ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

迅雷

「おいおいおいおいおい! 聞いてねえぞこんなの!」
 馬車引きの男の眼前には中位の魔物、ローグウルフが唸り声を上げていた。一体どうしてこんな事態になったかなんて説明しようが無い。只ある男に頼まれた荷物を運ぼうとして……それで……
 そもそもローグウルフは普段は非情に温厚な魔物であり、繁殖期か、仲間に対して非道な行為でもしない限りは人なんて絶対に襲わない筈。それが何でこんなことに。
―――いや、まさかな。
 荷物から死臭はしなかった。何よりそんな荷物に需要何て存在しない。百害あって一利なしという奴だ。
「なあ待てよ! 繁殖期はまだ来てない筈だ、お前らは何をそんなに神経質になってるんだ!」
 言葉が通じる筈が無いと分かっていても、或いはと信じて言葉を紡いでしまう。
「おい……ちょっと。なあ―――」
 言葉を紡いでいられたのはそれまでだった。ローグウルフが地面を蹴りつけると、爆発的な加速と共に体が消えた。


 次にその体が視界に移った時、男の半身はその強靭な顎に噛み千切られて―――


 目を瞑る。終わりを告げる生に僅かな感謝と後悔を抱きながら。
 しかしどうした事だろうか、いつまでたっても痛みは訪れない。一瞬の痛み、或いは認識すらも訪れない。断頭台によって首を落とされても暫くは意識があるそうだが、この状態は正にそれなのではないだろうか。
「――――――」
 いや、あまりにもおかしい。流石に意識が持続し続けている。まさかあの魔物に怯える自分を見て楽しむ程の高度な知能があるとは思えない。ゆっくりと目を開けた。
「……うん。怪我はないみたいだな、よかったぜ」
「……え」
 ローグウルフの体に突き刺さっている何の変哲も無い一本の剣。問題はその突き刺さっている場所である。その剣は魔物の上あごを固定する様に突き刺さっており、そのおかげで男は死ななかったことが推測される。
 そしておそらくは魔物の横にいる青年がやったのだろう。剣の刺さっている角度と青年のいる位置が明らかにおかしい事はこの際気にしない。
「アンタは?」
「俺か? アンタを助けてほしいって依頼があってな。こうして助けに来た訳だ」
 奥さんに感謝しろよと青年は笑う。そこには多少の皮肉、羨望が含まれていた。
「あ、ありがとう! しかしどうして妻は私が危ないって事に気づいたんだ?」
「ああそれか。それはな……」
 青年がいつの間にか馬車の背後に回り込み、荷物を指さした。「拝見するぜ」
 荷物が紐解かれ、縛られた布がはらりと解ける。短剣や、水や、少しの食材が露わになる中、見た限りそこに妖しい品はない。その疑問が表情に表れていたのだろうか、青年は無言で食材を掻き分け、それを優しく掴み取った。
「それは牛肉だぞ。一体それの何……が」
 よくよく見るとそれは牛肉ではなかった。筋の通り方といい、匂いといい。よく似ているが、よくよく観察してみれば違っている。
「これはローグウルフの肉だな。美味しい美味しいと評判で、一部の富裕層御用達だとか。只こいつ自身が優しい魔物だってことと、機嫌の悪い時はとことん危険だって事で一般には広まってないみたいだが……というか、お前の町じゃこいつに対しては繁殖期を除いて干渉禁止だったな」
「あ、ああ。まあ干渉は禁止だが、ふれあい程度なら……って感じだな」
「じゃあこいつをアンタに頼んだ犯人は違法者って訳だな。オーケー。事情は分かった。後の処理は俺がやっておくから、早く帰って奥さんに元気な顔を見せてやれ」
「ま、待ってくれ。アンタの名前は一体―――」
 目を離していた訳ではない。それなのにも関わらず、少年の姿はまるで初めから存在しなかったかのように消えていた。






「……ふう」
 先程の犯人は適当に突き出しておいた。報酬は安かったが、特に気にしない。いや、正確には他の事の方が気になっていて、思考領域を割けない、と言った方が正しいか。


―――旅を続けて二年以上が経過した。
だが、強くなれてる気がしない。こうして町のちょっとしたいざこざを解決したりしなかったりして生計を立ててきたが、やはり一向に目標には追いつけない。あの背中は未だ遠すぎる。
―――やっぱ冒険者になるしかないのかな。
 そういう柵は嫌いだ。先輩冒険者に嫌味を言われたり、絡まれたり。既にそういう事がないではないが、もうその手の冒険者にマークされてしまった自分が入るというのは……面倒だ。こうなった以上はもう冒険者の世界ではまともに生きられないのも分かっているし、やはり入るというのは気が進まない。
―――冒険者の仕事を潰すってのも気が引けるしなー
 強い奴と戦って成長したいだけなのに、こうも面倒な思いをすることになるとは。あの人と出会えたのが如何ほどの幸運かは言うまでもない。本当に恵まれたモノだ、自分は。
「ちょっと、何私を置いていってんのよ!」
 恵まれていたが……今はどうだ。恵まれている……のか? 第三者的に視れば確かに今も恵まれているだろう。声の主は決して不細工ではないからだ。だが。
「私は貴方のフィアンセなのよ? その私を置いて行くなんて信っじられない!」
「フィアンセってのは婚約者の事だ。俺はお前と婚約何てした覚えは欠片たりとも無い。それに俺はもうお前の事、好きでも何でもないしな」
 淡白に返してやると、少女は顔を真っ赤にし、怒鳴り声を上げた。
「何よ! 私はアンタを好きになってやった側なんだからねッ? こんな美人に冷たくするなんてアンタ馬鹿じゃないのッ?」
「はいはい。好きになってもらったんでしたね、そうでしたね。―――お前さあ、俺はもう心に決めた人が居るんだから、いい加減俺以外の奴を好きになれよ。だから俺はこうやってお前の好きになりそうな奴を探す為にも……言い換えれば、新たな花婿を見つける為にも旅に同行させてるんだろ? ―――なあ? レンリー」
「私は一途よッ。貴方を差し置いて他の男に目なんて……」
 言葉を遮るように青年は吐き捨てた。
「どの口が言うんだよ、どの口が。俺はネセシドの件をまだ忘れたわけじゃないからな?」


















 

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