ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

第六の罪

 隠匿。
 殺戮。
 暴虐。
 背徳。
 悪心。
 赦される事のない五つの大罪。一度それを犯せばその身は新たな世界に飛ばされる。一度蘇った記憶も罪を被るモノとして処理される。
 幸運というか何というか、リューゼイとの闘いは互いの合意によるものなので、いずれの罪にも当てはまってはいない。
 とはいえ、そんなものは例外だ。罪の審査基準はかなり厳しい。今の所は何一つ犯していないのが幸運すぎるくらいには。
「……取りあえず礼を言おう、『悪夢』―――いや、剣の執行者」
 いつも呼んでいたその名前に、『悪夢』―――剣の執行者はにやりと口元を歪めた。
「途中から気づいてはいたが、その名を呼ぶという事は記憶が戻った訳か」
「……そうでもなければ、私がカテドラル・ナイツの事を忘れる筈がないだろう」
 カテドラル・ナイツの事を片時も忘れるつもりは無かったのだが……アジェンタの時と言い、どうやらアルドは記憶喪失の案件に好かれてるらしい。弁明の余地は今回に限ってあるが、忘れていたのは事実だ。甘んじて己の弱さを受け入れよう。
 リューゼイの死体から武器を引き抜き、軽く払って腰に納める。
「それで然るべき罪とは何だ?」
 以前は剣の執行者が面倒事を全て引き受けてくれたおかげで、アルドは何をしなくても抜け出る事が出来たが、今回はそうも行かない。いや、以前に何もしなかったからこそ今回どうしていいか分からない。
「……以前、教えたな。『どんな特性にも穴がある』と。覚えているか?」
「勿論だ。だから今も抜け穴を思索している、が……」
 『どんな特性にも穴がある』のは事実だが、その穴が見つけやすいとは誰も言っていないし、きっと誰も言わない。必ず見つけられる穴ならば、それは穴ではなく欠陥だからだ。
 特性を持つ場所は自然発生で生まれるか何らかの要因で偶発的に生まれるか。決して意図的につくられるモノではない。この世界が平等であるというならば、故にこそ生まれる特性には穴という分かりやすい偏りはないのだ。
 言葉を切って考え込むアルドに、剣の執行者はポツリと。
「第六の罪を探せ」
「え?」
 顔を上げた時、剣の執行者は姿を消していた。






 リューゼイを殺したというのに、フルシュガイドは特に混乱してはおらず、いつもと変わらない平穏がこの国を覆っていた。まるで訳が分からない光景だが、剣の執行者が居るなら話は別だ。彼がアルドの目の前から姿を消したのはきっとこれに対応する為だろう。
『第六の罪を探せ』。剣の執行者はその言葉を最後に姿を消した。第六の罪とは勿論、この魔境における特性の抜け穴の事である。隠匿でも殺戮でも暴虐でも悪心でも背徳でもない、第六の罪。
 そんなものが果たしてあるのか?
 誰かを殺すのは殺戮であり、誰かを甚振るのは暴虐で、そこに明確な意図があれば悪心で、これら全ては背徳で、隠そうものなら隠匿で。どこにも第六の罪が介入する暇など無い。これまでの五つの罪は罪の全てを網羅した、いわば悪を表すモノだ。その悪の穴を突く等という行為は困難を極めるというか何というか……無理である。
 だがそれでも、剣の執行者は第六の罪を提示した。魔境を誰よりも知るあの男が提示したのだ。つまり、それは……
「お兄ちゃん、どうかした?」
「んッ……イティスか」
 顔を覗かせるイティスの表情には何処か心配の情が浮かんでいる。毎度思うが自分はそんなに思いつめた表情をしているのだろうか。ここまで妹に心配されるといよいよそう思えてくるのだが……もしかしたらナイツも口には出さないだけで心配しているのかもしれない。フェリーテとかは、特に。
「わた……俺ってそんなに思いつめた表情をしているのか?」
「え、うん。私お兄ちゃんが笑ってるところ、いつからかは忘れたけど全然見てないもん」
 言われてみると、確かに思い出せない。微笑むくらいは今でもあるが、無邪気に笑ったとか、そういう明確な笑顔というモノは……いつだったか。
 少なくとも騎士を目指していた頃にはもう無かった筈だ。色々な奴から虐げられ、蔑まれ。自分を見てくれる存在が妹しかいないという状況なら、そんな事になっていてもおかしくはないと他人事のように言ってみるが。
「いつから、なんだろうな。俺が笑わなくなったのって」
 幾星霜もの時が過ぎたわけではない。流れた時はたかだか三十数年。そう多い訳でも、少ない訳でもない。だが思い出せない。自分が普通の子供だった、その時の事が。
 笑って怒って泣いて楽しんで。一体、自分は何処で間違ったのだろうか。
「まあいいじゃない! お兄ちゃんは今日頑張ったんだし、もっと嬉しそうな表情しても、罰は当たらない筈だよッ?」
「ああ……そうだな」
 罰が当たってほしい訳じゃないが、素直に喜べないのも事実だ。言葉では表せない葛藤というか……自分自身への否定と肯定が混ざって、もうどうなってほしいのか、自分でも分からない。
 自分は? 生きたいのか? 死にたいのか? ナイツの、ひいては自分の弟子達の為にも生きてはいたいが、しかし過去の遺物が『強さ』という唯一の価値を終えてまで残っていていいのかと思うと……首を傾げたくなってしまう。
 この体は英雄の冠を受け取った。この体は英雄である事を否定した。
 この体は魔王の冠を受け取った。この体は魔王である事を肯定し、見事やり遂げた……として。
 この体には何が残る? あらゆる者に否定された自分に残った、唯一の『最強』を捨てて、その先には何が残る?
 兄を捨て、国を捨て、魔王を終えたその先になんて……きっと何も残らない。アルド・クウィンツという存在を肯定する材料はもう何処にもない。
「……お兄ちゃん?」
 ナイツを愛している。自らに仕えてくれる、信じてくれる全ての者を愛している。クリヌスでも、イティスでも、ツェートでも、エニーアでも、アルフでも、エインでも。自分を信じてくれた誰かを、自分を肯定してくれた者をアルドは愛している。
「悪い、イティス。今日はもう寝させてくれ。今日は少し……考えたい事がある」
 言い終わって言葉に難があると感じたアルドは、間髪入れずに付け加える。
「別にお前に隠していたい訳じゃない。これは……俺の問題なんだ。分かってくれ」
 その頼み込むような態度はイティスにも届いたようで、彼女は少しだけ悲しそうに笑い、身を翻した。自分用の晩飯の用意をするのだろう。
 アルドはベッドに倒れこみ、目を閉じた。
「イティス。お前のお兄ちゃんは……何のために生きてるんだろうな」
 漏れた弱音は宙に消え。彼の意識は闇に閉ざされた。






 否定ばかりされていた。それでも生きていられたのは、自分に『兄』という肯定があったからだった。
 肯定ばかりされていた。それでも自分を見失わなかったのは、自分に『英雄』という否定があったからだった。
 誰からも愛されなかった。それでも自分は『国』を愛した。
 人間に捨てられた。だからこそ自分は『魔王』となった。






 ……第六の罪が何なのか……自らの末路がどうなるか……生きる意味とは……知りたくない。分かりたくない。


 だってそれは。紛れも無い否定だから。










 目が、覚めた。一日が経過しようともこの国はちっとも変わらない。リューゼイが死んだ事等誰も知らない。きっと知る事はない。
 体を起こし、ベッドから降りようとするが、何かがアルドの左腕を掴んでいた。
「お兄ちゃん……」
 イティスだ。寝ぼけているか何だか知らないが、その腕は自分を掴んで離さない。何処にも行ってほしくないという、妹の細やかな拘束(願い)だ。それは何も不自然な事じゃない。アルドの肉親はイティスだけ。イティスの肉親はアルドだけ。互いが互いの唯一の肉親。失いたくないのは当然の事。
「…………」
 アルドが良く知るこの光景は所詮偽り。過ぎ去りし現在を投影したに過ぎない。この妹も、この世界も。何もかもはアルドの罪の浄化の為に作り出されたまがい物の世界。剣の執行者が居なければアルドはこの世界に囚われたまま、特に罪らしき罪を犯すことも無く生涯を終えたのだろう。
 アルドはイティスの頭にそっと触れた。
「たとえこの世界が偽りでも、お前という存在が作り出されたモノだったとしても。私はお前の事を……」
 その手はまるで髪でも梳くかのように優しく、優しく。最愛の妹の頭を撫で続ける。





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