ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

自問自答

死。それは万物に等しく訪れる終わり。森羅万象が行きつく終着点。魔人と戦っていた頃はあまりにも当たり前で、あまりにも理不尽に訪れたそれが、今エリ達の前に立ちはだかっていた。
 エリは故郷を殺された。友人であるアルドに、その一切を殺された。
 キリーヤは直接殺されたわけではないが、魔人という種族を殺された。今では尊敬すらしている、魔王アルドに。
 当たり前のようにありながらも、決して実感できるものではなかった。追放の形とはいえエリはアルドによって保護されていたし、明確に死を感じ取ったのは、それこそクウェイ達と出会った村での一件くらいだ。しかしそれも結局乗り越えてしまった。
―――今、二人の前には巨大な死が立ちはだかっている。謡をして『自分以外は助けられない』という程の死が。
 アルドも、フィージェントも何もかも頼れない。失敗すれば、死ぬ。謡の性格を鑑みるに、彼は暗に『助けられなくはないが、助けるつもりはない』と言っている事も分かる。そして謡が、管理人がこの試練を重要視していたことから、この試練は恐らく最難関。それも誰の助けも借りてはいけないという枷付き……いや、本来は第一の試練から誰の助けも借りずに突破して然るべきなのだ。だが第一の試練は実質謡が突破したようなもので、第二の試練に関してはこちらは僥倖としか言いようがない(謡はその僥倖の原因を知っているようだった)が、キリーヤに関しては謡が魔力を代替してくれなければ、出会う事すら叶わなかった。
 そう。この二つの試練のどれもが、エリとキリーヤ。二人で突破できていないのだ。力を貸してくれる謡は二人の良く知る最強の剣士、アルドと同等かそれ以上。力を借りて突破できない道理はむしろ無い。だがこの言葉は裏を返せば、借りてばかりいるだけで、自分達にはその身一つで物事を突破できる力がない、という事だ。
『そういう訳だから、俺を殺した場合お前らは一回きりの挑戦ってことになるぜ? 突破できる自信があるならそりゃ結構。俺の言ったことは戯言とでも思ってほしいが……お前らわかってるのか。自分の力で何かを突破することの難しさを』
 謡の声音が突然低くなる。先ほどまでの笑みは既に消え、心なしかその表情には影が差していた。
『俺がいなきゃお前らは第一の試練すら突破できなかっただろうぜ。仮に突破できても俺が居なかったらさっきの試練も、エリはともかくキリーヤは……まあ餓死が良い所だな。……さて、そろそろ問おうか』
 心に出来ていた余裕を叩き潰すように、謡は何処までも簡潔に、残酷に。その言葉を紡いだ。
「……死ぬ準備はデキテルカナ?」






『扉さえ通過しなければ試練は始まらないからな~」
 それだけを言い残すと、一足先に謡は扉の先へと歩みを進めてしまった。大声で呼びかけてみるが返事はない。仮にもエリ達と一緒に居たならば謡も挑戦者である筈なので、恐らくは試練を受けているのだろうが……
『……死ぬ準備はオーケーか?』
 あの言葉が妙に耳に引っかかる。謡はいつも、言動は何であれ、何だかんだではエリの事を、キリーヤの事を信じていた。エリは謡を信じていないが、少なくともそれだけは信じていたし、今もそう思っている。
 だがあの表情。幽谷の底のような冷たさを帯びた、あの表情。エリには何故か分かってしまった。たった一瞬だけ浮かんだあの時の表情こそが、謡の真の顔なのだと。いつも場をかき乱す笑顔の裏には、何処までも冷たい闇が隠れていた。
―――二人を信じていた、だって? 前言撤回だ。謡は自分達の事など微塵も信じてはいなかった。信じていなかったからこそ手を貸していたのだ。
 つまりこの試練への手助けをしない事こそ、謡の最大の信用の証。今二人は試されている。謡に。英雄になれるかどうかを。アルドを超えうる英雄に、世界を救う英雄になれるかを。
「……キリーヤ?」
 ふと視線を逸らすと難しい表情で考え込む少女の姿があった。謡の発言に思いつめた様子には見えないが、気楽という訳では無論あるまい。
「私、思うんだよね。第三の試練って、どんな事が待ってるんだろうって」
「どんな事……とは?」
「謡さんがあんな対応を取ったって事は、今回こそは本当に危険で、私達なんかじゃ絶対に突破できないかもしれない。でももし内容を知ることが出来たら……もしかしたら、さ」
―――行けるかもしれないじゃない? 
 自分より未熟な筈のキリーヤは、対照的にとても楽観的で、取り立てて生死については気にしていないようであった。死ぬか生きるか関係ない。それは未だ訪れていないのだから、であるのならば気にする必要はない。今のキリーヤを見ていると、そのような気持ちが見て取れる。
「しかし”鏡”とはまた奇妙な……自分と全く同じ、まさしく鏡と闘うのかもね?」
「え、でもそうなっちゃうと、私はあっさり突破できちゃうと思うけど……ほら。簪の能力は飽くまで模倣だから私の力じゃないし」
「え、ああ……逆に私は『獅辿』のせいでシビアな戦いになりそうだけど」
 お互いの刺突が一撃必殺な戦いなどしたくもないが。
「……じゃあそろそろ、行かない? 謠さんもきっと奥で待ってくれてるだろうし」
 キリーヤの顔に不安はまるでなく、自分の顔に楽観はまるでない。この違いは一体何なのだろうか。何がキリーヤをそこまで明るくしているのだろうか。
「ええ、少し不安ですが」
 それを確かめる為にも、この試練から逃げてはいけない。全身の戦慄きを抑制しつつ、エリは一歩を踏み出した。








 そこは虚無。或いは白紙の世界。何一つとして色が無く、何一つとして要素が無い無の世界。距離も時間も人格も肉体も何もかもが、世界の常識に縛られていない。
 独特の浮遊感が彼女の体を包み込んだ。少しくすぐったい。しかし自重すらも感じないのは良い。この何もかもを解放してしまいたくなるような心地よい浮遊感。これが第三の試練だというのか。
「ねえ、キリーヤ。貴方はどうして英雄になろうと思ったの?」
 そんな時聞こえた声は、何故か聞き覚えがあった。一番身近で、一番よく聞いていた声。ああ、そうだった……
「貴方は、私?」


















 キリーヤは視線だけを動かすが、声の主は見当たらない。しかし声は再び問うてきた。
「貴方はどうして英雄になろうと思ったの?」
 そんなの決まってる。平和な世界が好きだからだ。かつての英雄アルドの獲得した平和は、魔人にとって地獄だった。だから平和な世界を作りたいと思えたし、人間になろうとも思えた。
「でも貴方は何も出来ない」
 最初は強くなって、アルドと対等になれればなんて思った事もあった。だけどそれは無理だった。アルドとは意志も時代も違っていたから。彼と同等の抑止力になるなんて話は所詮は幻想に過ぎなかった。
「でも貴方は諦めなかった」
 そう。私は諦めなかった。アルド様が自分を直接的、積極的でないにしても応援はしてくれてるって信じてるから。アルド様も私が英雄になる事を望んでいるって、そう思ったから。
 誰もが平和を望んでいると、そう思っていたから。
「でも全てが全て、そんな人じゃない。時に貴方を異常者と罵り、蔑む声もあった。貴方はそれで傷ついて、自分の在り方を見失った」
 それは確かにそうだけど。でも英雄になる道を選んだのは私で、そんな私を支えてくれる仲間が居る。
 傷は治った訳じゃないけど、でも、何だか。馬鹿らしくなっちゃった。悩んでるだけ、無駄な気がしたんだ。
「……たとえ今をやり過ごしても、貴方はきっとまた折れる。世界の平和何て幻想を目指してまた折れる。日輪に向かって走っても、何時まで経ってもたどり着けない様に」
 アルド様も大陸奪還に忙しい。そう何度も助けてはくれない。きっと自分一人で歩かなければならない日も来る。そんなの分かってる
「だから貴方は英雄になれない。簡単に折れるその意志じゃ、誰かに助けてもらおうという甘えがあるようじゃ、貴方は英雄にはなれない。アルドまで続いてきた、英雄の冠を戴くにふさわしくない」
                    それはそうだけど。
「――――――」
                    でも私。
「――――――」
                  まだ何もしてないし…………


「―――不可能は可能にした時にこそ価値が生まれる。『絶対出来ない』は打ち破る為にある。私なら分かってる筈だよね。この言葉を言ったのは、アルド様なんだって」
 そんなの綺麗事。不可能は不可能に決まってる。
「それでいい筈だよ。その綺麗事が現実だったら、それはどれ程幸せかなんて言うまでも無いから」
 それでも相応しくないのは事実。貴方は英雄になるべきではない。
「英雄の冠なんて要らないよ。その冠が血みどろの歴史を作り上げたんだから。私は私だけの英雄になる。物語の中のような、そんな綺麗な英雄になる」
 魔人と人間が根本的に合わない事を、貴方は知っている筈。
「アルド様とナイツ。仲がいいじゃない。貴方が私でも、私が貴方でもどっちでもいいけど。認めようよキリーヤ。否定から始まっても何も始まらないって」
 例えば、そう。騎士団入団すら無理だと言われてきたアルドが、やがては地上最強になったように。まずは馬鹿げてても構わないから、肯定的に。




―――逆に聞いていいかな。貴方はどうして、英雄になれないなんて思うの?



















「ワルフラーン ~廃れし神話」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く