ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

試練を超えて

 この蜚蠊という魔物には、一見して何の弱点も無いように見えるが、そんな事は無い。キリーヤは本でしか見たことが無いが、確かこの生物は……寒冷地帯に存在しない筈だ。
 というのも、この魔物。ある一定の気温以下では繁殖能力が大幅に低下。それどころか生命力まで大幅に低下してしまうのだ。故に常に低温度が保たれている寒冷地では、この魔物は繁殖以前にそもそも存在すらできない。つまり氷こそがこの魔物の弱点という訳だ。
―――全身に魔力を通し、簪の能力を発動。キリーヤが知る中で最もこの手の攻撃に優れている人物など一人しか居ない。
 再現して見せる。あの男の起こす奇蹟を。人には到底扱え切れぬ神の奇蹟―――権能を。
「……」
 フィージェントの全てを解析し、その一部を完璧に再現する。彼ほど権能が扱えなくてもいい。彼ほど強くなくてもいい。
 只一種の権能が使えればそれでいい。彼のような能力が使えればそれでいい。この状況をその一手で覆せる、そんな能力だけを扱えればいい。
「……『氷河(アバランシュ』!」
 詠唱も無く放たれた神の奇蹟は、代償とでも言わんばかりに体から魔力を吸い上げていく。周囲から魔力を取り込もうにも、これでは明らかに需要と供給が釣り合っていない。
 それでも耐える。この右手は絶対に戻さない。魔力にいよいよ底が見え始め、体から下の感覚が無くなろうとも、それでも耐えなければならない。
「あ……あッ……………ううぅッ」
 フィージェントの魔力も一部再現できている筈なのにこの消費量。彼は権能を使うたびにこんな苦痛を……こんな地獄を。
 魔力を切らせればキリーヤも終わりだ。今は冷気が自分の周囲を包んでいるから何もしてこないが、もし一瞬でも切らせば……自分もエリと同じ末路を歩むことになるだろう。
 片膝が崩れ落ちる。これが権能……人が扱える筈も無い神の能力。今だ発現に至らないのは魔力不足か、はたまた自分にそれを使う権利が無いからか。
「ま……ま…………だ!」
 もう立ってるのも、やっとで、既に全身の感覚が消えていた。寒いか熱いかさえも、もう分からなくなっていた。






――――――全く、見てられないな。






「………………え」
 ギリギリのところで保たれている意識は確かにそれを感じ取った。キリーヤの背後に降り立ったその気配は、ゆっくりと、しかし確実にキリーヤへと歩み寄った。その気配はやがてキリーヤの真横に並び、そして静かに言った。
「権能を簡単に使えると思うな。人には人の領域がある。お前のちっぽけな努力で到達できる領域じゃないんだ、身の程を弁えろ」
 それは静かに拳を振り上げて、一言。
「起源、執行」
 刹那。
 世界が凍結した。








 創の執行者。それは起源を司る者。持ちうる能力は『創物主』―――『創造されたモノに対する絶対的優位』。
 たとえ鋼の体があろうとも、たとえ無敵の力を持とうとも。彼の執行者を前にしては、勝利すること等叶わない。この執行者を相手にして、生き残ったモノは存在しない。






 それは正に永久凍土の地獄なり。身体の芯まで凍結し、その生命活動を停滞させた生物のその美しさたるや、まるで魂の彫像。
「……ふー。さて、これでこいつらは生物じゃなくなった訳だが、どうしてやろうかな」
「謡……さん?」
 そこにあったのはやはり船で別れて久しい謡の姿。謡は凍結した魔物の間を闊歩して、エリに集まったその群れを一蹴。
「……頑固なる騎士様も多少は解されたかな。で、どうだ? 気持ち悪い生物に集られた気分は」
「……最悪ですよ。体中油だらけです」
 エリは立ち上がって、腰部分を軽く払う。
「エリッ」
 大した怪我もないようで、よかった。キリーヤは反射的に駆け寄ろうとするが、魔力不足でよろめいてしまう。
「無理するからだ馬鹿。そもそもお前が権能を使おうとするなんてが無謀だっつーの。何頑張ってんだ」
 突き立てられた玉聖槍を指さして、謡は嗤う。穂先からは生命の流れを表す紅い線が迸っており、それは洞窟全体から途切れることなくエリへと流れており……産み付けられたであろう卵は跡形もなく消滅している。
 なんだ、自分が何もしなくてもエリは……助かったのか。自分のしたことに意味はなかったのか―――
「それは違うぜキリーヤ」
「え?」
 それはキリーヤへの皮肉か、或いは不器用な優しさか。心を読んだかのように謡が口元を歪めた。
「お前があそこまで阿呆みたいに魔力を消費しなきゃ俺は駆けつけてはこれなかった。確かにお前のしたことはエリが助かったことには全く関与していない。だがお前たち二人が助かる事には関与した。……お前のしょうもない努力がこの結果を招いたんだ」
 謡の手を借りてキリーヤも立ち上がる。危うく倒れそうになってしまったが、ついでとばかりに謡が魔力を供給させてくれたので、よろめくだけで済んだ。
「やれやれだよ。何で俺が派遣されなくちゃならんのか。まあキリーヤにも会えたし、後で一杯やってくれれば何の不満もないんだが―――」
 文句ばかり吐いてはいるが、やっぱり立ち去る様子はなく、なんだかんだで自分たちの事を好いてくれているだなと思うと、少しばかり気が楽になる。謡のように心強い存在がいてくれれば……確かに甘えるのはよくないが、それでも。


「あの……私お酒まだ飲めませんよ?」


 キリーヤには十分すぎるほどの励ましだった。






 







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