ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

世界が私を許すなら 後編

 隠すつもりも無い。悪意がある訳でもない。殺戮と言うにはあまりに数はなく、暴虐というには潔く、背徳というにはあまりにも率直なそれは、如何な殺気を纏っていようと、相手を驚かせるには十分すぎるモノだった。
「…………え? いや、ちょっと待って? え、どういう…………事?」
 アルドからは未だに黒い殺気は消えていないが、それでも口調は穏やかなまま。
「私は本当のアルドではない。いや、正確にはこの世界のアルド・クウィンツじゃない」
 偽りの世界の本物に、偽りの真実を告げた。
「全部、語るさ。信じてくれるかはさておいてさ」
 アルドは静かに語りだす。この世界の真実と、偽りを。






「私の名前はアルド。アルド・クウィンツ。人類に見捨てられ魔王となった、お前の兄ちゃんのなれの果てだ。騎士となり『勝利』となった私は国に仕える最強の騎士となった……ここまでは、いいか?」
 彼女の顔は半信半疑といった所だが……無理も無い。彼女にとってはこここそが本物の世界なのだから。 
 イティスの首肯を見送り、アルドは続ける。
「果てしない戦いの末、私は見事魔人に勝利した……ああ、魔人はこの世界には居ないが、敵みたいなものだ。そして魔人に勝利した人類は、このまま永久の繁栄を約束された……んだな。問題があったとすれば、その勝利こそが人間に驕りを持たせる要因となってしまったという事か」
 アルドが命がけで勝ち取った勝利は、あたかも人類全てで勝ち取ったかのようになっていた。実際は防衛に徹していたか、腰を抜かして隠れていただけだというのに。
 全く国とは都合が良い。窮地に陥れば助けを乞い、安定に嵌れば驕ってしまう。本当にもうつくづく救いようのない破壊衝動を駆られるような対象だ。
「そして驕りを持ってしまったこの国は、自分達の完全なる地位の確立には後一歩足りないと見た。自分達を脅かすモノ……ただ一つだけあったからだ」
「……それってもしかして」
 人の身でありながら魔王を打ち滅ぼしたその強さ何にも折れない鋼の意志。それは手柄を横取りするような、そしてその手柄の横取りを隠蔽するような国からすれば、それは邪魔だった。
「……皮肉な話だな。人類を救った私の行いは、私の身を亡ぼすモノだった……さて、理由を付けるなんて簡単だな。裏切ったことにすればいいんだ。そうすれば私を大衆集まる前で堂々と処刑が出来るからな」
「でもお兄ちゃんは、まだ生きてるでしょ? その流れで行くとお兄ちゃんは……」
「死んでいる、と言いたいのか? そうだな、死んだ方が良かったのかもしれないな。だが一日中火あぶりにされようと私は死ねなかった。そんな私を化け物と言った王も居た……お前も良く知る、この国の王にな」
 誰かの為に生きたアルドは、その誰かによって捨てられた。
 アルドはみんなに幸せになってもらいたかっただけなのに、みんなに笑っていてほしかっただけなのに。自分の為に生きられないからこそ、本気でそう願っていたのに。
「国に捨てられた私は……行き処も無いままに、放浪していたよ―――」






 当てもなく歩く。意味も無く歩く。
 価値のない者が、価値を失ったものが歩く。
「――――――」
 唯一の価値を捨てて。己が何者であったかも捨てて。男は歩いていた。
 瞳に光はなく、足取りは亡霊のように揺らめいて。一歩、また一歩。男は自分を認識していない。自分が今どこにいるのかすら認識できていない。
 何処にいる。何処にいる。
「――――――」
 自分の価値が何処にあったのか。自分とはそもそも何だったのか。分からない。分からない。アルド・クウィンツとは何だったのか。俺は何の為に生きていた?俺はナンノタメニイキテイタ?
 他人の為に強くなって、その先には何があった? 報いなど無かった。報われる事等なかった。
 きっとどこかで感じていた予感を信じずに、それでもアルドは人を信じてしまった。
「――――――ここ、どこだ」
 何処かで見たような光景だが……はっきりとは覚えていない。普通の森にはない違和感から、只の森という訳でもない筈だが……
「アルド様。こうして出会える事を心より期待しておりました」
「……誰だ」
 聞こえた声は何処か懐かしい。その人影は確かな足取りでアルドへと肉迫してきた。
「私の名は……いえ、此度は『皇』の魔人と名乗っておきましょう。アルド様、どうか魔王になって、いただけませんか」
 影の差し込みでその顔は分からないが、アルドは分かり切ったように、その名を加えて尋ねた。
「……私はしっかりと覚えているぞリシャ。フルシュガイド以来だな」
 心ない笑みを浮かべてそういうと、彼女は少しだけ驚いたように目を見開き。
「―――そっか。私の事覚えていてくれたんだ」
 リシャ・レムラスは口調を崩して以前のように微笑むが、アルドの表情は未だ中身が無いままで、心から笑っているとは言い難い。
「……で、魔王になってほしいんだったか? 生憎だが、私はもう英雄でも何でもない。お前の欲した『勝利』はもう何処にもいない」
「……ね、アルド。私は貴方に頼んでるんだよ? 『勝利』とか『煉剣』とかじゃなくてさ、私を命がけで助けてくれた貴方に」
「『私』…………に?」
「正直さ、『勝利』とか『煉剣』とかそういう『人』の英雄は信用できないけど……もう違うんでしょ? だったら私はアルドを信じるよ。魔人の私を助けてくれたアルドをさ―――」






「『皇』の頼みを私は引き受けた。何があっても魔人の為の王であると誓ったんだ。たとえ殺されようとも―――な」
 証拠など無い。少なくともこの世界には、アルドの言っている言葉を証明できる証拠はない。だがアルドの言葉を否定できる証拠も無い。
 世界が違うから。
「語れる事は全て話した。お前が俺を信じてくれるために、俺は全てを話した。別に信じてくれなくてもいいさ、元々そのつもりはない。ただ―――」
 腰の剣を抜き放ち、冷酷な一言を突き付けた。
「お前に死んでもらわなくてはならないのは変わらない」
 それが第六の罪『忘却』。現実世界の自分を肯定し、更生世界の自分を否定する罪。この魔境の特性を利用した唯一にして無二の穴。
 イティスは少しだけ困惑したような表情を浮かべた後、特に悩みもせずに「いいよ」と笑った。それに驚いたのはむしろアルドだった。エニーアを思わせる潔さには、魔王としても兄としても困惑してしまう。
「…………いいのか、お前は」
「私はお兄ちゃんを信じてるから」
 エニーアのそれが諦めによるものだったのなら、イティスのそれは信頼によるもの。兄を無条件で信じ愛していたからこそのもの。
「……どいつもこいつも潔い奴ばかりだな。死ぬのが怖くないのか?」
「怖いって何が? 私は偽物、なんでしょ? だったら死ぬのなんてこれっぽっちも怖くない」
「……それは飽くまで私の視点での話だ。ここで生まれて、ここに至るまでの記憶を持ったことになっているお前からすれば、この世界は―――!」
 彼女は生を諦めている訳ではない。死を恐れない異常者でも何でもないのに。アルドが開いた口を、イティスが人差し指で封じてにっこり微笑んだ。
「―――別に本物でもいいじゃない。私はお兄ちゃんが幸せなら、別に死んだっていいもの」
「……は?」
―――俺の為なら死んでもいい、だと。
 エニーアもそうだが、アルドの周りにはどうやら自己愛の欠如した者が多く…………いや、違うか。
 エニーアの場合は自己愛の欠如というよりかは、『特定の人物への愛の偏重』で、イティスの場合は『自己愛と兄弟愛の同一化』と言った方が正確だ。
 おかしいか? アルドとイティスは互いに唯一の肉親。二人で一人、一人で二人。同一化が無意識にされていたとしても、何もおかしくはない。
 アルドには妹以外に大切な存在が出来たから、同一化など起こらなかった。
 イティスはアルド以外にそんな存在が出来なかったからそうなってしまった。二人の違いなど、それだけ。それだけ。
「……敢えて尋ねよう。本気で言ってるのか?」
「私が自分から冗談は言わないの知ってるでしょ?」
 イティスとアルドの命は、等価。イティスの命はアルドの命。アルドの命はイティスの命。片方が失われようともその価値は生き続ける。
「本当に殺すぞ」
「だからいいって。お兄ちゃんさえ生きていれば」
 分かり切っていても、それでも尚アルドは踏み出せない。自分は覚悟を決めてようやく至ったのに、この妹と来たら……簡単に至って。
「どうしたの、殺さないの?」
 ……調子が狂う。相手から殺す事を催促される事ほどやりにくいことは無い。肉親なら猶更だ。アルドは刃を振り上げた。迷いがあっては物など切れない。たとえ肉親が相手だろうとこの刃は―――
「あ、お兄ちゃん」
「………何だ」
 その一言の後に、この刃は何の迷いも無く振り下ろされる。彼女がどんな一言を残したとしても、それは変わらない。
「えっと……体に、きをつけて、ね?」
「―――――――!」


 偽りの世界に刃は落ちる。こうして罪は査定され、第六の罪『忘却』ここに相成りや。






「……ク―ウィーン―ツさーん」
 音が聞こえる。
「みーえまーすかー」
 男が見える。
「しーんでまーすーかー」
 生きている。
「起きてくださいよ、クウィンツさん。流石にここで永眠は笑えませんよ」
 男に促されたので、アルドは重い頭を力の限り持ち上げて、辺りを見回した。ひび割れた壁と無秩序に陥没した地面。間違いない、暗闇に覆われていないここは紛れもなくアルドが目指した―――
「起きたかアルド」
 黒い骨で組まれた仮面を被る男は、平淡な口調でそう呟く。表情は分からないが、アルドを心配していたのは何となく分かる。
「心配かけたな二人とも―――ってあれ? 私は確か女性に―――」
 言いかけてアルドは視線を剣の執行者に向ける。必要でない事は極力言わないのが彼の信条故、尋ねたところで教えてはくれないだろうが……胸部の膨らみから察するに。
「……申し訳ないな」
「……」
 剣の執行者には本当に頭が上がらない。何から何まで本当に……心よりお詫び申し上げたい。今になって考えてみれば、アルドがここまでこれたのは剣の執行者という存在が居てこそだ。彼が居なければ死剣は無かったし、或いは魔王になる事も……
「……積るような話は後にするべきだ。せっかく我がここまで運んできたのだから、さっさと死剣の真名を回収しに行くがいい」
「あー……そうだったな。すまない、執行者。お前が死剣の部屋の前まで運んでくれたんだよ……な?」
「礼など要らぬからさっさと行け。グズグズしてる余裕はないぞ」
 ここは若干呆れているような声音で言われたが、色々手を焼かせた手前、逆らうことも出来ない。
「行きましょうか」クリヌスの声に促されてアルドも立ち上がり、今度こそ魔境の最奥に向かおうと―――






「ちょっと待て。お前は誰だ?」





















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