
 大丈夫だ。隙は必ずある。人間である以上必ず隙は……隙ッ?
 リューゼイは崩れた平衡感覚の中でもどうにか立ち上がる。男はそれを見て少しだけ悲しそうな表情を浮かべた後、「終わりだ」と告げて、その胸にナイフを―――
「『業空シュペンストリーレ』!」
 風の刃が男によってあっさりと打ち消されたのは、その言葉が紡がれた直後だった。
「あのガキと同じ手段で勝てる相手かよ。もっと相手をよく見ろ老害が」
 ただナイフは止まった。それは意図せずして作られた隙であり、これを使わない手は無かった。リューゼイはそのナイフを奪い取るや否や大きく後退し、逆手で構える。
「……お。流石に少しはやるようだな。まあそうでなくちゃ困るよ。あの国の将来が心配になるからな」
 その言葉からわざと渡したようにも聞こえるのだが、それは果たして気のせいか。
「ほらほら。じゃあ俺から行くぞ。全力で防がないと今度こそ死ぬからな……」
 言葉が途切れた―――刹那。リューゼイの鳩尾に叩き込まれた肘鉄。体内で魔術を展開してどうにか威力を減殺したが、その威力は内臓が捻転するとかいうレベルを超えている。減殺に気付いた男がすかさず拳を放つも、ナイフによる牽制で深追いが出来ず躱される。彼我の間に一定以上の間合いが出来たのを見て、こちらも攻勢へ。ナイフを順手に持ち替えて突きによる攻撃で隙を埋めていく。あちらからすれば刃先しか見えないので、非常に避けづらい筈だ。左右に腕を弾かれて決定打は与えられていないが、それでも避けづらい事に変わりはない。当てる気のない大振りの斬撃は牽制にもならないので、使わない方が良いだろう。
 リューゼイの放った刺突を紙一重で躱し、男はその手を掴んで体を引き寄せた。何の目的かと疑った直後……内臓に打ち込まれた掌底に、リューゼイは男にもたれかかるように体をくの字に曲げて嘔吐する―――だが、貰った!
 男の背中をがっしりと掴むと同時にナイフを逆手へと持ち替えて、その背中へと強く突き立てた。手ごたえありだ。
「――――――惜しい、な。俺が魔術の使えない奴だったらやられていたぞ」
 そう言って男は懐から銃を取り出して……男の左胸に押し当てた。
「死にやしないだろうが……しばらく動けると思うなよ」
 乾いた発砲音が、蒼穹に響き渡った。











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