ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

忘れがたき任 ~3  意味不要の行為

 船の構造からして分かる事だが、王女の部屋だってそう広い訳じゃない。本当に簡素なベッドがあるだけで、壁や天井の汚さは船の中でも随一。本当に掃除しているのか疑わしい限りである―――
 いや、そうか。何を勘違いしていたのだろう。ここは王女の部屋だ。ならば確かに掃除が出来ない……非常に馬鹿げていると思うし、ありえないと思うのだが、おそらく真実だ。
 つまり、アジェンタの護衛共は、畏れ多くてこの部屋に入れず、掃除が出来なかったのだ。尤もそれは怠慢であり、アルドから言わせれば、掃除をしなかったと言いたい。畏れ多いからと言って掃除をしないのでは、それこそ王女への侮辱だろうに、一体今は亡き子供達は何を考えていたのだろうか。というか、そんなに畏れ多いならば、王女を乗船させる前に掃除をしておけばいいだろう。段取りがかなり悪いが、他人に会いたくないあまり彼等を派遣させた大人が悪いし、彼等に罪は無い。……死者だし。
 まあそれはそれとして。アルドは視線を左右に揺らしながら、在る筈のない雑巾を捜し続ける。ここまで汚いと期待の一つもしてしまうが、思った通り、雑巾なんて無かった。在る訳がなかった。期待なんてするだけ無駄。分かり切っていたが……ため息の一つくらいは許してほしい。本当に期待はしていたのだ。
 何故か居るはずの王女からの反応が無いが、それは僥倖だ。自分を嫌っているような人と話すつもりは無いし、それがお互いの為だ。アルドはドアノブに手を掛けて、外に出ようと―――
「待って」
 この薄汚い空間だからこそ響く声。無垢とでも言えばいいか。こんな汚い所から出ていい声では決してなかった。
「……王女様、よそ者の俺に一体何の用でしょうか?」
「話がしたいの。こっちに来てくださらない?」
 くださらない? やけに丁寧な口調だ。他人を嫌っている大陸の王女とはとても思えない位、物腰も柔らかいような……え?
 戸惑いのあまり動きを止めてしまうが、あんな頼まれ方をされると断れない。ドアノブから手を離して、身を翻した……
「俺如きに貴方様の相手が務まるとは思えませんが、それでも……」
「お願いします。貴方と話がしたいの」
 ……違和感は増すばかりだ。こ、これが王女? 他のモノと違って何だかすごい―――フレンドリーというか。
 まあいい。無駄なあがきに意味は無いのだ、無駄なのだから。諦めたようにアルドは歩き出し、声の方向……ベッドへと向かう。
 一体どうして王女はこんなに友好的―――と思ったが、その原因は直ぐに分かった。これは勘違い。所謂、先入観から来た思い込みだったのだ。
 アジェンタ大陸の人間の大半は、他大陸の人間が嫌い。つまりその国の王様の娘である王女様も同様である。そういう先入観を持っていたアルドの勘違いで、実は王女は他大陸の人間が嫌いでは無いのだ。……多分。
「……それで、人を呼びつけておいて布団に籠っているのは、何故でしょうか」
「……ごめんなさい。私、人と話すの、怖いの。お願いだから、せめてこういう形で話をさせて」
 どうやら他人嫌悪では無く、対人恐怖症の様だ。他の者よりはましと思うか? それは正常な反応だろうが、それは、同郷の者にも適用される。
 ……そうだったか。畏れ多くて入れないのではなくて、彼女が対人恐怖症故に入る訳には行かなかったのか。ならば仕方―――無い訳がない。そういう理由なら、やはり王女を乗せる前に掃除をしておけばいい話だ。
「そうですか。そういう事なら仕方ありませんね。それで、俺に何か用でしょうか」
 偉そうにふんぞり返る者は好きではないが、ここまで丁寧に頼まれては否定はできない。別に自分も王女の顏が見たい訳じゃないし、自分の顔を見てほしい訳でもないし、否定する理由はなかった。
「用って程じゃないけど……その、ねえ、外がさっきまで騒がしかったけど、もしかして襲撃?」
「ええ。幸いにも彼等は帰ってくれましたがね。御蔭で警備にもならない子供達が全員死にましたよ。まあ貴方が攫われないだけ、国からすれば良かったんでしょうがね」
 皮肉気に事実を言ってみたが、王族さえ生きていれば他の警備がどうなろうと知った事では無いという考えは別段珍しいモノでもない。勘違いしないでほしいが、自分の任務は魔人の討伐だ。断じてこの王女の警護なんて任務では無い。共に居る以上は守るが、それ以上は知らない。そういう任務では無い。
「……ねえ」
「はい?」
「もし、なんだけど。もし……その海賊は、実は私が仕組んだって言ったら、貴方はどうする?」
 表情は見えないが、その言葉にはどこか不安な感情が窺えた。どういう意味で言っているのかは知らないが、嘘を吐く理由もないし、正直に答えるか。
「どうもしませんよ。そもそも俺の任務はアジェンタの魔人の討伐ですし。たとえ貴方が自演行為をしようが、何をしようが知った事ではありません」
「―――貴方、名前は?」
 聞かれて不味い事など無いが、アルドの鼓動が瞬間、高まる。どうして顔も知らぬ他人の名前を聞くのか。同年代せんぱいに何度も嵌められた経歴故、その意図を深読みをしてしまう。
 だが少し考えれば分かる通り、彼女にそんな意図は無いのだろう。どうしてこんな事で、と安堵の笑みを浮かべた後、アルドは平淡に答える。
「アルド。アルド・クウィンツですよ」
 ワルーグの名前は好きでは無い故本名を名乗らせてもらった。まあ、嘘はついてないし、信用度は高いだろう。
 彼女からの返答は数分後の事だ。尤も、それはアルドにとっては災難であり、まさに波乱の幕開けともいえる 一言であった。
「私を攫ってくれない?」






 港についてからは迅速に王女の運び出しが行われた。アジェンタの兵士たちは自分等見向きもせずに、王女の部屋へと入っていく。流石に大人なだけあって、王女の心内などは知った事では無い様だ。対人恐怖症という事も、おそらく知らない、或いは知っていて無視しているのだろう。可哀想だとは思うが、何も出来ないので助けるつもりは無い。だが―――あの頼みだけは、聞いてもいいかもしれない。




「貴方を攫う? ですから俺の任務は魔人の討伐であって、決して警護などでは」
「それでいいの。魔人は首都にも襲撃を掛けているから、貴方が頼みを引き受けてさえすれば、全くの不可能じゃない。ね、事情は話すから―――」
 アルドが疑問に思っていた点は、彼女の説明によって解消された。
 まず、彼女がどうして自分と同じ船に乗っていたか、という事だが、どうやら彼女は生粋のアジェンタ民ではなく、フルシュガイドにおける美人が多い村から連れ去られてきたのだそうだ。では今まで居た王女はなんなのかという事だが、それは飽くまで空席であり、いずれは自分を連れてくるのだから、予め王族たちがその枠を作っていた……という事らしい。即ち、今現在知られているアジェンタの王女は架空の人物であり、その中身を埋める事になるのが彼女、という事。
 無駄話になるが、王族の教育は道中で無理やり受けさせられていて、反抗した事は一度も無いそうな。従わなければどうなるか……まあ、女性という時点でお察しが付く。
 だったら何故警備が大人では無かったのかという話だが、自分という存在の介入故に仕方が無かった―――予想通りだ。魔人に困っているのは本当で、それ故自分の派遣を断る訳にも行かなかったアジェンタの大人共の苦渋の決断、と言った所だが、実にアホらしい。その他人嫌いはいい加減なんとかならないのだろうか。
 次に海賊についてだが、実を言えば連れ去られるずっと前に、異様に鍔の長い帽子を被る男に警告されたのだそうだ。その時、助けてくれるように男に頼んだところ、男は快諾してくれた……らしい。それを含めて考えると、王女様を狙う気などさらさらなく、海賊は警備を全員殺す事が目的だったのだろう。本来はその船を報酬として海賊に渡すと同時にどこか安全な場所に運んでもらい、そのまま他の大陸に隠遁する気だったらしいが、不幸にも事情を知らぬ自分が居て、そのせいで計画が狂った……
 すみませんね、本当。
 そしてその男とはもう連絡が取れないので、代わりに助けてほしい……というのが彼女の頼みらしい。 勿論本来の任務である魔人討伐はやってくれて構わない。だがその際に、自分も連れ出してほしいのだそうだ。浚われた偽りの王女とは言え、王女の扱いを受けている以上王女であり、それを連れだす事は極刑モノの大罪となる。こんな年端も行かぬ少女を浚うなど趣味では無いし、第一大罪になりかねない行為の何処にメリットがあるのやら。だが声から分かる通り、彼女は本当に必死だ。そんな彼女の頼みを無下に出来る程、自分は厳しくない。
 頼みについての返事は取り敢えず保留にしてもらった。流石に状況が状況で、アルドとしても「はいそうですか」と簡単に頷けるようなモノではないのだから。彼女は少し落ち込んでいたが、何も言わなかった。




 頼みを聞く気になった理由に、深いモノはない。助けを求められたから助ける。それだけだ。良く考えてみれば、深い理由で人を助けた事など只の一度も無かった。そのせいで酷い目に遭った事が数十回という実績は疑いようも無いが、こればかりは自分の性格だ。直しようがない。こんな性格が変わる時があるとすれば―――大切なモノを何もかもぶち壊されたときくらいだろうか。
 さて、迅速に返事は出すべきだが、あそこには他人嫌いのアジェンタが集まっている。今あの群れに突っ込むのは愚策であり、王女との関係性が疑われてしまう。周囲の人々の刺さるような視線を忘れつつ、アルドは港の外へ出た。彼女の言った事を信じるならば、魔人は首都にも攻撃を掛けている。首都に行けば歓迎こぶしを受ける事になるだろうが、王女もまた首都に行くのだから、会える機会があるとすればそこしかない。気は進まないが、これも人助けだ。頑張るとしようか。


 

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