ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

全て終結せし時

  夢を見た。それは可能性すらあり得ない、遠い遠い世界の話。レンリーが居て、ネセシドが居て、その真ん中に自分が居て。そうやって三人、何時までも仲良く過ごし続けたというだけの、それだけの夢。
 自分が望んだ世界、なのかもしれない。先生と出会わずに、いつまでも世界の外に目を向けずに、過ごす……そんな世界を、自分は今でも欲しているのかもしれない。
 でも、やはりだめだ。今の世界に生きる者が、そんな過去を蔑ろにするような思いを抱いてはいけない。ネセシドが死んで、先生と出会って、ヴァジュラさんと出会ったからこそ、今の自分はここにある。後悔は冒涜だ。死んだ者への冒涜だ。
 死は変えられない。始まりは異なれど、終わりは万物に訪れる。蘇生の法とやらも、不老不死とやらも、その全ては紛い物だ。
 夢は夢。そしてこんな夢を考える事すらも、きっとそれは冒涜で。考えてはいけない事。……夢は別世界の自分の視点とも言われるが、だとしたら猶更、自分は見てはいけないと思う。
 誰かの世界を見ているという事は、その誰かもまたこの世界を見ているという事。あちらの世界の事情しか知らぬもう一人の自分がこの世界を見ても……きっといい思いをしない筈だ。
 全ては夢。時間と空間の間に存在する、泡沫の世界。それはどこまでも悲しく、虚しさのみを生む世界。








「……ん」
 新しい朝が来た。最悪の朝だ。いっそのこともう一度眠って仕切り直しをしたい。だが眠る訳には行かない。幾ら時間が余ったのだとしても、それでもツェートにはやらなければならない事がある。
「あら、起きたの? 大した場所は貸せなかったのに、随分と良く寝てたから、てっきりもう数時間は寝ているかと」
 薬屋の主人を護衛する事、忘れていた訳ではない。単純に、彼女に何の危機が訪れなかっただけである。なのでこのままレンリーの件が解決すれば契約は解消……いや、それ以降も危機が訪れれば行く気はある……となった筈なのだが、それ以前に一日余ってしまった。昨夜の通り、もう出来る事は全てやったのだ。
 であるのなら、せめてその一日を他の事に使おうという訳で。
「そうも行かないだろ。今日はアンタの店の護衛って事になってるんだ。休んでちゃ仕事にならん」
 こうしてツェートは薬屋の護衛となった訳なのだが……実は寝床を借りに来ただけで、本来は一日護衛などするつもりなど無かったと言うのは黙っておこう。
「ふふっ、有難う。貴方が居ればきっと何の問題もないでしょうね! ……でも大丈夫なの?」
 店主は両手を合わせて笑顔になるも、直ぐにその表情は曇ってしまった。
「何が」
「私を護る事が正義ではないって、分かってるんでしょう?」
 正義でないと自覚した上で、この店主は商売をしているらしい。その行いが悪であるとの自覚だと知らぬ、無垢なる悪よりかはマシだが、性質が悪い事に変わりはない。そしてツェート自身、それを庇護する事が悪である事など分かっている。
 だが。
「俺の正義は『大切な人を護れるか否か』、だ。大衆の正義何て知らないね。勿論どっちの正義も守るのが一番いいんだろうが、大衆の正義何てモノを護って大切な奴を失ったら、それこそ俺は世界を憎むよ」
 レンリーはどうしようもなく最悪な奴で、好きでも何でもないが、それでも彼女は大切な人だ。幸せに、なってもらいたいのだ。
「まあアンタを護るリスクを無視するお人よしでもないしな。つり合いが取れるかと言ったら微妙だが、一つだけ質問していいかな」
 首肯を見送って、続ける。
「何でアンタの、香水か何だか知らないけどさ……媚薬入ってんのさ」
 彼女と会う度に一々情欲を掻き立てられるのはある種の弊害だ。ツェートをピンポイントで狙ったモノでない事は分かるが、明らかに商売の邪魔ではないだろうか。女性はともかく、商品より店主を見てしまう男性客が多発しそうだし。
「あら、迷惑だったかしら。でもこれで私への関心を高める事で、私の発言力を劇的に増やすっていう狙いもあるのよ。愛を向ける相手の言葉は、ともすれば盲目的に従ってしまう事が多いでしょう?」
 笑顔の裏に商売魂ありってか。巧いというより汚い。犯罪的というより犯罪だ。こんな戦法を多用するのだから、きっと男性顧客は多いのだろう。いや、だからこそレンリーを覚えていたのかもしれないが。
「それって商売なのか……汚いな、相手の欲しいもの以外にも、余計なモノを買わせる戦法かよ」
「客の性格が攻撃的になっちゃうってのもあるけどね……でも貴方が居るし、その辺りは安心かな。でも貴方にまで襲われちゃ流石に抵抗できないから、今日は止めるという手も……」
「いや、売り上げが下がるのは困るから別にいいよ。只強いて言うならそれ以上匂いを強くするのをやめてくれ。流石にそれ以上強くされると自制できる保証はないからな」










 暇である。
 街の人々は大変良識的で、たとえ客が居たとしても、その動きは店主の狙い通りで。まあ護衛何て仕事が無い方が良いに決まっている為、文句は言えない。
「ありがとうございました~♪」
 身を翻す客を見つつ、ツェートは小さくあくびをした。こう平和だと、自分が先日まで行っていた教団の黒い部分が夢のように思えてくる。レンリーさえ帰ってきてくれれば、真に平和だと言えるのだが……


「貴様がここの店の主人か?」


 あまりの平和さにそろそろ眠くもなってきた頃、店の前に顔を出したのは、五人程度の衛兵だった。装備は……質素だ。如何にもとでも言えてしまう程質素。魔力は感じられない為、異名持ちの武具という事でもあるまい。
「え、え? 検査は明日の筈じゃ―――」
「お前は要注意リストに入っている女だ。いつ隠されたとしてもおかしくはない。よって、日付をずらしたのだ」
 まあ、締め上げてやろうというのに、わざわざ隠す機会を作る大馬鹿な奴は居ない。それを警戒しなかったのは店主のミスだ。
「そんな! 卑怯よ!」
「おっと? その言葉は何かを隠してるようにも聞こえるぞ? やましい事が無いなら、そんなに動揺しなくてもいい筈だ!」
 正論である。やましい事も無いのに動揺する人柄ではない事は当然知られている事だろう。大人な雰囲気の女性だが、想定外の事態には弱いようだ。
 ……まあ、護衛は護衛でも俺の護衛は隠蔽だからな。




「お、おい! 違法な薬はあったかッ!」
「いや、無い。どこにもない!」
 店主は困惑している。検査に来た衛兵達も困惑している。困惑していないのは棒立ち状態のツェートだけ。傍から見れば単純に蚊帳の外だからだと思うが……
 店主に目配せをすると、彼女は何かに気づいたように目を見開いた。
「……で? 私の店に、違法な薬はあったかしら?」
 飽くまで潔白を主張する店主に、衛兵達はものの見事に気圧されているが、日付をずらし、隠されることを警戒して複数人で来たのに、その結果が不発ではこうなっても仕方が無いだろう。彼らからすれば、無実の店を卑劣な手段で襲った事になるのだから。
「……私としても貴方達の信用が失われるのは好ましくない事態。この場を引いてくれるなら、私は大事にはいたしませんが」
 立ち振る舞いに余裕すら見られる彼女の、一体何処にやましさがあるというのだろうか。衛兵達はこちらにまで聞こえてきそうな程歯噛みをした後、仲間の方を叩いた。
「ぐ……おい、引くぞ」




「貴方のお陰で助かったわ、ありがとね」
「まあ多少賭けではあったけど、良かった良かった。ああ待て、動かすな。薬瓶が落ちる落ちる」
 違法とされた薬品は全てツェートの衣服の中にあった。どういった経緯でそうなったかと言えば、至極簡単。
 店主の手の甲に刻んだ印を中継する事で、違法薬品全てを自身の衣服の中に移動させた、ただそれだけである。棒立ち状態だったのは、下手に動くと落としかねないからであり、音で気づかれるのを防ぐため。蚊帳の外というより、蚊帳の中心に居たわけだ。
 ツェートは再び能力を発動。移動させた薬品を再び元の場所へ。薬屋はいつもの通りの品並びとなった。
「アンタには知られちゃったけど、お願いだから他言しないでくれよ?」
「分かってる。忘れておくわ」
 長い付き合いではないが、かといって他人でもない。信用されて護衛を任されたのだからこちらも信用しないといけないだろう。
「あ、そうだ。少し頼まれてほしい事があるんだが―――」






 満月の上るとき、集会は行われる。


 刻は来たれり。


 紅き迅雷は、闇夜を切り裂き敵の下へと降り立つ。















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