ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

叶わぬ望み

 既に日が落ちているが、二人、或いは三人は、まだ帰ってきてはいなかった。
 もしかしてこのまま永久に、なんて想像が頭を過るが、直ぐに思考を打ち消し、現在の作業……死体処理に没頭する。
 実はもう終わっていて、岩にでも腰を掛けながら二人の帰りを待ち望んでいるなんて都合の良い展開はない。むしろこの苦行を味わわなくていいのなら―――六百五十人もの肉の処理をしなくて良いのなら、フィネアは一日でも三日でも、一週間でも待とうではないか。
「やっと百体か……」
 フィネアは双剣の片割れを腰に納め、肉の山に腰を下ろす。重さはそれ程ではないのだが、刻んでいるものだから、何分数が多い。一体と数えるのに、六つ程部位を運ばなければならないのだから、単純な量では六倍に増えている。
 これだけでも面倒な作業量だというのに、運ぶ物質は最悪極まる死体。どうにもやる気が出ない。しかし、そんな作業に愚痴の一つも零さず、傍らのエリは黙々と死体を運んでいた。無慈悲なフィネアと違い、死体は刻んでいない。死んでいた時の姿を―――と言ってもその時が綺麗な姿とは限らないが―――出来るだけ保っていた。
 肉の塊なんぞ、状態を保とうとするだけ無駄だろうに。
 もはや苛立ちを抑えきれないフィネアは、エリに気づかれないように足を運び、砦外の岩へと腰かけた。
 死臭が充満する砦内とは違い、外の空気は綺麗だ。おそらくあの森で起きている筈の、戦闘など知らないのだろう。
 ウルグナが言った以上、デュークは生きて帰れないだろうと思っている。彼はフルシュガイド大帝国騎士団副団長なのだ。そんな人間と対峙して、無事でいるはずがない。
 もしもデュークが生きていたら、その時はウルグナが死んでいるか、入れ違いか、どちらかだろう。
「……フィネア、さん」
 聞こえてきた声は幼かった故、誰かは直ぐに判別できた。「君は……キリーヤか」
「隣に座っても……良い、ですか」
「構わないよ」
 フィネアに寄り添うように、キリーヤが腰かけた。幼少期特有の柔らかな肌がフィネアに触れ、その体温を全身へと伝わらせる。
 久しく感じていなかった温もりに、心の中で動揺しつつ、フィネアは呟く。
「人見知りじゃなかったのか?」
「……間として生きる為……に必要ですから」
 よく聞こえなかったが、キリーヤの表情は何かを決断したかのようにさっぱりとしていた。話に聞いていた少女とは、どこか違っているようにも見受けられるが、『邂逅の森』でウルグナと再会した時、何かあったのだろう。
「ウルグナ、帰ってくると思うか?」
「帰って……きますよ、絶対に」
「何故そう思う」
「ウルグナ様、ワドフさんに……自分を重ねているみたいでしたから」
 フィネアが視線を向ける。
「それは……聞いても?」
 キリーヤは俯いたまま、動くことは無かった。
 フィネアは知る由もないが、キリーヤは葛藤していた。今ここで話しても、恐らくウルグナには知られないだろう。しかし、だからと言って……自分を信用してくれてるウルグナを、裏切ってしまって良いものだろうか。確かにキリーヤは人間になる決断をした。魔人を、故郷を捨てる決断をした。それは全てと決別し、人生を始めると言う事。
 だが、たとえ決別しても……キリーヤにとっての王はウルグナ―――アルド只一人だ。
 人間が魔王を信仰するなんておかしな話だろうか、人間と魔人が交わる事の方が、十分におかしな話だ。それに比べたら信仰など、何もおかしくはない。
 二人の会話が途切れて、暫く経ったが、ウルグナはまだ現れなかった。
 二人の髪を穏やかな風が靡かせる。平和としか思えない風景、天候。とても魔人と人間が、まだ水面下とはいえ、戦っているとは思えない。
 後、数日も経たずして、この風景が見れなくなるとも、また思えない。
 こんな風景を、いつか魔人あなたと共に見ていたいと人間わたしが思うのは、間違っていますか?
 姿の見えぬウルグナに、キリーヤは心の中で問う。この一時の恒久化こそ、キリーヤが全てを捨ててまで、手に入れたい物。
「おっと風が……」
 一陣の風が、二人の間を通り過ぎると同時に、キリーヤは確かに聞いた。その足音を。
 一歩。一歩。確実にこちらへと向かってくる。その辺りでフィネアも気づいたらしい、『邂逅の森』へと目を向け、その正体を探る。
 最初に見えたのは女性だった。女性は何かにしがみ付いたまま、穏やかな寝息を立てていた。その表情は気のせいだろうが、安心しきっており、どこか嬉しそう。
 次に見えたのは、銀髪の男。
 軽々と女性を抱きかかえ、こちらへと歩みを進めていく彼の腰には、女性用と思われる剣。紛れもなく、彼が抱きかかえている女性―――ワドフ・グリィーダのものだ。
「ウルグナ様ッ!」
「ウルグナッ」
 思わず二人は駆け寄った。
「少しばかり手間取ってしまいました。申し訳ありません」
 ウルグナは目を伏せて言う。その服には、何者かの血液がついているが―――言うべきことではないだろう。




「全く……フィネアさんと来たら、酷いじゃないですか、私に処理を一任するなんて」
 リスドアード砦、休憩室。エリは憤然とした面持ちで、フィネアを睨みつけた。
「……ああ、それは、その……すまなかった。次は気を付けるよ」
「二度とこんな事は起こさせません! ……絶対に」
 二人のやり取りは、事情を知らぬものからすれば、実に微笑ましい。謝ろうとしたら逆にまきびしを踏み抜くなど、こちらからすれば可笑しな光景としか言えない。
 勿論、死体が関連しているのは分かっているのだが。
「まあまあ。もう処理は終わったんですから、許してあげてください」
 ウルグナが来た後は、速かった。まるで何回もやってるかのように無駄のない動きで、次々と運び出してくれた上、墓まで作ってくれたのだ。
 仲間の死体は、見ていて気持ちの良いモノでもなかったために、ウルグナには感謝しかない。それまでは地獄のような時間だったが。
 エリが「仕方ないですね」と首を振り、落ち着きを取り戻す。
「それで、ワドフさんは目覚めたんですか?」
 ウルグナは身を乗り出すも、飽くまで冷静にフィネアに尋ねる。自分が死体処理を手伝っている間、フィネア達はワドフをずっと看ていたのだ。ワドフの様子をウルグナが聞くのは、自然たる行動である。
 キリーヤに視線を向けると、キリーヤは何故か驚いたようにこちらを見つめた。
「どうした」
「いえ……その……」
 キリーヤが何かを躊躇っているのは直ぐに分かった。一体何に戸惑っているのだろう。躊躇う程の事態が、ワドフに降りかからないようには配慮した筈。
 ウルグナは怪訝な顔を浮かべると、隣のフィネアが咳払いで割って入った。
「ワドフは目覚めたよ……ああ、目覚めた。只な」
「只……なんです?」
「どういう訳だかな―――自分の事、一切忘れてるんだ」
 フィネアは見当もついていないようだが、ウルグナとキリーヤには見当しかついていなかった。まさかとは思うが―――
 いやいや、思い出してみよう。神造魔術『悪闢』。対象の記憶と存在をこの世から抹消する魔術。あまりにも強大故、たとえ対象に取っていない、つまり自分でも僅かに影響を受ける―――
 ウルグナは肘をつき、額に手を当てた。
「申し訳ありません……」
 自分はワドフに迷惑はかけたくなかったが、現実は上手く行かないようだ。幾らウルグナでも、ここまで来れば当たり前だが、申し訳が立たなかった。








 リスド大帝国に、年に何回も見ないような怒号が飛び交った。
「ここに居ない訳がありません!」
 それは城を震わせ、騎士を怯えさせたが、それでも結果は変わらない。萎縮しきった騎士が、怯えの目でこちらを見つめた。
「そうは言いまして……も、クリヌス殿、ここに……そのような方は一度たりとも……」
「……」




 一度たりとも来たことが無い事はない筈はないのだが、どうやら自分以外は、記憶が消去されているらしい。それはクウィンツという名前に反応しなかった事からも明らかだ。原因は分からないが、まあ、今更気にしても仕方ないだろう。
 それにしても意外だ。あの強さを持っている彼なら、どこかで騎士団長にでもなっていて然るべきと思っていたのだが、結果は先刻の通り。
「どこにいるんですか……」
 斃すとか斃さないとか、それ以前の問題だ。単純に見つけられない。
 いつだってそうだ。あの人が何かに全力を出すと、クリヌス含む全ての騎士は、彼に勝てなかった。今回もそう。数年ぶりに手掛かりを得たというのに、それに迫ろうとした結果が、これだ。
 いつもその背中を見失う。いつも勝つことが出来ない。
 だからクリヌスは自分を好きになれない。勝利を冠っておきながら、最強ではない自分など、自分ではない。
 最強とは呪いだ、とクウィンツはよく言っていたが、クリヌスはそうは思わない。逃げる事が許されず、負ける事も許されず、死ぬことも許されないなんて―――素敵だと思わないだろうか。
「見つけましたよ、トナティウさん」
 澄み切った銀のような涼しい声が、クリヌスの耳にやけに大きく響いた。意識が声の方へと偏り、その存在を認識する。
「……サヤカ」
 全身に恐怖が駆け巡り、さび付いた物体さながらの動きで、クリヌスは振り返る。
 首で切りそろえられている黒髪に、虚ろ色に染まった瞳。クリヌスにも負けずとも劣らない身長に加え、抜群のプロポーション。そしてその背中には―――三メートルを超える大剣。
 とてもその細い腕で振り回せるとは思えないが、別段彼女が重そうにしている仕草はない。クリヌスと話している今だって、平気で直立している。
 サヤカは腰に手を当て、両手を上げ無抵抗を示すクリヌスを問い詰める。
「トナティウさん、貴方が居なくなった御蔭で、王様が城を破壊して回り始めたもんで、こっちは大混乱ですッ。早くフルシュガイドに戻ってきてくださいッ」
 王様―――ああ、そういえばあいつが王様だったな。
 王族と聞くと、途端に反抗しないクリヌスだが、今回ばかりはクリヌスも従順ではなかった。せっかく見つけた魔力だと言うのに、それを逃す手がどこにあるというのか。
 騎士団は理不尽な集団ではない。きちんとした理由があるのなら、きっとサヤカも引き下がるだろう。しかし、クリヌスにはその理由が無い。あるのは只、彼を求める心のみ。そんな状態であるのならば、サヤカを引き下がらせる事など、不可能に近い。
 クリヌスは顎に手を当て、考え込むような仕草をした。
「ああ、そういえば何か儀式をやると仰ってましたね」
 間抜けな発言に、敬語も忘れてサヤカが語調を強める。
「そういえば? 何それ。まさか今まで忘れていたんじゃないんでしょうね? ……呆れた。兵士なら許したけど、よりにもよって、地上最強の貴方が『そういえば』なんて、私には信じられないんだけれどッ」
「……まあ、私にとって祭事など些細な事でしかありませんからね。忘れても仕方無いでしょう」
 興味なさげに言い切るクリヌスに、サヤカは拳を握り、激昂した。
「当たり前のように言わないでよ! 祭事が何か分かっていってるのッ? ねえ、正気?」 
 お前よりは正気のつもりだ、という思いは言葉では表さなかったものの、その想いを感じ取ったサヤカに、血走った眼で睨まれた。
 この女、御淑やかさというモノが無いのか。
 目に移らない程の速度で突き出される拳を適当に避けながら、クリヌスは記憶の引き出しからどうでもいい祭事の内容を引き出し、脳裏に浮かべる。
 そういえば、今日は『異世界から勇者を召喚する儀式』だったか。
 サヤカの拳を受け止め、クリヌスが気怠そうに言い放った。
「貴方の世界から貴方の友人を呼び込むんのでしたっけ? そうだとしたら貴方もやる事が酷い。平和な国からわざわざ御友人を呼び込むなんて」
 サヤカの目が怒りを孕むのを、クリヌスは見逃さなかった。
「あんな奴らを友人何て思ったことはないわ。それに、あいつらのせいで私がこんな目に遭ってるのに、あいつらだけ平和を貪るなんて、公平じゃないもの―――ッ!」
 それが自分に降りかかると理解したクリヌスが、左腕を上げた。直後に抜き放たれた大剣が、クリヌスの篭手を容易く砕くが、クリヌスに特段表情の変化は見えない。それはまるで、この行為が初めてではないと語っているようでもある。
「サヤカ。感情に任せて攻撃をするのはやめてもらいたい。私の装備は無限ではないのですから」
「……トナティウが戻ってきてくれるなら、私の怒りも収まるんだけど?」
「ああ、やっぱりそう来ますか……やれやれ、分かりましたよ。戻ればいいのでしょう戻れば」
 彼を追い求めるあまり、色々忘れていたクリヌスに非はあるが、攻撃の詫びは貰えないようだ。クリヌスは諦めたように歩き出す
 逃すしかないチャンスが、これ程惜しいとは思わなかった。せっかく―――彼の魔力を捉えたというのに。サヤカのせいで、棒に振ってしまった。反省だ。今回はタイミングが悪すぎた。
 砦の方を一瞥。
 何時か訪れるだろう再会の時を、クリヌスは密かに待ち望んでいる。















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