ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

 忘れがたき任  ~1

 あの頃はようやく騎士団に入団出来た程度で、同年代は既に出世。先輩となっていた。そんな自分を見下す年下も多く、自分の事を多くが呼び捨てにしていた。煽りのつもりか、自分に魔術を教えようとする年下までいた始末だ。
 だがそんな事はどうでもよかった。そもそも他の騎士など見えていなかった。自分が目指すは地上最強、即ち、『勝利』だった。既に姿を消して何年か経っていた初代『勝利』。アルドは彼の背中を追うのに夢中で、他の騎士の挑発など、気にも留めていなかった。程度で言えば道端の石と同じくらい。散々馬鹿にされていたのもあって、もはや程度の低い挑発は、アルドからすれば環境音のようだった。
 今日も訓練場で訓練し、魔術で一方的に嬲られて、家に帰るや否や剣の練習。この時はまだ魔人が猛威を振るっていた時代だ。
 今日も明日も明後日も、明々後日しあさって弥明後日やのあさって五明後日ごのあさっても。ひたすらにアルドは剣を振っていた。自分にはこれしかなかったから。およそこれしか他を上回りそうなモノが無かったから。
 家に帰れば飯を食し、妹が務めから帰宅すれば労ってやる。望めば遊んでもあげた。それこそ只のじゃれ合いやら、ぬいぐるみやらと、決して豪華な家の暮らしではなく、遊びも相応のレベルだけれども。
 妹が喜んでくれるならそれでよかった。自分の疲れなど勘定に入れた事が無かった。
 妹が寝れば勉学に励む。やがて陽は上り、再び朝の訓練。そして城へと赴き―――と言った感じで、あの時は一か月の睡眠時間が十時間もないくらい死ぬ気で訓練をしていた。
 いつか最強になる為に。訓練を繰り返していた。そんな日々が続くと思っていた―――




「今の私からは信じられないと思うがな。それくらい必死だったのだよ。私は皆より一歩遅れている処の話では無かった。それくらいして、ようやく普通に訓練し、普通に睡眠する者共の足元くらいだった。私の体質が良い方向に働いたことなどエヌメラとの戦いの時しかない。普段はお邪魔でしかなかったよ。本当」


 三週間ぶりに睡眠をとった。というか取らされた。聖女である妹に、『お兄ちゃんが日々死にそうになりながら剣を振ってるのが見てて辛い』と言われ、彼女に抱かれながら強制的に眠らされた。強制とは言うが、嫌な気分じゃない。三時間も取らされたが、なら三時間余計に訓練すればいい話だ。
取り敢えず体を起こそうと力を入れるが、そこでやっと気づく。
「……イティスの奴」
 恐らくは土属性中位魔術だと思うのだが、体が拘束されて動けない。おそらく妹が目覚めるまでは、絶対に。
 実の妹には自分のする事が分かっているらしい。全く。最強になっても、彼女だけには勝てそうにない。
「お兄ちゃ…………私と……ずっと………一緒に…………」
 こんな駄目兄で良ければ、可能な限り一緒に居てやるよ。寝言に対して言葉は返さない。だが心内では、アルドはそんな風に返していた。
 所でイティスはいつ目覚めるのだろうか。大分暑苦しいのだが―――
「………………んにゃ? こぉは、ぇ……?」
 ボケてやがる。幾ら聖女と言っても、やはり朝は弱いモノなのか。……彼女の信者が見れば、それはそれはギャップで大騒ぎ―――じゃなかった。
「イティス、お前の仕業か。俺をこんな所に縛り付けて。まるで許す気は無いから早く解け」
「む、お兄ちゃん……? それが人にモノを頼む態度なの? いい? 頼むときは頭を下げて―――」
「頭すら下げられん程に縛ったのはお前なんだが、それについてはどう思う」
「むー……分かったよ、解きますよ」
 イティスは不満げに口を尖らせつつも、魔力を操作。直後に自分の体に纏わりついていたきつい拘束が解ける。
「やれやれ全く。世話の焼ける妹だ。それじゃあ俺は訓練でも―――」
 何かものすごい力がアルドの首を掴み、移動を阻害。
「待って。ねえお兄ちゃん、私最近料理の練習してるんだけど―――食べてくれない?」
 料理。それは上手いモノが作ればこその至高の趣味。下手なモノが作ればそれはもはや苦痛の概念そのものであり、味わった者は例外なく、地獄変を体験する事だろう。
 家の聖女様が前者だったら、さしものアルドも嬉しいのだが、生憎後者だ。
 聖女は希望を与えるのが仕事だろうに、絶望と地獄を料理で与えてどうするのだ。
「お前の牛の糞みたいな料理を喰えと言うのか、お前は死にそうになってる俺が見てて辛いと言うが、お前の料理を喰ったら、それこそ俺は死んでしまうぞ」
「お兄ちゃんったら、酷いんだから! ―――でも、お兄ちゃん、何だかんだで私に期待してるように見えるんだよね」
「は?」
 頭の病気にでもなったのだろうか―――いや、確かに期待している。酷い意味での料理の質には。
 イティスは嬉しそうな顔を浮かべながら、台所へ歩みを進めた。その右手は強く握られており、その先には嫌嫌付き合っているアルド。
「だから付いてきてね、……お兄ちゃんッ?」
 ここまで脅迫的なお兄ちゃん呼びが、かつてあっただろうか。
「―――! 待て待て。口を漱いだり、顔を洗ったり、やる事は残っている筈だ。まずは俺が先にやるからその間にお前は料理ァァァ―――!」
 尤もな事を言って逃げようとしたが無駄だった。ああ、厄日かもしれない……






「何……だと………!」
 アルドは驚愕を隠せずにいた。それは言うまでもない事だが、彼女の料理の腕前が、それはもう別人のように進化していたのだ。一体誰に教わったのだろうか。聞いてみたが、それを教えない事を条件に教えてもらったらしいので、何回聞いても無駄であろう。
「ね、美味しいでしょ私の料理ッ」
「……これは……凄まじいな」
 この肉の焼き具合にしろ、チーズにしろ、無駄に新鮮な野菜にしろ。一体なんだこれは。料理か? 料理なのか? およそ料理とは思えない、アルドにはこれが……芸術品か何かのように見える。誰だ、こんな神業を妹に教えた奴は。フルシュガイドの下手くそな料理人達に見せてやりたいくらいだ。
「……なあ、本当にどんな奴なんだ?」
「教えないでって言われたからダーメ! ……でもお兄ちゃんも知ってる人だよッ」
 自分が知ってる人……? 見当が付かないが……まあ誰かに聞いてみれば―――駄目だ。自分の周りの騎士は自分を下だと思っている。まともに答えてくれそうにない。
 余談だが、騎士たちの大半は、自分の妹の信者であり、好意を抱いている。だというのに、もし手料理がおそらく国の中で一番上手いだろう事を知ったら……ぞっこん処の話だろうか。とてもではないが、そんな温い程度では収まらない気がする。
 今妹を純潔たらしめていられるのは、実は自分の御蔭なのだ。騎士達をして、『アルドの妹である事だけが唯一の瑕』らしい。
 こんな嬉しい事があるものか。妹を守るのに、まさか自分の好感度が関わるなんて。
 騎士達にはどんどん自分を嫌ってほしい。そうすればするほど、彼等は妹に近づきにくいのだから。
「……お代わり貰えるか?」
「―――ふふッ、喜んでッ♪」
 目に見えて上機嫌なイティス。それはそうだ。今まで散々『牛の糞』だ、『糞がゲロ吐いたみたい』だ、『腐って虫が集っているリンゴの方がよっぽど旨そうだ』と、散々な言われようだったのだ。そんな自分が無心で頬張っている。作る側からすれば、これ程嬉しい事は無かったのだろう。
 ちなみに、母は居るが、いつもどこかに仕事に出ている。だからこういう光景は、特に珍しい訳では無い……料理以外。
 生まれて初めて至福の一時と言えるような時間を過ごせた。誰が教えてくれたかは知らないが、お礼を言いたいモノだ―――
 トントン。扉を叩く音だ。アルドを笑顔で見据えていたイティスが、直ぐに立ち上がり、足早に玄関へと向かう。
「どなたでしょうか?」
「騎士団長のリューゼイ・クラットだ。アルド・クウィンツに用があって来た」
 団長と聞くや否や、瞬く間に完食。リューゼイが扉を開ける時には、その皿には肉片の一つも残っていなかった。
「失礼、食事中だったか?」
「サー? 何の事でございましょうか―――所で、団長。用とは一体どのようなモノでしょうか」
「うむ……イティス様。席をはずしては貰えないでしょうか?」
 恭しく頭を下げる団長に、イティスも断りにくかったようだ。戸惑ってはいたモノの、大人しく外へ出た。


「それで、用とは?」
「何、大した事では無い。アジェンタ大陸で魔人が暴れまわっているという情報が在ってな。本来は助けを出せるほどこちらにも余裕はないのだが―――」
 この時は魔人達が猛威を振るっていて、人間は自分達の生活拠点を守る事だけで精いっぱいだった。次に来る言葉はもう読めてる。それは―――
「だが貸しを作るに越した事はない。今の所、特に何の任もついていない者はアルド、お前だけだ。行ってくれるな? 言っておくが、私はチャンスを作っているのだ。この任務が成功すれば、同僚もきっと、お前を見直すぞ?」
 ……成程。確かにそれは好機だ。魔人を相手にする事自体、かなり難儀なものだが……それは成長に繋がるだろう。
 迷う選択肢はありえない。誰に反対されようと行く覚悟だった。
「行かせてください!」
「そうかそうか。よく承諾してくれたな、アルド。出航は今から四時間後だから、フルシュガイド港に行けよ」
「はい、任せて下さ―――え?」
 静止を掛ける暇は無く、既に団長は姿を消していた。早すぎる。この野郎、自分の動きを読んでやがった。
 だがまあ―――いいか。特にやる事がないのは事実。イティスに一言いってから、出かけるとしよう。






「ええー! お兄ちゃん、アジェンタ大陸に行っちゃうのッ?」
 予想通りと言うか、案の定というか……イティスは反対してきた。だがそれも当然の反応だ。剣も半人前。魔術はからっきし。こんな人間が、魔人が暴れまわっていると言う所に一人で乗り込むというのは、そもそも無謀なのだ。
「仕方ないだろう、団長が頼み込んできたんだから」
 しかしこちらも引き下がる訳には行かない。今回は何が何でも魔人と戦って、そして成長したいのだ。名誉なんぞどうでも良い。評価なんぞどうでも良い。最強になりたいのだ、自分は。
「……はあ。ここまで命知らずなお兄ちゃんとは知らなかったわ。もういい、勝手にすれば?」
 頬を膨らましてそっぽを向くイティス。動作が可愛らしいが、怒っているのは確かだ。アルドは女性の扱い方が素人以下。一体どうすればいいのか悩んでいると―――
 イティスが無言でこちらに手を伸ばしてきた。手には何かが置かれており……お守りだ。
「……お兄ちゃんが死んじゃったら、一人になっちゃうじゃない。そんなの……嫌だしッ。絶対、帰ってきてよね……?」
 彼女の表情は分からなかった。けれども―――かなり嬉しかった。
「俺がお前との約束を守らなかった事があったか? ……安心しろよ。聖女のお兄様は死にやしない。約束だ」
 身支度は既に整えた。お守りを受け取った後、アルドは一人、フルシュガイド港へと歩んでいく。






 


 

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