ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

 人間編  アルドへの想い

 クリヌスの私室で、イティスは両手を握りしめながら、待っていた。クリヌスの帰還、只それだけを。
 あの戦いの後、クリヌスは査問会議に掛けられる事となった。国に知らせずにアルドと戦っていた事、そして何より、アルドが生きているという事を黙っていた事。本来ならば極刑相当の反逆罪で在り、如何に『勝利』と言えど、所詮は一介の騎士でしかないクリヌスも例外には漏れない……らしい。
 何故だ。一体どうしてだ。兄が生きているだけでどうしてこんな事になるのだ。魔人の邪法だか何だか知らないが、生きているのならこちらに戻ってくる可能性も―――
 いや。ここは一度冷静になって考えてみよう。
 アルド・クウィンツ。イティスにとってはこの世界で最も大切な人であり、只一人の、自分のお兄ちゃん。魔人との全面戦争において、只一人攻勢に回った英雄であり、程なくして二代目『勝利』を冠った男。幼少期は魔力を引き出せない体質から、最弱と罵られ、虐げられてきたが、ある時を境に激変。彼を罵る人物全ては彼に乗り越えられ、その強さは遂に絶対的なモノとなった。
 だが全面戦争が終了して、十年程経って―――火刑に処される。謂れの無い罪状で処刑された兄の気分は……どんなモノだったのだろうか。
 ひょっとするとフルシュガイドは、処刑された恨みがあるからとか、そんな的外れな事を言っているのでは無いだろうか。だとするならば、彼の妹として一つ言わせてもらいたい。
 アルドは異常者ではない。理不尽な有罪については可笑しいとも言っていたし、一体何を考えているのだとも言っていたが、それでも……恨みや怒り。その類の言葉は一言も言わなかった。死ぬ時だけは潔く在ろうとしていた。
 自分が死ぬ事は理不尽だとは思うが、それはきっと運命なのだろう―――どこか諦めたような顔で兄が言っていた言葉だ。そんな兄が、理不尽な処刑程度で敵になる筈が無いと、イティスは声を大にして言いたい。
 ではどんな理由で兄が敵になっているか。それは魔人の邪法云々の理屈を抜きで考えれば……いや、こんな事は言いたくないのだが―――アルドは魔人を助けているのでは無いのだろうか。世間的には死んだとされていた兄故に、魔人に助けを求められたその時、人類側に裏切られた事も相まって、それを断る事は出来なかった……そんな所では無いだろうか。アルドは超が付くお人よしだ。困っている人がいるなら助ける。困る前に助ける。だからこそ今は―――魔人を助けている。きっとこれがアルド反逆の真相だ。
 クリヌスの報告如何によっては、イティスはアルドを捜しに他の大陸に行くかもしれない。これはイティスの中では決定事項だ。誰に止められようともやめる気は無かった。
「ただ今戻りましたよッと」
 気が付けば扉は開いていて、クリヌスは顔をひょこっと出し、微笑んでいた。まるでこちらの思考を全て見透かしている様に。
「クウィンツさんの事でも考えていたのですか?」
「……クリヌスさんには関係ない事ですよ」
「そんな訳無いでしょう。私はクウィンツさんの弟子で、後継の『勝利』ですし。……しかし、ねえ。貴方達兄弟の仲の良さは半端なモノでは無い。傍から見れば只の夫婦ですよ、本当」
 クリヌスの冗談めいた発言に、イティスは顔を真っ赤にして頭を振った。
「わ、私はお兄ちゃんが心配ってだけですし、今まで会えなかったから……少しだけ甘えたい……だけ―――って! なんで急にそんな事を言うんですかッ!」
「いやいやあ、別に。貴方が少し思い悩んでいるのではと思って―――茶化しただけですよ」
 言われてイティスはハッとする。確かに少し思いつめていたかもしれない。兄とは違う。自分にはクリヌスが付いているのだ、一人でアルドについて考え込む必要など、何処にも無いのだ。
 クリヌスの声音が低くなり、真面目な調子になる。本来のクリヌスだ。
「あっ、そう言えば。査問の結果はどうだったんですか?」
「ああそう言えば、そんなモノもありましたね」至極どうでもよさそうな感じでクリヌスは言う。当事者が言う言葉では無い事だけは分かった。
 しかし意味のない発言をクリヌスはしない。言葉の真意を図りかね、イティスが訝るような表情を浮かべた。
「いえ、私としては本当にどうでもいい事だったと言うか。行動に支障を来すどころか、むしろ動きやすくなったというか」
「ちょ、ちょっと待ってください。話が見えないんですけど……?」
 困惑気味に尋ねるイティスに対して、クリヌスは最高の笑顔で答えて見せた。






「私は、後五年以内には確実に死ぬ事になるでしょう」






 それこそ意味が分かりかねる。謎は深まるばかりだった。罹患している訳でもなく、重体という訳でもなく、只五年以内に死ぬ?
「はい?」
 クリヌスはその笑顔を崩さない。崩そうとしない。以前から分かり切っていたのか、本当にどうでもいいのか。自分が死ぬと言うのに、この男はまるで恐怖を感じていない。一体この笑顔は何なのだろうか、どんな精神状態であればこんな笑顔を……
「ちょっと……え? 順を追って話してくださいよッ、そんな急に死ぬって言われても……」
 身近な人にはもう死んでほしくない。イティスはそれだけで、もう何度も泣いた。孤独を味わってきた。寂寥感を覚えた。自棄にもなりかけた。
 それくらい、辛かったのだ。
「―――泣かないでくださいよ。ちゃんと順を追って話しますから」
 クリヌスの言葉を聞く限り、きっと自分の目は潤んでいるのだろう。それはそうだ。自分は兄程強くは無い。誤魔化す事も出来ない。死に何度直面しても―――耐えられる気がしない。
「まず、ですね。私は騎士団を脱退する事になりました。理由は、私情を交えたクウィンツさんとの戦闘、及びそれの隠匿。まあ彼女との約束の都合上、こうなるのは目に見えていたので仕方ありません。次に、刑罰についてですが……これについては、何もありません。流石に『勝利』を二人も手放すのは不味いと考えての事でしょうが、だったら最初からクウィンツさんを手放すなという話ですよね」
 湧き出す悲哀を抑えて聞くが、クリヌスの言葉の一節に、妙な違和感を覚えた。無論無視すれば流されるだろう。間髪入れずにイティスが尋ねる。「手放す? どういう事ですか?」
「―――口が滑りましたね。こんな事は言うつもりは無かったのですが、仕方ありません。査問会議では言っていませんが、尋ねられた以上は答えましょう」
 クリヌスは言葉を一旦切った。
「世間的に死んだ、とされているクウィンツさん。一般的に考えれば、処刑された後も生きていて、皆が寝静まったその間に逃げた、という解釈が正しいでしょう―――だが、真実は違う」
「……どういう事ですか?」
 それはおそらく、アルドすらも知り得ぬ、初めての情報。誰に知られる事も無く、只一人クリヌスが抱え続けた秘密の一つ―――
「私はクウィンツさんが国を出て行くまでの全て―――即ち、あの日の真相を、知っているんですよ」



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