ワルフラーン ~廃れし神話
英断の時
広場は街の中心にあるが、幸運な事にツェートの家は近い方ではない。ネセシドがどれだけ刺されているかは不明だが、家までは問題なくたどり着ける事が出来ると思う。
そう辿り着く事だけならば。問題はその後だ。
具体的にはこの後のツェートの行動。その行動次第では、レンリーは再び自分に牙を剥けてくるだろう。或いは、どんな判断にも関係なく襲われるか。
レンリーを受け入れれば、殺される事は無いだろうが、しかし今、レンリーに対しての評価は変わってしまった為、自分に正直なツェートには拒否以外の返事は出来ない。
幾ら瀕死とはいえ、実に十分、ツェートは走り続けた。背後にレンリーは居ない。それはネセシドを未だ刺しているからなのか、或いは何らかの事情で家に帰ったのか。どちらにしても関係ない。今は……何も考えたくない。
ツェートが家に体当たり気味に飛び込むと、柔らかで温かい感触がツェートを包んだ。
「……」
ヴァジュラだ。ヴァジュラはまるで、ここにツェートが突っ込んでくる事を知っていたかのように、優しくツェートを包んだ。自分の体に血液が付着しようが関係ない、とばかりに。
「ヴァジュラさん……俺……」
先程この目で見た光景が信じられず、ツェートの声は再び震えた。目からは感情を密に宿した涙が流れ、それは頬を伝い、やがてヴァジュラへと滴る。
自分を包むヴァジュラの腕が、より一層強くツェートを抱きしめた。彼女は何も事情を知らない。しかしそれ故に、ツェートを労わる事が出来る。この労わりは、きっと何物にも代えられない。
「……ぐっ……ふっ、……フッ……スン……」
ツェートは顔を埋め、辺りに響かないよう静かに泣いた。それが泣き虫と思われたくない故の、せめてもの隠蔽と思うと、姑息にも感じるし、愛おしくも感じる。これこそが彼なりの誇りの保ち方の為、口には出さない方が良いだろう。
しかしながら、この悲しみ。事情を知らないとはいえ、察する事は出来る。この涙は敗北の涙でも怒りの涙でも後悔の涙でもない。
それは初恋に敗れた男の涙。
それはおそらく自分では無く、長年追い求めていたレンリーへの涙。『覚』がある訳でもなく、男性でもないヴァジュラだが、その気持ちだけは理解できてしまった。……まるで自分のようだったから。
自分はそのおかげで新たな恋や、友人との絆を確認できたのだが、ツェートには今自分達しかいない。
今でこそ自分に泣きつく事で心を維持しているが、もしも、自分達がいなかったら―――きっとツェートの心は壊れるだろう。この大陸は『子供』が『大人』で、『大人』が『子供』だが、その心の本質だけは変わらない。この大陸が異端とされるその理由。それは決して完全な異文化、価値観を持っているからではなく、半端に飛び出しているが故であるとヴァジュラは思う。
大声で泣かないだけ、まだ感情を抑制しているようにも思うが、そればかりはツェートの自由だ、強制は出来ない。
それから暫くの間、ツェートはヴァジュラの胸元で泣き続けた。少なくとも、次に玄関が開けられるその時まで、子供のように泣き続けた。
『弌無き幽世』がこの衝撃に耐えられる道理は無く、結界は半秒遅れた後、塗り替えられていくように消え去った。二人は衝突時の衝撃によって数キロ以上吹き飛ばされており、まともな人間ならば生存は絶望的だった。
しかし片や最強の男の弟子だった特異体質者、片や元地上最強現魔王の男。二人は各々の手段で、戦闘によって消滅した小屋の前に再び集った。
フィージェントはアルドの本気の斬撃の余波で、全身に深い切り傷、さらに左肩が切断され、その機能を停止させた。フィージェントの力を以てすればその程度なんの問題も無いのだが、機能については生涯治らないモノと見た方が賢明だ。瞬間的とはいえ、フィージェントの全身は消滅したのだから。消滅と傷。秤にかけるまでも無いだろう。
一方のアルドだが、どうやら『喰殱』を相殺したようで、上半身の衣服が焼けて消滅したという点以外では、傷一つ負っていなかった。
二人は向かい合う。
「フィージェント……良いザマだ。どうだ、私の怒りの片鱗を少しにしろ味わった気分は?」
「ああ」
フィージェントは短剣を鞘から取り出し、機能不全の左腕を切断。同時に左腕を鞘の中で製造。肉体と連結するように再び生やした。
「でもこんな風にもう一度生やす事だって出来る。先生、俺はまだ戦えるぜ……」
その言葉を虚勢と受け取り、アルドが一歩踏み込むと、フィージェントは途端に戸惑い始めた。
「待て待て! ……あんたに負わされたこの傷はどうやら如何なる手段でも再生不可能らしい。御蔭で身体能力に制限が掛かってる。……いつか慣れるだろうけど、さ。少なくとも今は無理なんだってば」
「初めからそう言え」アルドは武器を下し、その場に座り込んだ。
「ここは『弌無き幽世』ではないようだな」
鉱石場は既に二人の攻撃によって消滅している為、既に違う。だとすれば現実……とも思うが、流石に数十キロも吹き飛んでいたら流石に目立つし、誰かが気づくだろう。
しかし誰も反応しない。
であらば思いつくのは一つである。
「『弐在りとす隠世』でも言ってやろうか、お前……幾つ用意したんだ」
「……五つ位だよ。まあ、最も俺が構築に時間を掛けたこれ以外、全部消滅したけどな」
フィージェントの結界魔術は、最高位。真面目に結界を作れば、それこそ世界をもう一つ作る事だって出来る。どんな心象風景だろうと、出鱈目で矛盾だらけな世界だろうと、フィージェントの手に掛かれば容易に作る事が可能だ。おそらくフィージェントが作成不可能なのは、王剣による魔力強制解放時に見える死海くらいだろう。
フィージェントがそんな世界を五つも用意していたというのに、しかも予想の限りだが、『弌無き幽世』は発動者以外のあらゆる攻撃を軽減させるモノのはずだ。にも拘らず、それらが殆ど全て消し飛んだ―――人間の頃のアルドに世界を亡ぼす力は無い為、『喰殱』による力が大部分を占めるだろうが、もしこの時、王剣を使っていたとしたら想像に難くない。あれの異名は―――禁界剣。この世界の者で唯一出自を知っているアルドからすれば、世界が何百個あっても足りない。リスドの時でさえ、本気と言いつつ一応は加減していた。が、その結果があれだ。今回は死剣の方を持っておいて、本当に良かったと思う。
「……で、まだやるか?」
フィージェントはその場に大の字になって寝ころんだ。
「……やめとく。完全相殺とはいえ、『喰殱』を二本も受けて無事だったんだ。俺の残り魔力もそんなに無いし、今やったら確実に負ける。だから今回は頼みを引き受けるって事で良いよ」
やはりあの矢は魔力ありきで使っていたか。『帛原』の性質は、飽くまで道具を製作する事だ。権能を魔力消費なしで出せるような体質ではない。というより、そんな性質ならば王剣でも使わなければアルドはとっくに負けている。王剣は『皇』の形見。つまりアルド自身の力では絶対に敵わないという事になる。そんな性質では断じてないので、この話は飽くまで『もしも』だが。
「……そうか、では確かに頼んだぞ。そいつは今……レギの方にいるらしいからな」
「……ああ分かった。じゃあ俺は向かうから……『結界解除』」
今度こそ結界は解除され、アルド達は再び現実へと抱きしめられた。体を引きずりながら、アルドはツェートの家へと歩みを進める。
「またどっかで会おうぜ、先生」
アルドが玄関の辺りまで近づいた時、アルドとは対極の方向からこちらに向かってくる人物が見えた。それはレンリー・エンモルトという人物で、ツェートの幼馴染だが、その手には折れた剣が握られていた。
アルドの歩行速度も相まって、二人はツェートの家の前で対峙した。
「……あら……貴方は……」
「レンリーさん、か。こんな所まで来るって事は、どうやらツェータが勝ったようですね」
レンリーの表情は、いつぞやの時とは違い、品の無さが顕著に現われていた。それを人は醜いと言うが、敢えてアルドは言わない。
レンリーの表情は怒りを押し殺しているようだった。
「……ええ、そうよ。ツェートが勝ったわ。だから私はツェートを好きになったの。それなのにあいつときたら―――逃げやがったのよッ、信じられない! あれだけ私を求めてたくせに、たかだか敗者一人殺してあげたくらいで逃げ出すなんて」
大体状況は把握できた。つまるところレンリーの嘘がばれ、ツェートとネセシドに見放されたという事だろう。それもおそらく、勝者しか求めぬ性格故。阿呆である。
「一つ気になっていたんですが……どうして貴方は勝者を求めるんですか? ツェートから聞かされた事情には貴方の嘘があるから良くは分からない……教えて頂いても?」
レンリーの眼が突如狂気的なものになった。それは瞳孔が開き切ったとも、まるで人形のようとも言えるその眼で、壊れた機械のように饒舌に、そして激しく語り出した。
「私はね、王の次って言われるのが嫌だったのよ。いつも「王の次」「王よりは」もううんざり! だからね、私は王様を超えるのッ、この指輪を使って、強者を集めて!」
長い間アルドを悩ましていたつっかえが取れた。そうか、そういう事だったか。王にあってレンリーに足りないモノ。考えてみれば酷く単純で、至極当然。しかし男には絶対に分からないものだ。
ナイツ女性陣なら初見で見抜けたのだろうか、いやどうでもいい。今は……
「……そうだ」
レンリーはこちらに指先を向け、魔力を放つ。これが魅了か。あの指輪の特性のようだ。
分かる。この心を掴まれるような感覚。
この少女に全てを捧げたいと思える心地よさ。
溢れだす煩悩を受け止める器。
どれもこれも―――気に入らない!
「……生憎私には効かないぞ」
「……え?」
レンリーは絶望のどん底に落ちたような表情でこちらを見据えている。確かに自分を手ごまに出来ればそれは幸せな事だったのだろうが……甘い。
確かにアルドは魔術耐性が無い為、本来ならば効果覿面だっただろう。だがアルドは存在が不安定。大方の魔術は、生物を対象としたモノが多いが、存在が不安定なアルドは生物としてのラインが不安定だ。故に、そういった魔術の効果は半減される。
加えてアルドには幼少期で鍛えた鋼の意思がある。そういった意味で言えば、精神異常に対してだけは耐性があるのかもしれない。
「フィージェントにも効かないのに、私に効く訳がないでしょう。おっと、私を刺そうとしても無駄ですよ。この状態でも貴方くらいは十分に制圧できますし、何より私は刺されたくらいじゃ死ねない」
腕の筋肉が僅かに震えたので、前もって釘を刺したが、図星だったらしい。
「それに……貴方はどうあがいても王に打ち勝つことは出来ない」
「な、何でよ!こ、こんなに……スタイルがいいのにッ」
「性格最悪、嫉妬深い。おまけに貴方は―――真の恋に溺れた事がない。いや、そもそも恋をしようとしていない。恋をすると女は美しくなるというのは、精神論なんかでは決してない的を得た言葉だと思いますよ」
その好意が向けられている先は誰かは置いといて、ナイツ女性陣は例外なく美しい。それもこれも、非常にありがたい事に自分に本気で惚れてくれているからだ。こんな状況で無ければ男女間の行為の一つや二つ、起きたり起きなかったりするかもしれない程には美しい。少なくともアルドはそう思っている。
王もまた、本気で恋をしている。その向けられているモノは複雑な気分だが、王が恋をしてくれている事には変わらない。
昔交わした約束を、未だに覚えているなんて、実に。ああ実に。彼女は美しい。
「ツェータは恋をして、そして敗れた。両想いだと思ってたら、実はこっちは好意すらなかったんですから当然ですよね。しかしこれで彼も女性を見る眼がついたでしょう。初恋とは、かくも切ないモノです」
「……何が言いたいのよッ!」
「恋をしてない者が人を落せる訳ないでしょう。王を超えたいと願うなら、まず貴方が恋をすることです」
心臓を射抜かれたように動かなくなったレンリーを尻目に、アルドは玄関の扉を開けた。
最初に見た光景は、ヴァジュラに抱きしめられながら、静かに泣いているツェートの姿だった。そのあまりに衝撃的な光景に思わず動きを止め、数秒凝視してしまう。
やがてこちらの存在に気づいたのか、ツェートはこちらを振り向いた。
「うええええええええええ!」
あまりに驚いたのか、ツェートは凄まじい勢いで台所の方へと逃げて行ってしまう。それが、泣いている所を見られたから逃げたのか、それとも自分の姿を見たからかなのは判然としない。
「アルド様?」
ナイツ達は自分の体を見て驚いているようだった。
「さすがに私の弟子だったよ。体をこれだけ持ってかれたのは久しぶりだよ」
「……修復にはどれくらい?」
「三十分くらいだ」
ナイツ達はホッと胸をなでおろした。心配させたようで、本当に申し訳ない。
「少しツェートと話したい事がある。……ツェータ!」
呼んでも返事がなかったので、アルドは自ら台所へと赴き、その肩を掴んで止めた。
「ヴァジュラに抱かれながら泣いた気分はどうだ?」
厭味ったらしくアルドが言うと、ツェートは頬を染めて黙ってしまった……異常性は完全に消え去ったらしい。アルドからすれば今のツェートは完全に子供だ。
「ああ、メイザーさん。今日のご飯は豪勢にしておいてください」
「えっ、あ、はい」
「来い。お前への用件はまだ終わっていない」ツェートの手を取って、アルドは二階へと上がっていく。
ついにきた決断の時。ツェートの性格から出される選択肢は決まってるが、果たしてどれを選ぶ。或いは―――予想もしない答?
最悪の答えだけは出さない事を願う。
そう辿り着く事だけならば。問題はその後だ。
具体的にはこの後のツェートの行動。その行動次第では、レンリーは再び自分に牙を剥けてくるだろう。或いは、どんな判断にも関係なく襲われるか。
レンリーを受け入れれば、殺される事は無いだろうが、しかし今、レンリーに対しての評価は変わってしまった為、自分に正直なツェートには拒否以外の返事は出来ない。
幾ら瀕死とはいえ、実に十分、ツェートは走り続けた。背後にレンリーは居ない。それはネセシドを未だ刺しているからなのか、或いは何らかの事情で家に帰ったのか。どちらにしても関係ない。今は……何も考えたくない。
ツェートが家に体当たり気味に飛び込むと、柔らかで温かい感触がツェートを包んだ。
「……」
ヴァジュラだ。ヴァジュラはまるで、ここにツェートが突っ込んでくる事を知っていたかのように、優しくツェートを包んだ。自分の体に血液が付着しようが関係ない、とばかりに。
「ヴァジュラさん……俺……」
先程この目で見た光景が信じられず、ツェートの声は再び震えた。目からは感情を密に宿した涙が流れ、それは頬を伝い、やがてヴァジュラへと滴る。
自分を包むヴァジュラの腕が、より一層強くツェートを抱きしめた。彼女は何も事情を知らない。しかしそれ故に、ツェートを労わる事が出来る。この労わりは、きっと何物にも代えられない。
「……ぐっ……ふっ、……フッ……スン……」
ツェートは顔を埋め、辺りに響かないよう静かに泣いた。それが泣き虫と思われたくない故の、せめてもの隠蔽と思うと、姑息にも感じるし、愛おしくも感じる。これこそが彼なりの誇りの保ち方の為、口には出さない方が良いだろう。
しかしながら、この悲しみ。事情を知らないとはいえ、察する事は出来る。この涙は敗北の涙でも怒りの涙でも後悔の涙でもない。
それは初恋に敗れた男の涙。
それはおそらく自分では無く、長年追い求めていたレンリーへの涙。『覚』がある訳でもなく、男性でもないヴァジュラだが、その気持ちだけは理解できてしまった。……まるで自分のようだったから。
自分はそのおかげで新たな恋や、友人との絆を確認できたのだが、ツェートには今自分達しかいない。
今でこそ自分に泣きつく事で心を維持しているが、もしも、自分達がいなかったら―――きっとツェートの心は壊れるだろう。この大陸は『子供』が『大人』で、『大人』が『子供』だが、その心の本質だけは変わらない。この大陸が異端とされるその理由。それは決して完全な異文化、価値観を持っているからではなく、半端に飛び出しているが故であるとヴァジュラは思う。
大声で泣かないだけ、まだ感情を抑制しているようにも思うが、そればかりはツェートの自由だ、強制は出来ない。
それから暫くの間、ツェートはヴァジュラの胸元で泣き続けた。少なくとも、次に玄関が開けられるその時まで、子供のように泣き続けた。
『弌無き幽世』がこの衝撃に耐えられる道理は無く、結界は半秒遅れた後、塗り替えられていくように消え去った。二人は衝突時の衝撃によって数キロ以上吹き飛ばされており、まともな人間ならば生存は絶望的だった。
しかし片や最強の男の弟子だった特異体質者、片や元地上最強現魔王の男。二人は各々の手段で、戦闘によって消滅した小屋の前に再び集った。
フィージェントはアルドの本気の斬撃の余波で、全身に深い切り傷、さらに左肩が切断され、その機能を停止させた。フィージェントの力を以てすればその程度なんの問題も無いのだが、機能については生涯治らないモノと見た方が賢明だ。瞬間的とはいえ、フィージェントの全身は消滅したのだから。消滅と傷。秤にかけるまでも無いだろう。
一方のアルドだが、どうやら『喰殱』を相殺したようで、上半身の衣服が焼けて消滅したという点以外では、傷一つ負っていなかった。
二人は向かい合う。
「フィージェント……良いザマだ。どうだ、私の怒りの片鱗を少しにしろ味わった気分は?」
「ああ」
フィージェントは短剣を鞘から取り出し、機能不全の左腕を切断。同時に左腕を鞘の中で製造。肉体と連結するように再び生やした。
「でもこんな風にもう一度生やす事だって出来る。先生、俺はまだ戦えるぜ……」
その言葉を虚勢と受け取り、アルドが一歩踏み込むと、フィージェントは途端に戸惑い始めた。
「待て待て! ……あんたに負わされたこの傷はどうやら如何なる手段でも再生不可能らしい。御蔭で身体能力に制限が掛かってる。……いつか慣れるだろうけど、さ。少なくとも今は無理なんだってば」
「初めからそう言え」アルドは武器を下し、その場に座り込んだ。
「ここは『弌無き幽世』ではないようだな」
鉱石場は既に二人の攻撃によって消滅している為、既に違う。だとすれば現実……とも思うが、流石に数十キロも吹き飛んでいたら流石に目立つし、誰かが気づくだろう。
しかし誰も反応しない。
であらば思いつくのは一つである。
「『弐在りとす隠世』でも言ってやろうか、お前……幾つ用意したんだ」
「……五つ位だよ。まあ、最も俺が構築に時間を掛けたこれ以外、全部消滅したけどな」
フィージェントの結界魔術は、最高位。真面目に結界を作れば、それこそ世界をもう一つ作る事だって出来る。どんな心象風景だろうと、出鱈目で矛盾だらけな世界だろうと、フィージェントの手に掛かれば容易に作る事が可能だ。おそらくフィージェントが作成不可能なのは、王剣による魔力強制解放時に見える死海くらいだろう。
フィージェントがそんな世界を五つも用意していたというのに、しかも予想の限りだが、『弌無き幽世』は発動者以外のあらゆる攻撃を軽減させるモノのはずだ。にも拘らず、それらが殆ど全て消し飛んだ―――人間の頃のアルドに世界を亡ぼす力は無い為、『喰殱』による力が大部分を占めるだろうが、もしこの時、王剣を使っていたとしたら想像に難くない。あれの異名は―――禁界剣。この世界の者で唯一出自を知っているアルドからすれば、世界が何百個あっても足りない。リスドの時でさえ、本気と言いつつ一応は加減していた。が、その結果があれだ。今回は死剣の方を持っておいて、本当に良かったと思う。
「……で、まだやるか?」
フィージェントはその場に大の字になって寝ころんだ。
「……やめとく。完全相殺とはいえ、『喰殱』を二本も受けて無事だったんだ。俺の残り魔力もそんなに無いし、今やったら確実に負ける。だから今回は頼みを引き受けるって事で良いよ」
やはりあの矢は魔力ありきで使っていたか。『帛原』の性質は、飽くまで道具を製作する事だ。権能を魔力消費なしで出せるような体質ではない。というより、そんな性質ならば王剣でも使わなければアルドはとっくに負けている。王剣は『皇』の形見。つまりアルド自身の力では絶対に敵わないという事になる。そんな性質では断じてないので、この話は飽くまで『もしも』だが。
「……そうか、では確かに頼んだぞ。そいつは今……レギの方にいるらしいからな」
「……ああ分かった。じゃあ俺は向かうから……『結界解除』」
今度こそ結界は解除され、アルド達は再び現実へと抱きしめられた。体を引きずりながら、アルドはツェートの家へと歩みを進める。
「またどっかで会おうぜ、先生」
アルドが玄関の辺りまで近づいた時、アルドとは対極の方向からこちらに向かってくる人物が見えた。それはレンリー・エンモルトという人物で、ツェートの幼馴染だが、その手には折れた剣が握られていた。
アルドの歩行速度も相まって、二人はツェートの家の前で対峙した。
「……あら……貴方は……」
「レンリーさん、か。こんな所まで来るって事は、どうやらツェータが勝ったようですね」
レンリーの表情は、いつぞやの時とは違い、品の無さが顕著に現われていた。それを人は醜いと言うが、敢えてアルドは言わない。
レンリーの表情は怒りを押し殺しているようだった。
「……ええ、そうよ。ツェートが勝ったわ。だから私はツェートを好きになったの。それなのにあいつときたら―――逃げやがったのよッ、信じられない! あれだけ私を求めてたくせに、たかだか敗者一人殺してあげたくらいで逃げ出すなんて」
大体状況は把握できた。つまるところレンリーの嘘がばれ、ツェートとネセシドに見放されたという事だろう。それもおそらく、勝者しか求めぬ性格故。阿呆である。
「一つ気になっていたんですが……どうして貴方は勝者を求めるんですか? ツェートから聞かされた事情には貴方の嘘があるから良くは分からない……教えて頂いても?」
レンリーの眼が突如狂気的なものになった。それは瞳孔が開き切ったとも、まるで人形のようとも言えるその眼で、壊れた機械のように饒舌に、そして激しく語り出した。
「私はね、王の次って言われるのが嫌だったのよ。いつも「王の次」「王よりは」もううんざり! だからね、私は王様を超えるのッ、この指輪を使って、強者を集めて!」
長い間アルドを悩ましていたつっかえが取れた。そうか、そういう事だったか。王にあってレンリーに足りないモノ。考えてみれば酷く単純で、至極当然。しかし男には絶対に分からないものだ。
ナイツ女性陣なら初見で見抜けたのだろうか、いやどうでもいい。今は……
「……そうだ」
レンリーはこちらに指先を向け、魔力を放つ。これが魅了か。あの指輪の特性のようだ。
分かる。この心を掴まれるような感覚。
この少女に全てを捧げたいと思える心地よさ。
溢れだす煩悩を受け止める器。
どれもこれも―――気に入らない!
「……生憎私には効かないぞ」
「……え?」
レンリーは絶望のどん底に落ちたような表情でこちらを見据えている。確かに自分を手ごまに出来ればそれは幸せな事だったのだろうが……甘い。
確かにアルドは魔術耐性が無い為、本来ならば効果覿面だっただろう。だがアルドは存在が不安定。大方の魔術は、生物を対象としたモノが多いが、存在が不安定なアルドは生物としてのラインが不安定だ。故に、そういった魔術の効果は半減される。
加えてアルドには幼少期で鍛えた鋼の意思がある。そういった意味で言えば、精神異常に対してだけは耐性があるのかもしれない。
「フィージェントにも効かないのに、私に効く訳がないでしょう。おっと、私を刺そうとしても無駄ですよ。この状態でも貴方くらいは十分に制圧できますし、何より私は刺されたくらいじゃ死ねない」
腕の筋肉が僅かに震えたので、前もって釘を刺したが、図星だったらしい。
「それに……貴方はどうあがいても王に打ち勝つことは出来ない」
「な、何でよ!こ、こんなに……スタイルがいいのにッ」
「性格最悪、嫉妬深い。おまけに貴方は―――真の恋に溺れた事がない。いや、そもそも恋をしようとしていない。恋をすると女は美しくなるというのは、精神論なんかでは決してない的を得た言葉だと思いますよ」
その好意が向けられている先は誰かは置いといて、ナイツ女性陣は例外なく美しい。それもこれも、非常にありがたい事に自分に本気で惚れてくれているからだ。こんな状況で無ければ男女間の行為の一つや二つ、起きたり起きなかったりするかもしれない程には美しい。少なくともアルドはそう思っている。
王もまた、本気で恋をしている。その向けられているモノは複雑な気分だが、王が恋をしてくれている事には変わらない。
昔交わした約束を、未だに覚えているなんて、実に。ああ実に。彼女は美しい。
「ツェータは恋をして、そして敗れた。両想いだと思ってたら、実はこっちは好意すらなかったんですから当然ですよね。しかしこれで彼も女性を見る眼がついたでしょう。初恋とは、かくも切ないモノです」
「……何が言いたいのよッ!」
「恋をしてない者が人を落せる訳ないでしょう。王を超えたいと願うなら、まず貴方が恋をすることです」
心臓を射抜かれたように動かなくなったレンリーを尻目に、アルドは玄関の扉を開けた。
最初に見た光景は、ヴァジュラに抱きしめられながら、静かに泣いているツェートの姿だった。そのあまりに衝撃的な光景に思わず動きを止め、数秒凝視してしまう。
やがてこちらの存在に気づいたのか、ツェートはこちらを振り向いた。
「うええええええええええ!」
あまりに驚いたのか、ツェートは凄まじい勢いで台所の方へと逃げて行ってしまう。それが、泣いている所を見られたから逃げたのか、それとも自分の姿を見たからかなのは判然としない。
「アルド様?」
ナイツ達は自分の体を見て驚いているようだった。
「さすがに私の弟子だったよ。体をこれだけ持ってかれたのは久しぶりだよ」
「……修復にはどれくらい?」
「三十分くらいだ」
ナイツ達はホッと胸をなでおろした。心配させたようで、本当に申し訳ない。
「少しツェートと話したい事がある。……ツェータ!」
呼んでも返事がなかったので、アルドは自ら台所へと赴き、その肩を掴んで止めた。
「ヴァジュラに抱かれながら泣いた気分はどうだ?」
厭味ったらしくアルドが言うと、ツェートは頬を染めて黙ってしまった……異常性は完全に消え去ったらしい。アルドからすれば今のツェートは完全に子供だ。
「ああ、メイザーさん。今日のご飯は豪勢にしておいてください」
「えっ、あ、はい」
「来い。お前への用件はまだ終わっていない」ツェートの手を取って、アルドは二階へと上がっていく。
ついにきた決断の時。ツェートの性格から出される選択肢は決まってるが、果たしてどれを選ぶ。或いは―――予想もしない答?
最悪の答えだけは出さない事を願う。
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2.3万
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9,628
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1.6万
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9,533
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