ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

久しく遠い過去

 力が出ない。瀕死ではないが、それなりに消耗したが故に、たった一度の跳躍では、リスド大陸に足を着ける事は叶わなかった、御蔭で足場になり得ない海へと落下してしまった。傷口を嬲る海水に堪えながら、泳ぐ他無い。
 距離は幸い二百メートル弱。大した距離ではないが、アルドには耐えがたい距離だった。
 今こうして自分が呑気に泳いでいる間に、ナイツ達が苦しんでいるのかと思うと。非常に辛く、やりようのない怒りがこみ上げてくる。それはアルドの行為を見れば分かりやすいと思う。
 思えば、アルドはこれまで一度も不意打ちをした事が無かった。
 デューク。リスドの王。ツェータ。フィージェント。エヌメラ。
 ここ最近だけを取ろうと、或いは騎士時代から切り取ろうと、アルドはこれまで只の一度も不意打ちをしたことが無かった。
 エインに勝とうが負けようが、今回もそのつもりだった。現にアルドは、ついさっきまで正面より戦っていた。
 だが、ナイツと出会ってから、或いは、エヌメラを斃した先に見た光景―――つまり『海』を見た事で精神腐敗を引き起こし、さらに裏切られた事によって壊れたからか―――或いは両方か。精神が壊れた先でナイツと出会った事で、アルドはおかしくなった。
 自覚はしていた。ナイツは、自分にとって大切な存在であると同時に、自分の存在を確立させるのに無くてはならない存在なのだと。
 人類の守護者と言う唯一性が消えた事で、アルドは自身を見失っていた。家族も死に、人類に裏切られた事で、自分とは何なのか。『皇』と出会うまでは、ひたすらに自問自答を繰り返していた。答など出る筈が無い。それでも、答えが知りたかった。
 『皇』と出会った事で、こちらから人類を見放した、と思い込む事が出来た。それはやがてアルドの精神を魔王のそれへと近づけ、結果的にはナイツ(侍女含む)のような信頼に足る部下が出来た。
 魔王で居続けるのも、ナイツという拠り所とも言うべき存在があったから、だと思う。自分を慕ってくれる者カテドラル・ナイツのために、と。アルドはずっと魔王で在り続けた。彼等が悲願するならば、人類を滅ぼす事も厭わなかった。魔人全体の救済は、結局の所、ナイツと『皇』を想っての行動が、結果的に魔人全体に広がるだけの事だった(フェリーテとディナントに関しては違う大陸に居るので話が変わってくるが、この二人も結果的にあっちで人間から酷い目にあっているので、やはり共通思想である)。
 そんな歪な魔王アルドが、ナイツと言う存在を喪えばどうなるかなんて想像に難くない。自覚がある。騎士道なんて投げ捨てる。只勝ちだけに拘る。ナイツさえ救えれば、後はどうでもいい。そんな思想に目覚めるだろう。たとえ昔の弟子が相手だったとしても、きっとこの状態のアルドは、不意打ち上等の姿勢で殺すのだろう。それくらい、ナイツの存在は大事だ。
 エヌメラの天敵はアルドだが、アルドの天敵もまたエヌメラ。魔力を持つ殆ど全てに対して絶対的な強さを誇るエヌメラに対し、アルドは魔力を一切保有していない(というより魔力と完全に切り離されている)というのがその理由。しかし、それでも勝てる可能性があるという段階に持ち込めるだけで、言うほど有利では無い。只、絶対的に勝ち目がないか、一応勝ち目だけはあるか、の違いである。本当にそれだけで、こちらから言わせれば天敵になりうるのかとすら思う。
 アルドの天敵である理由は、魔力の根源故のふざけた火力。死ぬ度に少し疲れるアルドだが、それは死が一度訪れたのを少しの疲れに変換しているだけであって、殺されるたびに一カウントという訳では無い。死が何度も訪れるような攻撃ならば、その分疲れが溜まる。エヌメラの攻撃何て一度でも受ければ疲れが少し、なんてものでは済まないだろう。自分でも長い間思ってるが、どうして人間時代に勝てたか分からない。あの戦いは、例えるなら、岩石に対して素人が木剣を叩き続けるようなモノ。それでどうして割れたかなんて、おそらく叩いた本人も理解できないだろう。それと同じだ。
 陸に着いた。水分を吸収した体が、疲れも相まってより一層重く感じる。だが、やらねばならない。エヌメラに唯一勝ちうるのは自分だけだ。どんな幸運が訪れようと、エヌメラがどんな手加減をしようと。
 魔力を持つ限りはエヌメラに傷一つ付けられない。そういう世界だ。ここは。
 エイン戦で足を撃たれたからか、思うように走れない。再生をしようにも、流石にダメージが蓄積され過ぎて、時間が掛かる。
 それでもアルドは走る。再生すればまたいつものように動ける事を知っていながら。いつもの実力が出せるか否かよりも、ナイツの危機に一刻も早く駆け付ける事を優先する。馬鹿な行動だとは自覚しているが、それ程までにナイツの危機は優先すべき案件なのだ。何より敵が敵。万全でも瀕死でも、そんなに変わるモノは無い。
 走って、転んで、起き上がって。
 こんなボロボロになったのは久しぶりだ。体は安息を求めているのだろう。だがアルドはそれでも喧騒を与える。魂は終焉を望んでいるのだろう。アルドも望んでいる。だが、少なくとも世界奪還をするまでは、死ねない。
 王剣を使えば、魔力と接続され、こんな傷は忽ち回復するだろう。だが―――アルドのその本気は、エヌメラとの相性を打ち消してしまう。即座に切り替えできるものではないので、使う訳には行かない。
 アルドに赦された力は、鍛え続けた自分の身体能力のみ。今更魔力など引き出す事は許されない。
「……っぐ!」
 何でもない地面に足を引っかける。どうしたのだ。動け。進め。体は言う事を聞かない。聞かないのなら聞かせる。
 既に感覚の無い足を無理やり動かし、アルドは再び走り出す。
 刹那。
 アルドが見たモノは、帝城の壁が吹き飛ぶ光景。今のアルドの全力ですら傷をつけられるか怪しい物体、魔力金剛。誰が壊したか何て愚問だ。もはや痛いだ死ぬだ考える暇はない。
 一刻も早く、向かわなければ。




 血の宴。地獄の賛歌。魔力金剛は容易く崩れ、最愛の者達は壁に叩きつけられていたり、踏みつけられていたり、首を絞められていたり。夥しい量の血が辺りにぶちまけられており、それはまるで、アルドが今まで滅ぼしてきた魔人の村の、廃れる様を見ているようだった。
 ファーカは魔力の腕でひたすら壁に叩きつけられていて。
 ヴァジュラは魔力の棘が付いた足で、ひたすら背中を踏みつけられていて。
 メグナは玉座上部の壁に磔にされ。
 フェリーテに至っては干渉できないので、エヌメラ自らが、首を締め上げていた。
 ……なんだ、これ。
 動揺すらも超えたアルドの驚きは、冷静の境地へと至っていた。
 ディナントは鎧を九割方破壊された上で、心臓部分に剣がささっており。
 ユーヴァンは翼を捥がれた上で、天井に吊られている。
 チロチンの姿は……無かった。
 そして城の中心で、エヌメラは薄笑いを浮かべていた。既にこちらに気づいており、その表情はこちらへと向けられている。
「ふむ……エインを殺した訳か。奴を殺し直す手間が省けたが……随分と遅かったな、アルド」
「エヌメラ。過去の存在がでしゃばるなという言葉を聞いたことがあるか?」
「魔力が存在している以上私は不滅であり、故に私は過去では無い。発言は良く考えてするべ」
 瞬時に肉薄し、アルドが剣を振るうが、エヌメラは容易くそれを見切り、有り得ない事に鎬を掴み、斬撃を止めた。
「壊れた剣か。良いモノを持つな、アルド」
 次の瞬間、認識すら許さぬ不可避の一撃が、アルドの頭部を粉砕し、城の入り口近くまで吹き飛ばす。死を免れたその代償、その疲労の蓄積。尋常たるものでは無かった。
「その程度の強さで私の後釜とは笑わせるな。どうした? 貴様が歯向かわねば、私直々に手を下しているこの女以外は、後数分で堕ちそうだぞ?」
「…………………………………………………………………………………………………貴様ァッ!」
 不意打ち気味にアルドが飛び込むが、それを予知したエヌメラが魔力の壁を突き飛ばし、アルドを封殺してしまう。
 圧倒的魔力の密度。壁と挟まれている状態では、如何にアルドと言えど、斬る事は出来ない。
「ぐ……ぇ」
「堕とす事も愉しみの一つではあるが、この女が気に入った。首を絞められ尚抗うその生命力。私と子を成せばその者こそまさしく私の後釜となれるであろう。……貴様のような雑魚ではなくな」
「ある……じ……………さま」
 その声は弱弱しく、頼りになる者では無い。だが、それでも、信頼だけは届いた。
 フェリーテは必死に耐えている。アルドが勝つと信じて耐えてくれる。応えたい―――いや。
 応えろ!
「うる……せえ! その雑魚に一度殺されたお前が何、ガ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……!」
 壁はアルドを圧潰せんと、力を強める。
「魔力を持てぬ欠陥品が。調子に乗るなよ」
 不意に壁の圧力が緩んだ。何があったか。分からない。取り敢えずは踏み出そうとしたその瞬間、アルドは引き寄せられる。
 抵抗空しく行き着いたのは、エヌメラの左手。フェリーテと同じく、首を絞められているのだ。
「貴様はこの者達を深く愛している。大した差は無い、だが強いて最もを挙げるとするならば、アルド。この女だろう? 貴様が愛している者は」
 アルドの左手が意思を持ったように動き始める。それは本意では無い。まるで操られているかのように、勝手に動いている。その手は死剣を握りしめ、刃を向けた。―――その矛先は、そう。フェリーテ。
「一度殺せば魔力を込められるのでな。悪く思え。貴様自身の手で、愛する者を殺させるのは―――そう。一度貴様が絶望する表情を見たいからだ」
 エヌメラは魔力を込めるが、それ以上アルドの左手は動かなかった。アルドは意志だけで精神干渉を弾くような男である。攻撃魔術に耐性こそ皆無にしろ、魔力を通じての操作は、体質により通じない。操作系統の魔術は意思によるが、やはり通じない。以前もそうだったが、今回もやはり、そうなのだろう。
「思ったより、やるな」
 エヌメラは更に魔力を込める。アルドの左手は堪えるが、それでも少しずつ動いていき―――
「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」
 いつの間にか肉迫していたディナントが、『神尽』を以てエヌメラの両腕を断ち切った。アルドとフェリーテ。成すすべのなかった二人は、ようやく解放された。
 完璧な不意打ち。誤算だったのは、その攻撃がエヌメラに対して何らマイナスに働いていない事だった。
「まだ息があったか武人。まあどうでも良い。貴様等ナイツとやらは連れて帰り、私専用に開発し直す。優しく連れて行ってやろうとも思ったが気が変わった―――全員、ここで死ぬといい」
 エヌメラの掌中に生まれた一つの球。そこに込められた魔術は無し。只の魔力の球である。―――アルドの全ての魔力の十倍以上が込められた、只の魔力の球である。
 あれを喰らって生きていられる者はいない。それを分かっていながらも、それでも……
 城を白き魔力が視界を塗り替えると同時に、凄まじい轟音が周囲へと広がった―――






 城は殆ど壊れて、今では城というより、瓦礫が奇跡的に積み重なって出来た建物にしか見えない。
 城は崩れたものの、本来死んだ筈のナイツ達には傷一つついていなかった。それもその筈、この建物を壊したのは飽くまで余波であり、威力の大部分は一人の男が全てを請け負ったからだ。代償と言っては何だが男は文字通り灼け焦げ、もう動くことは無かった。
「この一撃を受けきるとは……流石だな」
 驚きは隠せないが、自分の天敵なのだからと、妙に納得してしまう。この男は、何処まで行っても愚かだ。周囲の被害を気にせずあの黄金の剣を行使すれば、自分を永久に殺しうる事が出来たと言うのに。
 エヌメラはアルドの死体へと近寄って、今だ傷一つ付かぬ二振りの剣を回収する。こんな良い武器、アルドに持たせて良い訳がない。
「まあ、武器と、貴様の根性を評価して、やはり優しく連れて行ってやろう」
 幸いにも余波で全員が気絶した。エヌメラは魔力の楔を全員に突き刺し、そのまま上空へと浮き上がる。
 良き日だ。天敵が居なくなり、番も見つかった。この世界、もう一度気まぐれに征服するのもありかもしれない。








「………ま」
 誰だ。
「…………さま」
 俺を呼ぶのは。
「………………アルド様、お願い、です……から……起きてくださいよぉ……」




 アルドが目を開けると、そこは自身のベッド。隣ではクローエルが涙を流していて、予期せず罪悪感を感じてしまった。
「……クロー……エル……………………?」
 クローエルはアルドの顔を覗き込み、何度も何度も瞬きをする。確認をする。アルドが生きていると分かると、クローエルはその顔を崩し、アルドに抱き付いた。
「アルド様ッ!…………ぅぇうっ……ひく……よがった……」
 記憶は消えていない。あの魔力の一切を受けて、アルドは気を失ったのだ。そうして目覚めたら、この通り。彼女が自分の部屋に入ってきているという事は、ナイツは居ないと言う事であり、エヌメラに連れ去られたと言う事だ。
 情けなくて、悲しくて、仕方が無い。『鳳』と『蜩』はどうなったのだろうか。姿が見えないが、しかし。侍女は大概が弱者故、エヌメラの連れ去りの対象では無かったのだろう。ナイツを喪った今、唯一の拠り所は彼女しかない。
 アルドは抱きしめようと手を持ち上げるが、そこで気づく。傷が回復していない。自分は未だに、血だらけのままだ。脳が理解を拒むが、本能で理解していた。あの魔力による疲労の蓄積がついに限界に達したのだ。おそらくこれ以降のアルドには、もう不死は無く、また、死に等しい疲労を、死ぬまで負う事になる。死なぬと決めた以上疲労は付きまとうが、しかしその疲労は死に等しい。生きながら死に続けるとは、まさにこの事か。今はクローエルの御蔭で少し和らいでいるのが、幸いだ。
「クローエル……心配をかけてすまなかったな。私は大丈夫だ」
「よが……うぅ”……っぇ」
 クローエルの体温。そして、柔らかさが伝わるが、これも唯一の癒やしか。彼女すらも居なかったら……きっと―――
「御目覚めですかッ、アルド様」
 部屋の扉より駆け込んできたのは、黒き狩人。
「チロチンッ?」
 そう言えばあの場には居なかったか。死んだとも思えなかったし、一体何処にとも思ったが、ともかく生きてくれていて良かった。外傷も、見る限りなさそうだ。
「アルド様ッ」
「アルド様!」
 そんなチロチンを突き飛ばし、駆け込んできたのは、やはり今まで姿が見えなかった二人、オールワークと、トゥイーニーだった。この二人が実力不足なんて事は無い筈だが……ひょっとして。
「アルド様、申し訳ありません。フェリーテからの強い希望があったもので、この二人と共に、空間軸から外れておりました」
 それはチロチンのあの襤褸切れマントの特性であり、所謂絶対防御。曰く、空間ありきで成り立つ現象に翻弄されるならば、そも空間から外れれば、あらゆる現象は起き得ない筈だ、という事らしい。何を言っているか分からなくはないが、理解に苦しむ。使用者以外には分からないのだろう。それは。
「いや、お前だけでも居るならいい。それより私が目を覚ますまで何時間たった」
「およそ一日ですが」
 一日。手遅れになっていてもおかしくはないが、それでもやはり助けに行くべきだろう。ナイツの為にも。
 情けは人の為ならず。自分の為なり。然らば、全霊を以って取り組むべし。
「チロチン、私は傷を直す。外に出ていろ」
「……仰せのままに」
 チロチンは扉を閉め、どこかへと去った。足音が遠ざかった事しかわからないが、勝手に外出はしないだろう。
「……オールワーク。まだ私の覚悟が出来てないというのに、こんな形でお前を……申し訳ない」
「元より侍女である私達は、アルド様に『自分』を捧げた故、どう扱われようと、構いません」


「お……俺だってアルド様の事……好きだし、アルド様の為なら」
 ありがたい。ならば……










「もうよろしいのですか」
「ああ。侍女達のお陰で、一応は回復したさ」
 あの三人以外にも侍女はいる。彼女達は目立たないが、皆オールワークの言葉通り、アルドに全てを捧げたモノ。アルドの頼みは快諾され、お陰で早く回復する事が出来た。引き換えに交わした約束のせいで、世界奪還の後が大変そうだが、良い意味なので気にしない。
 気にするべきは、むしろ今だ。
「チロチン。ナイツ達を取り戻す。一緒に来てくれるか?」
 アルドはチロチンの横へと並ぶ。答は、決まっているようなモノだった。
「どこまでもお供いたしますよ」
 アルドは少し。ほんの少しだけ、笑った。















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