ワルフラーン ~廃れし神話
束の間の休息
夜が明けた。鳥の囀りは耳に心地よい余韻を残す。ベッドにさえ入っていたのであれば、それはそれは気持ちの良い朝を迎えたと言えたのかもしれない。
だがベッドはエリに譲り、自分は部屋の隅で眠っていた。睡眠は実質必要ないとはいえ、少なからず体調には影響する。
その辺りの事を考えるならばアルドは、何があってもベッドに入るべきだったのだが、それはアルドの理性からすれば禁忌だ。それこそ多少体調に影響があっても気にしないくらいには。
おかしな事を言うようだが……女性と一緒に寝ていて正気で居られる筈がないだろう。アルドにその辺りの経験はない。ダサいというなら言うがいい。自分は極度の恋愛下手だ、経験なんぞ皆無。
一言で言おう……無理だ。ではエリでないなら大丈夫かと言えば、決してそういう訳ではない。フェリーテが隣に寝ようものならおそらくアルドはその場で死ぬ。あまりにくだらない死に方だが、確実に死ぬ自信がある。
幸運な事に、アルドには五感をいつでも遮断できるという技能と、無念無想の境地に至るという無駄すぎる技能がある為、寝られない事は無いのだが……それを行使してまで寝たいとは思わない。
……克服する気はある。この戦いが終わったらだが。
「……ん……あ…………」
それにしても、女性の寝起きを見ようとするのは失礼ではないだろうか。あのフェリーテでさえ寝起きは見せようとしないのだし、ここでアルドがエリを待っているのは流石に不味い気がしてならない。
「……久々に素振りでもするか」
言葉にしてしまったのは動揺が収まってない証だ。
「―――ハッ」
剣を振るう。極限まで研ぎ澄まされた刃は空気を切り、鋭い音を奏でた。
「―――ハッ」
今の体では汗も出ない。成長したのか衰退したのか。それは誰の観点から言えばいいのだろう。
「―――ハッ」
早朝に飛び出してきただけあって、誰も起きてはいないようだった。
「―――お前が居るのは予想外だな、キリーヤ」
「……バレてましたか……」
素振りをやめて背後を振り向く。虚ろな瞳でこちらを見つめるキリーヤの姿がそこにはあった。
「引きこもってるだけ、だと思っていたのだがな」
「……」
キリーヤは木剣を構えると、平淡な口調で言った。
「私も……成長したんですよ……」
「ほう」
アルドは剣を虚空に収めた後、再び何かを引き出した。それはキリーヤの持つ木剣より少し長めの木剣。アルドの身の丈に合わせた剣だ。
「見せてみろ」
「…………ん………」
朧気な視界が開く。滲んだ視界は鮮明に、意識はよりはっきりと。
数分の後、エリは目を覚ました。いつもの癖で体勢を変えてしまうが、自分の状況に気づき、すぐに起き上がった。
「アルドさんッ?」
エリの動きでアルドがベッドから落下したのではと、そう思ったのだがどうにも彼の姿は見えなかった。
「……もう、目覚めたんですかね」
騎士の朝は中々早いが、アルドの朝はそれ以上に早かったようだ。自分はアルドの半生を知っている訳ではないが、それでも彼の強さから感じ取れるものはある。
あの強さは努力の果てに辿り着いた究極。たとえ魔王となってもその清廉な剣は変わらない。かつて子供が―――彼には言っていないが、幼少のエリもまた彼のその強さに憧れたモノの一人。もう守るべき国は無くなってしまったが、それでも―――あれ程の強さを持っていれば、どれだけの人が救えたかと。エリは今でも思ってしまう。
それが未だ遥か遠い夢だという事は分かっている。英雄と呼ばれたアルドの末路も知っている。でも……それでも……
「……さて。男性陣でも起こしましょうか―――」
刹那。聞こえた音は確かにキリーヤの声だった。何かに抗うような音。完全に乱れた呼吸。
直ぐに獅辿を手に取り、エリは宿を飛び出した。一体どうしてそんな音が……
その解答は間を置かずしてわかる事になる。
「ハアッ……! ……ヤアアアッ!」
キリーヤが鋭い踏み込みと共に刺突を放つ。およそ二年前の少女からは想像もつかない突き。
だがその程度だ。一本を取られる程アルドは弱くはなかった。刺突の特性―――それは上下左右から僅かに力を掛けられるだけで逸れてしまう事―――を完全に理解しているアルドに、ちょっと努力しただけの刺突が届くはずもない。
「遅い刺突は利用されるぞ」
アルドは軽く木剣を弾いた後、がら空きになったキリーヤの額を突き飛ばす。キリーヤは二メートルは軽く吹き飛んだものの、それほど苦にはしていないようだった。
「……成長したが、隙がありすぎる……だが、それはお前の限界ではない。鍛錬を怠るなよ」
「………………はい。有難う、ございました」
気付いて無いのか?
「ああ、それはいいんだが……もっと他に言うべき言葉がある奴が居るだろ? ねえ、エリさん」
キリーヤの体がびくりとはねる。隠れていたエリが姿を現した。
「……まったく心配しましたよ。獅辿なんか取り出した私が馬鹿みたいじゃないですか」
エリが獅辿を下げて、こちらに……正確にはキリーヤの元へと近寄っていく。
「キリーヤ、元気になった訳じゃなさそうだけど……大丈夫なの?」
「……うん……大丈夫。心配かけてごめんね、エリ」
エリは膝立ちになり、キリーヤを優しく抱き締めた
「……詳しい事は水浴び場で聞くから、ね? お願い。来てくれる?」
「……うん……」
どうやら二人は水浴びをするようだ。だとすればアルドに出番はない。覗きが云々言われても困るし、暫く精神統一でもする事にしよう。
「……水浴びは終わったんですね」
エリの気配を感じたので、言葉を出してみる。反応はすぐに返ってきた。
「ええ、まあ。……取りあえずはアルドさんに感謝しなければいけません。キリーヤは少し元気になってくれましたし。事情を説明する事も出来ました」
「感謝とは何のことでしょうか。キリーヤは勝手に突撃してきただけです。私はそれを指南の名目で追い返しただけ。感謝の謂れはありませんよ」
「アルドさん。私は一つ聞きたかったのですが……貴方は何の為に戦っているんですか?」
言いつつエリが隣に座り込んだ。アルドは精神を一度完全に鎮めた後、目を開く。
「キリーヤから聞いていないのですか?」
「いえ。大体の経緯は聞いています。ですが……私にはどうしてもそれだけとは思えないんです。貴方は一体……何を目的として戦っているんですか?」
……その質問には答えかねる。こちらにだって思惑と計画があるのだ。今まで奇跡的に上手くいっているというのに、こんな所でばらしてしまっては……全てが泡沫と消えてしまう。
  ………………
エリは一旦言葉を切り、改めて話し始める。
「―――最初は」
「……ええ」
「最初はアルドさんの事を憎んでいました。貴方に国を滅ぼされ、元魔人のキリーヤと共に追放され。最初期の私は、彼女に協力する気すらありませんでした。ですが彼女と行動を共にしている内、その馬鹿げた理想も実現できるかなと思いはじめ、そして私は決意しました―――夢路の果てまで彼女と共に居ると」
「良い事だと思いますよ」
「キリーヤからは様々な事を聞きました。ナイツの事、魔人の事、そして……貴方の事。貴方の事を話している時の彼女は、とてもとても楽しそうで、嬉しそうで……少し羨ましかったです」
過去を見ているかのようにエリは穏やかな口調で語る。ああ、その言葉を聞くだけで彼女の楽しそうな顔が浮かんでくる。自分の事を吹聴する彼女の無邪気な笑顔が―――
「貴方は魔人の為に戦っている。魔人の為に国を滅ぼそうとしている。それは事実なんでしょう。ですが、貴方はそれ以外にもう一つ、目的を隠していますよね?」
「さあて。何の事やら」
「キリーヤから聞きましたよ。自分の背中を押してくれたのは、他でもない貴方―――アルドさんだって事…………………………アルドさん。貴方もしかして―――」
その言葉を制する様に、アルドは立ち上がった。
「……話はここで打ち止めです。キリーヤの元気が出たのならばそれは良好。早い所向かってしまいましょう」
アルドが手を差し伸べる。エリはそれを取って立ち上がり、力強く頷いた。
「はい!」
「……ふむ。報復に貴様の妹を殺してやろうと思ったのだが……まさかまた貴様と出会えるとはな―――アルド」
だがベッドはエリに譲り、自分は部屋の隅で眠っていた。睡眠は実質必要ないとはいえ、少なからず体調には影響する。
その辺りの事を考えるならばアルドは、何があってもベッドに入るべきだったのだが、それはアルドの理性からすれば禁忌だ。それこそ多少体調に影響があっても気にしないくらいには。
おかしな事を言うようだが……女性と一緒に寝ていて正気で居られる筈がないだろう。アルドにその辺りの経験はない。ダサいというなら言うがいい。自分は極度の恋愛下手だ、経験なんぞ皆無。
一言で言おう……無理だ。ではエリでないなら大丈夫かと言えば、決してそういう訳ではない。フェリーテが隣に寝ようものならおそらくアルドはその場で死ぬ。あまりにくだらない死に方だが、確実に死ぬ自信がある。
幸運な事に、アルドには五感をいつでも遮断できるという技能と、無念無想の境地に至るという無駄すぎる技能がある為、寝られない事は無いのだが……それを行使してまで寝たいとは思わない。
……克服する気はある。この戦いが終わったらだが。
「……ん……あ…………」
それにしても、女性の寝起きを見ようとするのは失礼ではないだろうか。あのフェリーテでさえ寝起きは見せようとしないのだし、ここでアルドがエリを待っているのは流石に不味い気がしてならない。
「……久々に素振りでもするか」
言葉にしてしまったのは動揺が収まってない証だ。
「―――ハッ」
剣を振るう。極限まで研ぎ澄まされた刃は空気を切り、鋭い音を奏でた。
「―――ハッ」
今の体では汗も出ない。成長したのか衰退したのか。それは誰の観点から言えばいいのだろう。
「―――ハッ」
早朝に飛び出してきただけあって、誰も起きてはいないようだった。
「―――お前が居るのは予想外だな、キリーヤ」
「……バレてましたか……」
素振りをやめて背後を振り向く。虚ろな瞳でこちらを見つめるキリーヤの姿がそこにはあった。
「引きこもってるだけ、だと思っていたのだがな」
「……」
キリーヤは木剣を構えると、平淡な口調で言った。
「私も……成長したんですよ……」
「ほう」
アルドは剣を虚空に収めた後、再び何かを引き出した。それはキリーヤの持つ木剣より少し長めの木剣。アルドの身の丈に合わせた剣だ。
「見せてみろ」
「…………ん………」
朧気な視界が開く。滲んだ視界は鮮明に、意識はよりはっきりと。
数分の後、エリは目を覚ました。いつもの癖で体勢を変えてしまうが、自分の状況に気づき、すぐに起き上がった。
「アルドさんッ?」
エリの動きでアルドがベッドから落下したのではと、そう思ったのだがどうにも彼の姿は見えなかった。
「……もう、目覚めたんですかね」
騎士の朝は中々早いが、アルドの朝はそれ以上に早かったようだ。自分はアルドの半生を知っている訳ではないが、それでも彼の強さから感じ取れるものはある。
あの強さは努力の果てに辿り着いた究極。たとえ魔王となってもその清廉な剣は変わらない。かつて子供が―――彼には言っていないが、幼少のエリもまた彼のその強さに憧れたモノの一人。もう守るべき国は無くなってしまったが、それでも―――あれ程の強さを持っていれば、どれだけの人が救えたかと。エリは今でも思ってしまう。
それが未だ遥か遠い夢だという事は分かっている。英雄と呼ばれたアルドの末路も知っている。でも……それでも……
「……さて。男性陣でも起こしましょうか―――」
刹那。聞こえた音は確かにキリーヤの声だった。何かに抗うような音。完全に乱れた呼吸。
直ぐに獅辿を手に取り、エリは宿を飛び出した。一体どうしてそんな音が……
その解答は間を置かずしてわかる事になる。
「ハアッ……! ……ヤアアアッ!」
キリーヤが鋭い踏み込みと共に刺突を放つ。およそ二年前の少女からは想像もつかない突き。
だがその程度だ。一本を取られる程アルドは弱くはなかった。刺突の特性―――それは上下左右から僅かに力を掛けられるだけで逸れてしまう事―――を完全に理解しているアルドに、ちょっと努力しただけの刺突が届くはずもない。
「遅い刺突は利用されるぞ」
アルドは軽く木剣を弾いた後、がら空きになったキリーヤの額を突き飛ばす。キリーヤは二メートルは軽く吹き飛んだものの、それほど苦にはしていないようだった。
「……成長したが、隙がありすぎる……だが、それはお前の限界ではない。鍛錬を怠るなよ」
「………………はい。有難う、ございました」
気付いて無いのか?
「ああ、それはいいんだが……もっと他に言うべき言葉がある奴が居るだろ? ねえ、エリさん」
キリーヤの体がびくりとはねる。隠れていたエリが姿を現した。
「……まったく心配しましたよ。獅辿なんか取り出した私が馬鹿みたいじゃないですか」
エリが獅辿を下げて、こちらに……正確にはキリーヤの元へと近寄っていく。
「キリーヤ、元気になった訳じゃなさそうだけど……大丈夫なの?」
「……うん……大丈夫。心配かけてごめんね、エリ」
エリは膝立ちになり、キリーヤを優しく抱き締めた
「……詳しい事は水浴び場で聞くから、ね? お願い。来てくれる?」
「……うん……」
どうやら二人は水浴びをするようだ。だとすればアルドに出番はない。覗きが云々言われても困るし、暫く精神統一でもする事にしよう。
「……水浴びは終わったんですね」
エリの気配を感じたので、言葉を出してみる。反応はすぐに返ってきた。
「ええ、まあ。……取りあえずはアルドさんに感謝しなければいけません。キリーヤは少し元気になってくれましたし。事情を説明する事も出来ました」
「感謝とは何のことでしょうか。キリーヤは勝手に突撃してきただけです。私はそれを指南の名目で追い返しただけ。感謝の謂れはありませんよ」
「アルドさん。私は一つ聞きたかったのですが……貴方は何の為に戦っているんですか?」
言いつつエリが隣に座り込んだ。アルドは精神を一度完全に鎮めた後、目を開く。
「キリーヤから聞いていないのですか?」
「いえ。大体の経緯は聞いています。ですが……私にはどうしてもそれだけとは思えないんです。貴方は一体……何を目的として戦っているんですか?」
……その質問には答えかねる。こちらにだって思惑と計画があるのだ。今まで奇跡的に上手くいっているというのに、こんな所でばらしてしまっては……全てが泡沫と消えてしまう。
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エリは一旦言葉を切り、改めて話し始める。
「―――最初は」
「……ええ」
「最初はアルドさんの事を憎んでいました。貴方に国を滅ぼされ、元魔人のキリーヤと共に追放され。最初期の私は、彼女に協力する気すらありませんでした。ですが彼女と行動を共にしている内、その馬鹿げた理想も実現できるかなと思いはじめ、そして私は決意しました―――夢路の果てまで彼女と共に居ると」
「良い事だと思いますよ」
「キリーヤからは様々な事を聞きました。ナイツの事、魔人の事、そして……貴方の事。貴方の事を話している時の彼女は、とてもとても楽しそうで、嬉しそうで……少し羨ましかったです」
過去を見ているかのようにエリは穏やかな口調で語る。ああ、その言葉を聞くだけで彼女の楽しそうな顔が浮かんでくる。自分の事を吹聴する彼女の無邪気な笑顔が―――
「貴方は魔人の為に戦っている。魔人の為に国を滅ぼそうとしている。それは事実なんでしょう。ですが、貴方はそれ以外にもう一つ、目的を隠していますよね?」
「さあて。何の事やら」
「キリーヤから聞きましたよ。自分の背中を押してくれたのは、他でもない貴方―――アルドさんだって事…………………………アルドさん。貴方もしかして―――」
その言葉を制する様に、アルドは立ち上がった。
「……話はここで打ち止めです。キリーヤの元気が出たのならばそれは良好。早い所向かってしまいましょう」
アルドが手を差し伸べる。エリはそれを取って立ち上がり、力強く頷いた。
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