ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

姫を返せと騎士は言い

 姫を返せと騎士は言い。
 であらば殺せと魔物は言う。
 姫は騎士の胸の中。醜き魔物はもう居ない。
 騎士は姫に問うてみる。
 この刃、誰が為に振るべきか。
 ―――それはきっと、貴方の為に。




 二人の眼前に佇む迷宮は、異様な雰囲気こそないものの、背中の辺りを駆け巡る悪寒を二人に感じさせた。
 嫌な予感がする。弱者が踏み入れてはいけない醜悪なる空間。ここから先はけっして生きて帰ってはこれないような、そんな予感。
 しかし考えている暇など何処にあろう。こうしている間にも王女は身体を遊ばれているかもしれないと言うのに、騎士であるアルドが迷う理由が何処にある。仮の主君であったとしても、それは主君。主君が危機に晒されているならば、そこを救うは騎士の役目。
 妹との約束もある。死ぬわけには行かないが……迷っている訳にも行かない。
「アルフ。準備はいいか? きっと両方生還する事は無いと思うぞ」
「へえ。お前には妹がいるから、じゃあ俺に死ねってか? いいね、そりゃ最高だが、てめえが死ね」
 冗談になるかも分からない言葉を交えつつ、二人は足を踏み入れた。






 幽鈴迷宮。それは樹木と霧に包まれた、この世のモノとは思えない雰囲気を発す遺跡……なのだが、現在その迷宮の機能は停止しており、今では只樹木に侵食された遺跡だ。どうという事は無い。これと言ったトラップも無いのならば、異常に広い事以外は恐るるに足らない。まあ内通者と共に魔人も居るだろうし、油断は出来ないが。
 暫くは一本道だったが、やがて道は分かれ始めた。左か右。どちらが正しい道なのか。
「左か右か。お前はどっちに行く?」
「―――ハッハ。いいか、アルド。今はその機能が無いとはいえ、ここは元迷宮だ。目で見える道を行った所で、最奥部には辿り着けねえ」
 アルフは手首を曲げつつ、壁の前に立つ。左でも右でもなく、彼は前を選んだ。愚かとしか言いようがないが、迷宮故に彼の言い分にも一理ある。
「我が拳は烈火の如く。渇き、飢え、潤いを求めし屍なりは我が体。聳えし城をみつめし瞳は鋼矢の様に、穿ちを見ては只笑う」
 拳に収束した魔力は焔を発現させた。込められた魔力量は周囲の歪を見れば理解できる。
「『穿火ソードホールの拳ブラックアウト・オプション』」
 劫火を纏いし矢のように。あまりに鋭いその一撃は、偽りの壁を容易く貫く。
「……………な? 迷宮はこういうもんなんだよ」
「ああ、それはいいのだが……」
 威力が少々過剰すぎたようだ。その先に隠れていた通路すらも丸ごと滅却した。通路を遮っていた樹木の根が消えたため、かなり通りやすくなったと言えるが、調整を間違えば通路すら消えていた。
「立てるか?」
「舐めてもらっちゃ困るな。一応手加減はしたから、後二発くらいは持つぜ」
「天性の魔力量を持っていると言われただけはあるな」
 常人の二十倍はあると言われるアルテゼライ・フーテゼライの魔力容量。自分の体質は理解しているため、実質はアルドの方が上なのだが、魔力が引き出せない以上、引き合いには出せないだろう。それにこの体質を知っているのは自分だけで、信じてくれたのは妹だけだ。まあ魔力だけは感じ取れるが引き出せないなんて阿呆みたいな話、身内以外は信じないだろう。
 当然ながらアルドに対しての皆の認識は、魔力を引き出せない体質の落ちこぼれとなっている。
「天性だか何だか知らないが、使いこなせなきゃ宝の持ち腐れだぜ。さあそんな事はどうでもいいんだ。早いところ行くぞ。どうやら俺達は神様に愛されたみたいだからな」
 アルフの指先は開かれた通路へと向けられている。何かと思い目を凝らすと、
「……確かに愛されているみたいだ。失敗できそうにないな」
 アルフの指す方向には階段が。最奥への近道であり、迷宮における良心。
僥倖だが、こうなった以上は絶対に助けなければ。




 内通者からしてみれば予想外だろう。まさかこんな近道をしてくるなんて考えもしない筈だ。
 実はアルドは一つの可能性について危惧していた。それは迷宮内でもたついている内に、魔人が内通者を逃がしてしまうのではないか、と。或いは迷宮の構造を利用して、上手い事すれ違いざまに作戦を決行するとか。そう言った最悪の可能性について考えていたのだが……階段を見つけた事でその心配は無くなった。
 階段は奥の奥まで一直線に伸びており、抜けた先はおそらく最奥。間違っても最悪の事など起こり得ない筈―――
「……止まれ」
 先を歩くアルフが手で制してきたので、従う。何が起きたのかは分からないが、それは止まる事で初めてアルドの知るところとなった。
 奥の方から、こちらの方に近づく音がする。カツンカツンと響く音。間違いない。人の足音だ。それもかなり長身の。
「どうする?」
「どうするも何も……決まってるだろ」
 互いに視線を交錯させ、頷く。やる事は一つ。小細工も奇策も必要ない。これは何をどう考えても内通者の足音だ。であるならば―――
 突撃するのみ。
 アルドより数歩素早くアルフが駆け出した。向こうの人間も足音に気づいて身を翻したが、もう遅い。
「『迸血ソードホールの拳ブラッドアウト・オプション!』」
 アルフが左右の壁に両の拳を叩きつけた。
 刹那、左右の壁にビキリと裂罅れっかが入る。それを合図に壁は崩壊を始め、罅を広げた。当然ながらその速度は人間が上回れるモノでは無い。
「逃げられると思うなよ……!」
 迸血の拳。それは周囲に罅をつくり、魔力を流し込む事で、任意の場所を崩壊させて相手を追い詰める技である。
 向うの人間の眼前に、崩落した壁が積もり始めた。瞬く間にそれは壁となり、向こうの人間を追い詰める。何故それが分かるか? アルフの攻撃は正確無比だ。信じるに値するか何て聞くまでも無い事であり、疑う余地は無い。
 さて、後一発か。アルフも中々豪快に使うモノだ。
 壁との接地部位から血が滴っているが、彼も気にはすまい。
「行くぞ」
 心配する必要はやはりなかったようだ。




 崩落した壁に片は塞がれて、片はアルド達に塞がれて。内通者は半ば諦めたのか、動こうとはしなかった。その両腕には王女様が抱かれていて、察するにどうやらこれから運ぶところだったようだ。
 これこそまさに僥倖。こんな道を通られたらたとえ迷宮をくまなく歩いたとしても、すれ違いは免れなかった。王女が地上に出た時、自分達は最奥で……なんて間抜けな結末もあったのだ。良しとするべきだ狼。
 内通者は全身に黒いローブを被っていて、顔は見えない。その代り、きつく縛ったローブがその体型をはっきりと表してしまい、仮にここで取り逃がしても、容易に捕まえられる事が出来る。馬鹿だ。切れ者と言えば切れ者だが……姿を隠した事が裏目に出ている。
「王女様を返しなさいな内通者さん。俺はいいとしても、こいつが何をするか分からないぜ」
「……」
 喋るつもりは無いが、当然か。声で判別されてしまうのだし。
「王女を返せ、外道……三秒以内に帰さなければ、この拳が貴様の全身を穿ち砕く」
 男は完全に追い詰められている。逃げ場も無く、抵抗のしようもない。
 さて……どう出るか。
 念の為五感を澄ますが、何も聞こえない。周りには誰も居ないようで、助けもおそらく来ないだろう。
「三」
 男の手が震えている。帰すべきかどうか迷っている様だ。ここまで追い詰められて尚も戸惑う辺り、動機は生半可なモノでは無い。強い動機だ。
「二」
 腰の剣に手を掛ける。意味は無いが……嫌な予感がするのだ。今までの経験から察するになんて、そんな曖昧なモノで申し訳ないのだが、本当に嫌な予感がするのだ。あの男はアルフに任せるとして、自分は警戒に努めなければ。
「一」
 ここで取り逃してしまうのは正直な話、かなりまずい。幾ら後で特定できるからと言って、その時に殺してしまえば大罪だ。出来る事なら今ここで、或いは帝国に着く前に、何とかしたい。
「ゼロ―――」
 悪寒こそないが、静かな死が背筋を撫でた……ような気がした。アルフは気づいていない、が―――
「―――ハァッ」
 身を翻すと同時に抜刀。抜き放たれた刃は、鋭利な爪と衝突し、甲高い金属音を奏で上げる。
「へえ! 俺の夢影法に反応できる奴が居るなんてな。それもまさか人間……如きにな」
 金属のような鋭さと硬質さを持ち合わせた爪。強靭な体。人間を見下したその口調。
 ―――『犲』の魔人。
「……アルフ。そいつから眼を離すなよ。俺はこいつを葬るからさ」
「大丈夫か? 魔人だし、個なのは確かだが、お前を殺さんと、連携は組まずに個別に来るかもしれないぜ?」
「十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭。或いは不可説不可説転。何人来ようとも構わんよ。妹との約束を破る訳には行かないからな」
 それがあまりにも馬鹿げた自信だという事は、この場の誰しもが理解していた。
 だがアルドは本気だった。妹との約束は破る訳には行かない。その為ならばどんな数でも相手にする覚悟があった。
「さあ来いよ『犲』君。お前が見下す人間の強さを見せてやる。『如き』なんて舐めて掛かってたら―――お前、死ぬぞ」





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