ワルフラーン ~廃れし神話
告げる想い
自信? そんなモノは無い。
実力? あったら嬉しい。
大見得を切ったはいいが、別に必勝の策など思いついていない。これは……そう。あえて自分を窮地に追い込む事で実力を引き出すと言う荒業だ。そういうモノだと思っておいて欲しい。
冷静に考えれば、何匹も来られると手に負えないのは確かだ。ならば何であんな事を言ったかというと―――こいつは一人だと確信を持っているからだ。
この『犲』はどうやって自分達の後ろを取った? あの道を使わなければそれは絶対に出来ない。隠し道を全て把握しているとは思えないし、ならばどういう事か。
つまり、この魔人は自分達の後から来たのだ。追跡していたか、それとも単に戻って来ただけかは知らないが、それだけは確か。だから自分達の後ろを取る事が出来た。魔人は連携を良しとしないし、この一本道だ。自分一人で十分だとでも思ったのだろう。愚かな話だ。広い場所なら確かにこいつが有利だろう。だが―――
「フンッ!」
魔人が軽く力を入れると、アルドの持っていた剣は、爪との接地面から綺麗に分断。武器としては使い物にならない程に短くなってしまった。
にやりと笑う魔人。その笑いは勝利を確信してなのだろうが……
魔人が自分を切り裂かんと、爪を振り上げると同時に、使い物にならなくなった武器を放棄。がら空きになった魔人の胸に、鋭い一撃を叩きこんだ。
「何だあ、そのいちげッ……グハッ!」
人間如きの拳に怯んだ魔人は隙だらけ。アルドは更に距離を詰めて、顎や鳩尾と言った急所に拳を叩きこんでいく。
「………糞がッ!」
首を狙って大振り。後ろに下がって回避したが、距離を取らせてしまったか。
「てめえ……何者だッ」
「『何で人間如きの拳が俺に効くんだ?』って顔をしてるな。だから言ってるだろう、舐めるな、と」
武器が使えない状況でどうするか、という演習をやった事がある。大抵の、というか全ての騎士は魔術を行使していたが、魔術を行使出来ないアルドにはそれが出来なかった。
故に拳を鍛えた。魔人の体は強靭だ。表面への攻撃は通じない。内部に全て通るような、脆弱な部分を全て破壊するかのような、そんな戦い方を開発してきた。独学で何年も何年も。
結果は報われた、と言えるだろう。剣を使っても誰にも勝てないのだ、一度も勝った事はないが―――驕っている奴にすら通じない程弱くは無い。だから魔人を圧倒できる。
もっと言えば、ここの地形もそれに一役買っているだろう。ここは一本道。相手に攻めるならば前に進む以外に方法は無く、だからこそ超速で動き回る魔人にも対応できる。前から来ると分かっているからこそ、、という奴だ。
未だ攻撃が大振りな所を見ると、まだ驕っているらしい。これは好機だ。このまま……仕留める!
「くそッ、ガッ!」
「俺を……殺したかったらッ」
回避の勢いを利用して放った裏拳が、魔人の顎を打ち抜いた。頭部が揺れて意識が揺れる。体制の維持は困難を極め、やがて倒れてしまう。
魔人が倒れ込んだことで壁にはより深い裂罅が入る事となった。あまり崩れてほしくは無いが……
「その手加減をどうにかしやがれッ」
放たれた拳は頬骨に沈む。骨は歪み、意識は割れる。壁中に埋もれる魔人の半身に押されたか、ギリギリまで壁を維持していた素材は崩壊を始めて、瞬間、半身を覆い隠した。
ここで攻撃を止めてしまえば魔人の思うつぼ。手加減はしない。こいつとは違う。
唯一埋もれていない魔人の下半身を見つめた後、アルドは静かに足を上げて―――それを踏み抜いた。
「―――――― ―――――― ――――――ッ ――――!」
上半身が異常なまでに震えて、もがいているが、声は埋もれて聞こえない。しかし睾丸を踏みつぶしてもまだここまで暴れる事が出来るとは、やはり拳はあまり効いていなかったようである。
本気を出させるつもりなど毛頭なかった。勝ち目が無くなるような事はするつもりがない。これは戦いだ。わざわざ本気を出させるために待つなんて悠長な事はしていられない。している余裕が生まれる程アルドは強くない。
だから魔人がこちらを見下し、手を抜いているその隙に殺す。一度距離を取られたのがまずかったが、それでも驕りが治らなかったのは僥倖でしかない。
震えたのは最初の数秒だけで、やがて魔人は沈黙した。面倒な戦いはどうやら避けられたようだ。
内通者の方を見遣ると、やはり声でバレるのはまずいのか沈黙を決め込んでいた。だが王女様を数歩前に下し、後ろに下がっている所を見ると、返してくれるのだろうか。
「アルド。悪趣味だなお前は」
自分の言う通りに目を離さなかったのはいいのだが……傍から見れば、背後で戦いが起きているにも関わらず微動だにしない男のようにも写る。この戦いで一番得しているのは彼では無いのだろうか。
「潰れる音が聞こえたならそれは失敬。そんで、この男どうするんだ?」
「見逃す訳にも行かないからな。連れて帰る事にするよ」
アルフは男に近寄って、その頬を掴みあげた。
「お情けで顔をここで晒すのは勘弁しといてやる。だけどテメエは一生牢獄の中だ、覚えておくがいいさ」
男を壁に叩きつけて気絶させた後、アルフは意識の無い王女を見つめた。
「王女様はお前が連れ帰ってくれよな。実質協力者はお前だけだし、言いそびれていたが俺に命令した奴さんは王様だ。……言いたい事は分かるよな?」
「王女の頼みを聞いてやるなら、国に借りを作っておいた方が立ち回りやすいという事だろ」
国も馬鹿では無い。王女を攫うような奴は大罪人だが、証拠や告発が無い限りは英雄に疑惑の目を向ける事はないのだ。アルフが言いたいのはつまりそういう事だろう。
男の体を引きずりつつ、アルフは階段を上っていく。その背中を追いかけるように、アルドもまた王女を両手に上っていく。
……しかし。
幾ら何でも幸運が過ぎる。まずどちらかの生還が不可能と思われた元迷宮で無事生還はともかく、偶然にも隠れ道を見つけ、更に偶然な事にここは内通者の男が使おうとしていた隠れ道であり、更に偶然な事に後ろから魔人が一人。
何より不自然なのが、魔人がそこの死体以外に誰一人としてこない事だ。壁が崩し、男の逃げ道を塞いだ。いい案だが、破壊という行為から生じる壁の為、必然的に音が発生する。音が発生すれば間違いなく魔人は嗅ぎつけるだろうし、『犲』ならば間違いない。岩の積もった壁だって破壊してくるだろう。
だが魔人はそこの死体しか来なかった。
内通者は魔人と一緒に王女を攫っていて、最深部に助けが来た場合は、隠れ道を使って内通者が地上へ。向かおうとする奴らを魔人が阻む……というモノだと推理したが、間違っていたのだろうか。今回のこれがここまで上手く行ったのは偏にアルフのおかげだが、それが無かった場合、即ち律儀に最深部に行っていた場合はどうなったのか。何も居ないなんて事は……まさかこんな事になるなんて誰も思ってなかっただろうし、内通者の思考にも例外は無い筈だ。最深部にくると思っているのならば……やはり魔人のような警護は必要の筈だ。
内通者自身が相当な実力者で、魔人の警護なんて要らないという可能性も……無い。そんな実力者ならばアルフをどうにか出来た筈だ。
……そういえば、アルフの友達とやらの死体を確認しなくていいのだろうか。アルドの推理が正しければ王女と一緒に居た筈で、この階段から内通者が上がってきたと言う事はつまり、この下には死体が在る筈なのだが……
少しややこしいが、今は良しとしよう。王女様を取り返した事だし、今は国に帰る事が先決だ―――
「帰ってきたら私は英雄扱い。その時の夜は城で宴ときたモノだ。王女様……ああ、つまり今の女王様にも随分と気に入られて大分振り回されたが―――これで事件は幕を下ろした。彼女は気が変わったようで、自分を攫うのは取り消しだと言ってくれたし、これで私と彼女の関係は終わりの筈だ……ったがな。その際に約束を交わしたのだ」
「ふむ……如何なる契りじゃ?」
「『たとえ終焉訪れる時でも構わない。もう一度、私の目の前に現れてほしい』だったか。それから私は何回かあの大陸を訪れたがな。約束を果たそうとは思わなかった。……それが原因なのかもしれないな、アジェンタ大陸の奇妙な特性は」
フェリーテは思考を読んでいるのでこの言葉の先を知っている。が、言葉にするべきだろう。アルドはこれに向き合わなければならない。彼女の真っ直ぐな思いには応えなければならない。
常識が上書きされたと表現し、何故か自分には効いていないとも表現した。気づいていないふりをしていたが、それも今日まで。
もう目を背ける事は許されない。
「彼女は元々年上が好きだった。だけど私以外に目を向けたくなくて、だから自分の年齢を最高齢として、それ以上は身分も何もない奴隷とした。たとえ他大陸の年上で、奴隷という扱いでは無くても、それくらいの価値だと判断した。奴隷には目を向けないし、年下には興味が無い。だから私だけを見ていられる……そう思ったんだろうな」
あの城には不老の霊薬があった。代々引き継がれてきた薬らしいが―――彼女の年齢が変わっていない辺り、使ったという事なのだろう。アジェンタの特性、即ち、十五歳より上は奴隷という常識が変わっていない辺りから、それが分かる。
彼女は自分の時間を止めてまで、会いたかったのだ。自分に。それをどうして知っているかはなんて決まっている。アジェンタの民の一部は、口をそろえてこう言うのだ。
『女王は誰かに恋をしている』
恋は人を美しくする。だから女王は美しいのだ、と。そしてそんな女王に惚れる人は多いし、だからこそ国はそれなりに安定していた。国と言えるくらいは安定していた。
アルド達が侵攻を掛けなければ、それなりに安定した毎日が流れて行ったのだろう。
「彼女の想いには応えてあげられない。だがあの時交わした約束は果たすべきだ。明日はアジェンタ大陸に侵攻を掛ける。目指すは首都、狙いは崩落だ。……手伝ってくれるか? フェリーテ」
フェリーテが軽く首を傾げた後、アルドの壊れていない方の腕を取って、キスをした。
優しくも、儚くも、それは彼女を感じさせてくれた。
動揺で表情のブレが抑えきれないアルドを尻目に、フェリーテは唇を腕から離した後、穏やかに微笑んだ。
「主様の為ならば世界を相手取る覚悟じゃ。手伝ってくれるかなど今更な事を聞くでは無い。怪物でしかなかった妾を愛してくれる、この世で只一人の最愛の人。その者が求めるとあらばそれに応じるのが部下で在り―――妻、という奴であろう?」
微笑みで隠してはいるが、『妻』という言葉に、彼女もわずかばかり赤面していた。幾ら彼女とは言えども、流石にそこは恥ずかしかったようだ。
「さて。妾は皆の所へ行くとしよう。侵攻は明日なのじゃし、主様は療養せんと」
フェリーテが腰を上げ、立ち去ろうとした―――
「―――――フェリーテ」
「む? なんじゃある―――ひゃんッ!」
普段落ち着いている彼女が、こんな可愛らしい声を上げるなんて誰にも予想できない事だろう。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ主様ッ? いい一体何を―――」
背中から最愛の人に抱き着かれた故か、真っ赤に顔を紅潮させて、珍しく動揺しているフェリーテ。心臓が高鳴る音が聞こえるが、それは自分も同じ事だ。こんな事したのは……知っての通り、初めてだ。された事はあったが、自分から行ったのは……彼女が初めてだ。
「フェリーテ」
「なな……何じゃ」
こんな事、自分がするなんて思ってなかった。恋が怖くて愛が怖くて、恋愛についてはとんちんかんで。だから生涯する事は無いと思っていた。
カテドラル・ナイツの皆を、自分は愛している。キスだって出来るし、それ以上の事も吝かでは無い。 だがするつもりは無かった。奪還が終わるまでは、少なくともそうだった。
アルドは自身の唇をフェリーテの首筋へと近づけて―――そっと。ゆっくりと。キスをした。
衝動的で、先に繋がる意味は無い。こんな事をしてしまうなんて自分らしくないが―――自分は彼女に恋してしまった。愛しながらも恋してしまった。
その気持ちを伝えられる言葉は見つからない。自分が言える言葉は、実にちっぽけでありふれた言葉。
「お前の事が大好きだ」
ぎゅっと抱きしめて気持ちを伝える。壊れた片腕は力の入る範囲で力を入れた。意味があるかは分からない。どうしてこんな時に、なんて見当もつかない。
いや、それも嘘だ。自分が今こうしているのは、彼女と再会した時に、自分の気持ちをはっきりと伝える為。自分はカテドラル・ナイツを愛している、と。フェリーテに恋している、と。
そんな事情を抜きで説明しろといわれれば、それは実に容易い事だ。アルドは、今まで恐れていた事を遂にやったのだ。自分の気持ちを、自らの意思で伝えたのだ。
「やっと伝えられたな……お前達の意思を受け取ってばかりで、情けなかったというか……ともかく、初めて返答できたな。これが私の、気持ちだ」
「あ……え……………ぬ…………」
「私を一途に想ってくれる奴が敵でもぶれないように、なんてせこいのかもしれない。でも逆なんだ。私を一途に想ってくれる奴が敵でもぶれないように、お前に気持ちを伝えるのではなくて、お前に気持ちを伝える事で、私を一途に想ってくれるような奴が敵でもぶれなくなるんだ。本心、と言ってもいい。私達はお互いに気持ちを伝えあった事があるが、あの時の私はこうも積極的には言わなかったし、お前が最初だった。言う必要はなかったのかもしれないが……最初に言っておきたかった。カテドラル・ナイツを等しく愛している私だが、それでも最初に……お前に言っておきたかった。……すまない」
「――――――フフフ。少しばかり動揺したが、最後の謝りで台無しじゃよ。やはり主様は、気持ちを伝えるのが苦手なご様子じゃのう」
「……すまない」
「これこれ謝るでない。主様は確かにそういうのが苦手じゃが、その気持ちは……少し嬉しかった……ぞ?」
駄目だ。お互いに恥ずかしがって妙な雰囲気になっている。メグナでもいれば滅茶苦茶になるのだが、ここは私室である。
何とも言えない雰囲気を破ったのは、フェリーテだ。
「のう、主様」
「何だ」
「もう少し、このままで居させてくれんか?」
「……ああ」
彼女の為とあらば仕方が無い―――いや、そう言うのは無しだ。彼女の言葉を聞くのは自分の為。
自分も、彼女ともう少しだけ、この時間を―――
実力? あったら嬉しい。
大見得を切ったはいいが、別に必勝の策など思いついていない。これは……そう。あえて自分を窮地に追い込む事で実力を引き出すと言う荒業だ。そういうモノだと思っておいて欲しい。
冷静に考えれば、何匹も来られると手に負えないのは確かだ。ならば何であんな事を言ったかというと―――こいつは一人だと確信を持っているからだ。
この『犲』はどうやって自分達の後ろを取った? あの道を使わなければそれは絶対に出来ない。隠し道を全て把握しているとは思えないし、ならばどういう事か。
つまり、この魔人は自分達の後から来たのだ。追跡していたか、それとも単に戻って来ただけかは知らないが、それだけは確か。だから自分達の後ろを取る事が出来た。魔人は連携を良しとしないし、この一本道だ。自分一人で十分だとでも思ったのだろう。愚かな話だ。広い場所なら確かにこいつが有利だろう。だが―――
「フンッ!」
魔人が軽く力を入れると、アルドの持っていた剣は、爪との接地面から綺麗に分断。武器としては使い物にならない程に短くなってしまった。
にやりと笑う魔人。その笑いは勝利を確信してなのだろうが……
魔人が自分を切り裂かんと、爪を振り上げると同時に、使い物にならなくなった武器を放棄。がら空きになった魔人の胸に、鋭い一撃を叩きこんだ。
「何だあ、そのいちげッ……グハッ!」
人間如きの拳に怯んだ魔人は隙だらけ。アルドは更に距離を詰めて、顎や鳩尾と言った急所に拳を叩きこんでいく。
「………糞がッ!」
首を狙って大振り。後ろに下がって回避したが、距離を取らせてしまったか。
「てめえ……何者だッ」
「『何で人間如きの拳が俺に効くんだ?』って顔をしてるな。だから言ってるだろう、舐めるな、と」
武器が使えない状況でどうするか、という演習をやった事がある。大抵の、というか全ての騎士は魔術を行使していたが、魔術を行使出来ないアルドにはそれが出来なかった。
故に拳を鍛えた。魔人の体は強靭だ。表面への攻撃は通じない。内部に全て通るような、脆弱な部分を全て破壊するかのような、そんな戦い方を開発してきた。独学で何年も何年も。
結果は報われた、と言えるだろう。剣を使っても誰にも勝てないのだ、一度も勝った事はないが―――驕っている奴にすら通じない程弱くは無い。だから魔人を圧倒できる。
もっと言えば、ここの地形もそれに一役買っているだろう。ここは一本道。相手に攻めるならば前に進む以外に方法は無く、だからこそ超速で動き回る魔人にも対応できる。前から来ると分かっているからこそ、、という奴だ。
未だ攻撃が大振りな所を見ると、まだ驕っているらしい。これは好機だ。このまま……仕留める!
「くそッ、ガッ!」
「俺を……殺したかったらッ」
回避の勢いを利用して放った裏拳が、魔人の顎を打ち抜いた。頭部が揺れて意識が揺れる。体制の維持は困難を極め、やがて倒れてしまう。
魔人が倒れ込んだことで壁にはより深い裂罅が入る事となった。あまり崩れてほしくは無いが……
「その手加減をどうにかしやがれッ」
放たれた拳は頬骨に沈む。骨は歪み、意識は割れる。壁中に埋もれる魔人の半身に押されたか、ギリギリまで壁を維持していた素材は崩壊を始めて、瞬間、半身を覆い隠した。
ここで攻撃を止めてしまえば魔人の思うつぼ。手加減はしない。こいつとは違う。
唯一埋もれていない魔人の下半身を見つめた後、アルドは静かに足を上げて―――それを踏み抜いた。
「―――――― ―――――― ――――――ッ ――――!」
上半身が異常なまでに震えて、もがいているが、声は埋もれて聞こえない。しかし睾丸を踏みつぶしてもまだここまで暴れる事が出来るとは、やはり拳はあまり効いていなかったようである。
本気を出させるつもりなど毛頭なかった。勝ち目が無くなるような事はするつもりがない。これは戦いだ。わざわざ本気を出させるために待つなんて悠長な事はしていられない。している余裕が生まれる程アルドは強くない。
だから魔人がこちらを見下し、手を抜いているその隙に殺す。一度距離を取られたのがまずかったが、それでも驕りが治らなかったのは僥倖でしかない。
震えたのは最初の数秒だけで、やがて魔人は沈黙した。面倒な戦いはどうやら避けられたようだ。
内通者の方を見遣ると、やはり声でバレるのはまずいのか沈黙を決め込んでいた。だが王女様を数歩前に下し、後ろに下がっている所を見ると、返してくれるのだろうか。
「アルド。悪趣味だなお前は」
自分の言う通りに目を離さなかったのはいいのだが……傍から見れば、背後で戦いが起きているにも関わらず微動だにしない男のようにも写る。この戦いで一番得しているのは彼では無いのだろうか。
「潰れる音が聞こえたならそれは失敬。そんで、この男どうするんだ?」
「見逃す訳にも行かないからな。連れて帰る事にするよ」
アルフは男に近寄って、その頬を掴みあげた。
「お情けで顔をここで晒すのは勘弁しといてやる。だけどテメエは一生牢獄の中だ、覚えておくがいいさ」
男を壁に叩きつけて気絶させた後、アルフは意識の無い王女を見つめた。
「王女様はお前が連れ帰ってくれよな。実質協力者はお前だけだし、言いそびれていたが俺に命令した奴さんは王様だ。……言いたい事は分かるよな?」
「王女の頼みを聞いてやるなら、国に借りを作っておいた方が立ち回りやすいという事だろ」
国も馬鹿では無い。王女を攫うような奴は大罪人だが、証拠や告発が無い限りは英雄に疑惑の目を向ける事はないのだ。アルフが言いたいのはつまりそういう事だろう。
男の体を引きずりつつ、アルフは階段を上っていく。その背中を追いかけるように、アルドもまた王女を両手に上っていく。
……しかし。
幾ら何でも幸運が過ぎる。まずどちらかの生還が不可能と思われた元迷宮で無事生還はともかく、偶然にも隠れ道を見つけ、更に偶然な事にここは内通者の男が使おうとしていた隠れ道であり、更に偶然な事に後ろから魔人が一人。
何より不自然なのが、魔人がそこの死体以外に誰一人としてこない事だ。壁が崩し、男の逃げ道を塞いだ。いい案だが、破壊という行為から生じる壁の為、必然的に音が発生する。音が発生すれば間違いなく魔人は嗅ぎつけるだろうし、『犲』ならば間違いない。岩の積もった壁だって破壊してくるだろう。
だが魔人はそこの死体しか来なかった。
内通者は魔人と一緒に王女を攫っていて、最深部に助けが来た場合は、隠れ道を使って内通者が地上へ。向かおうとする奴らを魔人が阻む……というモノだと推理したが、間違っていたのだろうか。今回のこれがここまで上手く行ったのは偏にアルフのおかげだが、それが無かった場合、即ち律儀に最深部に行っていた場合はどうなったのか。何も居ないなんて事は……まさかこんな事になるなんて誰も思ってなかっただろうし、内通者の思考にも例外は無い筈だ。最深部にくると思っているのならば……やはり魔人のような警護は必要の筈だ。
内通者自身が相当な実力者で、魔人の警護なんて要らないという可能性も……無い。そんな実力者ならばアルフをどうにか出来た筈だ。
……そういえば、アルフの友達とやらの死体を確認しなくていいのだろうか。アルドの推理が正しければ王女と一緒に居た筈で、この階段から内通者が上がってきたと言う事はつまり、この下には死体が在る筈なのだが……
少しややこしいが、今は良しとしよう。王女様を取り返した事だし、今は国に帰る事が先決だ―――
「帰ってきたら私は英雄扱い。その時の夜は城で宴ときたモノだ。王女様……ああ、つまり今の女王様にも随分と気に入られて大分振り回されたが―――これで事件は幕を下ろした。彼女は気が変わったようで、自分を攫うのは取り消しだと言ってくれたし、これで私と彼女の関係は終わりの筈だ……ったがな。その際に約束を交わしたのだ」
「ふむ……如何なる契りじゃ?」
「『たとえ終焉訪れる時でも構わない。もう一度、私の目の前に現れてほしい』だったか。それから私は何回かあの大陸を訪れたがな。約束を果たそうとは思わなかった。……それが原因なのかもしれないな、アジェンタ大陸の奇妙な特性は」
フェリーテは思考を読んでいるのでこの言葉の先を知っている。が、言葉にするべきだろう。アルドはこれに向き合わなければならない。彼女の真っ直ぐな思いには応えなければならない。
常識が上書きされたと表現し、何故か自分には効いていないとも表現した。気づいていないふりをしていたが、それも今日まで。
もう目を背ける事は許されない。
「彼女は元々年上が好きだった。だけど私以外に目を向けたくなくて、だから自分の年齢を最高齢として、それ以上は身分も何もない奴隷とした。たとえ他大陸の年上で、奴隷という扱いでは無くても、それくらいの価値だと判断した。奴隷には目を向けないし、年下には興味が無い。だから私だけを見ていられる……そう思ったんだろうな」
あの城には不老の霊薬があった。代々引き継がれてきた薬らしいが―――彼女の年齢が変わっていない辺り、使ったという事なのだろう。アジェンタの特性、即ち、十五歳より上は奴隷という常識が変わっていない辺りから、それが分かる。
彼女は自分の時間を止めてまで、会いたかったのだ。自分に。それをどうして知っているかはなんて決まっている。アジェンタの民の一部は、口をそろえてこう言うのだ。
『女王は誰かに恋をしている』
恋は人を美しくする。だから女王は美しいのだ、と。そしてそんな女王に惚れる人は多いし、だからこそ国はそれなりに安定していた。国と言えるくらいは安定していた。
アルド達が侵攻を掛けなければ、それなりに安定した毎日が流れて行ったのだろう。
「彼女の想いには応えてあげられない。だがあの時交わした約束は果たすべきだ。明日はアジェンタ大陸に侵攻を掛ける。目指すは首都、狙いは崩落だ。……手伝ってくれるか? フェリーテ」
フェリーテが軽く首を傾げた後、アルドの壊れていない方の腕を取って、キスをした。
優しくも、儚くも、それは彼女を感じさせてくれた。
動揺で表情のブレが抑えきれないアルドを尻目に、フェリーテは唇を腕から離した後、穏やかに微笑んだ。
「主様の為ならば世界を相手取る覚悟じゃ。手伝ってくれるかなど今更な事を聞くでは無い。怪物でしかなかった妾を愛してくれる、この世で只一人の最愛の人。その者が求めるとあらばそれに応じるのが部下で在り―――妻、という奴であろう?」
微笑みで隠してはいるが、『妻』という言葉に、彼女もわずかばかり赤面していた。幾ら彼女とは言えども、流石にそこは恥ずかしかったようだ。
「さて。妾は皆の所へ行くとしよう。侵攻は明日なのじゃし、主様は療養せんと」
フェリーテが腰を上げ、立ち去ろうとした―――
「―――――フェリーテ」
「む? なんじゃある―――ひゃんッ!」
普段落ち着いている彼女が、こんな可愛らしい声を上げるなんて誰にも予想できない事だろう。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ主様ッ? いい一体何を―――」
背中から最愛の人に抱き着かれた故か、真っ赤に顔を紅潮させて、珍しく動揺しているフェリーテ。心臓が高鳴る音が聞こえるが、それは自分も同じ事だ。こんな事したのは……知っての通り、初めてだ。された事はあったが、自分から行ったのは……彼女が初めてだ。
「フェリーテ」
「なな……何じゃ」
こんな事、自分がするなんて思ってなかった。恋が怖くて愛が怖くて、恋愛についてはとんちんかんで。だから生涯する事は無いと思っていた。
カテドラル・ナイツの皆を、自分は愛している。キスだって出来るし、それ以上の事も吝かでは無い。 だがするつもりは無かった。奪還が終わるまでは、少なくともそうだった。
アルドは自身の唇をフェリーテの首筋へと近づけて―――そっと。ゆっくりと。キスをした。
衝動的で、先に繋がる意味は無い。こんな事をしてしまうなんて自分らしくないが―――自分は彼女に恋してしまった。愛しながらも恋してしまった。
その気持ちを伝えられる言葉は見つからない。自分が言える言葉は、実にちっぽけでありふれた言葉。
「お前の事が大好きだ」
ぎゅっと抱きしめて気持ちを伝える。壊れた片腕は力の入る範囲で力を入れた。意味があるかは分からない。どうしてこんな時に、なんて見当もつかない。
いや、それも嘘だ。自分が今こうしているのは、彼女と再会した時に、自分の気持ちをはっきりと伝える為。自分はカテドラル・ナイツを愛している、と。フェリーテに恋している、と。
そんな事情を抜きで説明しろといわれれば、それは実に容易い事だ。アルドは、今まで恐れていた事を遂にやったのだ。自分の気持ちを、自らの意思で伝えたのだ。
「やっと伝えられたな……お前達の意思を受け取ってばかりで、情けなかったというか……ともかく、初めて返答できたな。これが私の、気持ちだ」
「あ……え……………ぬ…………」
「私を一途に想ってくれる奴が敵でもぶれないように、なんてせこいのかもしれない。でも逆なんだ。私を一途に想ってくれる奴が敵でもぶれないように、お前に気持ちを伝えるのではなくて、お前に気持ちを伝える事で、私を一途に想ってくれるような奴が敵でもぶれなくなるんだ。本心、と言ってもいい。私達はお互いに気持ちを伝えあった事があるが、あの時の私はこうも積極的には言わなかったし、お前が最初だった。言う必要はなかったのかもしれないが……最初に言っておきたかった。カテドラル・ナイツを等しく愛している私だが、それでも最初に……お前に言っておきたかった。……すまない」
「――――――フフフ。少しばかり動揺したが、最後の謝りで台無しじゃよ。やはり主様は、気持ちを伝えるのが苦手なご様子じゃのう」
「……すまない」
「これこれ謝るでない。主様は確かにそういうのが苦手じゃが、その気持ちは……少し嬉しかった……ぞ?」
駄目だ。お互いに恥ずかしがって妙な雰囲気になっている。メグナでもいれば滅茶苦茶になるのだが、ここは私室である。
何とも言えない雰囲気を破ったのは、フェリーテだ。
「のう、主様」
「何だ」
「もう少し、このままで居させてくれんか?」
「……ああ」
彼女の為とあらば仕方が無い―――いや、そう言うのは無しだ。彼女の言葉を聞くのは自分の為。
自分も、彼女ともう少しだけ、この時間を―――
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