ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

立ち合い 中編

 ヴァジュラ曰く、『大丈夫』だそうだが、どうも見る限りではツェートの顔が優れない。未だ思い悩む所でもあるのだろう。ヴァジュラに語った心境は、あくまで混沌と化した感情より導き出された一つの感情でしかないという訳だ。
 少しくどい言い方をしたので分かりやすく言うと、まだ意思は揺らいでいる。即ち、これから最悪の方向に転がる事だってある。安心はしてはいけないのだ、少なくとも結果をみるまでは。
 ちなみにアルドの見立てと経験から来る予感に言わせれば、最善の方向には絶対に転がらないだろう。むしろ人生で上手く事が運んだ事が無い。必ず何かしらの障害、または意思の改変が起こる。上手く行った事など……どの場合においてもない。
 アルドがまだ落ちこぼれだった頃の話だが、アルドは一人の女性に恋をした事がある―――この時はまだ騎士ではない―――勿論この頃のアルドは煩悩全開とまでは行かないにしろ、そういうのは人並みにはあった。それを満たすべくその女性に近づき、親交を重ね、遂に告白という所で―――友人に取られてしまった。
 後に聞いた話だと、家に押し入って行為に及び、半強制的に契りを交わしたそうだが―――ああ、その事については恨んでいない。あの時の自分より、才能もありルックスも上だった友人なのだ。取られた所で恨みなど生まれない。ただ……少し劣等感が生まれるだけで。
 この通り、重大な面、或いは恋愛の面において、少なくともアルドから迫ろうとした事柄には、確実に何かが入る。今回もおそらく前例に漏れないだろう。直前でツェートが考えを変えたり、或いはレンリーに強制的に手足にされたり、可能性は無限である。
 だからと言っていつまでも思考していては、それこそ最悪の事態だ。あらゆる物事は慎重に行わなければならないが、何もしないという事は一番やってはいけない。これはアルドの導き出したある種の教訓だ。
 そういう訳でこの考えは一旦切っておくべきだろう。掘り返してはいけない傷を抉り返しているような気もするので、その方が賢明だ。
 アルドは視線を現実へと引き戻し、自分の目の前で大の字に寝転がっているツェートを見遣る。
「上出来だ」
「……へへっ、そうか」
 別に訓練と言っても、大した事はしていない。基礎体力作り―――森の中を逃げる自分を捕まえるというものだ。手段は問わない―――と素振り千本と、適当な稽古だけだ。面白おかしい訓練などアルドには考え付かないので仕方ないが、こんな訓練でも大抵の人は強くなれるのだ。
 言う事があるとすれば、素振りは簡単にこなせるようになったものの、基礎体力作りに関しては、一度も捕まった事がない。手加減で人間だった頃の力に抑えているというのに、それでも捕まえられないとは、情けない。
 正直言えば後一週間は欲しい。その間に叩き直したい。
 しかし時間は無常であるので、今回は諦めるとしよう。
「体力は大丈夫か? いざという時に疲れが溜まっていたでは済まされないが」
「……あー、そういえばそんな気がしてきたわ。じゃあ俺ちょっとヴァジュラさんの太腿に……」
「調子に乗るな」
 冗談を言えるくらいなので、大丈夫なのだろう。相も変わらず変化が回りくどい男だ。
「所で立ち合いはいつなのだ? 時刻は正確に把握しておきたいのだが」
 フィージェントとの秘密の立ち合いに遅れると何をしでかすか分かったものではないので、早く着いておきたいという狙いがあるが、ツェートは一生気づかないだろう。
 ツェートは数秒空を見上げた後、やけに歯切れの悪い言葉で呟き始めた。
「あー昼……いや夕方……そのくらいだったと思いますです」
 ならば昼と仮定して、であるならば、もう直ぐか。
 アルドは一度視線を外した後、照れくさそうに言った。
「一つだけお前に言っておこう。師匠としての最後の言葉だ」
「えっ、何だッ?」
 直ぐに立ち上がり、こちらに駆けよってくるツェートに対し、アルドは強張る顔を無理やりほぐし……笑って見せた。
「頑張れ、今だけはお前が……地上最強だッ」
「……!」
 その言葉はアルドが言ったからこそ、重みと、そして労いが伝わるのだろう。かつて地上最強と呼ばれ、そして堕ちたアルドだからこその重みだ。
 ツェートが、自分が如何なる人物であるかという事を知るのは、だいぶ先、或いは一生無いかもしれないが、その言葉だけは伝わったらしい。ツェートは恐れ知らずの少年のような勇ましい顔で頷いた。
 その顔はどこか……昔のアルドに似ていた。
「うんッ!」










 村の中心にある広場で二人は戦うらしい。これと言った規律は存在しないらしいが、ただ一つ。
 相手の武器をへし折るか、再起不能にすれば勝ちらしい。そう再起不能だ。立ち合いなどと堅苦しい名前なので、精々が一本の取り合い、或いは相手を行動不能程度と思いきや、まさかの殺し合いである。
 ツェートが死ぬか、シドが死ぬか。女を取り合う醜い様は見ていられないが、あらゆる物事に置いて優劣を決める時、特に拘束や制限が無ければ取り敢えず力で決める事は、男の性。この上なく単純で暴力的だが、同時にはっきりと決められる方法でもある。それはもう、中途半端に規則を作るよりもはっきりと分けられる。
 『らしい』という言葉はまるでその場に居ないようではないか、と思う人もいるだろう。……その通りだ。今アルドはツェートと共には居ない。アルドは今―――村の遥か東に在る小屋でフィージェントと向かい合っているのだ。
「……」
「……」
 立ち合い開始までは動かないと言うのが、二人なりの立ち合いの配慮なので、こうして二人向かい合うように座り合い、その時を待っている。村とは少し距離があるが、互いに耳を澄ませている為、始まった場合は問題なく気付く事が出来るだろう。
 しかし、まさかこうしてもう一度で弟子と相見えるとは、この世界は本当に愉快で、楽しい出来事に満ちている。何よりまさか最初に会う事になったのが彼なのは、本当に予想外と言わざるを得ない。仮に弟子との再会を予想していたとしても、フィージェントとの再会だけは考えていなかっただろう。
「フィージェント。この戦いにもし私が勝利した場合、一つだけ頼まれてはくれないか」
「へえ。俺達に碌に頼みごとをしなかった先生が……ね。変わったなーホント」
 フィージェントは昔を懐かしむかのような目でアルドを見つめた。彼の目に自分がどう写っているかは知らないが、昔とは違って見えるようだ。自分では実感が湧かないが、近いモノから見ると、分かってしまうようだ。
 しかし良く考えてみるとそれは当然かもしれない。何せ今と昔では、アルドの精神の基盤が違うのだ。
 知っての通り、アルドは人間の頃、最高の騎士として、世の為人の為、戦ってきた。英雄と呼ばれたくて、そして人間が幸せで居られるように。だが裏切られた事でその精神は崩壊。現在は昔程気高い精神ではない為、昔よりかは頽廃的と言える。尤も、魔人の王を務めている以上、根本的な精神は変わっていないように思えるが、気のせいだろう。
 だからと言って魔人の言いなりになるつもりはない。そうなればまた裏切られる事になるのは目に見えている。だからこそ謡のような第三勢力を集めているのだ。魔人が裏切るとは思えないが―――それでも最悪の結果の為だ。
 つまるところ、信頼はしているが、心の底から信頼する事が滅多に出来なくなったのが、今昔の違いだろうか。『鳳』や『蜩』、謡は事情と関係により例外だが、それを含めなかった場合、心の底から信頼できる者は只一人。フィージェントの言う通り、自分は本当に変わったのだろう。
「それで、聞いてくれるのか?」
「女を三人ほど紹介してくれたら考えてやっても良い……って言いたいけど、先生ともう一度戦えるなんてそれこそ生涯にあるかないかだしな。良いぜ」
「そうか。では遠慮なく頼み事をしよう。実はな―――」








 目の前には敵がいる。そう、『糞野郎』と蔑み愚弄してもし足りない男―――ネセシド・エタン。レンリーの意思に反しているにも拘らず、無理やりにも自分のモノにしようとする男。ツェートにはそれが許せなかった。レンリーは自分と結ばれるべきなのだ。その恋路を、家系やら伝統やらで邪魔をするなど、到底許される事ではない。邪魔をするなら―――殺す。
 ネセシドも似たような気持ちを持っているらしく、その面持ちはどこか悲しそうであった。やはりお互いに人を殺した事が無い者同士、多少なりとも恐怖と緊張は生まれるのだ。
 しかしこれだけは譲れない。レンリーは、間違いなく自分のものだ。
「ネセシド……久しぶりだな」
 殺意を孕んだ瞳で彼―――ネセシドを見ると、ネセシドもまた不快極まりないといった具合に顔を歪ませた。
「ああ、そうだな。私は出来れば貴様のような下賤なモノに二度と会いたくは無かったのだが……彼女を奪うと言うのであれば、この戦いも致し方なし。直ちに貴様を葬らせてもらう」
「それはこっちのセリフだ糞野郎。俺は戦いを教わった。もうお前には負けんぞ」
「それこそ私のセリフだ。私は殺しを教わった。ここで完璧に貴様を潰して見せる」
 言葉の上での表現でしかないが、両者の視線はぶつかり合い、鬩ぎ合い、火花を散らしていた。互いに気は抜けない。少しでも気を抜いたその瞬間、気を抜いた方は忽ちの内に殺される。どこまでも馬の合わない二人だが、この意識だけは共通していた。恐らくこれが伝統に基づいた立ち合いと言う形式で無ければ、今すぐにでも殺し合いが始まっていた事だろう。
 ツェートは師匠との訓練を思い出し、脳裏で噛みしめるように反芻していく。訓練そのものは平々凡々なものだったが、それでも得たものは大きい。大丈夫だ、自分を信じろ。師匠より強い筈がないのだ。
 信じろ信じろ信じろ信じろ。
『今だけはお前が……地上最強だッ』
 あの言葉に何故重みがあったかは分からないが、それでも嬉しかった。というのは、師匠は普段絶対に人を褒めず、励まさずの人だからだ。そんな師匠が自分に対して初めて言った言葉。不器用で、それでいて真摯なその言葉はツェートの心に深く刻まれた。
 大丈夫だ、勝てる。
 一度目を閉じた後、ツェートはゆっくりと開眼。
「……?」
 相手を殺そうと思うから緊張する。相手がどんな行動を取るか分からないから不安になる。であるならば、これは殺し合いではなく戦いであると、そう自らに刻む事で強くなる。いや、それは強い弱いの問題では無い。
 それは矜持のぶつかり合い。どちらが己が矜持を保つ事が出来るか。要はそれだけなのだ。
 戦いと殺しは似て非なりし概念。戦いを教えられたのであれば、その者は戦いに対する矜持を持って然るべき。殺しも同様である。
 ツェートが開眼したその瞳には、殺意などの混沌たる感情は一切混じっていなかった。その瞳に宿る感情はただ一つ。圧倒的自信と、そして矜持。先程までとは違うのが、ネセシドにも理解できた。
 そしてそれは言葉にも表れた。
「『ネセシド』。この戦い、俺が必ず勝つ。逃げるならば今の内だぞ?」
 その言葉にネセシドは多少驚かされたようで、その言葉への反発にも一拍遅れてしまった。
「……望むところだ。私の全力を持って貴様を潰す」
 戦いの規模を考えてか、周りに野次馬はいない。只、皆それぞれの家の窓から、この戦いの行方を見守っていた。
 戦いの合図は一瞬。遠方より聞こえし銃声だ。その瞬間から、戦いは始まる。
 師匠の姿が見えないが、きっとどこかで見守っていてくれるのだろう。
 二人は剣を構え、その時を待った―――
 刹那。
 遠方より響き爆音が、ツェートの耳に届いた。合図である。瞬間、頭で考えるよりも早く、ツェートの体は動いていた。


 

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