ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

約束を果たす

「……国は滅んだ」
 少女は語る。淡々と。他人事のように。
「家族も居ない」
 それは別段悲しくない。自分は家族に売られたのだから。
「貴方は何処に居るんですか……?」
 少女は静かにそう呟く。自分に何の悪意も無く接してくれたあの人は、一体何処に―――






「アルド様、御目覚め下さい。アルド様」
 優しく投げられたその言葉は、アルドの意識を現実へと引き戻した。視界を開くとそこに写るは赤髪の女性。
「……オールワークか」
 反射的にベッドから起き上がって、彼女に問いかける。
「どうかしたか?」
「……準備が整いました。カテドラル・ナイツの方々にも説明は済ませていますので、後はアルド様が出迎えに行くだけでございます。どうぞ、ご支度を」
 ―――ああ、そう言えば、そんな事も頼んでいた気がする。今の今までなんだかんだで待たせてばっかりだった彼女の為にと、フルノワ大帝国を攻略した後に自分が言い出したのだ。
『新たな仲間を加えようと思う』
 彼女と約束したわけだし、破る気はまるでないが、それでもナイツへの説明が大変だった。どんな上手い言い訳をしてもフェリーテにはばれるし、その理由が反論の余地も無いほどの正論ならば黙ってくれるが、生憎そんな言い訳を練れる程アルドは冴えてもいないし、そういう気持ちでは無かった。
 殺した事については特筆しないとしても、あの時の彼女の潔さと言ったら……今までの人生で類を見ないモノであった。フルシュガイドの騎士にも見習ってほしいモノである。
 それ故に、色々思う所があり、フェリーテに対する言葉を考えている余裕は無かった。だからこそオールワークに頼んでみたのだが……
「フェリーテを良く納得させられたものだな」
「彼女ばかりは私も骨が折れる想いであったと言いますか。約三時間にも及ぶ口論と三回に及ぶ駒遊びから、ようやく納得して頂きました」
「三時間か。たったその程度でアイツを説得……待て。駒遊びだと? そこまでの経緯は知らないが―――あいつに勝てたのか」
「……アルド様は私の体質を忘れておいでですか」
「忘れている訳じゃあないがな……」
 オールワークは少し悲しいとばかりに語調を弱める。別に忘れている訳では無いのだが、それでも彼女に勝つことは難しい筈だろう。
 彼女の体質は『極限思考ゼロブレイン』。常時発動している訳では無いが、一度発動すると、約一万もの思考を並行して行えるという能力である。つまりは『覚』を使われてもどの考えを採用するのか分からない。即ち実質の無力化が出来る能力なのだが……誤解しているモノも少なからずいるので補足しておくと、『覚』抜きでもフェリーテ自身の思考能力はかなり高い。先を読む事に関しては彼女の右に出る者はいないだろう……もっとも、契りのせいでその能力も若干の低下を受けている訳だが。
「全員納得はしてくれたのか?」
「それがアルド様の命令オーダーですので」
 オールワークは淡々と言っているが、それがどれ程の苦労を伴っていたかは想像に難くない。
「……苦労役を押し付けてすまなかったな」
「この程度の仕事こそ私達侍女の本域。お気になさらないでください」
 侍女の仕事……成程。果たして本当にそうかと首を傾げたくなるが、彼女の言葉通りならば、侍女とは世界で一番面倒な役回りらしい。
「それでは、行くとしよう。オールワーク、付いてこい」
「仰せのままに」




 リスド港に着くと、そこには以前のような活気が戻っていた。何気に他の大陸の商人も居るので驚いたが、相手をする彼等は身体に特徴が現われる種では無いので安心だ……だ。
「そう言えば、私が着いた時、一体どうしてここには誰も居なかったんだ?」
「ああ、それは―――ディナントの計らいによるモノでございます」
 オールワーク曰く、ディナントはアルドが居ない間の商い等は危険と判断した為、この港に住まう全ての住人を、一時的に辺境の村まで移動させ、安全を確保させたそうな。
「ふむ……そうか」
 ならば余計な考えは捨てよう。魔人達が幸せならばそれでいい。
 船に辿り着いた。どうやら船内の手入れは魔人達がやっているようだ。甲板を雑巾がけしている様は、ある種の懐かしさすら感じさせる。
 この船の中に彼女は居るはずだが、さて。この様子を見る限りだと彼女が居るとはとても思えない。居るのならばもう少し魔人達はやりづらそうになっているだろうに、動き、表情、掃除の精度を見て分かる通り、かなり自由且つ丁寧だ。
「……どうかなさいましたか?」
「見て分かる通りだ。内部にお客人が居るとは思えないくらい自由に掃除をしている」
「他の所に行ったのでは?」
「ここで待てと言ったし、日もそんなに経っていないから居るとは思うのだがな―――取り敢えず、中を覗いてみよう」
 掛けられた板切れを渡って船内へ。中は今まで異常に綺麗になっており、有り得ない事に、床はまるで大理石のような輝きを……
「って、氷魔術じゃないか」
 氷の塗装でそう見えるだけであった。まるで誰かが滑るぞとばかりに光っており、その思惑の中からは悪意が感じ取れる。
「遊びのつもりなのか」
 呆れからか、自然とそんな言葉が紡がれた。全く、何処の誰かは知らないが、何だってこんな―――
「ほらそこ! しゃきっとやれしゃきっと!」
「はっ、はい!」
 ………………………………………………………………………………………………………えっ。
 滑らないように気を配りつつ、声のする方へと向かう。どんな表情をしていたかは分からないが、「アルド様……?」と首を傾げんばかりの声を上げる事も無理からぬ事だろう。
 黙って歩き続けて数十歩。アルドが見たモノは、予想通りの光景であった。
「やるじゃねえか新人! 見直したぜぇッ」
「はい! 有難うございます―――ってアルドさん、意外に戻ってくるのが早いですねッ」
「えっ? えっ? はッ?」
 彼女―――ワドフの笑顔も相まって、アルドは困惑の表情を隠しきれなかった。
「何してんですか?」
 思わず敬語になってしまうが、このままでは地が出そうなので、一度瞑想。
「……失礼。何しているんだ」
「……? 変な事言うんですね。掃除ですよ、掃除」
 そのアホ面から察するに……落ち着け。また地が出そうだ
「いや。ああ。うん。分かっているんだけどね。別に問題ないんだけどな。問題ないけど……ああもういいや。ワドフ。掃除を十二分に楽しんだら港の入り口に来い。分かったなッ?」
 意味を理解したか、ワドフの顏がぱあっと明るくなる。
「分かりましたッ」
 その言葉と同時にアルドは身を翻し、船から去っていった。「オールワーク」
 ワドフに一礼した後、アルドを追うようにオールワークもまた船から去っていった。






「アルド様。かなり取り乱されているご様子ですが……」
「全然取り乱していないとも。只アイツの自由さに呆れて少々地が出てしまっているだけさ」
 そんな事を言ってはいるが、アルドの顏はどう見ても落ち着いているようには見えない。きっと彼自身、渦巻く感情に振り回されて、自分が今どんな気持ちを抱いているのか分かっていないのだろう。
 悲しい事だが、こんな時に、自分は何も出来ない。侍女で在る以上、その範囲内であらば問題なくこなせるが、それは裏を返せば範囲外の事は何一つできやしないという事だ。
 自分だってナイツに負けず劣らずアルドの事を想っている。だが……何も出来ない。一歩引いた位置でしかアルドに対して干渉できない。その点を追及すれば、自分はフェリーテより数段劣っている。
 今こうして困惑しているアルドの気持ちを、自分は只見ている事しか出来ない。もどかしくないかと言えばウソになる。
 オールワークの手がアルドの片手に伸びる。触れるその寸前まで―――
「オールワーク」
 急いで手を引っ込める。その判断が功を制したか、アルドは気づいていない。
「どうかしたか?」
「いえ、何も。それで、どうか致しましたか」
「ん、ああ。二大陸をようやく落としたというのが、取り敢えず現状だろう? 侵攻は色々あって遅れているが、ここまでこれたのは偏にナイツの頑張りによるモノだと私は思っている。色々問題もあっただろう。エヌメラが復活したり、私が消息不明になったり、フルシュガイドに存在を察知されたり。だがそれでもここまで来る事が出来た。それは事実だ。故に、今宵は宴を開こうと思っている。村に点在する人々すらも巻き込んで、な。そういう訳だから、後で食材を仕入れておいてくれ」
「……よろしいのですか?」
 申し訳なさそうに尋ねる自分に、アルドは首を傾げた。
「アルド様こそ、ここに来るまでには大分苦労をした筈です。今でこそ不死性は無く、その体には限りなく疲労が溜まっている筈です」
 そう言えば彼女は自分の不死を知っているのだったかとアルドは笑う。「まあな」
「それもこれも、私やナイツが至らなかった故の事。エヌメラはアルド様が直々に討伐成され、今度こそと私どもで向かったルセルドラグ奪還も、アルド様の手を煩わせ、結果的にアルド様は昔よりもずっと……叱られる事こそあれど、決して宴を開く程の報いを受けるような身では―――」
「いいんだよ、それで」
 アルドは落ち着いた声音で、その謙虚さ故に報いを拒否する彼女を言い聞かせるように、ゆっくりと語り出した。
 意図的なモノではないが、アルドは既に以前の落ち着きを取り戻していた。
「失敗しない完璧な計画。そんなモノは理想だ。アス何とかと戦った時もそうだが、計画は失敗して当然。第二、第三まで考えても尚盤石とは言い難い。それと同じだとも。人間、魔人。失敗しない種なんぞ存在しない。第一の失敗、第二の失敗を踏まえても、それでも盤石とはいえないだろう。完璧には程遠いだろう―――だけどな。生きている限りは挑戦できる。挑戦しない事には成功も失敗も無い。この失敗を踏まえて気を付けろと私は言うだろう。失敗するなとも言うだろう。だがそれでも……生きている以上、失敗はするモノだ。くだらん失敗ならば私だって叱るさ。だがエヌメラに関しては私以外の者が勝てる可能性が皆無どころか絶無。ルセルドラグに関してはクリヌスの成長を見抜けなかったお前達の責任とも言えるが、アイツは努力する天才だ。故、伸び幅も大きい。その伸び幅を想定しろ、何てそれこそ本人しか出来ない芸当だ。今回の件については、お前達の何処にも非は無い。間が悪かった。それだけだよ―――」
 アルドは励ますように、慰めるようにその言葉を語る。何処までも不器用なアルドが紡いだ、少々長い激励。アルド自身、言葉が下手とも感じているだろう。
 だがそれでも―――アルドは純粋にそう思っている。幾らオールワークが申し訳なく思っていても、アルドは自分達に非は無いと語る。ある種強引な励ましは、どこか魔王らしさを感じさせる。
「そういう訳だ、お前は先に帰って支度を――ー」
「アルドさーん!」
 声に気づいて視線を向けると、こちらの方へ手を振りながら近づいてくる女性が―――ワドフだ。
「そういう訳だから」
 オールワークが立ち去ろうとしたその時、アルドはそう言って、オールワークの頭に手を置いて、視線を合わせた。
「頼んだぞ」
 手を離し、アルドはワドフの方へと歩き去る。その光景を見届けた後、オールワークは静かに一礼し、身を翻した。
 どこまでも死と戦に満ちた血まみれの瞳。しかし、その奥には確かに―――自分への信頼があった。
 求められれば応えよう。我が主の為に。
「今日は―――忙しくなりそうですね」



















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