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ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

全ては一人の為に







 サヤカを見据えるクリヌスの瞳は、殺意を宿している訳ではない。只そこには一つの意味だけが内包されている。
 ―――どうしてここが分かったのでしょう、と。
 色々言いたい事はあったが、何よりもサヤカには聞かなければならない事があった。
「クリヌス。アンタどうして騎士団を辞めたのッ?」
 できるだけ冷静に聞きたかったのだが無理だ。一度漏れ出た水は戻らない。今まで抑えていた怒りが爆発したように、反論の暇すら与えずサヤカは捲し立てる。
「なんで辞めたのッ? なんで私に相談の一つもなく勝手に出ていくのッ? なんで、何でよ! 何で何で何で何で何で何で何で何でなのよ!」
 理屈はこの際どうでも良かった。クリヌスが自分から離れていく、それだけが問題だった。離れたくない、たった一人の家族を失いたくない。
 だというのに彼は……さもどうでもいい事かのように平気で国を出ていった。何故だ。それなりの付き合いで、彼も決して自分の事を他人だなどとは思っていない筈だ。
 サヤカはクリヌスへと近寄る。速足で。正確に。
 自分に接近されてもクリヌスは特に動じなかった。何故? やましい事がないのか、或いは自分なんか気にも留めていないのか。
「ねえ!」
 クリヌスの胸倉を掴んで、引き寄せた。
「何でアンタはいつもそう勝手に動くの!」
「……穏やかじゃないですね。それが淑女のする行為でしょうか」
「うるさいッ! 私はアンタの傍に居たいのッ。ねえクリヌス……私を……置いていかないでよ……」
 自分がこっちに来てから勝気な性格になったのは認めるが、それでも大切な人と離れてしまうかもしれないのだ。
 枯れたと思った涙も、出てきてしまうというものだ。自分の表情を見ているだろうクリヌスの瞳には、目に涙を浮かばせる自分が写っていた。
 ……尤も、その程度でクリヌスが乱れる訳がないのだが。
「……何処でダルノアを?」
 クリヌスの胸倉から手を離し、サヤカは無言で衣服を開ける。突拍子もない行動にクリヌスは思わず目を瞑るが、直後に違和感に気づいたのか、直ぐに目を開いた。
「サヤカ。それは一体」
 程よく発育した乳房の谷間には、博識なクリヌスでさえ知り得ぬ奇妙な魔法陣が広がっていた。契約でも魔術でも無いこれは……およそ見たことが無い。
零れし奇跡ティアリングサーガ。勇者として召喚されたあいつ等から奪った力よ。何をどうすればいいか。その全てに答えを示してくれる力。まあ、私の特異体質もあったからこそできる技能なんだけどね」
「―――貴方が特異体質?」
 衣服を着なおし、サヤカは改めて言う。自分で言うのもなんだが、少しだけ落ち着いた。
「摂取した物体の特異能力を奪取する体質。あっちの世界じゃわからなかったけど、どうやら私も特異体質だったみたい」
 何を摂取したかは聞いてこないのがクリヌスらしい。まあこっちだって思い出したくもないので、その心遣いは感謝してしまう。
「成程。それを使って貴方は私を探したと。そしてダルノアをわざわざ捕まえてきたという事は……私が死ぬことも知っているのですね」
「……ええ」
 クリヌスの声の調子が上がる事はない。無双の強さの果てに落ち着きを得た、と言えば聞こえはいいが、それはつまり、何に対しても刺激が得られなくなったというのと同義であり、だからこそサヤカはクリヌスを変えたいと思った。だからこそ一緒に居たかった。クリヌスを繋ぎ止める為ならば―――この体、差し出す事も厭わない。
「……参りましたね。私は早く戻らなくてはいけないのに、そこまで知られては貴方から逃げる訳にも行かない」
 視線を虚空にほうった後、何かを思いついたようにクリヌスが呟いた。
「じゃあ一緒に薬屋を探してくれませんか? 貴方への言葉は、その道中で語るとします」
 是非もない、というより願ってもない条件だった。クリヌスと二人きりで話し合える。歩ける。彼の目的は知らないが、断るという方がサヤカには無理な話だった。
「……逃げないでよ?」
「逃げませんよ」
 クリヌスの歩みに合わせ、サヤカも歩く。何気なかったこの状態も、今のサヤカには愛おしく感じられた。
「さて、何処から話したらいいか―――いいですか、サヤカ。たとえダルノアを捕まえて、私の死を回避したとしても、遅かれ早かれ私は死ぬと思いますよ。私には―――先生を超えなければならない使命があるのですから」
「……ねえ。私はずっと疑問に思っていたんだけれど、何で自分の先生を超えなきゃならないの? 先生には成長を見守ってもらえばいいじゃない」
「……クウィンツさんを殺そうとしてるのは、私を除けばフィージェント一人。まあ私含めた弟子は、その体質や環境故に精神的に追い込まれた所を助けられた孤児みたいなものらしいですから、殺そうと思わないのも当然です。聞いた話ではありますが、クウィンツさんとしか触れ合えない方も居るとか」
 そんな人が生まれるなんて、実にあの人らしいですとクリヌス。その表情はおよそ滅多な事では見られない程に輝いていた。
「まあ。私含めても弟子達は皆クウィンツさんの事が大好きです。風の噂ながら、今フルシュガイドにはクウィンツさんの弟子を名乗る子供も居るそうで、本当に恐ろしい限りですよ。彼は自分の事をこれっぽっちも英雄とは思ってないでしょうが、実際彼の働きで助けられた人は多い。誰も彼を英雄とは思わないでしょうが、私は心の底からあの人を尊敬しています……さて。では何故クウィンツさんを超えようとするのか……簡単な話ですよ。それがクウィンツさんの願いなんですから」
「―――え?」
「『誰か私を超えて、次の時代を築いてほしい』。それがクウィンツさんの願いでした。無論フィージェントは只の強さを求めて殺そうと。論外な他の弟子方はクウィンツさんとの子供こそ欲しかれ、死なんてものは望みはしない……で、残るは私だけです。ならば私がやるしかないでしょう?」
 そこに仕方なき、という感情はない。むしろその大役を預かれて光栄だと言わんばかりの表情だ。サヤカにも、そしておそらく、他の誰にも理解されない感情。
 それでもクリヌスは、純粋にその為に生きている。いつかクウィンツを超える事を目標に、クリヌスは今を生きている。
 だがそこにはおかしな点があった。そのクウィンツとやらを超える為に生きているならば、クウィンツを超えさえすればクリヌスは死なずに済む。
 だというのに、遅かれ早かれ死ぬとは何なのか。
「……超えれば死なないのでは、という表情をしていますね。ええそうですよ。ですが彼を超える事が容易な事と思わないほうが良い。今の彼には守るべき者達が居ます。カテドラル・ナイツ。戦えない魔人達。他の弟子達は分かりませんが、いずれにしても彼は自分を好いてくれる者の為に、全力で戦います―――分かりますか。私にもクウィンツさんにも、互いに譲れないモノがある、何に掛けても譲れないモノがあるんですよ。私とクウィンツさんを分けるのは才能ではない。正義か悪かですらない。どちらが強い意志を持つか。それだけなんです」
 その表情は心なしか笑っている。やはり異常だとしか思えない。殺し合いの横行する世界とは理解してるが、それでも……自分を救ってくれた恩人との殺し合いに、その純粋な笑顔を浮かべられる事が、サヤカは不思議でたまらなかった。
 間違っている。クリヌスは何か間違っている。
「そしてあの人と戦い、そして勝ったとしても。私は恐らく瀕死であり、死亡するのは時間の問題。……ね。私は遅かれ早かれ死ぬんです。そういう運命にあるんですよ」
「…………やる」
「……え?」
 何が許せなかったのか、何がいけなかったのか。それは誰にも分らない。
 サヤカの何かが外れた気がした。常人の触れてはいけない狂気の領域に、サヤカもまた、片足を突っ込んでしまった。
「―――そんな運命なら、私が壊してやる」
「……サヤカ?」
 歩みを止めるクリヌスを数歩過ぎて、身を翻すと同時に、サヤカが何かを投げつけてきた。視界に近づけると、それは薬だった。
「早くファイレッドの所に行きなさいよ。それ使えば治るから」
―――嫌な予感がした。
「サヤカ、何をする気ですか」
「……クリヌス。私はね、アンタの事が好きなの。愛しているの。あっちの世界の血がつながってる奴等より、アンタの方が私はよっぽど家族と認められるの。アンタだけが居てほしいの。アンタが居れば何もいらない。見捨てられたくないの、離れたくないの、死んでほしくないの、二人だけの世界が欲しいの。アンタが死ぬ運命を私は認めない。父も母も兄も姉も妹も弟も友達も要らない。私には……クリヌスしか必要ない。だから―――アンタが死ぬ要因、私が取り除く。私がアンタの先生を……殺す」
 なッ―――!
 クリヌスが止めようとしたその時には、既にサヤカの姿は無かった。掴もうとした手は空を掴む。
 彼女が真っ向勝負で止めに行くような精神状態でない事は分かってる。
 そうだ、あの目。あの目を自分はよく知っている。
「……不味いですね」
 クリヌスは魔術で転信石を作成。リーリタに指示を送った後、一瞬の躊躇なくクリヌスは駆け出した。
 止めなくては、ならない。彼女が何をするかなんておよそ目に見えている。止めろ。絶対に、止めなければ―――!



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