ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

結末

「それで、何だ師匠」
「……先程レンリーに会った」
 ツェートの表情が僅かに揺れた。状況からして仕方が無いが、どうやら苦手意識みたいなものを持ってしまったらしい。
 その顔が暗くなっていくのをアルドが止められる手段は無いが、こればかりは仕方が無い。答えを出さなければ、この件は絶対に終わらないのだ。本人と、ネセシドと、レンリーの為にも、この時間は絶対確定必要事項。本人は苦しいだろうが―――
 アルドはツェートに言い聞かせるように言った。彼女が本当の恋をした事がない事、ツェートに未だ執着している事、気を抜けば殺される事。
「―――でだ。お前的にはどうしたい? 決断は自由だ。夜ひっそりと逃げるのもいいし、正面から向き合うのもいいし、勿論殺されないように警戒しつつこの家に留まるのも良し。レンリーの様子を見る限り、今も言った通りお前を自分のモノにするか、或いは殺さない限りあのとち狂った衝動は収まらなそうだぞ」
「……どうした方が良いんだ、師匠?」
「私から自立しろ。どうしたら良いかなどとは自分自身が決める事だ。だから……私は」
 フルシュガイドから自立したアルドは、魔王になった。
 その言葉をツェートに伝える日は生涯来ないだろう。これから世界を奪還しようとするアルドだが、少なくとも、その目的が達成されるまでは、只の人間だと思っていてもらいたい。
 自分の言葉を飲み込み、アルドはツェートを見据えた。
 この少年の答えによっては、やはり殺さなくてはならないだろうか。アルドは仮にも人間だった存在。欠片ほどにせよ弟子には情だって沸く。最悪の結末こそ回避していると信じているが、人は突拍子も無く意見を捻じ曲げたり、理不尽な物言いをする事がある。それと同じだ。
 彼の行動原理と行動基準に配慮した上で最悪の結末へと行かぬよう道を敷いたつもりだが、いやいや、たとえ敷いた所でそこを必ず通るとは限らない。
 ならば柵を作り、外れる事すらも抑止するか? 過度の抑圧を大抵の人間は嫌う。いずれ人は柵をぶち破るか乗り越える方法を見つけるだろう。つまりは―――無駄である。
 ツェートは項垂れ、何かを呟いている。
「なあ、師匠。善いとか悪いとか、そういうの、抜きで良いんだよな?」
「ああ」
「合ってるとか間違ってるとか理屈とか、どうでもいいんだよな?」
「あ、ああ」
 何故か嫌な予感がしてきたが、これが気のせいであると願いたい。気のせいであってほしい。気のせいで無いのなら気のせいだという事に書き換えてしまいそうだ。……まあ出来ないが。
「師匠。人の為に何かをするって良い事だよな」
 話に繋がりが見えない、故に意図が分からない。表面上恐れなど無いように見えるが、その実、未知の領分は恐ろしくて仕方が無い。地上最強の英雄がそんな事で務まるのか……その訳の分からない『最強ならば怖いモノなどない』などという当たり前がアルドを締め付けていたのだ。
 この流れを察するに、ツェートは自分の想像だにしない選択でもするつもりなのだろうか。しかしながらそれは自分でも馬鹿げた選択と分かっているので、だからアルドに何度も聞いてきた。そんな感じだろうか。
 十分ほど悩み続けた末に、ツェートが顔を上げた。
「明日の朝まで考えさせてもらっても良いか?」
 アルドは目を瞑り、静かに頷いた。








『逃げろ』
 この言葉は今でも脳裏に焼き付いている。当然だ。自分が憎み続けた男が、最後に自分の為に告げた警告なのだから。レンリーに惚れていた時は何の感慨も抱かなかっただろうが、お互い誑かされた者同士、今では感謝すらしている。あれが無ければツェートはおそらく動けず、ネセシド共々レンリーに刺殺されていた事だろう。
 逃げろ、とは言われていたが、ツェートはどうしても本当に逃げる気が起きない。アルドとの会話を聞いている内に、何故か彼女は放っておけなくなったし、さっきもアルドに言われた通り、逃げた所でレンリーは追い回してくるのだ。だからと言ってここに留まっていては、やはり狙われる。
 一番良い選択なのは、おそらくアルド達に付いていく事であろうが、ツェートはある事を狙ってるが故にこの選択はありえない。
 レンリーは放っておけないし、アルド達にも付いていかない。何よりここには留まりたくない。
ならばもう一つの選択肢を選ぶしかあるまい。
 それは非常に馬鹿げた選択かもしれない。全てを取ろうとするが故の阿呆の行動かもしれない。
 しかしそれでも。
 ツェート・ロッタの選択は間違ってなどいないのだ。馬鹿げていても、綺麗ごとでも、何かを捨てられない軟弱者でも、それでも―――間違い何て事はない。この世界において間違いは只一つ……何もしない事だ。
 夜が明け、そして―――




 眼前の墓を見つめた後、ツェートは静かに跪いた。
 ここには自分を逃がし、決断させる為に自ら犠牲となったネセシド・エタンが眠っている。死んでいるという状態を眠るという風に表した人間は天才である……悲しみが薄れるから。
 アルドが起きるより以前に部屋を飛びだし、ツェートはここに来ている。ネセシドの惨殺死体を土に埋め、粗末ながら家から持ち出した剣で墓を作ったが、これで彼が報われたか疑問だ。それ故不器用ながら、こうして祈らせてもらっているが……自分の中の後悔は消えない。どうして逃げてしまったのか、とか、レンリーを止める方法が別にあったのでは、とか。しかしあの時何も思い浮かばなかったのなら、あの時はああする以外は無かった。
 分かっている筈なのに。それでも自分は後悔してしまう。情けない男にはなりたくないし、出来ればアルドのように堂々と振舞っていたいのだが……上手く行かないか。
 ツェートはゆっくりと立ち上がり、墓を背に歩き出した。
 その瞳には、決意が宿っていた。もう彼を軟弱な男と貶すものは誰も居ないだろう。
 その背中は、かつてのアルドを思い出させるよう。尤も、ツェートがそれを知る事はないが。






「師匠、ありがとうございました」
「いやいや、こちらも愉しかったよ。本当に有難う」
 今日は師匠であったアルド、そしてヴァジュラ、ユーヴァン、フェリーテとの別れと同時に、ツェートの旅立ちの日。思う所は色々あるが、まずは自分をここまで強くしてくれた師匠にお礼を言うのが、ツェートなりの感謝だ。この村を出るまではアルド達とは一緒なので、ここで言うべき事ではないかもしれないが、何故か必要性を感じた。
「ユーヴァンさん、アンタの話……すごく面白かったぜ! またいつか会ったら話を聞かせてくれよ!」
「この俺様の話の面白さを理解できるとは……いいだろう! 今度は今日より二倍、いや三倍ッ、いや十倍面白い話を聞かせてやろう!」
「それ言い過ぎ」
 ユーヴァンにはいろいろな話をたくさん聞かせてもらった。それはウイットに富んだモノ、下らないモノ、周りが凍り付くモノ。色々あったが、それでも楽しい事に変わりは無かった。彼みたいな人が自分の傍に居ればきっと退屈しないのだろうが、生憎と彼はアルドの従者。自分の隣にはいられない。
「フェリーテさん、その……」
「言わなくても良い。その心を見れば分かる」
 実はフェリーテとは大した思い出が無かったのだが、それを口にするのは無礼と察したフェリーテが柔らかな微笑みを浮かべ制止してくれた。確かにそうだ。当の本人であるフェリーテ、そしてアルドに失礼である。フェリーテはそれを防ぐためにあえて……出来た女性だ。アルドが特段好意を向けてるのも分かるような……気がする。
「……じゃあね、ツェータ。君との日々、結構楽しかったよ」
「……ヴァジュラさん」
 こんな事言ってしまっていいのだろうか。これを言う事は、それこそ―――失礼に当たるのではないか、いや、アルドならばきっと笑って許してくれるだろう。
「……俺、絶対強くなっていつか師匠を超えて見せる」
「……? そう」
「だから、もし超えた時は……俺と―――」
 その時だ、フェリーテが両者の頭に両手を置いたのは。何事かと驚いて視線を送ると、その顔にはこう書かれているような気がした。
『今、言うべき事ではないぞ? お主が主様を超えたその時こそ、言うべき時じゃ』
 確かにそうかもしれない。ここで言うべき事ではないだろう。アルドも、フェリーテも、ユーヴァンも、そしてヴァジュラ自身も、次に紡がれるべき言葉は分かっている。分かっているからこそ―――
「いや、俺が師匠を超えたら、続きを言います」
「……そう……じゃあ―――」
 ヴァジュラは僅かに屈んで、目線をツェートに合わせると、その額に優しく口づけ―――キスをした。その行動に思わずツェートは身を強張らせ、動揺しきった表情でヴァジュラを見た。
「―――待ってるよ」
 その表情の美しさたるやまるで女神の様。ツェートは顔を紅潮させたまま、その顔に釘付けになった。レンリーに惚れたあの時のように、心臓は高鳴っていた。
 そこでツェートはハッと気づいた。何かを感じた訳では無い。只、アルドがどんな表情をしているのか、気になってしまったのだ。
 しかしそれは全くの杞憂であった。アルドは面白いとばかりに腕を組みながら、その変化は殆ど誤差だが、確かに笑っていた。
「……え」
「面白い。私もお前が超えてくれる日を心待ちにしているよ。そしてその時こそ―――」
 お前の願いを叶えてやろう。
 言葉にせずとも分かっていた。
 今更のように感じるが、この人達は、まるで脅威を恐れとしない。脅威こそ快楽であるかのように楽しみ、次の脅威を心待ちにする。
 もう意志が揺らぐ事はない。ツェートはきっと、アルドを超えるだろう。
「ほら、行くぞ、ツェート。村を出るまではまだ一緒だろう? それに、彼女に伝えたい事だってある筈だ」
「先に彼女の所までは行くぞ」アルドは三人を引き連れ、家を後にした。残った人間は、ツェートとメイザー、二人だけである。
 何だかんだと虐待してしまったが、この人には本当にお世話になった。自分を育ててくれて、暴力をふるう自分にも尚世話を焼いてくれて、ああ悲しい。後悔してもしたりない。
 しかしそんな懺悔を長々と語った所で母親メイザーは喜ばない。ツェートが言うとすれば、そう。この言葉のみである。
「行ってきます……母さん」
 返事を聞くことなく、ツェートは後を追うように歩き出した。大丈夫、荷物はまとめた。もう悲しくなんてない。心に決めたのだ。絶対にもう、泣かないと。

















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