ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

貴方の為に

 鬼の体が壊れていく。一切の抵抗を許さず、一切の回復を許さず、一切の存在を否定する。紅き線が輝きを増していくにつれてそれは一層加速し、洞窟を覆いつくていた鬼は、いつしか全て消失していた。
 間近で見ていたからこそ分かる。エリのその力の異常さを。誰か一人でも生きている限りそのどれもが等しく本体故に、自身を複製できる鬼が、只の一瞬で『壊れた』。一瞬の猶予もなく、生命を絶たれた。そしてどういう訳か……キリーヤの体は既に完全回復を果たしていた。自分の体にも線が纏わりついていた事から、それこそが聖槍『獅辿』と呼んでいいか分からないアレの力なのか。
 しかしその発動者たるエリにその恩恵は無かった。エリは槍を突きさしたまま、停止している。痛みにあえぐ事も、倒れる事もしない。ひたすらにその状態を維持している。
「……あの」
 キリーヤが近づくが、いつものような反応はない。そもそも生きているかすら分からない。像のように止まっているキリーヤはまるで立ったまま死んだ英雄のよう。
「……エリさん」
 もう鬼の居ないこの空間は、長い事静寂が支配し続けている。永久にも引き延ばされた時間は静寂を孤独へと、孤独を不安へと変え、キリーヤに与えた。エリの動きは、相変わらず無い。
 五分ほどだっただろうか。長い沈黙を破ったのは、エリだった。
「………………………………………………………………………大丈夫、ですか」
 しわがれたような、この声がとてもエリから出たとは思えなかった。思いたくなかった。エリの声はもっと凛とした響きをもっていたというか、美しかった。そんな声が、終焉の末端に触れた故にこんな声になってしまうなんて。
「エリさん! エリさんッ! 大丈夫ですかッ、動けますかッ?」
 最低限喋れる事は出来るようだが、応答を繰り返す事は出来ないようだ。キリーヤがエリの顏に詰め寄って、声を掛けるが、反応は無い。だがそれは、声を掛けずともその瞳を見ればわかった。
 キリーヤを写すはずのその瞳には、虚空のみが写っていた。光の射し込まぬその瞳は―――いや、洞窟だから暗いとかでは無くて。というかそもそも灯り自体は持ってきているし、その光にさえ瞳は反射しないのだ―――まるで曇り切ったガラスのよう。
「………………………………………良かった…………」
「―――え?」
 エリは目を微笑ませた後、まるで心残りが消えたように、その場に崩れた。直後、突き刺ささっている槍に紅い線が収束。キリーヤの知る『獅辿』の形へと変質した後、エリに寄り添うような形で倒れた。
「……そんな」
 物語が全てハッピーエンドで終わるとは、誰も言っていない。だけど。それでもキリーヤは。最悪の結末だけは防ぎたかった。自分の手の届く範囲での死を、絶対に防ぎたかった。
 なのに。だというのに。よりにもよって、自分が一番守りたかった人を……
「ああ……ああ………なん……なん、で……?」
 自分に一番反発しながらも、何だかんだで見守ってくれていたエリ。そのエリにこそ自分を理解してもらえれば、理想を実現できるかもしれないと思っていた。
 でも、気付いた。自分は一人では無力な少女なのだ。エリが居なければ、そもそもここまで辿り着けていない。クウェイにも会えずにパランナにもフィリアスにも会えずに。仮に会えたとしても、きっとここで鬼達に……
 自分の力だけで全てを解決しようとするなど驕りであり、愚かな事だ。かつてアルドがそうだった。今でこそナイツ達との生活を楽しんでいるアルドだが、精神が摩耗しきっているというのは何となくわかった。初めて会った時。あの時は母と一緒だったが、第一印象は、とても疲れている人、だった。きっと最強故に孤独である事や、自分以外頼れるモノが無かった(アルドについて自分が調べた限り)故に、アルドはあんな風に疲れてしまったのだろう。
 アルドには教えていないが、キリーヤが共存を目指す理由の一つに、アルドの疲れを取るというのも含まれている。
 だが、それを一人でやるなんて愚の骨頂だ。自分は無力な少女。地上最強の男の疲れを一人で癒そうとする等、烏滸がましいにも程がある。何故気づかなかった。こんな自分が取れる方法なんて、誰かに頼るしかないではないか。
 人間に村を襲撃されたあの時、もう泣かないと決めた。弱い自分を封じ込めたかった。でも。今だけは。
 泣いちゃ……駄目なのに……
「うっ、ひっんッ、う、あッ……!」
 抑えようとすればするほど、涙は止め処なくあふれ出てくる。誰に裏切られた訳でもない。しかし、誰かを失うという事は、齢にして十四の少女には、辛すぎた。アルドのように過酷な環境で生きていたならばいざ知らず、キリーヤは平和を満喫していた少女。
 これ程までに惨く、悲しく、やり場のない怒りに苛まれる出来事は初めてだ。
「うあああああああああッ!」
 ついに感情を抑えきれなくなったキリーヤは、エリに抱き着きながら、およそ十分間に渡って泣き続けた。泣いた所でエリが戻って来ないのは分かってる。泣いても胸に空いた虚空がふさがる事が無いなんて分かってる。それでも……泣かずにはいられなかった。
「……………………………………ゃん」
「―――――――――え?」
 幻聴か―――いや、良く考えてみれば、エリが倒れた時、キリーヤは死亡の確認はしていない。でもエリの肌は冷たい。しかし、もしもという事もある。エリの口元に耳を寄せると……僅かに呼吸! 続いてエリの胸に手を当ててみるが……心音! かなり弱いが、しかし、生きている可能性がある限り、キリーヤは諦める訳には行かない
 キリーヤは慣れない手つきでエリの手を自分の首へと回し、洞窟の入口へと戻っていく。体格差は一目瞭然。けれどもエリが助かるのならその程度の差など軽く覆して見せよう。
「エリさんは必ず助けて見せます。私が絶対に。友達だから……!」






「なあ、パランナ」
 治癒魔術を掛けつつ、クウェイは語り掛ける。数分後、やっと反応があった。
「…………何だ?」
 パランナは首を動かし、クウェイを見据えた。その表情は如何せんどんな感情が紡がれて生まれたモノかは分からないが、未だ憔悴しているようだ。
 おそらくこれを伝えれば、パランナは自分の家へ戻るだろう。足が折れれば這いずって、手が無くなれば転がって、体が無くなれば魂だけでも。自分の妹に関連する事ならば、ここまでするのがパランナだ。
 レギ大陸。近親相姦がやたら多い大陸で、上流階級の人間は、殆どそれに染まっている。おそらく家族愛が元々強かったのがこの大陸の人間の特徴の為、それが変異したものだと思われる。パランナがそうだったかは知らないが、少なくとも妹をとても大事に思っている事は確かだ。少なくとも、命の勘定では自分より妹を優先する。それがパランナという男である。尚、兄が異常なだけであって、妹、即ちリゼルは普通である。兄は大事だが、でも自分の方が、といった感じである。
 しかし―――伝えなくてはならないだろう。こんな事は依頼されていないが、それでも協力関係の延長だ。
「リゼルは犠牲にならずに済んだ。そして今、村に戻らんとしている。これは言ったよな」
「……ああ。ここで待ってれば会えるんだろ?」
 クウェイが頭を振った。
「違うな。確かにあいつは村に戻ろうとしているが、だからって……狂人のお前が居る所をわざわざ帰り道にすると思うか?」
 妹に説得されたらパランナも退かざるを得ない為、話し合いの余地が無い狂人を装っていた訳だが、今回はそれが裏目に出てしまった。狂人となるしか手段は無かったため、必然と言えば必然の結果なのだが。
「俺が何故か内部を知ってるっぽいフィリアス―――あの左腕以外全身布男な。そいつに聞いた時、リゼルの話題が一切出てこなかった。内部の事情を知ってるのに、出てこなかった。つまりその時点でリゼルはもう外に出てたって事だ。これを証明する事柄はもう一つある。一人の怪物だったから、この作戦は成功したんだ。それが何百人も居て、そして中に女性が二人いるんだぜ。なんで巻き込まれない? リゼルは確かに選ばれなかったが、それでもそれはキリーヤの方がスタイルが良かったからであって、お前の妹の体型が寸胴だったとか尺八だったとか、そういう事は一切ない。むしろ普通にいい方だ。何百人も居たら二人を犯しつくす事なんて造作も無いだろう」
 途中妹を馬鹿にするような発言をしたからか、それともクウェイの言いたい事に不穏を感じているからか、未だ瀕死であるパランナの目は刃物のように鋭く光っていた。早く続きを言え、とも、妹を馬鹿にしやがって、死にたいのか? とも取れる。少なくとも、この話に尋常でない興味を抱いているのは確かである。
「……以上二点から、リゼルは村から天翔石を持ちだして、さっさと逃げ帰ったと思われる」
 天翔石。記録した場所にいつでも戻る事が出来る、別名『天馬の涙』と呼ばれる石である。エリ達に伝えなかったのは、これはシルトンの家系における秘宝であり、クエイカーと家族であるリゼルとパランナ、そしてパランナに協力していた自分しかしらない事だからだ。それにリゼルは覚悟を決めていると思ったので、考える必要性すらなかった。
 まさかここまで―――というか、リゼルは最初から人身御供になどなる気は無かった。あの義理堅いリゼルがそんな事をするとは思えないが……ああ、なるほど。キリーヤを身代わりにする作戦が成功して当たり前だ。あちらも同じつもりだったのだから。
 パランナを見ると、その瞳が動揺で震えている事に気づいた。クウェイはそれを知っていて、そしてこれから起きる事象もある程度は理解できている。それでもクウェイは、無慈悲な刃を振り下ろさなくてはいけない。今までパランナを繋ぎとめていた鎖を断ち切るために。
「……言いたい事は分かるよな。もうお前の妹は村に戻って……闘技街における権力者と、反故になった結婚の約束を再び交わしてるところだろうよ」










 洞窟を歩いて四十分。速度を考えるに、洞窟を抜けるまでは後十分といった所か。エリを少しでも延命させるために、キリーヤは歩きつつ、エリへ魔力を譲渡し続ける。が、エリがいつ掴んだかもわからない『獅辿』が、その悉くを持っていくので、正直、エリに渡せているかは微妙な所である。
 しかしながら、キリーヤが考えたある策によって、魔力はそこそこ貯蔵がある。この魔力はエリと親和性があるため、やはりエリにはいくらか渡せているだろう。
 その魔力とはずばり、エリの魔力。キリーヤの力(というより、確認してみたら簪によるものだった)で、エリの強さを投身し、魔力総量をまるまる写し取った。今はキリーヤの魔力だが、写した本体はエリの為、実質はエリの魔力。そういう訳で何とか洞窟を出るまでは持たせられそうだ。
 この簪の能力は、判明した限りこんな感じだ。
 触れた事のある相手の魔力総量、魔術、身体能力を写し取る。身体能力は六割から八割程。魔力はそっくりそのまま、魔術は一部。また、知りたいと思った情報に対して真相を知る事が出来る。
 フェリーテがくれたこの簪は、今のキリーヤにとってはかけがえのないモノとなった。思い出という意味でも、自分に力をくれたという意味でも。
「後……少しですから」
 洞窟の入り口が見えてきた。しかし、どうするか。洞窟を出た所で村まではかなり距離がある。どう考えても、キリーヤの残存魔力ではそこまで持たない。クウェイが居れば何か変わるだろうが、どうも姿が見えない為期待しない方が良い。
 入り口を通り抜けた時、辺りは暗黒に支配されていた。宵闇に包まれていたあの時が如何に明るかったか。それが非常に良く分かる。
 そうか、これがレギ大陸の特性。夜の異常な暗さ。一寸先も見えないこの闇の中で、キリーヤはエリを運ばなくてはならないのか。
 せっかく紡ぎ出された希望が消えていく。絶望的だ。一体どうすれば、エリを運べると言うのか―――キリーヤの足元には、暗黒に抗うかのように光り続ける石があった。誰が置いたかは分からない。だがあまりにも不自然な位置に置いてある為、誰かがキリーヤの為に置いて行ってくれたのは確かだろう。
 この石に賭けるしかない。
 キリーヤはありったけの魔力をその石へと注ぎ込んだ。







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