ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

最愛の者へ

 アルドの剣戟は確実に、的確に、エヌメラの魔術を切り裂く。その技量たるや、もはや人外。しかし、エヌメラは驚かず、むしろ笑っていた。両者は一歩も譲らない。
 だが、有利か否かで言えば、アルドはむしろ、押されていた。洞窟内に発生する嵐。渦巻く焔。無秩序に周囲を穿つ雷。それら全ての傷跡から発生するは、凄まじい引力を持つ超空間。それら全ては脅威と言う他無く、只一粒の雨、或いは只の強風だろうと、少しでも防御を怠れば、即死になる事は間違いなかった。
「……ッ」
 この攻撃が、自分の動きを止める事に他ならないのは、アルドも良く分かっていた。だが、この攻撃は全力で防いでようやく間に合う程の絶妙な速度なので、防がずにはいられない。移動は出来るが攻める事は出来ないというのは実に辛く、超空間の引力で動き辛くなると共に、体が崩壊してしまうのは、もはや時間の問題だった。
 数十にも分かれる雷と、飛び散る焔。それらをさらに拡散すると同時に一帯を切り裂く嵐。それら全てが何処に当たるか。考えている暇はなく、只、本能のままに防いでいる。
「どうした? ここは私の死地なのだろう? 何故斬りに来ない」
 エヌメラの瞳は、愉しみを見るようだった。不快だ。格下としか見られていないのは、実に、実に不愉快だ。
「貴様ァッ!」
 アルドは衝動的に斬撃を放った。それは確かにエヌメラに届く代物。しかし―――防御を怠った事で受けた傷は、生半可なモノでは無かった。
「——――ッァ!」
 その痛みは計り知れない。それでも、アルドは倒れなかった。顔を上げ、エヌメラの方向へ視線を合わせると、死剣を持ち上げたエヌメラが愉快とばかりにほくそ笑んでいた。
 ああ、失念していた。
 死剣の特性は、絶対的な耐久性。傍から見れば完璧な状態であるあれこそが、死剣にとっては完全に壊れた状態。壊れているが故にこれ以上壊す事が出来ず、故に絶対的な耐久を持つ剣。魔力の問題では無い為、あの剣は実質破壊不可能だ。
 今の所有者はエヌメラ。幾ら千里を駆ける斬撃だろうと、あの剣の前には只の一振りにしかなり得ない。
「貴様はこの程度か?」
 分かっている。この攻撃を皮切りに、背中の崩壊が一気に加速した事を。既に戦い始めて既に二時間が経過したか。よくもまあここまで耐えられたものだ。魔王相手にここまで善戦できる人間は、相性の問題的にアルドを置いて他には居ないだろう。
 だがそれもここまでだ。アルドの背中は表皮が崩壊し、肉がむき出しになってしまっている。直に肉も崩壊するだろう。そしてその時こそ、アルドの敗北だ。
 接近戦しか能がない自分が言うのも何だが、あの二振りを持つエヌメラに接近戦を挑むのは馬鹿だ。奴の技量は自分と同等。故に武器の差で勝負は決まる。
 縛られていると表現できる物体に対して一撃必殺の攻撃力を誇る王剣と、剣における基本属性である硬度が、全くのゼロ故に無限である死剣。この二振りを持っているエヌメラが相手では、唯一の利と言ってもいい剣術が封じられ、アルドに勝ち目は無くなる。
 状況を整理しよう。
 妖刀『神尽』。退魔の刀であり、不定形の物体に凄まじい威力を発する。魔力の根源であるエヌメラには効果覿面だが、そんな通常の使用方法で勝てるような相手では無い。やるならば予想もつかないような事―――不意打ちをしなければならない。
 タイミングは一瞬。相手が勝利を確信したその瞬間でなければならない。
「やって―――やるよッ!」
 その為に皇の墓から態々、『皇狂の薬』を拝借したのだから。
 アルドは気づかれないように、ひたすらに魔術を防御し続けた。攻撃のチャンスは二回。失敗など許されない。
 致命の一撃は防御をしないから致命的なのだ。そして、その攻撃を防御する事もまた致命的な行動。
 ならば―――
 八種以上の終位魔術がアルドの心臓めがけて放たれる。それら全ては規模を抑え威力を凝集させたモノで、まず防がねば、文字通り必殺の攻撃となる。アルドは右腕を上げ、盾とするが、無意味だ。そんな防御で終位は防げない―――のだが、魔術は腕に触れた途端、霧散した。
「……何?」
 エヌメラの目には、信じられない光景が広がっていた。アルドが自身の腕に、刀を突き刺していたのだ。
 魔力を消す為なのか? 意図が読めない。
「―――終わりだ」
 寒気を感じたのは、気のせいでは無い。認めよう。自分は今、アルドに恐怖したのだ。
 その声と共に、アルドは無謀にもこちらへと駆け出してきた。形振り構わぬ疾駆。未だ魔術はアルドを包んでいる故、アルドの体は既に半壊していてもおかしくはない。
 だと言うのに、アルドはまるで何も感じないかのように、一切の抵抗力を無視して、こちらへと突っ込んできている。
 ―――そうかッ。アルドは刀を突き刺して、その身に刀の特性を宿している状態なのだ。だから魔術が効かない。
 しかしそれは失策だ。剣術で勝負を挑もうと言うのなら、それはむしろ好都合。この二振りを持つ自分に勝てる人間など存在しない。喜んで迎え討とうではないか。
 エヌメラは剣を構え、迎撃態勢を整える。アルドの足に力が入ったのを見、それが踏み込みである事を確認する。斬られる前に斬る作戦か。自分を相手にしても尚足掻くその自信。
 ―――気に食わない!
「ハアアアアアアッ!」
「フンッ!」
 交差。二人が放った刃は勝負を分かち、命運を決める。勝利を冠るのは―――








「……己の剣技に自惚れた、貴様の敗北だ」
 地上最強と呼ばれた『勝利』を相手に、一度も傷を負う事無く、特に苦戦するような事も無く。
 誰が見ても、それはエヌメラの勝利であった。
 アルドは神尽と共に左腕を切り落とされ、地に伏している。息は無い。その体が動くことも、無かった。
「貴様は私の唯一の天敵だったがな。それも今日までだ。私は貴様を斃した事で真に最強となり得た。感謝するぞ、アルド。貴様は、私にこれ程までに上質な部下を残してくれたのだからな」
 エヌメラは二振りを腰に納めた後、フェリーテへと近寄り、その顎を持ち上げた。濡れたように艶やかな黒髪が、僅かに揺れた。その何気ない変化が、フェリーテの美しさをより一層引き立てた。
「フェリーテ、だったか? お前の言った言葉は、見事に外れてしまったようだぞ」
 フェリーテは妖術でアルドの反応を探る。
「……そうじゃの」
「大人しく我が物になるがいいフェリーテよ。世継ぎは万程生ませるが、心配はいらん。私は魔力の根源だ。やりようなど幾らでもある」
「……そうじゃの」
 エヌメラはその手を浴衣へと滑り込ませ、フェリーテの体を撫でまわしていく。フェリーテは特に感じた様子も無く、表情を動かさない。
「ああ、相応しい。やはり相応しい。流石は我が目に留まりし者。完璧パーフェクトだ」
 妖術には色香を操る術があるが、フェリーテはアルド以外にそれを使った事が無いので、エヌメラのこの反応は『本心』からなのだろう。『そこ』だけは嬉しいが、やはり他の男に体を触られるというだけで、精神が穢れていくような思いだ。煩わしい。
 エヌメラの感情が昂り始めたのが見える。暫くすると、エヌメラはもう一方の手でフェリーテの浴衣を脱がせようとするが―――どうやら、逆鱗に触れたようだ。
「                                                                                                                             フレルナ」
 エヌメラが手を引っ込めて身を翻すのと、アルドがその刃を振り下ろすのは―――それでもエヌメラの方が早かった。アルドの刃が届く道理など無かった。
 だが。
「な……に……?」
 自分の胸には、アルドが握りしめた神尽の破片が突き立てられている。事象の逆転からしておかしいが―――
―――何故、銃弾まで自分に命中しているのだ。
「クフッ……!」
 一度吐血したのを皮切りに、体を維持できずに、倒れ込む。一体、何があったというのだ。何気なく顔を上げれば、そこに真相はあった。
 跳弾の痕―――!
「まさか………………内部の私まで……跳弾で命中させたと言うのか」






「後輩の力不足を補助するのは、先輩の役目だろう?」
 エインは破損した拳銃を投げ捨て、大の字に倒れ込んだ。
 撃ちだした弾丸は、自身の核。後数分もすればエインは消滅し、二度とこの世には顕現できないだろう。
 意識が遠のく。次に目が覚める事はもう無く、後輩であり友であるアルドとは、もう会えないだろう。だが……『勝利』はこの世に二人もいらない。自分は大人しく、退場する事にしようではないか。
「この世界に呼び戻されて、嫌な気分だったけどな……後輩を助ける事が出来たってんなら……意味は……あったのかもな………………」








 エヌメラは斃した。もう復活する事は無いと信じたい。エインの援護が無ければこの作戦は失敗に終わっていたため、後で感謝すべきだろうか……
 神尽の特性は、不定形の物体に対しての絶大な攻撃力。それは魔力は勿論、記憶や意識に対しても有効で―――アルドの記憶は今、現在進行形で溶けている。意識も同様だ。『皇狂の薬』を飲んで、終位魔術で全身をぼろぼろにされ、左腕を切り落とされた。既に疲れは溜まり切っている。限界だ。
「主様ッ!」
 倒れ込むアルドを、フェリーテが支えた。
「しっかりするのじゃッ、主様ッ」
 ここまで自分の事を愛してくれる女性に会えて、アルドは本当に幸せだった。出来れば生涯を共に過ごしたかったが……今度こそ、逃れようのない終わりが来たようだ。
「主様ッ、主様!」
 世界奪還。その目的を果たせなかった事は、本当に申し訳ないと思っている。だが、自分にはナイツしか居なかったのだ。世界を奪還以前に、奪われたナイツを奪還する事が……アルドにとっては重要だった。そしてその結果が……これだ。力のない魔王で、本当に済まなかった。言葉は出ない。出せる程の体力が無い。
「主様……お願いじゃから、何か……返答を……ぅぅ」
 勝手な魔王で、約束も守れない魔王で、申し訳ない。約束は果たしたかったし、この世界が終わるその時まで一緒に居たかった。後悔だけはしないつもりだったが、思い残した事はまだある。
 ツェートの成長を見守れない事。
 フィージェントとの再戦。
 魔人のその後。
 見捨てさえすれば見れたかもしれないそれを、アルドは自ら捨てた。そんなモノなんかより、やはりナイツの事が―――重要だったから。
 甘いと言えばそれまでだ。英雄アルドが抜けていない事も認めよう。だが―――ナイツを愛しているのは、英雄アルドでも魔王アルドでもなく、アルドの心から紡がれた言葉だ。虚偽は一切無い。
 こんな王の事はさっさと忘れて、新しい王でも見つけてもらえれば、幸いだ。ナイツの好意は知っている。簡単に忘れられないだろう事も分かっている。
 だが―――自分は一緒に居られないのだ。それが現実。フェリーテが本来の力さえ取り戻していれば、少なくとも、こんな事態には陥らなかったろうに―――
 意識が、記憶が、視界が。全てが白に包まれたのは、それから間もなくの事だった。







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