ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

破滅を願うは如何なる者か

 自分は誰なのだろう。どういう名前で、どういった経緯で生まれ、そして何の為に生きているのだろう。自分と言う意思はあるけども、それはあくまで意思だけ。自分が誰なのかという事は、証明はおろか、理解すら出来ない。
 思い出せるのは、あの生と死の狭間で感じた、あの気持ちだけ。あの記憶だけが、自分の支え。
 もしあの記憶が無くなるのならば、ワドフは自分の存在を認める事は出来ないだろう。だってそうだろう。自分で何も分からなくなったら、それはもう人間ではない。自分の気持ちを一番理解できる人物が『自分』であるように、自分の存在を認める事において、事欠かない人物も、また『自分』なのだから。
 他人が認めなくては存在は無いも同然?
 ならば聞くが、もしも世界中が自分を認識していて、そして自分だけが『自分』を認識できなかったら、それは―――存在していると、言えるのだろうか。






 リスドアード砦、医務室。ウルグナが急ぎ足で駆け込むと、部屋にいる女性が反応し、こちらに目線を向けた。遅れてキリーヤ、フィネア、エリが入ってくると、若干の戸惑いを隠せないようだ、目を何度も瞬き、事態の理解に努めていた。
 その反応から見ても、記憶が消えているのは明らか。疑っていたわけではないが、改めてその事実を確認すると、ウルグナとしても、気分を落とさざるを得ない。
 やってしまった。自分は生を求める彼女の姿を、自らの手で消し去ってしまった。
 彼女の目に、以前の光はない。それは『皇』と『邂逅』する以前の自分と同じで、何か大切なモノを全て失ってしまったかのような、そんな目をしている。
 そんな彼女が自分を保てるという事は、何かしら支えがあるのだろうが、だとしても自分を殆ど失った彼女は、もう人間として最低限の体裁を整えた者としか言いようがない。
 あんな所で神造魔術を使うべきではなかった、とは嘆かない。過去は文字通り『過』ぎ『去』った。今は自分のせいでこんな事になってしまった彼女をどうするか。それだけである。
 勿論、本来ウルグナはこれくらいでは動揺しない。知らない人が記憶を失ったとしても、或いは知人がそうだったとしても、『あっそう』くらいで返してしまう程には冷たい人間だ。
 しかし、今回は場合が場合。ウルグナは生きようと必死にもがく姿を失ってほしくなくて、ワドフを助けた。
 それがたった一度の魔術で台無し。ウルグナが感じていた過去は消え去った。もう、彼女には何も感じない。
 ウルグナが思考を巡らせている内に、フィネアがワドフへと歩み寄り、顔を近づけた。
「何か思い出した事はないか?」
「いえ……その……どういう訳かは分かりませんが、思い出そうとすると、胸が苦しくなるんです」
 ワドフは胸の辺りに手を当て、目蓋を伏せる。
「胸が苦しく? ……どういった風に?」
「心が無くなっていくというか、何というか……」
「……ぇ? ちょ、ちょっと待ってください!」
 その言葉を聞くと同時に、ウルグナが接近。
「えッ、貴方は……」
「すみません、今は何も言わないで頂けますか?」
「えっ、はい」
 魔力喰らいの石をワドフに接触させ、石を翳す。そこにはワドフの魔力だろう紅い魔力と、僅かに混じった藍色の魔力が見えた。
 ウルグナはこの色に見覚えがある―――デュークだ。


 思い出そうとしても記憶が戻らない。
 思い出そうとすると身体に異常。
 これ程までに強力な契約は、本来人が扱えるモノではない。しかしウルグナには一つだけ心当たりがある。


 その魔術の名前は『命刻ライフディール』。
 魂を対価として、契りを交わす魔術。契りを交わす人物は自分でなくとも良いのだが……
 問題はその内容だ。流石にそこまでは『影人』にならなければ分からないので、今は諦めるが、気になる。
「あの、どうしましたか?」
 ワドフがこちらに困ったような表情で尋ねてくる。何も知らない顔だ。何の柵にも囚われていない自由な表情。
 ウルグナは無理やりに口元を吊り上げ、不器用に笑う。
「何でもありませんよ」
「……ウルグナ様?」
「ウルグナさん?」
「ああいや、何でもありません……ああ、そうだ。エリさん、キリーヤ……後でもう一度集まってもらえませんか?」
 エリは一瞬疑問を抱いたようだが、ウルグナの発言に小さく頷いた。それに合わせて、ウルグナもキリーヤに目配せをした。
「……あの」
「ああ、いえ、何でもありません。フィネアさん、彼女の面倒を見ててもらえませんか」
「それはつまり何かあるって事だろ。分かったよ。三人で思う存分話をして来い」
 二人を先に行かせた後、フィネアに軽く頭を下げ、ウルグナは扉を閉めた。
 予定は狂ってしまったが、問題ない。リスド大帝国を滅ぼせる段階まで持ってくる事が出来れば、それで良いのだ。 




「で、何を話すおつもりなんですか?」
「ええ、デュークさんが伝えてくれた言葉なんですが……エリさん。フォーミュルゼン、という人物に心当たりは?」
 あの時の行動から見ても、目が僅かに開いた所から見ても、何か知っているのは確かだ。
 しかしエリは意図を理解しかねるのか、口元を引き締め、こちらを見遣る。
「……それが何か関係あるんですか?」
「知っているか、と聞いているのですが」
「―――はい」
「それは結構。ではエリさん、そのフォーミュルゼンが、今回の事件の『実質的な黒幕』とはご存知ですか?」
 語気を強め、ウルグナは尋ねた。エリはその言葉に押されて体を引くが、程なくして眉間を寄せ、姿勢を正した。「どういう事ですッ?」
 やはり知らなかったようだが、わざわざデュークを使って仕事をする程の臆病な奴なのだ。そう簡単に周りには漏らさないという事など、予想の範囲内。
 しかし知り合いと言うだけにしては、どうにも反応がおかしい。まずは人物の関係図を明らかにしなくてはいけないだろう。
「……それを話す前に、エリさん。貴方はフォーミュルゼンの、何なんですか?」
「何なんだって……知り合いですよ」
 エリは会話の途中、一瞬だけだが目を逸らした。そして、それを今のウルグナが見逃さない訳が無い。
「ならおかしいですね。知り合いなら貴方はそこまで食い気味に聞こうとはしないはず。私の見立てでは、親友か、直属の上司か―――ああ失礼。許嫁という事もありますね」
「……」
「答えたくないのなら、それでも構いません。只、一つだけ聞きたいのですが……もし、フォーミュルゼンが消えるのならば、貴方はそれを望みますか??」
 その瞬間、世界は永久で満たされた。






 フォーミュルゼンが消える事を望むか。それが彼の質問だった。この質問がどんな意味を持つにせよ、エリは何かしら答えなくてはならない。そしておそらく、答え次第では最悪の事態すらありえてしまう……
 自分の正直な気持ちを言えば、消えてほしい。我が儘な話かもしれないが、自分は許嫁になどなりたくない。欲を言えば、このまま国に尽くしていたいのだ。
 それをそのまま言ってしまってよいものか?
 そういえばレイリンは、『もう絶対に許さない』とエリに宣っていた。それだけならまだいい。問題は、あの死体の中にレイリンが居なかったというのが問題だ。
 おそらくレイリンはエリが恐れていた事―――報告をしにいったのだろう。今頃はきっともう家に着いている頃だ。そしてそれは城に戻ると同時に、エリとリスドの評判が地に堕ちる瞬間でもある。ずっと守ってきたモノが、もう直ぐ崩れ落ちる。幾らワドフを助ける為の行動だったとはいえ、言い方を悪くすれば只の人助けで、エリは国を壊す要因を作ってしまったのだ。
 自分が何をしようと、崩壊は止まらない。只無情に崩れて壊れて廃れるだけ。放っておいても、きっと何も変わらないだろう。
 フォーミュルゼンは否定派の筆頭。リスドが滅んでも、亡命先は幾らでもある。だがエリにはそれがない。許嫁で無くなった兵士エリに、後ろ盾などあるはずもない。
 彼が何を求めているのか、エリには分からない。だからこそ、今は正直に答えよう。
「私は―――」






片翼の剣パーティー』メンバーの内、一人は死亡。一人は記憶を失ったが、結果的に依頼は達成。ウルグナの雇用は解除された。
 フィネアはワドフの容態を看るとの事で、砦から帰ろうとはしなかったので、すれ違いざまデュークについての報告義務を思い出させると、『後でまた来る』と言い残し、渋々砦から姿を消した。
 フィネアは存外に強者だが、戻ってくるまでに行動を起こせば邪魔はされないだろう。
 そんな事を考えながらウルグナ―――アルドは、キリーヤと歩みを揃えて帰路についていた。
「アルド様」
 言いたいことは予想できた。先程の問いの事だろう。
『もし叶うのならば、私は望みます』
 それがエリの答えだが、あまりにも予想通りで、さほどアルドは驚かなかった。背後関係はあくまで推測だが、それを考慮すれば、エリがああ言うだろうという事は自明の理というモノだ。
 アルドの予想通りの質問が、キリーヤの口から紡がれた。
「どうして、あんな事を尋ねたんですか?」
「どうして、とは?」
 会話が成り立たないので、あえてそう尋ねる。
「アルド様に、大義名分などは必要無い筈です。なのに、どうしてあんなことを―――」
 キリーヤは解せないのだろう。人間に対して何の躊躇も抱かずに殺せるアルドが、まるで国を亡ぼす理由を見つけるような質問をした事が。
 そう。大義名分としても使える、先程の質問の答え。魔王には必要がないそれを、何故アルドは欲したか。キリーヤはそう問うているのだ。
 アルドは足を止めた。
「国を亡ぼすついでの人助けという説明では駄目か?」
「アルド様が人助けなどする筈がありませんから」
 キリーヤの確信を持った言い方に、アルドは笑わざるを得なかった。別にそんな信用は必要ないのだが、魔王としての信用は嬉しい。取り敢えずは素直に受け取ろう。
「……言ってくれるな。だが、私が人助けなどする筈もないのは正しい。だからこれは人助けではない―――魔人を助ける為に聞いたのだ」
「それは……どういう?」
 キリーヤが分からないのも無理は無い。あの返答を聞いた後、アルドはデュークからもらった情報と、自分の推測を重ねてエリに説明した。エリの顔からは徐々に希望とでもいうのだろうか、それが失われて行き、最終的には目を伏せ、思いつめたような表情を浮かべていた。余程親密な関係なのが、この反応からも見て取れるが、この表情を浮かべた後、お礼とばかりにエリはフォーミュルゼン―――正しくはレイリン・フォーミュルゼンとの関係を語り出した。親切に、自分が何故フォーミュルゼンの消滅を願ったのか、その理由も含めて。
 その関係の悉くはアルドの予想通りな上に、そもそもの目的である、リスドとフルシュガイドの繋がりも、この国が実は否定派という事も、エリが証言してくれた。もはやこの国の侵略は不可避だが、只一つ予想すらしていなかった事を聞いた。
 フォーミュルゼンは否定派の筆頭で、たとえリスドが滅んでもフォーミュルゼンは他の国に亡命するだけで良い為、まるで被害を被らないという事だった。
 『どんな理由があろうと、どれ程無力だろうと、愚かにも魔王に立ち向かう勇者は斬り捨て、臆病にも背を向け逃げ出す民には危害は加えない』というのが、アルド含めカテドラル・ナイツの信条だ。エリの言葉を聞いていなかったら、アルドはきっとこの信条を適用しただろう。
 しかしデュークを手ごまにし、親の名を借りて威張る『狐』みたいな奴だ(怒り出すだけで途端に怯える軟弱者だとエリも言っていた)、アルドが攻めた時、まず間違いなくフォーミュルゼンは抵抗しない。抵抗せずにおそらく逃げるだろう。それはいい。
 問題は、前述したように否定派の筆頭、つまり否定派に対して大きな発言力と影響力を持っているという事だ。当然だが、ここでアルドの存在を知られる訳には行かない。ここで知られてしまっては、まだ戦闘要員としての魔人の絶対数が少ないまま、人類との全面戦争を迎えてしまうからだ。
 アルドやナイツ達は良いとしても、魔人達が無事では済まない。しかし、信条に当てはめた場合、間違いなくフォーミュルゼンは逃げる―――ではどうするか。
 キリーヤを巻き込みたくはない。アルドはあえて突き放すように告げた。
「キリーヤ。それはもう少し後になれば分かる。今は―――何も聞かず、それには関わるな。自分の命が惜しかったら、魔人との共存を考える為に生きなければならないなら、その方が賢明だ」
 その殺意のこもった忠告を、キリーヤは全身を戦慄かせながらも、素直に受け止めた。
「は、は……はい」
 その恐ろしいまでの警告とは反対に、アルドはキリーヤの手を握り、再び歩き出した。キリーヤは一瞬戸惑ったが、諦めたように手を取られ、一緒に歩き出した。
 どうするか、という話だが、方法は一つ。信条を変えるしかない。今回限りはキリーヤを除いたどんな者だろうと―――皆殺しだ。一人たりともリスド大帝国から逃しはしない。
 決意を瞳に宿し、アルドは歩みを進めた。
 

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