ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

果てまで共に

 五大陸にはそれぞれ特徴がある。リスドは魔人と共存を図る(嘘だった)国、アジェンタは十年昇華恋慕錯覚症ばかりの国。他の三大陸と、一般には知られていないジバルにも大陸固有の特性というのはあって、だからこそ旅は面白い。
 レギ大陸の特性を彼女は勘違いしてしまっているが、それでいい。この大陸の特性は、知らない方がいい。この大陸は、恐らく彼女が英雄を目指す限り、アルドの隣に並ぶ事を望む限り、この大陸の特性は知らない方が良い。自分も大概先回りするが、今回は予想がつかなかった。確かに自分が居なければ、キリーヤは間違いなくここで死んだだろう。
 大陸の特性を誤認させるのは大した手間ではないが、それ以上にキリーヤに教えないと言うのが大変だ。この国に何年居るかは知らないが、早い所どっか別の所へ行ってほしいモノである。
「なあアルド。お前はここで、どうして生きていられたんだ?」
 キリーヤの姿が消えた後、洞窟の陰から出てきたのは、『人』だった。『人』は左手に持つ果実を手で転がしながら、遠くを見遣る。
 光さえ呑み込むこの闇は自分が作ったものだ。それもこれも、キリーヤに知られない為に。
「お前はまだ反英雄でも魔王でも無かったはずだぜ。ここで生き残れたって事はお前―――」
「あ”の〝オンナああああああああッ!」
 そこまえ言った所で、背後から声が聞こえた。憎悪を煮えたぎらせたような醜悪な声は、こちらに確実に近づいてきていた。それは先程の鬼。玉聖槍『獅子蹄辿』によってこの世界から絶えた筈の生命だった。まあ常套手段ではある。ああいう一人も残さず滅却しないといけない面倒な敵は、基本的に一人を隠しておくのだ。
 だけど、あの線は洞窟全てに広がっていた。直視以外で絶対に認識できない自分はともかく、フィリアスまで巻き込まれかけたのだ。それを一体どうやって―――まあ、細かい事はいい。おそらく捕らえる直前でエリが倒れたから無事だったとか、そんな程度の理由だろう。問題は……今こいつが生きているという事だ。
「コウナレバァ! アノムラヲホロボシ、アノフタリヲテッテイテキニッッッッ!」
 気づけば鬼の後ろには大量の鬼。発言から分かる通り、村を襲って、キリーヤとエリを徹底的に凌辱したいらしい。今の村の状態と戦力を考えるに、こんな物量で攻め込まれたら、この鬼共の筋書き通りの事が、見事実現する訳だが、生憎こちらの筋書きにそんなものは書かれていない。
「おい」
 『人』が言葉を発した事で、ようやく気付いた鬼が、こちらに視線を向けた。だが、自分が見えていないらしい。自分が隣に置いている武器にすら気づかない辺り、自分が出した闇がすごいのか、鬼共が雑魚なのか。……後者だろう。
 人は左手を伸ばし、それを手に取った。
「死者に口なし。それも分からねえ野暮な奴は、ここでもう一度死ね」






 気づけば村の入り口に立っていた。手を見ると、石は無くなっている。一回限りの仕様らしく、少しばかり足元を見ると、さっきの石の破片と思わしき物体がいくつも見えた。この石は……何だ?
 しかしながらこの石の御蔭で村まで戻る事が出来た。誰が置いてくれたかは知らないが、その人に感謝するとしよう。
 何やら異常な疲労が溜まったような気がするが、気のせいだと信じておく。
 キリーヤは村へ入り、倒れ込むように宿屋へと入った。「すみませんッ!」と大声を出すが、不思議な事に、この時間は既に床に入っている商人、夜食を楽しんでいる旅人等、実は宿屋において一番騒がしい時間帯にも拘らず、誰一人として居なかった。だというのに、灯りは健在。それは即ち、誰も自分を手伝ってはくれないという事。誰もエリを助けてくれないという事だ。
 今エリを助けられるのは、己のみ。そう思うと、不思議とキリーヤは倒れた体を起こして、一歩、また一歩と歩んでいった。宿屋の階段をこれ程までに苦痛に感じた事があっただろうか。一段上がるたびに体が軋み、一段上がるたびに命が縮む。エリを運んできたキリーヤの体も大概だが、それ以上に瀕死のエリが心配だ。いつ鼓動が止まるか分からない。一歩一歩と上がるたびに体温が失われ、冷たくなっているような気がして、キリーヤからすれば気が気では無い。階段に存在意義を感じた事は多々あるが、今回ばかりはエリの魂を縛り付けるただ一本の糸を切りかねない要因故に、非常に邪魔だ。それこそいま意義を問われたらキリーヤが大声で「無い」と叫ぶくらいには。
 何とか階段を上ったが、遂にキリーヤの体は限界に達した。階段を上り切った所で倒れ、エリを離してしまう。
 部屋まであと数歩なのに……普段ならば数歩でたどり着く事が出来るというのに。その数歩は永遠に引き延ばされたように長く、このままではキリーヤは気が狂ってしまうだろう。
 いや……エリの無事を確認できるまでは狂う訳に行かない。この程度で狂うのであれば、アルドの隣に並ぶなどとてもとても。キリーヤは何とか動く体を起こし、再びエリを運んでいく。嘆かわしくも、キリーヤの体は限界の為、エリを引きずるような形となっている。
「もう……少し……ッ」
 伸ばした腕が扉に届いたので、そのままノブを回し、部屋へと入る。この時、キリーヤの体はもう限界だと警告をしてくるが、彼女自身はそれを限界とは認めなかった。エリが限界を超えて自分を助けてくれたのに、自分だけが限界の壁を諦めるなんて、出来る訳がなかったから。
 キリーヤはエリをベッドへと何とか引き上げると―――そのまま後方へと倒れ込んだ。背後の壁と後頭部とが衝突し、意識を削り取った。
 限界。限界。限界。何度も出された忠告をキリーヤは頑として守ろうとしなかった。これは当然の報いだ。自分を一番理解しているだろう自分からの警告を、無視し続けたのだから。そんな事は少し考えれば分かった筈なのに、一体どうしてこんな事に……
 分かり切っている。エリを助ける為だ。エリの命を助ける為ならば自分の命の価値などゼロにしてみせる。
 だが、今回ばかりはどうにもならない。結局の所、自分の肉体をも超える意思を持たない限り、意思は限界の前では無力だ。人よりずっと硬い意思を持っていると、ずっと思っていた。しかし、キリーヤもまた数ある意思を持つ者の一人にしか過ぎなかったのだ。アルドはこれ以上の意思を掲げて、最強になったのか……超えられずにいる自分としては、一体どれ程の気持ちだったのか。今の状況ならば尚更知りたい。
 一体どうすれば限界を迎えても体を動かせる?
 エリはベッドに運んだ。それはいい。だが、治療しなければ何れは死ぬ。遅いか早いかの違いだ、どっちでもいいが、キリーヤはどちらも望まない。願わくは意義ある生を……
 自分の意識ももう直ぐ消える。エリを救うモノは誰も居なくなる。そうして次に、自分の視界に映るのはエリの死体。既に腐敗も始まっているかもしれない、
 嫌だ。そんな未来は絶対に防いで見せる。何があっても。
 声なき気合は、ギリギリの所で意識の糸を保った。もはや考えるだけでも精一杯、それでもキリーヤは飽くまで冷静に思考を展開する。
 他からの助けは見込めない。クウェイもフィリアスもパランナも居ない。今ここにいるのは自分だけだ。自分が死ねばエリも死ぬ。実質の運命共同体だ。
 自分の取れる手段を考えてみよう。
 魔術……不可能だ。遅まきながら、これは自分の異常な疲労にもつながっているらしく、洞窟の最奥から入り口までの疲労に加えて、あの石に注ぎ込んだ魔力はエリの魔力で表せば八割。自分の魔力で表せば十一割だ。洞窟までの疲労ならばまだ耐えられたが、魔力不足による疲労の増加。耐えられる筈もない。現に今のキリーヤは、こんな状態になっている。
 応急処置。そんな体力は無い。無理だ。一時間あれば何とか動けるかもだが、その間にエリは死ぬ。
 少なくとも自分の力では救う事が出来ないと分かった……辛い。一体、どうすれば助けられるのだ。誰も来るような気配はない。ここに居るのはキリーヤのみ。
 ああ……どうすればいいのだ……。






「リーヤ……キリーヤ」
「……ん」
「起きろ、起きろっつってんだ」
 未だに目を覚まさぬ少女に、男は少々荒業を使う事にした。
「起きろッッ!」
「……キャッ!」
 少女―――キリーヤは目を覚まし、それを視界に入れる。
「……クウェイさん?」
「ようやく気付いたか。何時から居たか知らんが、随分と悲惨な状態だったぞお前」
「悲惨……そうだッ、エリさんはッ?」キリーヤは眼前のクウェイを押し退け、先程ベッドに運んだエリを見る。
 エリは―――呼吸をしている。驚いて触れてみると、体温も戻っている。体の何処にも変化はなく、変わらず槍を握っている。
 ああ、よかった。キリーヤはエリに抱き着き、そのまま声も無く泣いていた。情けないと思うならそれでもいい。それくらいキリーヤは安心したのだから。
「言っておくが、俺は助けてないぞ」
「―――え?」
 意外な回答である。クウェイがここ居るものだから、てっきりクウェイが……しかし、良く考えてみれば、クウェイにあの状態のエリを直せる手段は無い。
「俺が戻った時、フィリアスとすれ違ったから、おそらくアイツだろうな」
 フィリアスが……あの状態のエリをここまで回復させる手段を持っていた? あの時のエリの状態は、魔力枯渇、限界突破による極度の疲労に苛まされていた。外傷ならばまだ良かったかもしれないが、これはエリの体的な問題、所謂、内面的な傷なのだ。それを一瞬で完治させる魔術などキリーヤは知らない。そんな魔術があったとしても、位は極位か終位。フィリアスが使える筈は……ない訳では無い。
 彼について色々考えられる事はあるが、今は詮索をよそう。エリが生きていた。それだけでキリーヤは満足だ。
 肩の重荷が降りた所で、キリーヤはある事に気づき、クウェイの方を振り向いた。
―――泣いていた事は紛れもなく事実で、泣きはらしたような痕がある。しかし、キリーヤの事だ、どうせ聞いても強がって否定するのだろうな。
 そんなクウェイの思考に気づく由も無い、キリーヤは僅かに声を震わせながら尋ねた。
「そういえば、クウェイさんはどうしてたんですか? 宿屋に戻っていたのでは……後、私が来たときは誰も居なかったんですが……」
「ん……? ああ、その事か」
 クウェイはやってられないとばかりに面倒な顔をして、語り出した。






「……は」
「お前の体力は既に限界。今から村に向かえば間に合うかもしれないが、お前にそんな体力は無い。さあ、どうする? お前もまた、限界を超えて果てるか、ここで生き延びるか」
 パランナの出す答えは分かっていた。彼は、妹以外の女性に触れる機会が少なかった故、何よりも妹を大事に思っている。おそらくこの世界でもっとも、妹を大切にしている。妹が同じ気持ちかは置いといて、パランナはどうしようもないくらい、妹を愛していた。愛しているからこそ、妹が自分の幸せを差し置いて、何かをするのが許せなかった。
 人身御供に選ばれた事で、消えたと思っていた望まぬ結婚。パランナがそれを―――見過ごすはずがない。
「クウェイ」
「何だ」
「『皇狂の薬』は持ってるか?」
 クウェイは無言で懐から瓶を取り出し、パランナに見せつける。
「飲ませろ」
「断る」
 一言、一言で切れる二人の会話。刹那の感情の交差と、言葉の響き。二人には十分すぎる程、この会話には情報が詰まっていた。
「お前に掛けなくてもいい方法はあるからな」
 そういうと、クウェイは瓶の蓋を開け、そのまま体を反らして薬を呷った。その行動にパランナが目を見開くが、クウェイは気にせずと言った様子で、そのままパランナを担ぎ上げる。
 こんな所でパランナの限界を誤魔化せば、確実にパランナは死ぬ。妹を助けられずに。エリが異常なだけであって、本来ならば一歩歩くだけでも死ぬことがあるのだ。
 そしてそんなリスクを取る程クウェイは友人に冷たくない。だからこそ、伝言係程度にしか働いていない自分が役に立つ。
 自分が運べば済む話だ。仮に自分がここで死んだとしても、その時には村についているし、パランナの事だから上手くやれるだろう。
「少し重いが……まあいい。ほら行くぞ。リゼルは待っちゃくれない」




 村に着いたと同時に、クウェイは村長の家に入っていくリゼルを見つけた。
「おい、パランナッ! まだ間に合うぞ……っておい?」
「…………………すぅ」
 信じられない話だが、パランナは寝ていたのだ。確かに道中寝ていてもいいというのは自分が言った事だが、まさか本当に寝るとは。この状態になったパランナは最低五時間は起きない。しかも、妹を救えなかったのは自分のせいだ、などと思われては、こちらもたまったものでは無い。
 故に、幾ら心地よい世界に居たとしても、大変申し訳ないが、惨く辛いお世辞にも良い世界とは言いづらいこの世界に戻ってきてもらおう。
 担いでいるパランナを一瞥した後、クウェイは力の限り、パランナを投げ飛ばし、壁に叩きつけた。鎧は衝撃に耐性がない。パランナが目を覚ました。
「ん……村に着いたのか?」
「そんな事を言ってる場合なのか。今家に入ってったぞ」
 その言葉を聞くと同時に、先程『无尽撃』を喰らったとは思えない程の動きで起き上がり、村長の家へと突っ込んでいった―――
「あ」
 しかし、それは一瞬の事。紅衣を纏った男達が玄関に数十人。この村一番の勇士であるパランナを抑え込んでいた。
 あの衣。そういえば、そうか。パランナが最も警戒していた闘技街における最強の王様……カオス・ウリューザナク。その配下の配下。末端の人間か。
 カオス・ウリューザナク。
レギ大陸の王にして『皇閃の剣屍』の異名を持つ最悪の男。おそらくこのレギ大陸以外では王になり得ない男である。五大陸の中で、もっとも煩悩に塗れていて、彼の周りには男騎士がおらず、その悉くが女だったりする。確か何処かの誰かが『煩悩王』と呼んでたが、果たして誰だったか。
「どけええええッ」
 やはりここでパランナを止める訳には行かない。クウェイは落ち着いて男達を観察。この男達の陣形は全て分かっている。パランナの攻撃を一人が受けている間に周りがパランナを囲み、やがて魔術を同時に放って、対象を仕留める―――
 男達が魔術を行使するのと同時に、クウェイは、パランナの足元へハイドラを打ち込んだ。直後に魔力遮断空間が生成。魔術は不発に終わった。
「パランナッ、こいつらは俺に任せろ! お前は妹に会いに行け!」
 足はどんどんと早まる。気づけばクウェイは走っていた。
「任せていいのかッ?」
「因縁がァ―――」
 クウェイは勢いを殺さずにそのまま大きく跳躍。魔術ではなく剣術を得意としている男をみつけたので。
「あるんだよぉッ!」
 クウェイは不意打ち気味に、男の頬へ拳を叩きつけた。
「五分だけだッ! 早くッ!」
 自分に構おうともせず、男達はパランナを止めようとするが、それを更にクウェイが止める―――






「その後は、どうしたんですか?」
「……まあ、色々あって無事に解放してもらってな。俺の部屋には今パランナが居る。内部の事は俺も知らないから、あいつから……聞いてくれ。今現在もこの宿屋には俺と君とエリしかいない理由も……」
 クウェイは何だか頼みづらそうにキリーヤを見、言おうと思って、再び逡巡。一分近く押し黙った末に、ようやく語り出した。
「……頼みがある。あいつから詳細を聞いた後……出来ればアイツを元気にしてやってくれ。俺は確かに詳細を知らないが……結果だけは知っているから、さ。俺が元気づけてやれればいいんだが……頼む」
 クウェイは、それなりにプライドを持っている事は何となく分かっていた。自分のような年下には絶対にこんな対応はしないと思っていた。けれども、人は、他人の為に、ここまで変わるのかと思うと、言葉も出ない。
 ここで断る理由が果たしてあるだろうか。クウェイが自分に願ってきたのだ。頼んできたのだ。頼りにしてきたのだ。承る事こそあれど、断る事など―――ありえない。
「分かりました。ではクウェイさんはエリさんの様子を見ててください。私は……行ってきます」






 扉を開けるが、この部屋だけは灯りが存在しなかった。クウェイかパランナが意図的に消したのだろうが、それにしても暗い。中に誰が居るのかすら把握できない。まるで洞窟前に存在した闇のようだ。
 そういえば、あの石で転移した後は、村に別にあんな闇は無かった。ではあれは一体……まあいい。今はパランナだ。
「パランナさん……?」
「お前か……」
 どうにか体の輪郭を捉えたキリーヤだが、その姿に言葉を失わざるを得なかった。外傷によるモノという訳では無い。只、精神の内側とでも言うべき部分が、腐り切っていたのだ。絶望に晒され、希望に見放された男は、ある種の頽廃的な雰囲気を醸していた。
「クウェイさんから言われて来たんです……どうか、中で何が起きたのか、どうして今の貴方がこうなったのか、お聞かせ願えませんか」
 パランナから聞こえる音は吐息のみ。フェリーテのような能力を有していないキリーヤには、どうも何を考えているのか理解が出来なかった。或いは理解をしようとしなかったのかもしれない。
 そのまま五分。二人は沈黙したまま、向かい合っていた。それはもしかしたらキリーヤを帰らせるためのパランナの作戦だったのかもしれないが、だとするなら裏目に出たとしか言いようがない。キリーヤは相手が根負けするまで耐えられるような人間だからだ。
「分かった」
 パランナは静かに語り出す。本の一頁目を開けるようにゆっくりと、丁寧に。




「リゼルッ」
 外はクウェイに任せた。後はリゼルを取り戻すだけだ……が、パランナの視界に写ったのは、妹だけでは無かった。
「貴様……狂ったフリをしていたのか……!」
 一人は一応親であるクエイカー。こちらに憎悪の籠った瞳で、こちらを睨みつけていた。生憎家に居ても居なくてもこんな感じだったため、今更その瞳にしり込みする……とかはない。というか、クエイカーが居るのは想定の範囲内だ。
 そしてもう一人。
「我の妾を奪い返そうとせん愚者とは、貴様の事か?」
 カオス・ウリューザナク。このレギ大陸の王だ。レギ大帝国に城を構えつつ、しょっちゅうお忍びで闘技街に行っては優勝。そしてどこかから女を五人ほど娶って、また戻ってくるという、屑同然の行為を何度も繰り返している男だ。こんな屑同然の男が、現状レギ大陸最強など、俄かには信じがたい事だ。
 そしてそんな彼がいるという事は……
「反故にした結婚って―――おい糞爺。てめえ、まさか……王の寵愛でも受けようって寸法か」
 パランナがここまで粗暴な口調になるのも、全ては妹への愛と、親の卑劣な生き残り戦略から来ている。後は……個人的にカオスが好かない。
 王の寵愛―――念のために言っておくと、性交ではない。娘に望まない結婚をさせる事で、娘と血縁関係(は無いが、あるという事にする)があるのを利用して、自分自身の地位を確立。金の動きも潤滑にして、資産をどんどんと増やしていく、という一連の流れの事である。もっと簡単に言えば、王様に従順でありさえすれば優遇される事を利用した生活術。
「狂人でないお前なら分かってくれると思うが……仕方ない事なのだ。これも全て、この村を繁栄させるためよ。リゼルも承諾してくれている」
「そんな承諾は、村の為って言われてるからしたに決まってんだろ! 何であんたはリゼルの幸せを考えてやれないんだッ」
「なあ考えてくれ。パランナ、王の夜の相手を出来る時点で幸せだと。このレギ大陸の全ての女性は王の為にある、と。そう思わないかね?」
「思わねえな。お互いに愛し合ってなきゃ性交なんて拷問も良い所だろ。それに、だ! 全ての女性が王のモノ? ふざけんじゃねえッ! 闘技街のルールだか何だか知らないが、間違ってんだよッ」
 パランナの剣を握る手に力が入った。これ以上イラついたらいけない。仮にも親なのだから……斬る訳には行かない。だが衝動が……抑えきれない。殺したい。殺したい。殺したい。リゼルの幸せを妨害するアイツを今すぐ殺したい。
「ではお前は、自分を正義だと?」
「正義を嫌うが故に無法であり、無法が過ぎる故に治安を保てている歪な国、それがレギという大陸。ああ、知ってるとも。ここで俺が正義と言えば、お前等には正義を壊すという大義名分が出来る。俺を殺しても非難処か称賛されるようになるッ。だからこそ言ってやる! 俺は正義でも何でもない中庸だが……妹の為なら正義でも悪にでもなってやろうじゃねえかッ! たとえてめえら全員を相手に回しても……俺は妹が幸せになるまで守ってみせるッ」
 もうパランナの感情を抑制するモノは無くなっていた。剣を持ち上げ、中段に構えるや否や、恐ろしい速度の突きでカオスへと襲い掛かるが、カオスはそよ風でも吹いているかのように難なく受け流し、なんと逆にこちらに斬撃を返してきた。だが大丈夫だ。『刃鉄』が守ってくれる。
 そう思っていたのに、次の瞬間、刃と接した『刃鉄』が、綺麗に切断され、パランナの肉を深く切り裂いた。
「なッ―――ぐッ!」
「我を敵に回すとの発言は虚勢だったか? それも仕方ない。お前と同じ発言をして、そして我に勝ったのは、たった一人だけだからな」
 見る限り武器は持っていない。一体何で攻撃したというのだ。
 パランナは一度距離を取って、間合いを測りつつ、再び攻め込むが、次も結果は似たようなものだった。斬撃を躱され、二連撃を叩きこまれる。
「何っ―――でッ」
 焼けるような痛みが斬られた個所から感じる。まだ打ち合って一分も経っていないと言うのに、どうして自分ばかりが叩きのめされているのだ。
 パランナが大振りで三連撃を放つが、当たらない。それどころか、この攻撃は致命的な隙を生んでしまった。
 そしてカオスがこの機会を逃すはずが無かった。
「我の技を見せてやる。夢想咲レグヴェル―――」
「やめてくださいッ」
 そこでカオスの手がぴたりと止まった。間に入ったのはリゼル。パランナが救おうとしている女性、リゼルだった。
「お兄様ではカオス様に勝てません。どうか……おやめください」
 リゼルが声を震わせて言った心からの一言。パランナとしても、無下にする訳には行かなかった。カオスは武器を収めたらしく、構えを解いた。それを見送ったパランナも武器を納めて―――そのままカオスの顎へ拳打を叩きこんだ。流石に予想外だったのか、カオスの体勢は完全に崩れている。
 この機が生涯一度の機と捉え、目にも止まらぬ速さでパランナは全方向から拳打を放ち続ける。百連撃。まだ倒れる様子はない。二百、三百、九百。まだ倒れない。ならば―――
 その刹那。背中より突き抜ける激痛。
「ねえ、お兄様、私は、私のいう事を何でも聞いてくれるお兄様が大好きでした。ですが、今、お兄様は私の言葉に耳を貸さなかった―――そんな方は、私の兄では無い。どうか、死んでください」
 どうして。リゼルに『刃鉄』を貫ける筈が……と思ったが、よくよく考えれば、女騎士エリとの戦闘で鎧は破損していた。そこを狙ったのだろう。
 いや、もうそんな事はどうでもいい。妹に言われてしまった。いらない。死ね。―――そう。逆だった。妹が自分を必要としていたのではなく、自分が妹を必要としていたのだ。守りたいという欲求は、全て自己の自己による自己の為の欲求。他人の為などでは断じて無かった。
 リゼル……。
 振り返ると同時にパランナは倒れて意識を失った。最後に見た光景は、リゼルが涙を流してこちらに短剣を向けている……そんな光景だった。




 本は閉じられた。後に残るは空虚な何かと、悲壮だけ。キリーヤにはもう家族はいない。家族は居ないが、しかし、だからこそ家族を失う痛みは理解できる。
 しかし、裏切られる痛みは知らない。確かにリゼルには裏切られたが、キリーヤ自身は裏切られたとは思っていない、あれは自分自身の命を最優先した当然の帰結だ。別に裏切るも何も、人としては当然で、少々頭が狂ってるモノでなければ、あそこで裏切らない訳が無い。だからあれは数えられないとして、それ故にキリーヤには分からない。誰かに、それも家族に裏切られる痛みなど、到底わかる筈もない。
「パランナさん……」
 キリーヤから漏れた言葉は、自然と流れ出るものだった。労わりも悲しみを、同情も無い。只、何も言えなかった。
「…………ああ、分かったよ。俺は必要とされてなかった。ただ在るだけだった。俺に存在意義を感じてたのは俺だけだった。妹を守るという自分に酔っていただけだった。吐き気がするよ、全く。俺のリゼル への思いは間違っていたんだ」
 パランナの姿は、一言で言えばとても疲れていた。それはまるで、どこかの魔王のように。ああ、そういえばあの人も……裏切られていたか。
 魔王を救う事は出来ない。少なくとも、今のキリーヤでは。しかし、パランナならば、きっと救う事が出来る。パランナならば、きっと自分の手が届くはず。
「―――こんな事、私が言える資格はないのかもしれません。私は裏切られた痛みは分かりませんし、兄妹も……兄、の方でしたので」
「……」
「……貴方の妹さんへの気持ちは、間違っていません。今回は状況が……それに、貴方の話を聞く限りでは、妹さんは泣いていたんですよ、ね。私も妹さんが何を考えているかは分かりませんが、でも理由はきっと在る筈です。そのカオスって方が居たからそうせざるを得なかった、そう考える事だってできます。……だから、まだ諦める時じゃありません」
「諦める時じゃないだと? お前はカオスの事を知らないからそんな事が言えるのだ。奴はレギ最強と同時に、この大陸の王。王にお前は逆らえと言うのか?」
 王に逆らうなどという行為は愚かも愚か。愚の骨頂だ。パランナの言う事は全て正論であり、むしろキリーヤの言う事の方が、間違いであり、愚かなのである。
「貴方の思いは絶対に……家族を想う気持ちが、間違いな訳がありませんッ。意思を貫けば……絶対に勝つんですッ」
 綺麗事と言われてもいい。むしろ綺麗事と言われなくてはならない。何故ならキリーヤが成さんとしている事、魔人と人間の共存こそが、最上級の綺麗事だからだ。そして、綺麗事だから……何だ? その綺麗事を非難するばかりで目指そうともしない者は一体何なのだ? この世界は汚いなんて言われるのはよくある事だ。が、汚いと言えるのも、綺麗な状態から下がったからこそ言える言葉。この世界に綺麗な事はないと言うならば、そもそも全てが汚れているという事なのだから、汚いなんて言葉はあってはならない筈だ。
 世界は九割の汚染と一割の純粋で構成されている。自分は、そう。その一割にならなければならない。
「綺麗事を。もう間違いとか間違ってないとかどうでも良いんだよ! 俺は要らない存在だった……それだけだッ」
「貴方が要らない存在なんて事は、誰が言ったんですかッ? 貴方は直接妹さんの口から聞いたんですか。違いますよね。ならそれは……貴方自身がそう思っているだけですよ―――少なくとも、私は、貴方が要らない存在だとは思っていません」
「俺に……何で肩入れするんだ」
 パランナには理解できなかった。まだ知り合って一日も経っていないのに、ここまで自分に食いついてくる、自身が疑っている意思を、純粋に信じている少女が、どうしても理解できなかった。
「貴方には、幸せになって欲しいんです。出来れば願いを叶えてほしいんです。……私の勝手な想像かもしれませんが、パランナさんの否定は諦めによるものです。決して、望みを……妹が幸せになるまで守るという望みは捨てていない筈です。―――聞く限り、状況が状況です。クエイカーさんが居て、カオスって人が居て、貴方が居て。こんな状況で妹さんが本音を話すと思いますか。涙を流しながら刺したんですよ。それが本音を言っている様に見えましたか?」
 それは違う筈だ。リゼルは昔からいい子で、嘘など吐いた事が無かった。理不尽に何か悪い事の罪を被せられても、文句一つ言えないような子供だった。
 もしそれが、初めて吐いた嘘による涙だったのならば……
「パランナさん、助けに行きましょう。闘技街に、カオスって人が居るんですよね。なら、取り返しましょう。その街の規則に則って。大丈夫です。貴方は一人じゃありません。私は勿論、エリやクウェイさんも来てくれるはずです。来てくれなくても、来てくれるまで私が説得します。パランナさん……一緒に、妹さんの所に行きましょう。そして真意を聞きましょう。それまでは……諦めるべきじゃありません」
「お前は……何者だ?」
「馬鹿げた理想を持つ、歳相応の子供……あと一年で十五歳いろつきですが。それだけですよ。ねえ、パランナさん、私に貴方を手伝わせてください」
 こんな子に……まさかこんな事を言われるとは。理想が詰まっていて、現実的でないバカみたいな発言だが……こういう理想があってこその現実ではないかと思う。そしてこれは笑い話では無い。本気で叶えるべき理想だ。
 もし間違っていたらとは考えない。そんなモノ考えればキリがないからだ。それに、自分にもし存在する意味が無いと言うのなら、何をしようと意味が無い、ゼロだ。ならこの馬鹿げた話に乗るのも……一つの手だ。現実に歯向かってみるのも……一つの手だ。
「……ありがとう」
 自然とこういう言葉が出るとは思ってなかったが、感謝をすればまさに自然と口から出てくる。現実に跪きかけた自分を立ち上がらせてくれた少女。こんな少女が自分を信じてくれるのに、自分が自分を信じない訳には行かない。
 その言葉に、キリーヤは優しい笑みを浮かべた。
「元気になってくれて良かったです。じゃあ、私はこれで」
「え……ああ、そうか」
 そういえば、ここはクウェイの部屋だった。キリーヤは隣の部屋で女騎士と寝ている。そうだ、その筈だ。一体どうして自分はここで一緒に寝るなんて思っていたのだろう。
 キリーヤは扉を開け、外に出た。代わりに入ってきたのは、当然クウェイだった。
「差し向けるような形で済まないが、元気になったか?」
 クウェイも何気ない発言のつもりだったのだが、パランナの様子がおかしいので、会話を続けてみる。
「……ああ」
 何というか、呆けているのだ。はっきり言ってアホ面だ。間抜け顏だ。こんな表情のパランナはクウェイは一度も見たことがない。
 一体、どうしたというのか。
「何を言われたかは知らんが……何だか、あの嬢ちゃんの言葉は、妙に信じたくなるな。なんというか、凄く、純粋でさ」
「……ああ」
「俺達の腐敗した心を綺麗にしてくれる。そんな感じの人間だよな。嬢ちゃん。言っている事はバカみたいで理想に満ちている。ああ、馬鹿だ。人によっては聞いているだけでイラつくという人もいるだろうな。だけど……あんな人間こそが、世界を変えられるのかもな」
 今度は相槌すら忘れると来たか。色々理由は探ってみたが、思い当る限りでは一つしかない。しかし……年齢が年齢だ。この世界の大人は十六だったか。これではまるでパランナが……
 いや、年齢など安っぽい壁を出してはいけない。これはこれで、一つの―――恋なのだ。叶うかは別として。
「何かあったのか?」
 クウェイはパランナの隣に座って、そう尋ねた。これは面白い。一夜掛かってもいい。話を聞こうじゃないか。






 一夜明けた。エリの姿が無い所を見ると、動けるようになったのだろうか。フィリアスには本当に何と言っていいか。感謝の言葉すら出ない。今度会った時は、やはり何かお礼でもするべきか。
 エリの姿が見当たらないので、起きて、下に降りてみるが、誰も居ない。そう言えば、パランナを元気づけようと必死になるあまり、どうして皆が消えたのかという理由を聞いていなかった。まあいい。後で聞く事にしよう。
 キリーヤは下を隅々まで探すが、どこにもエリは居ない。果たして、一体どこに居るのか。
 玄関を開けた時、それは判明した。女性―――エリはこちらに振り返って一言。
「キリーヤちゃん」
「エリさんッ!」
 キリーヤはエリの下に駆け寄って、抱き着く。エリはまるで自分の子供のようにキリーヤの頭を撫でる。
「心配かけましたね。私はもう大丈夫ですよ」
「……そうですか。本当に良かったです」
 朝日は眩しく、影は濃い。抱き合っている二人には互いの表情は見えないが、それでも分かる。エリの笑顔が、自分の喜ぶ顔が。
「……ねえキリーヤちゃん、貴方に言いたい事があるんです。聞いてもらえますか」
 キリーヤがエリから顔を離した。「何ですか?」
「貴方の理想、まだ認めたわけじゃありません。ですが……一笑に付すようなモノでは無い事が分かりました。ですが、貴方はまだ子供。きっと至らない点もある事でしょう。今回だって、私が居なければ、貴方はずっと怪物の慰み物になっていたんですから。つまり……何が言いたいかというと……」
 キリーヤの顔が明るくなった。次の言葉、それはキリーヤが、エリの口から絶対に聞きたかった言葉―――それ以上の言葉だったから。
「このエリ・フランカ。貴方のような危なっかしい人を見捨ててはおけません。―――こんな弱い騎士で良ければ、夢の果てまで、貴方と共に居ますよ。キリーヤちゃん……いえ、キリーヤ」




 






































 

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