ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

再会 1

 キリーヤとパランナは特に当てがある訳ではないので、ふらふらと辺りを彷徨っていた。道に迷っているように見えるが、違う。これでもクリヌスを追う群衆を捜しているのだ。断じて迷っている訳では無い。傍から見れば迷っている様に見えるが、決して迷ってはいないのだ。只……そう、同じ場所を念入りに探しているだけだ。
「……パランナさん」
「……迷ってないぞ」
「何も言ってないんですけど」
 明らかすぎるこの嘘からも分かる通り、パランナは誠実な人間だったのだろう。だけど自分を悲しませたくない故に、下手な嘘を吐きながらも必死に探している。自分を不安にさせないために、そして、リゼルを救うために。
 そんな人に直接的な指摘はしたくないので、キリーヤは敢えて疑わなかった。道に迷っているのは知っている。でも、パランナは迷っていないと言っているのだから、迷っていないのだ。……多分。
「あの、パランナさん。やっぱりこれ迷ってますよね。一度エリさんか、クウェイさんに連絡した方が……」
「……あいつには頼れん」
 そこにきっと理由は無い。在るのは役目を果たさんとする想いと、リゼルを救うのは自分だ、という意地だけだ。一人で全部背負い込もうとするのは、キリーヤもやってしまう事だが、それを他人がやっているとなると、如何にその意思が傲慢で、仲間を侮辱しているものかが分かる。アルドは頼れるモノが居なかった故にこの意思を貫き通した訳だが、その意思を貫いてしまったからこそ仲間が誰も居なかったのではないか。そして仲間が居なかったからこそ裏切られて……
 アルドに何かを言うつもりはない。結果としてこっち側に付いてくれたのだし、そしてその御蔭でキリーヤは死なずに済んだので、その意思を否定する気は無い。
 ただ、もしアルドが意思を貫かなかった時……アルドの周りに仲間が居たら、あんなに疲れた表情を浮かべる事は無かったのだろう。精神が摩耗する事は無かったのだろう。
 ウルグナの笑顔は、一度見た。だがあれは、何も失っていないアルドの笑顔であり、実質アルドの笑顔を見た事にはならない。キリーヤは一度だけで良い。心の底から笑うアルドが見たいのだ。例えばそう。人間と魔人の共存を実現させれば、アルドの心にもきっと、昔のような潤いが戻る筈。
 パランナに、アルドと同じようにはなってほしくない。キリーヤは強めの口調で言う。
「パランナさん。意地を張ってる場合じゃありませんよッ。そんな意地を張ってるくらいなら、早くクウェイさんに連絡を―――」
「意地なんか張ってないさ。只、俺がアイツを見つけたいだけだ」
「パランナさん、私は自分一人で背負い込まないでと言ったはずですよ」
「…………そうだな、すまん。大人しく連絡をしよう。石を貸してくれ」
 キリーヤが首に掛けてあった石を外し、パランナに渡そうとした―――
「私をお探しですか?」
「え?」
 キリーヤ達の前に現れたのは、そう。クリヌス・トナティウと勇者ご一行。自分達が目的としていた彼等の発見。それがよもや、こんな形で達成されるとは。いや、クリヌスのセリフから察するに、クリヌス達もまた自分達を捜していたのか? では、一体何の為に。
「クリヌス・トナティウさんですよね?」
「ええ勿論。そういうあなたは、どうやら―――おっと、失礼。この場で言う事ではありませんね」
 パランナは首を傾げているが、キリーヤからすれば、驚愕の一言。絶句する他無かった。何故だ。『邂逅の森』において、「人狼」を捨てた事は、アルド以外は知らない筈。何故、この男は……それを知っている。そして、どうしてここでそれを言わないのだ。
「ちょっと、トナティウ。この二人がそうなの?」
 虚ろな瞳の美女がクリヌスに尋ねる。クリヌスは飽くまで視線はこちらに向けたまま、冷静に一言。
「情報に嘘は無いと思いますよ」
 キリーヤはパランナと顔を見合わせるが、お互い上手い作戦は思いついていないようだ。たとえここで逃げられたとしても、おそらくはこの闘技街を熟知しているあちらに地の利がある為、結局は逃げても変わらない。
「どうして、貴方達は私達を捜していたんですか?」
「はあッ? 貴方自分の立場を分かってて言ってるの。いい? これはね―――」
「黙ってくださいサヤカ。貴方が居ると碌に会話が進みません。勇者様を嬲るのはまあ良いとして、会話を阻むのはいただけません」
 キリーヤの質問に応じる代わりに、二人は何故か言い争いを始めた。この二人、本当に味方同士なのか。
「……あんたが地上最強じゃなければ、殺すわよ? なんて言えたかもね」
「『私が地上最強なんて笑わせないでくださいよ。私にはまだ超えていない人がいる。あの人を超えなければ、私は自分を最強とは』」
「何で覚えてるんですかッ」
 急遽飛び込んできた言葉に、二人は動きを止めた。
 アルドの事を覚えている。その言葉を聞いたからには尋ねずにはいられなかった。何で、どうして。皆が忘れている中、一体どうして貴方だけは覚えているのか、と。
 キリーヤは目を見開き、クリヌスへと視線を注いだ。クリヌスは僅かに動揺しているようだが、飽くまで冷静な表情を保っている。
「……もしかして貴方―――」
「……? どうかしたの、トナティウ」
「いえ。何だか違和感が……まあ、どっちでも構いません。彼女が同種である事に変わりはないんですから」
 クリヌスは腰に差してあった剣を引き抜き、ゆっくりとキリーヤに近づいてきた。それに応じるように、パランナも背中の大剣に手を伸ばすが、ここで既に分かってしまう技量の差。
 駄目だ。既に一歩近づかれた時点で終わりだ。パランナの居合では、クリヌスの居合には叶わない。
 この予感に証拠はない。だが、分かるのだ。アルドやクリヌスのような圧倒的強者が放つ、死の気配のようなものが。それは触れたら死ぬ、などというレベルでは無く、一刻も早くキリーヤは逃げ出したかった。
 だがそれも叶わない。今の自分は簪を挿していないし、何よりこの場にはクリヌス一人だけではなく、サヤカなる美女と後ろに居る勇者三人。二対五の絶望的状況は、既に逃亡手段すらゼロにしている。
「わ、私を殺してどうにかなるんですか?」
「―――まあ、意味は在りますよ。貴方がそれを知る事が無いと言うだけで。さあ、どうやって対抗しますか? そこの彼と協力して私を叩くという手段もありますよ。今動こうとすれば容赦なく斬りますが、それでも私に勝てる可能性は皆無ではありませんからね。たとえ五体不満足でも生き残りたいというならば、この選択は賢明と言えるでしょう」
「……どうしても私、達を殺したいんですか? 私達は、貴方の追っている人とは大分違う風に見受けられますが」
 突如、クリヌスは剣を地面へと突き立てた。何かの魔術かと思ったが、その疑問は直ぐにキリーヤだけ解消された。
『貴方は、今は人間みたいですが、元魔人ですよね? 私を含めた殆どの騎士は魔人の完全根絶を目的としています。ですから、ね。たとえ元でも貴方を逃がす訳には行かない』
 クリヌスは地面から剣を離し、再び構え―――と言っても無形の構えなので、構えとは言えない。
「ちょっとトナティウ。何したのよ」
「サヤカは黙ってください」
「な……トナティウ。何か最近私に反抗的じゃない?」
「女性の尻に敷かれるのは好みでないもので」
 こんな状況が続くと流石に気が抜けるが、忘れてはいけない。クリヌスはどういう訳か自分が元魔人であった事を知っているのだ。キリーヤは表情を引き締め、クリヌスを見遣る。
 どうする。今だけは安全だが、逃げ切れる訳がない。かといって戦えば、敗北は必至。不確定要素でも入り込まない限りは生きられない。
 どうする。どうするべきだ。
 そうこうしている内に言い争いが終わり、クリヌスがこちらに向き直った。「覚悟は決まりましたか?」
「……クリヌスさんッ」
 敵であるならば最悪。味方であればこれ程頼もしい存在は中々いない。人間至上主義にして、現『勝利』。
 キリーヤが選ぶ道はただ一つ。
「私に協力してくれませんか?」
 思想からして相容れないのは分かっている。だが、エリと同様、自分の意思の強さを見せれば、多少でも構わない。もしかすれば、力を貸してくれるかもしれない。
 しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
「何故私が貴方に」
 斬り捨てるような一言の後、クリヌスの姿が消えた。何処にいるかと探す事はしない。というより、出来ない。キリーヤの身体能力では、クリヌスは見つけられないと知っているからだ。そして、この攻撃が回避できない事も―――
「そいつの話くらいは聞いてやれよ『勝利』」
 キリーヤの胴体へ刃が届く寸前、上空から何か鋭いモノが落下。それは見事に刃の軌道上に突き刺さり、クリヌスの放った必殺の刃を止めた。
「何?」
 クリヌスが上空を見上げると同時に、その額に鋼鉄の矢が突き刺さったのを、その場に居た全員が見逃さなかった。クリヌスは近くの壁をぶち破って建物内部の壁へ叩きつけられた。余波で周囲のモノが壊れ、一部が倒壊。クリヌスが巻き込まれたのは言うまでもない。
「…………え」
「え?」
 サヤカは訳が分からないとでも言わんばかりの表情で、クリヌスの方を見ていた。今までクリヌスがこうもやられた場面を見たことが無かったのだろうか。その表情は、驚愕と絶望に満ちていた。
「……久しぶり……て程でもないが、また会ったな」
「フィリア……スさん?」
 自分達に手を差し伸べてくれた男は、左腕以外を布で覆った男、フィリアスだった。左腕は負傷している筈なのだが、どういう訳か鉄弓は左手で握っていた。
「お前達の前から勝手に姿を消したのはすまないと思ってるが、色々準備していた。それだけは謝っておこう。なんで謝るかは……そうだな。俺は依頼をされたら最後までやり遂げる主義なんだが……一身上の都合で一瞬とはいえ依頼を放棄したから、って所だな」
「依頼、ですか?」
「お前達に協力しろってな。何でそんなと思ったけど……まあ、お前を見たら納得だな」
 そこまで言ったあと、フィリアスは身を翻し、何処からか取り出した大斧をサヤカへと向けた。
「三対五なんて圧倒的に不利な状況、覆さなくてどうする。ここで覆さなきゃ、先生の弟子になった意味がない。さあ、来いよクリヌス、と愛人その一。纏めて相手してやる」
 フィリアスの煽りは、見事に逆鱗に触れた。サヤカと呼ばれた美女は、「あ、あ、愛人……?」と、終始困惑の表情を浮かべ、クリヌスの方を何度も見ていた。変に意識してしまっているからか、顔が赤い。
 これがフィリアスの狙いだと言うならば、あまりにも的確で、残酷な事だ。多分違うと思うが、キリーヤはそう信じておく。そう信じておいた方が、フィリアスが格好良く見えるからだ。
「あんた……私があんな男の愛人だって言いたいの?」
「違ったとするならむしろ驚きだ」
「……あんた、私の事見くびってるでしょ」
「全然。これっぽっちも。俺は飽くまでお前の強さに正当な評価を下し、その上でお前を馬鹿にしているだけだ」
 憤慨するサヤカと対照的に、飽くまで冷静に煽っていくフィリアス。二人の仲の悪さはもはや世界一であり、クリヌスさえも、この空間には干渉できない。したくない。
 先に動いたのはフィリアスだった。フィリアスは素人じみた動きでサヤカへと近づき、殆ど重さで振ったかのように、斧を振り下ろす。圧倒的強者の気を持つ者から放たれる悍ましい殺気とは、酷く対照的で、狙いも威力も重要視されている訳では無い。只振っただけの、素人の一撃。
 先程の煽りから始まっていた為、サヤカはこれさえも煽りだと感じ取った。そういう感情を滾らせる以上、そこに激しさは付きもの。サヤカは全ての殺気を剣へと乗せ、フィリアスへと―――
「サヤカッ、我を忘れてはいけませんッ」
 忠告空しく、サヤカはそのまま刃を滑らせてフィリアスへと……
 この瞬間、クリヌスは悟ってしまった。先程から共通点はあったのだ。
 何処からともなく現れる武器。あらゆる武器を使いこなす多芸性。自身の鎧が意味をなさなくなる不思議な矢。どこをどう考えても、一人しか居ない。監獄国に放り込まれ、そして脱獄した男―――


「―――あなただったんですか。フライダル・フィージェント」
 

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