ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

魔王

 あの二振りは極位のようだが、さして恐れる事も無い。何せ使い手の方に一切の経験が無いのだ。フィージェントは剣でも槍でもなく弓の使い手。弓の戦いであらばともかくだが、それ以外ならば憶するに値しない。
 砂煙に紛れてフィージェントがこちらに大剣を振り下ろしてくるが、アルドは正確にそれを見切って回避。素早く懐に潜り込んで柄を切断。同時にフィージェントの首元を薙ぎ払う。狙い過たずフィージェントの首からは間欠泉さながらの勢いで血液が吹き出すが、それも半秒しない内に再生。『無かった事』になった。
 それでもアルドは連撃を止めない。目に映ったその時には既に遅い斬撃は、瞬く間にフィージェントの全身をボロボロに引き裂いていった。その速度は次第に増していき、やがて『無かった事』になる筈の再生も、徐々に追い付かなくなっていく。そしてこの間、被害を被っているのはフィージェントだけでは無い。周囲の壁にもまた、斬撃の余波が刻み込まれていくのだ。今のアルドが出している力は人間時代の尺度で八十五。千里を駆けるその斬撃を、無理やりに狭い範囲に抑え込んでいるのだ。周囲への被害は半端なモノではない。
 アルドが刃を一度振るうごとに、鉱石場の壁が全て崩壊。再び新しい壁が作成されるが、それよりも早く次の斬撃が壁を崩壊……百の壁を対価に一の壁を作る、と言った所だろうか。全くわりに合っていない。
「それにしても」
 幾ら無かった事に見えたとしてもそれは所詮再生。三分以上斬り続けた結果、再生は無効化されたようだ。今現在鞘から必死に武器を取り出しては防御をしているフィージェントからもそれは分かる。やはり『不骸の薬』は、一時的と言っても時間的なモノではなく、予め再生総量というモノが決められているらしい。フィージェントが現在防戦に徹しているのは、アルドの斬撃によって再生総量が満たされたのだろう。
「弓は使わないんだな」
 アルドの一閃を躱したのを確認した後、出力を九十へと上昇させ、再び一閃。フィージェントが取り出していた盾と槌毎、胴体へ斬撃を刻みつける。
「……てぇッ!」
 天地は最初の大剣によって逆転している。天が地であり地が天であるが、アルドからすれば、そのどれもが等しく地である―――即ちアルドに地の利がある為、勝てない道理はない。
 しかしフィージェントも弱い訳では無い。アルドの剣閃をぎりぎりで躱し、躱せないようならば最小限の傷に収める。武芸達者なモノにしか出来ない芸当で、この場で一番光る技能である。
 更に言えば、アルドの剣閃も、この短時間で記憶したようで、次第に攻撃が当たらなくなっている。アルドからすれば三十回は殺したつもりだが、未だ一回も殺せていないのがその証拠である。
 まだ当たらない攻撃に無意識の内に焦りを覚えていたのかもしれない、手首を無理やりに返し、強引に一撃を放った。が、躱され隙が出来る。一瞬、ほんの一瞬だ。
 だがフィージェントにはそれだけで十分だった。己の鞘から薬を引き抜き、顔にぶちまけるようにして摂取する。
 それに気づき、急いで次の斬撃を放つアルドだが、次の瞬間剣身は根元から派手に粉砕。刃の欠片がアルドの頬を浅く裂いた。カタナが破壊される寸前、拳のようなモノが見えた事から、フィージェントの変化に気づき、アルドは素直に距離を取った。
「何を摂った?」
 フィージェントは鞘から同じ形の薬を取り出して見せた。
「これは『軽身の薬』。摂取者の身体能力を一.二倍に引き上げる薬だよ。鞘の内部に対抗薬を作っておけば副作用は抑えられるが……関係ないわな。一.二倍まで引き上げてやっとアンタに食らいつけるんだから」
 王剣は持ってきていない為、今回フィージェントに出せる力は、人間時代の力に限られる。リスド大帝国の時に使用した、『本来解放できない魔力を無理やりに引き出した』状態は使えない為、大変遺憾だが、『今』のアルドの全力は見せる事が出来ない。あちらは知らないだろうが、実に不愉快である。
 だが人間時代でも全力を出させ、こうも戦えたのは……エイン・ガイド一人だけであり、今日また全力手前で戦えるとなると……何だか興奮してしまう。
 思うが、一.二倍も引き上げた、という事は、一.二倍しか引き上げていないが自分に喰らいつけているという事になる。それは後世への期待を高めると同時に、危機感を覚えさせた。自分を超えうるのはクリヌスだけと思っていたが、フィージェントにもその可能性はあるだろう。何よりクリヌスには二度もチャンスを与えないが、フィージェントは一度は見逃す為、意外とフィージェントの方が自分を超える気がする。見逃すのに殺す気で動くのは可笑しいと、思うだろう。だが考えようによっては分かる。殺す気で動かなければフィージェントを超えられないのだ。相手を殺さずに倒すには三倍の力量が必要と言われているが、それに当てはめるとするなら、フィージェントと自分の力量は三倍も開いていないという事である。
 フィージェントは薬を腕にかけた後、鞘から剣を取り出した。見るからにその位は終位であり、アルドの武器であったカタナは中位。明らかに武器の性能が違うだろう。と言っても、件のカタナは壊れたし、そもそも性能云々の問題では無かった。
「武器を貸そうか?」
「いらん。私はもう一本持ってきている」アルドは何処から再び剣を取り出した。
「それは……そうか、そうだったな。相棒は持ってないと行けないよな」
 死剣『嵐薙』。人間時代後半から愛用していた出自不明(と言っても、アルドは出自を知っているが)の霊剣。これは相手に死の因果を与えるとか、そういう派手な能力ではない。『剣そのものが死んでいる』というのが死剣の由来であり、特性だ。
 剣が死んでいる事にどんな利があるか。それは死んでいるが故にしなないのだ。即ち、腐食、物理的、概念的、運命的破壊に刃毀れ。それらの事象に対し絶対的耐性を持っている剣で、アルドの相棒だ。
「これならお前も壊せないだろう」
 出力を九十五まで上昇。踏み込むと同時に地面が大爆発。フィージェントの首に、認識すら許さぬ速さで剣戟を叩きこんでいく。
 しかし敵も然る者。フィージェントは自分の反射を超えたもはや予測としか言えない動きで攻撃を捌いている。しかし殆どが完全防御が不可能だという事を理解しているからか、最小の傷で済ませるのも忘れない。恐ろしい男だ。
 それにしても、違和感がある。どうしてフィージェントは攻撃に転じようとしないのだろうか。まるで機を窺っているかのように防戦をしていて、張り合いこそあるが、緊張は無い。或いは剣を使っているだけかもしれないが、それならばそれで早い所弓を使ってほしい。
 アルドの剣が、フィージェントの持つ剣を砕いた。が、壊れた欠片がアルドの両目へと収束。金属の欠片は瞳孔へと突き刺さり、アルドの両目からは忽ちの内に金属に覆われた。
「ァ”ッエェ”ェ”ア”!」
 声にならない声がアルドの喉を通って創造される。その痛みに思わず仰け反り、フィージェントとの距離を取ってしまう。眼球への攻撃は久々で少し驚いたが、それ以上に最もやってはいけない事をやってしまった……フィージェントに行動を取らせる暇を与えてしまった。
「これは神々を喰らいし権能の焔……」
 痛みなど気にも留めず、強引に金属片を引き抜く。即座に傷は再生され視力を取り戻すが―――そこで見たのは弓をつがえるフィージェント。そして矢である白黄の焔。その瞬間、アルドは悟った。
 これは……自分を殺しうるのではないか、と。
 しかし自分が死んで場合魔人達は誰が守るのだ。自分が居なければ……しかしこの力は自分を……いやしかし……
「生きて見ろ、先生。―――『喰殱ピュロマーネ』ェェェェ!」
 アルドの視界に、かつて神を喰らった獣の焔が広がった。




『喰殱』。それは全てを焼却する焔の名称、かつて神の庭を食い荒らした獣から取られている。その特性は文字通り『全てを喰らう』。人も、物も、神も、結界も、魔術も、概念さえも何もかもを無情に食い荒らす。それはもはや権能としか言えぬ力であり、暴力を極めたような焔である。そしてアルドは回避すらする事無く―――いや、おそらく回避をしなかったのではなく、回避をする事を無駄と受け取ったのだろう。とにかく、フィージェントの狙い通り、アルドはその身で権能を浴びた。本来ならば存在すら残らない筈である。
 これはフィージェントの持ちうる限り最強の矢である。それをまともに喰らって生きているのだとしたら……彼は人間ではないのだろう。
 別に死なないからと言って、フィージェントはアルドを人間以外のモノとして見ていた訳では無い。人間でも死なない奴はざらにいる。だからアルドもその一人……そう思っていたのだ。
 アルドの手が見えたのは、『喰殱』を放ってから約一時間後の事。アルドがぶち当たった事で砕けた岩からゆっくりと手が上がり、それから頭、胸、足と。やがてアルドは立ち上がった。その姿に思わず全身を戦慄かせるフィージェントを追い詰めるように、アルドは一歩、一歩と確実に進んでいく。それはまるで、屍術によって動く屍の様。
「いや……はや……これが権能か……初めて喰らったが……………すごい、モノだな」
 アルドの体は八割方が消滅しており、どうして肉体が維持できているのか、それすらも怪しいレベルである。
「……まじかよ。あんた、何者だ」
「勇者しか倒せぬ存在、『魔王』だ。権能がどうした? そんなモノで私は死なないし……死ねなくなった」
「……え?」
「『俺』にあったかもしれない概念を奪い取りやがって。獣の飼い主なら人の物を取らないように躾けるべきじゃないのか? なあ……フィージェントォ!」
 結界の一部は壊れ、アルドは憤慨している。これ以上に最悪な状況があるだろうか、いやない。
 しかしこれはある意味好機。本気のアルドと剣を交える好機である。
 フィージェントは再び鞘から『喰殱』を取り出し、弓に矢をつがえる。今度は自分への被害など考慮しない、まさしく本当に本当の全力だ。相手を殺すだけでは無い、自分をも殺すつもりで。
 アルドもまた死剣を構えた。あの剣、概念すら別の次元に存在するとは驚いた。さすがに『剣そのものが死んでいる』剣は違う。
 あちらは瀕死、こちらは一応防戦をしていたとはいえ、重傷。どちらが有利かは言うまでもない。だが、あちらには何か言い知れぬ何かがある。形容すら出来ない異形な力を、フィージェントは感じる。
 次の一撃で決める気なのはあちらも同じ筈。詰まるところ勝率は……五分五分だ。どちらが最大の力を出し切るか。それだけなのだ。それに全力を放つ以上あちらもこちらも回避は不可能だろう。故に防御も不可能。であるならば打ち合うしかない。
 矢を持つ手に力が入った。次こそは―――殺す!
「『喰殱ピュロマーネ』ェェェェェェ!」
 瞬間アルドが動き、こちらへと肉迫。フィージェントの手が離され、けものが放たれる。アルドの次の一歩はフィージェントの三歩程手前―――この結界の広さは、実に半径数十キロ。そこまで迫れるアルドの速度からして、これこそ全力の全力なのだろう。矢が獲物を喰らわんと矢から離れ、獲物アルドへと迫っていく。アルドがそれを認識。次の一歩で衝突する事を理解したか、僅かに剣を震わした。
 次の瞬間。
 神を喰らいし権能の焔ピュロマーネと世界を薙ぐ一撃が、衝突した。




 

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