ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

帝都陥落 終

 ナイツの一方的な蹂躙に晒されている子供達を尻目に、アルドは真正面から城を目指して歩いていた。彼等から襲撃は無いので、歩く事自体はスムーズである。何故襲撃がないかは至って簡単。単純に、ナイツに兵力を回し過ぎて自分を見つけられていないのだ。ナイツがそうなるように誘導しているのもあるだろうが、真正面から来る敵を認識すら出来ないとは、この帝国の底が知れる。アルドが滅ぼさなくとも、いずれは滅びる国だったのだろう。
 階段を上がって、扉を目指す。思えばここに来るまでに色んな事があって、王女様の事件は、アルドにとっては大切な記憶の一枚だった。自分を形成した大切な記憶。アルドとナイツ達を合わせるに至った、重要な事件。たとえ過去に戻れたとしても、あの事件だけは遭遇しなければいけない。何気ない事の積み重ねが今のアルドを、魔王のアルドを生んだのだ。ナイツと出会う因果が出来たのも、もしかすると、きっとアルドには想像もつかない高次元な視点で見れば、これの御蔭なのかもしれないのだから。
 だがそれは飽くまで過去の出来事。今とはまるでこれっぽっちも関係が無い。だからアルドがこの後王女様―――失礼、女王様を殺したとしても、感情はきっと湧かない。今までそうやって何人も殺してきた。どんな関係であれ、アルドはこの刃を振り下してきたのだ。
 無辜の人々を。
 無辜の魔物を。
 大罪人を。
 逸材を。
 そいつの性格にこそ思う所はあるが、殺したという行為そのものには最早一切の躊躇が無い。たとえ自分に恋をしていたとしても、この刃はきっと振り下ろされる。
 動揺する訳には行かないのだ。アルドは魔王。人にとって憎まれる対象に他ならない魔人の王なのだ。そんな魔王に善性は必要ない。善性なんて……必要ない。
 あるのは独善的判断に基づいた行動と、感情に欠けた躊躇なき処断。アルドがそれを出来るのかと聞かれれば、自信無きも、出来るとは言っておこう。只常時そうであるかと聞かれれば、違う。ツェートの事といい、ワドフやエリ、キリーヤの事といい、まるで英雄アルドが抜けていない。それは認めよう。直そうとは思っているが、もはや性根の域なので半分諦めている。
 だが今回ばかりは修羅とならなければならない。国を落とす事に意識を向けなければならない。彼女の好意を受け入れてはならない。
 扉の前に立って、すっかり忘れていた呼吸を一つ。無念無想。一切の邪念を持ってはいけない。せっかくナイツが自分を一人で送り出してくれたのだ。戸惑いなどあってはならない。
―――終わらせる。
 アルドは扉に手を掛け、押し開いた。
「そいやッ!」
  突如放たれた不可避の拳。虚を衝かれたアルドに避けられよう筈も無いので―――取り敢えず往なす事にした。幸い正拳なので、それ自体は手首を動かせば出来る程の簡単な事だった。
 あの時とは違うのだ。そうだろう?
「アルテゼライ・フーテゼライ。いや、アルフよ。久しぶりじゃあないか、元気にしていたか?」
 アルドの目の前に立っていたのは、アルドより少し歳を取っている様に見える―――とは言っても、アルドは不老なので比較にならないが―――男が居た。
「ゆっくり再会を喜びたいところだがな、今は少し忙しい。だから手短に済ませようじゃないか……アルド、久しぶりだな」
 拳士は微笑むが、その目は殺意に満ちていた。当然の事だ。かつての知り合いがこうして国を潰しに来ているのだから。自分だって億に一つ、兆に一つ、京に一つも無いとは思うが、リスド大陸をアルフに攻められればアルドだってこう出迎える。
「私達は逃れられていないのだな。久しぶりの再会かと思えば、まさか戦場いくさばだなんて」
「本当にそうだな。ここであってしまっては殺し合うより他は無い―――しかし、遅まきながらおめでとうアルド。地上最強になったそうじゃないか」
「遅すぎるにも程があるよアルフ。何年前の話をしているんだお前は」
「ははっわりいな」
 昔の可笑しな喋り方はやめたようだ。或いは真面目なこの時だからこそ口調を戻したのか。そういう意味ならば昔とは大して変わっていないが、さて。
「もっと他に話す事があると思うぞ、俺は」
「……お前にしてきた悪戯についてか? お前も何年前のを引きずっているんだと思う―――」
「違う」
 和んでいた雰囲気をすっぱり切り裂いて、アルドは告げる。白を切るつもりならこちらから言わせてもらう。胸に引っ掛かっていた何かとも、これでおさらばだ。
「俺が言っているのは王女様が攫われたあの事件の事だ。今こそ真相を解明する時じゃあないか、なあ―――アルフ」
 アルフの表情が固まった。






「オマエはもう直ぐ死ぬからな。冥土の土産だ。真実を知っているかのように語って見せよう」
 とは言いつつも、あちらにそのつもりが無い様だ。アルフは問答無用で殴り掛かるが、デュークの足元にも及ばない強さでは、アルドに傷一つつけられないだろうから―――
「まず、あの出来事は何の為にやったのか。それが問題となる訳だが―――あの時は色々間違っていた。お前は魔人と協力した訳でもなければ、魔人に使役されていた訳でもない―――お前は魔人を使役していたんだよ、違うか?」
「どうして、そう思うッ?」
「そういうふうに捉えれば不審な点の説明がつく、というだけだ。理由は全て語るつもりだから、取り敢えず異論は後にしてほしい」
 放たれる拳を往なして、往なして、往なして。尚も攻撃を止めぬアルフだが、その一撃の何れもアルドには届かない。
「お前は色々博打じみた事まで計算に入れてるから、結果的に『これ』は失敗しているが、だがこの俺が今の今に至るまで気づくことが出来なかった、というのは凄い事だ。例えば―――私が王女は港に居ない事に気づく事を前提で計画を練っていたよな?」
 上位魔術なんかも放ってくるが、やはりアルドには当たらない。超広範囲の魔術でも使ってくれれば、こちらも何かしらの行動はしてやれるが、何せ只の範囲魔術だ。当たろうとしなければ当たる事も無い。
「私の推察力の高さを計画に入れてくるとは大したモノだけどな。それにしても―――信じられないよ、まさか国絡みのお見合いだ、なんてな」
 放たれた拳に対してアルドは敢えて止まってみた。予想通り、拳はアルドの鼻先で止まっており、その先にある顔は動揺に満ちていた。
「では迫っていこうか。私が不審に思った所は、まず、あの迷宮で戦った魔人一人以外に、誰一人として魔人が来なかった事だ」
「……別に不審では無い筈だ。隠し通路を見つけたのだからな」
「まずその発言からおかしいが、そこは大目に見るとして―――隠し通路は何処に繋がっていた?」
「……最深部だろう?」
「そう、最深部だ。そして当然お前が壁を崩した事で、最深部への道は絶たれた事になるが……相手は魔人だぞ? 深い説明はしなくても、お前なら既に分かっているだろう?」
 それはあの時も感じた通りだった。
「後は友人が死んだってのに、お前の態度が妙に冷たいとかもある。幾ら死んだとはいえ、回収位はするものだろう?」
「……迷宮を下りている暇なんて無かった」
「苦しい言い訳だ。あの崩れた壁を吹き飛ばせばいいだけの話だからな。まあこの時点ではお前は怪しい程度で、前述した国がらみの事件だっていうのにはつながらないよな。では私は何で気づいたか―――『お前に任務を出せと命令したのは王様』だと、お前は言っていたよな?」
「……?」
「そしてアジェンタの大人は他人嫌いだ。王女様の乗る船員を子供にする事からもこれが分かる。だからお前を通して命令を出してきた。どれだけ他人が嫌いだよ、と思ったが―――なあ、俺達は、王女様を連れ帰った後、何をされた?」
「宴だが……まさか―――!」
「うむ。そこまで他人嫌いな王が宴をするとは思えない。内通者が英雄扱い云々というのも、内通者自体がこの国の出身故の事だと思ったからだ。たとえ私が王女様を救ったとしても、そこまでの他人嫌いは直るもんじゃない。お前もこっちに来たって事は、それを分かってるはずだ―――ではどうして? という事になるが、簡単だ。フルシュガイドとアジェンタで、最初からこの事件は仕組まれていた。こう考えれば、どうだ? あの王女様から攫われたのだという話を聞いたが、あれは別に『今』なんて言っていない。状況的に『今』と勘違いしてしまうだけだ。この話の不自然な所は、お前達の演出した設定の方が自然であり、真実の方が実に不自然だという事だ」
 真実はあまりにも馬鹿馬鹿しく、複雑だ。
 まずこれは、大前提が大きく違う。この頃、人間達は魔人によって蹂躙されていた。だが、アジェンタだけは少しだけ違った。魔人全てでは無いが、少数の魔人に上下関係を覚え込ませる事で、魔人を使役していたのだ。どうやったかは知らないとして、魔人があいつ以外に来なかった事や、あの大陸に滞在する間、あの魔人を除いては誰一人として見かけなかった事から、魔人が暴れている何て情報は嘘っぱちと言うことが分かる。
 これの分かりづらい点は、団長の発言と、フルノワ大帝国が本気で襲われている風を装っていた事にある。だからアルドは信じてしまった。こんなバカげた裏があるなんて誰も予想していないだろう。
 だがそう考えてみると、団長の発言にも少々不審な点が。
『何、大した事では無い。アジェンタ大陸で魔人が暴れまわっているという情報が在ってな。本来は助けを出せるほどこちらにも余裕はないのだが―――』
『だが貸しを作るに越した事はない。今の所、特に何の任もついていない者はアルド、お前だけだ。行ってくれるな? 言っておくが、私はチャンスを作っているのだ。この任務が成功すれば、同僚もきっと、お前を見直すぞ?』
 ああ自然だ。魔人が暴れているから自分に行ってきてほしいと言っている様に聞こえる。
 だが待ってほしい。一体この発言の何処に―――魔人を討伐してこいなどという言葉がある。匂わせるような発言はあるが、それだけだ。明確には言っていない。
 一旦これは置いておこう。次に王女だ。王女は美人が多い村から連れ去られ、船に乗せられた。
 何処に今連れ去られて、そして乗せられたなどと言っている。何より王族の所作は道中で覚えられる程単純では無い。故にアルドと偶々偶然居合わせたなんて事は有り得ない。
 それからアルフ。彼はエインを通しての協力者だった。だから実質の協力者は自分アルド一人なのだと、そこを妙に強調していた。今思えばおかしな事だ。
 次にアルフの行動だ。もはや何度も述べている通り、言葉とは違った行動を取っている。友人の死体を回収しようともせず、只王女様を回収して帰還した男。色々おかしいのはさて置いて、最大の疑問。
 アルフが連れて帰ったあの男は誰なのか。あの男は何故頑なに声を出さなかったのか。
 応えは至って単純。あの男こそが友人だったのだ。そう考えれば何も難しい事は無い。友人を回収して、王女を回収した。だからアルフは帰った。単純な話だ。
 そして帰れば宴。他人嫌いのアジェンタが自分の為に宴。その宴の中で王女とは親交が深まって―――ベッド寸前まで行った。ああ、それは事実だ。だが結果として約束を交わしただけに終わった―――それは幸運だったと言える。『子を孕んだその時から夫婦で在り、離婚など許されない』だったか。一歩間違えば自分はアジェンタで永遠を過ごすところだったのだ。当然ながら、妹との約束は守れない事になる。
 ではどうして国がらみだと思ったか。それは今までの事を総合すれば見えてくる。
「真相はこうだろう。フルシュガイド大帝国はアジェンタに協力を求められていた。配偶者をそちらからよこしてはくれないか、と。事情はきっと、王女に運命の出会いと錯覚させるという目的に、他大陸の男は丁度良かったからだ。フルシュガイド大帝国は考える。『助けを出せるほど余裕はない。だが貸を作るに越したことはない。今の所、何の任にもついていない暇人はアルドだけ。当時のアルドは最弱故、たとえアジェンタに行ったとしても特に支障はない。さらに深い所を言えば、『アルドの妹という事だけが唯一の瑕』なのだから、アルドを失くしてしまえばいい。そうすればイティスを……なんて考えもあっただろう。そしてアルドを出す事を決めるまでに時間が掛かったから、出航が早かった……」
 無茶苦茶な事を言っているのは知っている。だがこう考えれば、合点がいくのだ。
「一方で王女様。王女様はアルドが選ばれるずっと前に攫われていた。そしてずっと前にエインに助けを求めていた。そしてこの国で王族の所作等を学び、再びフルシュガイドへ―――補足しておくが、どうしてアジェンタの大人がそんな事をするかってのは決まってるだろ。というか、そもそも他国から女連れてくる時点で他人嫌いの曖昧さなんて今更だけどな。ま、それは置いといて、何でこんな大がかりな事をしたかと言うと……強い子種が欲しかったというのもあるし、フルシュガイドについて知る為というのもあるし。戦力を何気なく搾取する為でもある。何が問題って、フルシュガイドがついた嘘と、お前の対応にこそ問題があるだろう」
「……どういう事だ」
「国は要らないモノを欲しがらない。基本だろう? だからフルシュガイドは、最弱の私を最強の騎士として送った。何も知らないアジェンタは私を最強の騎士だと誤解。最高の舞台を演出して、私を配偶者として迎え入れようとしたという訳だ。だから宴なんかもしたし、他人嫌いも発動しなかった。後々は身内になると考えていたから。―――さて、話を戻すぞ。私と王女様が別れた後は、何もしらない王女様を気絶させて迷宮へ。後はさっき語った通りだ。どうやってか知らないが魔人を使役して迷宮の守護に努めさせ、私達に向かわせる。お前は私の推察力を信じてあえて本気で港に向かう。予想通り私は迷宮にいる事を察して、迷宮に向かった。そして隠れ道を見つけて、内通者もとい友人と出会う。ここで魔人が登場。私が本当に強いのかを見届けろと言った感じか? 魔人自体は驕っていたとはいえ真面目に戦っていたようだし、その辺りは良く分からないが、ともかく私は魔人を倒した。実質の協力者は私だけだから、当然結果は私が単騎で乗り込んで救ったと公表される。民の信頼を得つつ、後は私が王女様と結ばれていたら成功だったんだろうがな。生憎妹の事があったからな。お前達の誤算は、私が妹と約束をしているかどうか調べなかった事だ」
「……待て、俺はエインに頼まれて」
「エインが真面目にやってくれるとは思えないな。アイツはそんな時にこそふざける奴だ。つまりお前の『エインと会った』てのは嘘だ。お前が私の協力者になったのも、全ては私と王女が結ばれるようにする為」
「では女王の発言を知っていたのは」
 『私を攫って』の発言を御存じな件についてか。生憎それにも答えが在る。
「オマエともあろう者が、私の言葉を忘れたのか。『転信石は音を魔力に変換して伝える石』。思考を伝える事が応用ならば、盗聴に使う事もある種応用と言うのではないか」
拳はいつの間にか下ろされていた。アルフは只驚いたようにこちらを見つめている。当然だ。この作戦、まるで欠点が無かった。不審な点はあったが、それでも限りなく完璧だった。只一つの誤算は、アルドが妹と約束していたという事だけ。それだけだった。
「何故だ? お前は私の強さを知っていた。最強の騎士だなんてこの国が信じる事も無かった。だというのに、お前は」
「……一つだけ間違ってるから、俺が直々に訂正してやる。エインとは会った。『お前はアルドの正体を絶対に明かすな』と言われた。王女様がお前に惚れる事まで全て分かった上で言ってきた。簡潔に言おう。金貨千枚を渡されたから私はエインの言った事を守った、それだけだ。ついでに言えば、船を海賊に襲われた件については、アジェンタは一切の関与を否定する。おそらく―――この作戦の不十分な部分を補填すべく、エインが差し向けたのだろうな」
 成程。この作戦は本来フルシュガイドとアジェンタ、二国の間で行われていたものだったが、そこに今の女王様が助けを求めたエインが介入した事で不足していた部分が補われた、という事か。
 というか、自分に惚れる事まで分かったうえでとは何だ。エイン・ランド。死んでも尚気味が悪い男だ。
「……さて、俺からの話は終わったわけだが、別にこの謎解きに意味は無い。只、お前には知っておいて欲しかったんだ。かつて最弱だった私がここまで強くなったのだとな」
「それはお前が『勝利』となった時点で分かっていたぞ」
「英雄アルドの話だろう。今の私は魔王アルド。あの時とは守るモノも強さも意思も何もかもが違う。この謎ときは自分の中の靄を晴らす為に行ったと言っていい。にも拘らず苦しいながらも抵抗してくれたアルフ。感謝するよ、本当に」
「いや。正直な所、絶対に見破られない自信はあったらしいぜ。俺もあった。だからたとえ、この謎ときに意味は無かったとしても……お前は昔の事件を解き明かした。それは誇っても……良いはずだぜ」
 アルフからは既に敵意は感じ取れない。感じ取れるはずもない。彼はもう死期を悟っているのだから。無駄な抵抗はしないと決めたのだろう。
 アルドは腰元の剣に手を掛けた。
「結果的に言えば成功だったんじゃないか? 王女は私に恋をして、女王になって、国を治めた。それもこれも、後一歩届かなかった完璧な作戦の御蔭。王女は私と再会し、そして死んでゆく―――それは確かにアジェンタにとっては色々不利益だろうよ―――」
 黄金の剣閃が男の上半身を両断した。抵抗すらする事無く、男の魂は解放された。


  どんなに仕組まれた出会いだったとしても、彼女と出会えた事は事実。それだけは覆しようも無い絶対事実。


 有難う、古き友人アルフ。そして、さようなら―――






 過去を一つ、消し去った。殺した事にはもう何も感じないけれど、それでも、自分を知っていたモノが死んだのだ。悲しみの一つも湧いてくる―――なんて事は無かった。涙は勿論、感情すら出なかった。
 まあ、いい。英雄アルドの側面がなくなりつつあると言う事なのだろう。嬉しいやら、悲しいやら。それすらも最早分からない。
「止まれッ大人!」
 何人かの子供に邪魔をされたが、事は一瞬だった。彼等に用は無い。自分がその意思で会うべきものと言えば、王女もとい女王である彼女だけだ。クリヌスのような実力者、或いはキリーヤのような大馬鹿者が止めにくるならばいざ知らず、何も理解しちゃいない、しようともしない雑魚に邪魔される言われはない。
魔術は避ける事すらしなかった。あまりに雑でまとまっていない魔力の流れなんぞ、魔力の根源と戦った事のあるアルドからすれば、それは色々な意味で戯れである。
 無念無想。明鏡止水。六根清浄。アルフを殺してから、非常に精神が落ち着いていた。命を以てして行われる精神の沈静。何万回も繰り返されたこれこそが、アルドの冷静な性格に直結していると言っても過言では無い。どれだけ動揺していても、どれだけ泣いていたとしても、この行為を以てすれば、アルドはいつもの精神状態に戻る。一瞬の動揺が運命を分かつ戦場において、アルドが会得した特異な技能。
 それを考えれば、この子供達の死も意味のあるモノだったのだろう。
 子供達を殲滅した後、アルドは女王の扉の前に立った。長身のアルドを超える大きな扉。別れの時は扉一枚程に迫っている。この扉を開いたらもう戻れない。きっと戻れない。永久に戻れない。
 だが後悔はしない。そんなモノは久遠の彼方に置いてきた。これからの戦いには不要なモノだ。
 気持ちに応える事もまたありえない。アルドにはナイツと言う愛すべき皆が居る。彼女の気持ちは有難くも、決して応える事の出来ない迷惑な気持ち。
 アルドの脳内を思考が駆ける。それは一瞬、或いは永劫を駆け抜けて、アルドの記憶を探っていく。
 彼女との思い出。彼女との出会い。真に彼女を記憶とするならば、一つ足りなくはないか。
 出会いがあれば別れもある。出会いが在って、思い出が在って、別れが在る。時は世界を駆け巡り、過去の記憶を洗い流す。それがどれ程悲哀に満ちていようと。それがどれ程怒りを孕んでいようと。それがどれ程虚無的で絶望的であろうと。それがどれ程明るくたのしかったとしても。
 所詮は過去。今を過ぎれば価値のないモノ。否、価値を量れないモノ。
 アルドは扉に手を伸ばし、静かに押し開く。
「……アルドッ?」
「……久しぶりだな、女王様―――いや、エニーア」
 エニーア・フランシアは喜色満面の笑みを浮かべて、アルドの下に駆け寄ってきた。彼女は知っている。仮にも王なのだから、今城下町がどうなっているかくらいは、把握しているだろう。
 されど、彼女は変わらずアルドを出迎える。初恋の人であり、自分を救ってくれた救世主。仕組まれたモノとかそんな事はどうでも良い。たとえそうだったとしても、アルドは自分を助けてくれた。たとえ危機なんて無かったとしても、それでもアルドは助けに来てくれた。その事実は絶対なのだ。
「紅茶でも飲む?」
「―――頂こう」
エニーアは外の出来事何か気にも留めていない。外ではエニーアを守らんと幾人もの兵士がその命を散らしていると言うのに。
 ある意味では彼女は冷酷だろう。
「今日は―――約束を果たそうと思ってな。お前の言った通り、終焉の時に来させてもらった」
「そう! だから今、国は攻撃されているのね。そうなると襲撃者は……アルドかな?」
 エニーアは何でもないかのように言っているが、一大事だと言う事を分かった上での発言だ。しかし彼女からすればどうでもいいのだろう。
「……怒らないのか?」
「何で怒るの? だってアルドが私に会いに来てくれたんだよッ。約束を―――守ってくれたんだよッ」
 エニーアからは負の感情が一切出ていない。出ていたとしてもそれはあまりに微細で、アルドには感じ取れない。それ程までに彼女は喜んでいるのだ。国を攻撃される事が、至極どうでもいい事になるくらいには。
「ねえアルド? どうして今まで死んだふりをしていたの? 私、アルドが処刑されるって通達が来たとき、本当に悲しかったんだよ」
「……済まないな。本当に。事情があったんだ。今は……リスド大陸に居を構えている。じっくりねっとりと、大陸を侵攻している訳だ」
 彼女には素直に話す事にした。今日死ぬ人間に話した所で、特に害は無いと思ったからだ。
「ふ~ん。つまりアルドが今日来たのは」
「お前を殺しに来たという認識で間違いはない。死神とでも思ってくれ」
 彼女の表情に恐れはない。リスドの王のような絶望感すら持っていない。お気楽と見るべきか、或いは死期を悟ったか。
「そっ。じゃあ私の命もここまでなの」
 向き合って紅茶を飲んで、話し合う。五大陸は未だ侵攻しきっていないが、それでもこの大陸の侵攻は―――奇妙だ。
「怖くないのか」
「アルドに命を取られるんですもの。それってつまり、アルドのモノにされるって事でしょ? ―――たまらないわ、本当に」
 ……恐ろしい発想だ。命を取られるという発想をそこまで恋愛的に変換するとは。別の意味で寒気がする。
 エニーアは自分の言葉に恍惚としていた。その姿は余りに滑稽で美しく、悲しかった。
「自分が置かれている状況を理解しているのか? もう直ぐ死ぬんだぞ、お前」
 死とは生命が本能的に拒絶する絶対事項。それが生きている以上は決して逃れられない絶対不変の末路。
 嫌がっても良いはずだ。拒絶しても良いはずだ。恐怖しても良いはずだ。何故彼女は―――あんなに嬉しそうなのか。
「私が死ぬ事はどうでもいいの。アルドには大切な人が出来ているから、もうこの人生に意味は無いの」
 アルドは思わず目を見開いて僅かに動揺。紅茶を一口飲む事でなんとか落ち着いたが……
 何故知っている?
「私ね、貴方に執着はしているけれど、貴方の大切なモノを奪ってまで貴方と一緒にいたい気持ちはないの。だってそれって……アルドに迷惑でしょ?」
「……否定はしないが……その……お前の想いに応えられなくてすまない」
「謝るなんてアルドらしくないわ。アルドは私の所に来るまでずっと私の想いについて考えてくれた―――私はそれだけでいいわ」
「―――何故知っている」
「アルドの事は良く分かっているもの」
 彼女は魔人では無く、人間だ。『覚』なんて持っている筈がない。持っていて良いはずが無い。
 なのに、どうして。フェリーテ以外が知る事のない想いをどうして知っているのだ。
「この人生では私は貴方と結ばれなかった。でもいつかはきっと……私はそう信じているわ」
 エニーアは席を立って、首元を晒した。
「優しく―――殺してね」
「本当に……良いのか」
 こんな事は初めてだ。まさか……王様自ら殺しを促してくるとは。しかし、それは彼女の想いがそれほどまでに強い事を示している。彼女にとってのこの人生は、まさしく自分と結ばれる為なのだと。その結末が用意されていない道に最早意味は無いと。
 彼女の言葉は、どこまでも一途で、それ故に偏っていた。その偏り方はあまりに異質。殺される事すら愛と悟る異常者。
「何度も言っているでしょう? 貴方に殺される事即ち私の魂は貴方のモノになる。いいわ。この肉体が貴方のモノにならないのならば、せめて魂を捧げるまで。何も怖がる必要は無い。むしろ喜んで受け入れるべき事よ。それに―――結局私を殺さなければアルドは前に進めない。でしょう?」
「……ああ」
 アルドは腰の王剣に手を掛けた。何故だろうか。殺意が湧いてこない。敵意すら湧いてこない。無念無想は既に崩れている。保つ事が無理なのは既に分かり切っていたが、それにしてもなんの感情も湧いてこない。哀れだとも思わないし、楽しいとも思わないし、憎いとも思わないし、敵とも思わない。
「ねえアルド。最後に約束してくれない?」
「また約束か。叶えてやれる自信はないが、言ってみろ」
 彼女の唇が柔らかに動いた。これから死にゆく者とは思えない程に優しい動き。そこから紡がれる言葉も、ある種の希望に満ちていた。
「今じゃなくていいの。何万何億何兆年。何年たっても良いから―――今度こそ、私は貴方と一緒になりたいの」
 それはつまり、来世の話という奴である。現世で生きている自分には到底約束出来ない話であり、果たせるかなんてのは来世の自分に聞いてみなければ分からない事だが―――
「ああ。またいつか会おう」
 言葉に確証はない。いつかというのはそれこそ途方もない期間を指す。アルドがアルドでなくなった後、或いはこの世界が滅んだ後、新たな世界が作られた後。それら全ては『いつか』の内に。
 そんな言葉なんかに力は無い。守れるかすら分からない。そもそも約束を覚えているか分からない。
 しかし―――
「―――ありがとう、アルド」
 彼女は最後にそう言った。かつて見た『笑顔』は、いつにも増して輝いていた。




































―――――――――さようなら。













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