ワルフラーン ~廃れし神話
戦乱に舞う刃 前編
「それで、その騎士は―――」
続きを言おうとした時、遥か遠くで数人の気配がした。―――かなり待たされたが、どうやら無事に来てくれたようだ。
アルドは四杯目の『霊薬』を飲み終え、クローエルの持つお盆へ戻した。
「―――有難う、クローエル。お前の御蔭で退屈せずに済んだよ」
「へ……はッ、はいぃ!」
クローエルは目を白黒させた後、やっとアルドの言う事を理解したのか、慌ててお辞儀をし、足早に大聖堂の奥へと戻っていった。
彼女の足音が一切聞こえないのは、『獏』という魔人の特性なのだろうか。アルドですら声を掛けられるまで気が付かなかった。
奥から聞こえる会話から察するに、起きていた侍女はやはり『獏』と『鳳』だけらしい。他の侍女は、アルドの耳が捉えた呼吸音の通り、寝ているようだ。
侍女には二つのモードがあるが、詳しくは良く分からない。というのも、『鳳』の魔人であるオールワークが、全ての侍女のモードやら行動やらを全て決定しておりそのせいでアルドが干渉する隙間が壁の罅程もなくなり、結果として侍女についての事が一切分からなくなるという今に至った。
しかし、だからと言って不満もないのでオールワークを責め立てる事は出来―――なくはないが意味がないのでしない。
その二つのモードについてだが、アルドは大体理解している。全侍女(オールワーク除く)が活動している『通常』時と、オールワークと誰か(今回はクローエル)のみが活動している『休息』時があるのだ。今回のケースから見ても、それは間違いない。
リスド大聖堂は大変広く、仕事も山のようにあるので、終日活動していてはとても体が持たない。きっとそれを鑑みたオールワークが、数時間でもいいから殆どの侍女を休ませ、次の活動に備えさせる事にしたのだろう。
侍女について思考を重ねている内に、気配が扉へと近づき、ゆっくりと開いたが、どうもおかしい。気配が一つだ。
その違和感に眉を顰めていると、水色の髪を持つ美女が扉から姿を見せた。
ヴァジュラはその目を一層怯えさせながら、おずおずと進みよる。
「あ、えっと、アルド様。暫し大聖堂を留守にしてしまいました。申し訳ございません」
あまりに申し訳なさそうな顔をするものだから、こちらとしても困惑せざるを得ない。というか怒るに怒れない。
「あ、ああ。それは別に構わないが……他のナイツはどうした?」
ヴァジュラが口を開こうとした時、不意に黒い影がヴァジュラと重なった。「あ、フェリーテ」
「主様、待たせてしまって申し訳ないの」
「それは別に良いのだが……他のナイツはどうした?」
「何、心配はいらぬよ。後数秒もすれば来るじゃろう」
フェリーテは意地悪な笑みを浮かべてそう言った。その笑顔で全てを悟ったアルドは、呆れかえったように呟いた。
「お前等……」
ナイツが揃う事に、時間は大して掛からなかった。三秒ほどだ。出し抜かれた事に気づいて急いで来たそうだが、そんなに早く来られるのなら、十数時間も自分が待った意味は何だったのか。
クローエルとの会話で暇は潰せたから、今更追及するつもりはないが、次からはなるべく早く来てほしいものだ。
「さて……私が戻ったという事は―――語るまでもあるまい。準備が整い次第、リスド大帝国に総攻撃を仕掛けるつもりだ」
その歪み無き決意は、澄み切った声として大聖堂内に響いた。珍しくアルドが語調を強めたため、大聖堂奥の侍女達にも聞こえているだろう。
ナイツ達が真剣な表情になるのを見ながら、アルドは続ける。
「魔人達に世界を取り戻すと約束して、約二年。私は未だに何も取り返せてはいない事……私は申し訳なく思っている」
アルドは虚ろな笑みでナイツ達を見回し、続けた。
「この決断がどう転ぶかは分からない。もしかすれば最悪の方向へと事態は転ぶかもしれない。だがッ、私は魔王として、地上最強として、『最悪』を尽くすつもりだ ……私を慕ってくれる者と見込んで、命じよう。戦え……壊せ……リスド大帝国から全てを奪い取れッ、さあ―――始めるぞ!」
地上最強と呼ばれた『魔王』の物語の―――始まりだ。如何なる者も、我が覇道を阻めはしない。
ナイツ達を一度解散させた後、アルドは一人自室へと戻り、自らの武器を眺めていた。
一体どれ程この時を待ったか。アルド自身侵攻には消極的で、どちらかと言うと防衛に努めていた訳だが、それでも約二年。永遠のように、長かった。
だが、遂に。遂にこの時が来た。驕り高ぶる人類から世界を奪還するその時が、遂に来たのだ。
『王剣ジルクリース』。地上最強の剣にして、王にのみ帯刀が許される魔剣。―――かつて『皇』が使っていた剣だ。
これでようやく、『皇』に胸を張って自分の事を魔王と言うことが出来る。
「それをお持ちになるのですか?」
「……オールワークか」
アルドは静かに振り返り、その顔を見つめる。
燃えんばかりの赤髪を後ろで纏めている為、清潔な印象が見受けられる。給仕服に包まれた肢体は適度に引き締まってばねのようなしなやかさを具え、その中性的な顔立ちからは想像も出来ない程に凛とした瞳は、彼女の性格を表しているよう。
『鳳』の魔人、オールワーク。アルドが最も信頼する侍女だ。
「何か用か?」
オールワークがこくりと首肯した。
「……その剣を持ち出すのであれば、私も同行させて頂けないかとお願いに参りました」
「確かにお前は戦闘能力がある侍女———と言っても、後は『蜩』くらいしかいないが、どうして急に?」
「生前、『皇』様より申し付けられましたので」
オールワークが目を伏せ、淡々と言う。
まさか『皇』がそんな事を言っていたとは。確かに『皇』はかなりの心配症で、どこに行くにも寄生虫のように纏わりついてきたが、まさか自らの死後も見越して彼女に命令を出しておくなんて―——一体どれ程心配性なのだ。
クローエルのような非戦力侍女ならば突っぱねたかもしれないが、生憎と来ている侍女はオールワーク。アルドが守る必要は無いと思える程の強さは持っているし、何より彼女は畏まってこそいるが『皇』の親友だ。
この剣が『皇』のものであるという事は、即ち『皇』を連れて行くようなモノ。であるならば、彼女を連れて行った所で何の問題も無いだろう。
アルドは剣を腰に提げると、身を翻し、扉へと歩き出した。すれ違いざま、アルドは鋭い口調で言い放った。
「私の傍を離れるなよ」
「畏まりました」
オールワークもまた身を翻し、アルドの後を追うように部屋を出た。
時刻は夜。数日前、馬車で通った道を、アルドとオールワークは静かに歩いていた。
実に静かだ。滔々と流れる川の音、規則的に地面を踏みつける音、そして僅かに聞こえる人間の寝息。如何に現在が穏やかであるかを理解させるこの風景を見ていると、戦おうという気持ちも少しは和らぐ―――
ありえない。この風景は魔人の敗北あってこそ生まれた風景、つまり敗者によって生み出された屈辱の象徴だからだ。
平和など糞喰らえ。幾らこの世界が乱れようが関係ない。人間の統治するこの世界が幾ら乱れようと、アルドには関係ない。
「アルド様、一体どの辺りで合図を?」
「砦が見えてくる辺りだ。そこで丘の上で待機しているナイツ達に指示を出す」
嗤うなら嗤え。蔑みたければ蔑め。嫌いたければ嫌え。人間に何をどうされようがアルドは意志を変えるつもりはない。どれ程の障害が立ちはだかろうが、悉く打ち破って見せよう。
「ああ、この辺りだ」
それでも人類が永久を望むのなら―――
アルドが剣の柄に手を掛けた、直後。
玲瓏たる金属音が、世界に響いた。リスドアード砦を遥かに超える無の剣閃が街に刻まれたのは、それから間もなくのことである。
続きを言おうとした時、遥か遠くで数人の気配がした。―――かなり待たされたが、どうやら無事に来てくれたようだ。
アルドは四杯目の『霊薬』を飲み終え、クローエルの持つお盆へ戻した。
「―――有難う、クローエル。お前の御蔭で退屈せずに済んだよ」
「へ……はッ、はいぃ!」
クローエルは目を白黒させた後、やっとアルドの言う事を理解したのか、慌ててお辞儀をし、足早に大聖堂の奥へと戻っていった。
彼女の足音が一切聞こえないのは、『獏』という魔人の特性なのだろうか。アルドですら声を掛けられるまで気が付かなかった。
奥から聞こえる会話から察するに、起きていた侍女はやはり『獏』と『鳳』だけらしい。他の侍女は、アルドの耳が捉えた呼吸音の通り、寝ているようだ。
侍女には二つのモードがあるが、詳しくは良く分からない。というのも、『鳳』の魔人であるオールワークが、全ての侍女のモードやら行動やらを全て決定しておりそのせいでアルドが干渉する隙間が壁の罅程もなくなり、結果として侍女についての事が一切分からなくなるという今に至った。
しかし、だからと言って不満もないのでオールワークを責め立てる事は出来―――なくはないが意味がないのでしない。
その二つのモードについてだが、アルドは大体理解している。全侍女(オールワーク除く)が活動している『通常』時と、オールワークと誰か(今回はクローエル)のみが活動している『休息』時があるのだ。今回のケースから見ても、それは間違いない。
リスド大聖堂は大変広く、仕事も山のようにあるので、終日活動していてはとても体が持たない。きっとそれを鑑みたオールワークが、数時間でもいいから殆どの侍女を休ませ、次の活動に備えさせる事にしたのだろう。
侍女について思考を重ねている内に、気配が扉へと近づき、ゆっくりと開いたが、どうもおかしい。気配が一つだ。
その違和感に眉を顰めていると、水色の髪を持つ美女が扉から姿を見せた。
ヴァジュラはその目を一層怯えさせながら、おずおずと進みよる。
「あ、えっと、アルド様。暫し大聖堂を留守にしてしまいました。申し訳ございません」
あまりに申し訳なさそうな顔をするものだから、こちらとしても困惑せざるを得ない。というか怒るに怒れない。
「あ、ああ。それは別に構わないが……他のナイツはどうした?」
ヴァジュラが口を開こうとした時、不意に黒い影がヴァジュラと重なった。「あ、フェリーテ」
「主様、待たせてしまって申し訳ないの」
「それは別に良いのだが……他のナイツはどうした?」
「何、心配はいらぬよ。後数秒もすれば来るじゃろう」
フェリーテは意地悪な笑みを浮かべてそう言った。その笑顔で全てを悟ったアルドは、呆れかえったように呟いた。
「お前等……」
ナイツが揃う事に、時間は大して掛からなかった。三秒ほどだ。出し抜かれた事に気づいて急いで来たそうだが、そんなに早く来られるのなら、十数時間も自分が待った意味は何だったのか。
クローエルとの会話で暇は潰せたから、今更追及するつもりはないが、次からはなるべく早く来てほしいものだ。
「さて……私が戻ったという事は―――語るまでもあるまい。準備が整い次第、リスド大帝国に総攻撃を仕掛けるつもりだ」
その歪み無き決意は、澄み切った声として大聖堂内に響いた。珍しくアルドが語調を強めたため、大聖堂奥の侍女達にも聞こえているだろう。
ナイツ達が真剣な表情になるのを見ながら、アルドは続ける。
「魔人達に世界を取り戻すと約束して、約二年。私は未だに何も取り返せてはいない事……私は申し訳なく思っている」
アルドは虚ろな笑みでナイツ達を見回し、続けた。
「この決断がどう転ぶかは分からない。もしかすれば最悪の方向へと事態は転ぶかもしれない。だがッ、私は魔王として、地上最強として、『最悪』を尽くすつもりだ ……私を慕ってくれる者と見込んで、命じよう。戦え……壊せ……リスド大帝国から全てを奪い取れッ、さあ―――始めるぞ!」
地上最強と呼ばれた『魔王』の物語の―――始まりだ。如何なる者も、我が覇道を阻めはしない。
ナイツ達を一度解散させた後、アルドは一人自室へと戻り、自らの武器を眺めていた。
一体どれ程この時を待ったか。アルド自身侵攻には消極的で、どちらかと言うと防衛に努めていた訳だが、それでも約二年。永遠のように、長かった。
だが、遂に。遂にこの時が来た。驕り高ぶる人類から世界を奪還するその時が、遂に来たのだ。
『王剣ジルクリース』。地上最強の剣にして、王にのみ帯刀が許される魔剣。―――かつて『皇』が使っていた剣だ。
これでようやく、『皇』に胸を張って自分の事を魔王と言うことが出来る。
「それをお持ちになるのですか?」
「……オールワークか」
アルドは静かに振り返り、その顔を見つめる。
燃えんばかりの赤髪を後ろで纏めている為、清潔な印象が見受けられる。給仕服に包まれた肢体は適度に引き締まってばねのようなしなやかさを具え、その中性的な顔立ちからは想像も出来ない程に凛とした瞳は、彼女の性格を表しているよう。
『鳳』の魔人、オールワーク。アルドが最も信頼する侍女だ。
「何か用か?」
オールワークがこくりと首肯した。
「……その剣を持ち出すのであれば、私も同行させて頂けないかとお願いに参りました」
「確かにお前は戦闘能力がある侍女———と言っても、後は『蜩』くらいしかいないが、どうして急に?」
「生前、『皇』様より申し付けられましたので」
オールワークが目を伏せ、淡々と言う。
まさか『皇』がそんな事を言っていたとは。確かに『皇』はかなりの心配症で、どこに行くにも寄生虫のように纏わりついてきたが、まさか自らの死後も見越して彼女に命令を出しておくなんて―——一体どれ程心配性なのだ。
クローエルのような非戦力侍女ならば突っぱねたかもしれないが、生憎と来ている侍女はオールワーク。アルドが守る必要は無いと思える程の強さは持っているし、何より彼女は畏まってこそいるが『皇』の親友だ。
この剣が『皇』のものであるという事は、即ち『皇』を連れて行くようなモノ。であるならば、彼女を連れて行った所で何の問題も無いだろう。
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「私の傍を離れるなよ」
「畏まりました」
オールワークもまた身を翻し、アルドの後を追うように部屋を出た。
時刻は夜。数日前、馬車で通った道を、アルドとオールワークは静かに歩いていた。
実に静かだ。滔々と流れる川の音、規則的に地面を踏みつける音、そして僅かに聞こえる人間の寝息。如何に現在が穏やかであるかを理解させるこの風景を見ていると、戦おうという気持ちも少しは和らぐ―――
ありえない。この風景は魔人の敗北あってこそ生まれた風景、つまり敗者によって生み出された屈辱の象徴だからだ。
平和など糞喰らえ。幾らこの世界が乱れようが関係ない。人間の統治するこの世界が幾ら乱れようと、アルドには関係ない。
「アルド様、一体どの辺りで合図を?」
「砦が見えてくる辺りだ。そこで丘の上で待機しているナイツ達に指示を出す」
嗤うなら嗤え。蔑みたければ蔑め。嫌いたければ嫌え。人間に何をどうされようがアルドは意志を変えるつもりはない。どれ程の障害が立ちはだかろうが、悉く打ち破って見せよう。
「ああ、この辺りだ」
それでも人類が永久を望むのなら―――
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