ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

私は私として 前編

「…………  ………………  ………ド」
「………ぇ?」
「アールド。アルド―アルドー、アルドルルルルド」
「…………ぁ?」
「アルルドアルルドアルルルルルルルルルル―――こらっ、起きなさい」
 何かに頬を引っぱたかれた事で、意識は強制的に覚醒。閉じていた視界を広げると、まず目に入ったのは中性的な美人―――謠がいた。
「……謠?」
「何でこんな所で寝てるのさ。早く起きなよ。ナイツに見つかっちゃうよ?」
 優しい口調で謠は言う。その言葉に頷きつつ、アルドは身体を起こそうとしたが……そこで気付く。
 一体どうして自分は謠に膝枕をされているのだ? 謠に起こされるまで熟睡していた辺り、さぞ心地よかったのだろうと他人事のように言ってみる。まあ確かに謠の太腿は絶妙に引き締まっていて、決して悪い枕などでは―――
 待て。何を言っている。問題はそこじゃない。
 謡の表情を窺うが、「どうしたの?」とばかりに首を傾げている。悪意はなさそうなので、どうやら彼女は善意で膝枕をしていたみたいだが―――
「何故ここに居る?」
 謠にはキリーヤ達の監視を頼んだはずだ。キリーヤご一行の誰にも気づかれずに、必要であれば後始末をしてやれと。そしてその通りに謠は動いていた。だから今まで自分の前に姿を現さなかったし、接触も掛けてこなかった。
 だが今はなんだ。自分を叩き起こした処か何故か膝枕をしている。それ程嫌な気分で無い―――満更でもなかったのは否定しないが、それは職務怠慢という奴では無いだろうか。いや確かに、厳密には謠は自分に仕えている訳では無いのだが。
 しかしながら謠を自由に走りまわす権利をアルドは譲渡されたはずだ。それでは一体なんで謠は―――
「少し問題が発生したんだよね」
「問題?」
 再び体を倒して、アルドは自らの頭を謠の膝に預けているが、謠は特に気にしていない様子だった。
 まさかアイツもこんな風に過ごしているのか……?
「キリーヤがレギ大陸で英雄扱いされ始めている事は知ってるかな?」
「まあな」
「うん。それでね、レギ大陸の人口の三割が魔人との共存を望むようになったんだ。それ自体は凄く良い事だと思うけど、でもそれでも七割残ってる」
「そんな人間が登場する事を快く思わない奴がいるとでも言いたいか?」
「ご明察。エリやフィージェントだったら、そういう思いをぶつけられる事に慣れてるかもしれないけど、でもキリーヤはまだ子供。その意思こそ英雄のそれかもしれないけど、でも精神性まではそうじゃない」
 そうだ。キリーヤは未だ子供。自分の殺意に怯えもするし、歳相応の好意を誰かに抱くこともある。エリやフィージェントのような、屈強な精神は持ち合わせていないのだ。
「当然とは思うが、迫害でも受けたか?」
「いや、キリーヤの仲間は四人いるし、その誰しもがデューク以上の実力を持っているから、一般人ごときが彼女を傷つける事は不可能だよ。只……ね。肉体的に傷を付けられなくても、精神に傷を付ける事は容易い」
 謠にしては回りくどい言い方だ。だが謠がここまで回りくどい言い方をするという事は―――
「キリーヤ。アルド・・・みたいになってるんだよね。感情がだんだん顔に表れなくなって、詳しい事は知らないけど、確実に笑顔は減った。このままじゃ本当に―――」
「その事に仲間は気づいているのか?」
 仲間が出来ているとは、正直少し驚いた。だが彼女の真っ直ぐさは、或いは人すらも動かす。こうなるのは必然と言える。
「エリやもう一人は気づいているみたいだけど、全然笑顔は戻ってないよ。―――で、ここからが本題なんだけど」
 謠は虚空に手を翳し、異界の語としか思えぬ言葉を呟く。
 瞬間。
「アルドさん、聞こえますか」
 虚空に浮かんだのはエリの顏。謠の力は知っているので、それに関しては大して驚きはしないが―――エリが未だに、自分に敬称を使っている事には驚きを隠せない。アルドと言っている辺り、正体はキリーヤにでも聞いたのだろうが、そうであるならば呼び捨てで良いはずだ。呼び捨てにされようとも、アルドは怒らない。自分はそれだけの事―――彼女の国を亡ぼしたのだから。
 謝るつもりは毛頭ない。だがそれだけの事をしたのだから、呼び捨ては当然。敬称を付ける事が間違っているのだ。
「これは謠さんの協力を得ての連絡です。そちらの言葉は届かないので、その辺りはご了承を」
 アルドは身体を起こし、映像を見遣る。
「―――謠さん? ちょっと待て、お前……」
「てへへ。エリの槍でバレちゃったんだよね」
 エリの槍―――聖槍『獅辿』だったか。その槍のせいでバレたという事は……玉聖槍『獅子蹄辿』か。
「謠さんが事情を説明してくれるとの事で詳細は省きますが……アルドさん。敵方である貴方に、恥を忍んでお願いしますッ―――どうか、キリーヤを助けてあげてください!」
 エリのその表情は、親友を想う純粋な感情から来るモノだった。
「キリーヤは常日頃浴びせられる罵声にすっかりやられて……パランナやフィリアス、そして勿論私も奮闘してはいますが……言葉の刃ばかりは防げそうもありません」
 言葉の刃……か。アルドが何度も受けてきたモノだ。自分の精神を蝕む猛毒にして、必殺の刃。火刑に処されたあの時、数百もの刃がアルドの体を突き刺した。
 自分の精神が、確かに壊れていくのを感じた。
 絶望を感じた。
 叛逆の意志が芽生えた。
 自分でさえそうなったのだ。比較するのも何だかおかしいとは思うが、キリーヤがそれに耐えられるなんて道理はないだろう。
「キリーヤが貴方と戦って侵攻を止めるよりも、皆に魔人との共存の意思を持ってもらう為に活動する方が大事、と考えている以上、私達も今後一切大陸が侵略されようとも干渉は致しません。その代り―――ここからは単刀直入に言わせてもらいます。キリーヤを元気づけてほしいのです。私達は今レギ大陸の北東部の、山奥の里に滞在しています。貴方が大陸侵攻に忙しい事は分かっています。ですがそれでも……今すぐとは言いません、出来るだけ早くレギ大陸に来てください。もし、前述した報酬が気に食わないのであれば、私の首を持って行っても構いません。ですから―――どうか―――!」
 そこで映像は途切れた。エリの内に宿る思いは、どこまでも穢れのない綺麗な感情だった。
「エリからの言葉はここで終わりだけど……頼むよ、アルド。キリーヤは放っておいたら……アルドみたいになるから」
「………………………………ハハハハハ。ハハハハ! 謠、何を心配しているんだ? わざわざお前が頼まなくても、私は行くつもりだぞ」
 アルドは立ち上がって、謡に手を差し伸べた。
「あれ程に綺麗な思いを見せられて動かない男がいるか? 本来憎むべき相手にあれだけ真面目にお願いをする。そんな奴の想いに応えないのは……魔王として、英雄として、私として間違っている。決行は二週間後。謠、付いてきてくれるか?」
 差し伸べられた手を取って、謠は穏やかに微笑む。






「……二週間後か」
 襤褸切れを羽織る男、チロチンはマントを翻し、姿を消した。急いでフェリーテに伝えた方が良いだろう。アルドがレギ大陸へと飛ぶその前に。





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