ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

再会の予感

「う~ん、成程ねえ。それは確かに予想外だ」
「ああ―――頼んだぞ、謠」
「うん、頼まれたぞ。じゃあ一足先に行ってくるから、期待して待ってて」
 謠はあどけない笑みを浮かべて姿を消した。謠の事だ、問題なく仕事はやってのけるだろう。ならば心配すべき事は何もない。自分は目前の障害に目を向けるだけだ。
―――はっきり言えば、勝てる予感はしない。以前とは決定的に色々欠けている。自分には取り戻すべきものも、不死性もない。次に勝てと言われたら不可能に近い……
 いや、その言葉には語弊がある。勝算はある。確実に勝つ方法はある。だがそれは同時に―――アルドの死を意味する。自分はそれでキリーヤを元気に出来るならば、行使する事吝かではない。だがそんな事で死にたくはないし、ナイツを悲しませたくないし何より―――
「まあ、この辺りは考えてても仕方がないな」
 アルドは宿へと戻り、指定された部屋の扉に手を掛ける。キリーヤの仲間はエリを含めて全部で四人。内一人はフィージェントだが、接触したらしたでややこしいので今の所は他人のふりを貫いている。
 部屋数は四つ。アルドの連れはワドフと謠だが、とある事情があって謠は一時離脱。部屋は一人一つで、ワドフは隣の部屋に入っていった。
 となれば、部屋が足りない。一人一つの部屋ならば仲間A、仲間B、エリ、ワドフ、自分。自分に指定された部屋がある以上、自分は候補から外れているとして、それでは誰かが省かれているのだろうか。いい感じの廊下の隅に誰か座っていそうだが、どこを見てもそんな奴は見えない。
「私のせいでキリーヤの仲間が省かれていたとしたら……」
 とんでもない不幸である。まあそんな事はないと思うが。
「いつまで立ってるんですか? 早く入ってきてくれないと困るんですけど」
 ああすまない。それでは迅速に―――ん?
 静かにドアを開き中を覗くと、奥には寝間着姿のエリが……
 アルドは静かに扉を閉めた。まあ待て、落ち着こうじゃないか。落ち着け。そう落ち着くんだ。
 扉の前で数回深呼吸をして、再びドアを開け―――
「一体いつまで入るのを躊躇してるんですかッ。こっちだって恥ずかしいんですから早く入ってきてくださいよ!」
「いやっちょまっ心の準備がッ」
 扉を開けた瞬間、細長い腕に腕を掴まれ、無理やり部屋に連れ込まれた。こんな事は初めてだっただけに、素が出てしまった。やはり二年の間魔王の責務を忘れていただけに、素が出やすくなってしまっている。由々しき問題なのは間違いない。
 部屋に入ってしまったことで、エリの寝間着姿が視界全体に広がった。……ワドフとは違って丈が短め、腰より下は筒状の布に隠されているが、やはり丈が短いため太ももの半ば程までしか隠せていない。
 一男性として意見を言わせてもらうなら、目に毒である。
「……事情を説明してくれ。一体どうなってやがる」






 隠れ里故に人が来る事を想定しておらず、部屋数が少ないことが原因との事。この里の民とはかなり仲良くなっているから宿代こそタダらしいが、それでもこれは致命的だ。ちなみにキリーヤがこの宿に居れば、ワドフと同じ部屋になっていたそう。
 ではどうして男性陣と一緒でないかについては理由がある。単純に、アルドが嫌われているらしい。……わかってほしい、これはアルドに問題があるのではないのだ。これは一種の不可抗力。アルドにはどうしようもないのだ。
「……ふむ、成程。だから貴方が一緒に、と」
「はい。そういう訳ですから……その、あんまり見ないでもらえますか?」
 言われてアルドは即座に目を逸らした。
 エリが下半身の衣服を引っ張りながらもじもじしている姿に、思わず見惚れてしまったというか……普段はお堅いエリがここまで女の子らしい反応をできるのだと知ってしまうと、度し難い魅力が生まれるというもの。感情の出やすくなったアルドならば尚の事見惚れてしまうのだ。
「……失礼。私は目を瞑っていたほうが良さそうですね」
「ああいえ、そういう訳じゃないん、ですけど」
 理性が悲鳴を上げている。いや、女性と一緒に寝るなんて妹を除けば初めてであり、その相手が美人であるエリならば猶更……ちょっと待て。
「今、なんと?」
「―――何でも」
「いや先程何かおっしゃった様」
「何でもないですッ」
 聞き逃した訳ではないが、耳を疑う発言だった。まともな男性ならば理性崩壊を起こしそうなものだが、生憎枕元に聖槍が立てかけられている以上、そんな事をすればアルドが死ぬのは目に見えている。
 では槍が無かったらどうするか? 何もしない。
 そんな事をする勇気はアルドにはない。フェリーテの首筋にキスをする事だって、雰囲気と精いっぱいの勇気が成せた行為なのだから。
 臆病、根性なし、チキン。好きなだけ言ってもらって構わない。事実なのだし。
「じゃ、まあ寝ましょうか」
「……ええ」
 エリも異性と寝るのは初めてなのだろう。アルドの額に指を突き付けて言った。
「アルドさんならばそんな事はしないと信じていますが……襲い掛かってきたら叫びますよ」
 流石に槍の間合いではないと思ったのだろう……ってそんな話じゃない。
「しませんよ」
 再三言うがする勇気はない。
「……信じてますからね」
 エリはそう言い残すと、さっさとベッドに潜り込んでいってしまった。ベッドは半分だけ残っている訳だが、ここに自分が入る……待て待て待て。
 これはどんな体勢で入れば良いのだろうか。自分の体格的に完全に入りきることはなく、そんな事が可能になるとすれば、エリの腹部に手を回し密着して入る事だが―――
「出来るわけないだろ……」
 素が出ている事なんて気にも留めない。アルドはエリを起こさぬように部屋を去り、宿の外へと出て行った。
 夜風でも当たっていよう。この場にいたら気が狂いそうだ。












 何処か突き刺さるような寒風を身に受けながら、アルドはリスド大陸にて残っている彼ら―――ナイツの事を考える。
 幾らキリーヤの為とはいえ、彼らをおいて勝手に行動する事。それがどれ程に罪深いかは良くわかっていた。バレればナイツの信頼も落ちようもの。だがバレなくとも、自分自身に秘められた罪悪感は積もる。
 フェリーテは何も言ってこなかったが、彼女のことだ。気づいている可能性は十分にある。自分の狙いはナイツにすら話せない―――話すわけには行かないので、謝罪はできない。してはいけない。
 アルドは膝をつき、
「畜生がッ!」
 地面に思いっきり拳を叩き込んだ。拳を起点として放射状に破壊は広がり、半径数メートルに夥しい数の罅が入ったクレーターが生まれる。
 愛している人達に話す事も出来ない。キリーヤに助けを求める事も出来ない。協力者はいても、実質は自分だけが頼りだなんて……でも、それが彼らの為だから。そう割り切って今まで動いてきたが……それでも―――もどかしい。
 愛する人には隠し事はしたくない。だからと言って明かしてしまえば全てが台無し。
―――どうしたらいいんだよ。
 アルドは立ち上がり、宿に戻ろうとしたが、
「お前が、アルド・クウィンツか?」
 背後から声を掛けられた。
「……貴方は?」
「レヴナント。ま、エリやキリーヤの知り合いって事だし、パランナと呼んでくれても構わない」
 レヴナントの手には長めの両手剣―――緋剣『孑震』が握られていた。成程、あれが彼の武装という訳か。
 どうやら穏やかに話をする訳ではないらしい。
「キリーヤから話は聞いているよ。『私の大切な御方』ってな」
「……そうですか。それはとても光栄ですね」
 彼女が未だに自分を『様』と呼んでいる事。嬉しいがかなり複雑である。大切な御方と言ってくれるのも嬉しいが、誤解を招きそうで複雑である。
「俺は遠目からお前とキリーヤのやり取りを見ていたが……ありゃ、何だ? 励ましかと思ったら、聞こえたのはとても励ましとは思えない内容だった。なんだ、お前は何がしたい? あいつを追い詰めて、何がしたいんだ」
「……追い詰めただなんて人聞きの悪い言い方ですが、成程。確かにそう聞こえてもおかしくはない内容でしたね。実際私は励ましというより、問を残しただけですし」
「ふざけるな! あれ以上キリーヤを追い詰めやがって、もしも自暴自棄になったらどうするつもりだ!」
 レヴナントは怒りを露わにこちらを睨み付けている。答え次第では斬りかかられる事間違いなしだが―――生憎、最悪の展開を導くことにアルドは定評がある。
「自暴自棄になったらあいつはそれくらいの心意気で英雄をやっていたって事だ。もしもそんな事が起きるようなら―――はっきり言って失望だよ」
「―――てめえッ!」
 瞬時に間合いを詰めたレヴナントが斜めに切り上げんと剣を振るうが、アルドは特に動じる様子もなく片膝で鎬を弾く。勢いそのままに素早く頭上で剣を回し、再びこちらに刃を振り下ろしてくるも……どうしようもなく遅い。
 アルドは刃に当たらぬよう手の形を変えて、片手で緋剣を受け止めた。
「弱い」
「……ッ!」
 剣を引き抜いて後退するつもりだろうが、それは悪手だ。どれ程に力を込めても緋剣はアルドから離れなかった。同様に目を見開くレヴナント。その動きが一瞬だけ止まった―――それを見逃すアルドではない。レヴナントの視線から完全に自分の足が外れているのを確認した後、鋭い蹴撃を顎へと放つ。完全な不意打ちだった事もあって蹴りは見事にレヴナントの顎に命中。
「何を……!」
「弱い」
その手が一瞬だけ剣を手放したのを確認。アルドは片手を素早く持ち上げると同時に力を緩めて剣を離す。
 結果として緋剣はアルドの真後ろに突き刺さり、レヴナントは完全に武器を失う事になった。
「キリーヤから聞いているならば知っている筈だ。腐っても私は地上最強と呼ばれた男。魔術戦ならばいざ知らず、武器を使っての接近戦で勝負など、愚かも愚か。愚の骨頂に等しい行為だ。一体どうしてそのような無謀な行為―――」
「『炸撃バーストフレア』!」
 句と共に、レヴナントの頭上から三つの巨大な火球が出現。火球はアルドを囲うように放たれる。
 大きさから見て回避は不可能。であるならばこちらも武器を使うしかないのだが……
 火球衝突まであと数秒といった所。ぎりぎり間に合うだろう。
 アルドは目を瞑り、気を限界まで満たし……一気に爆発させた。
ッ!」
 アルドの体が焔に染め上がる寸前、爆発した気が精密に紡がれた詠唱を破壊。魔力が乱された事で現象は霧散。
 周辺に飛び散ることもなく、焔は幻と消え去った。
 だが―――
「はあああああッ!」
 どうやらあの魔術はフェイクらしい。炎が消え去ると同時に現れたレヴナントは、猛禽類さながらの勢いでアルドに飛び掛かってきた。不意打ちを狙った攻撃だろうし、普通に焔に対処していたらまず回避不可能だったが、今のアルドが使っている技術はジバルで会得したモノ。達人からすればまだまだ初心者だが、それでも自分より圧倒的に下の者が相手ならば十分に扱える。
 レヴナントの拳がアルドに命中するその寸前―――アルドはその拳に軽く手を当てて弾くと、がら空きの胸部へ自身の気を込めた一撃を叩き込んだ。
「ガハッ……」
 狙いの逸れた腕を素早くつかみ、地面へと放る。気を乱された事で常時発動の身体強化が解除されたからか、レヴナントは受け身をとる事も出来ず、無様に地面へと落下した。
「弱い」
 アルドはため息をつき、気を収めた。彼は自分を許せなくて掛かってきたのだろうが……いや助かった。戦ったことで精神が落ち着いた。
 まあ、彼の本意ではないだろう。
「貴方はキリーヤの事が好きなんですか?」
 声はか細くゆっくりと。しかし確かに言っていた。
「……そう……だよッ。まだ子供だって皆は言うが、俺はあいつの事を一人の女性として愛している」
「この世には十年昇華恋慕錯覚症なんて言葉がありますが、まあ貴方がそうだとは思いません。どんな年齢であれ、どんな境遇であれ、或いはどんな種族であれ。愛する恋するは自由ですからね」
 キリーヤは男好みの体つきだ。一人や二人くらいから恋慕の情を抱かれても仕方ない事。それはいいのだ。分かりきったことだし、アルドが口出しするような事ではない。
 だが……
「でも一つだけ。愛する恋するは自由です。ですが甘やかしたり、優しくする事だけが良いとは限りません。時にはその人自身を追い詰めるほど、厳しい言葉も必要だと思いますよ―――キリーヤなら猶更です。彼女は子供ですが、英雄を目指しています。英雄に妥協はない。英雄に許しはない。子供だからと甘やかす必要などあってはならないし、彼女もそれを望んでいない。彼女は意志の強い英雄ですが、その精神は未だ未熟です。私のように何もかもを一人で背負うには些か弱すぎる。ですが……私と違って、彼女には貴方達がいます。レヴさん、貴方達は彼女を甘やかしたくて一緒にいるんでしょうか。仮にそんなつもりだったとしたら、今すぐ貴方は仲間を辞めた方がいい。彼女の仲間なら何をすれば良いか……エリさんのように私を頼れとは言いませんが、良く考えてみてください」
 気の乱れは数分で治まる為、この場に居るとまた襲われかねない。アルドは彼に密かに感謝をしつつ、宿へと戻っていった。
―――キリーヤ。良い仲間に恵まれたな。
 その悲しい微笑みを見たものはいない。

















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