ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

疑わしきは罰せよ

「ふむ……成程な、そういう事か」
「はい。そういう訳でございます。してアルド様、私共はこれからどのように動けばよろしいのでしょうか?」
 チロチンの報告を受け、アルドは考えるような仕草を見せた。そして出し抜けにこんな事を言った。
「本拠地に入れ。出来るだけ気づかれずにな」
 チロチンは一瞬目を開いた後、数度瞬かせた。人の説明を聞いていなかったのかとでも言っているような顔だが、しかし、今入らなくては偵察の意味がないのだ。
 アルドは、カテドラル・ナイツの能力を信じている。出来ない筈はない。
「大変恐縮ですが、それがどういう思想の下で生まれた指示なのか、私には理解しかねます」
「……まず、お前達の危惧するそいつだが、魔力からして今は城から離れている。こんな事は滅多にないもんでな。上手く潜り込めば、仮に私が証拠を押さえるのに失敗しても、そっちで押さえる事が出来るし、これから何をするのかも分かるし、装備まで分かるようになる。私ですら一度も遭遇した事もない奇跡だ。それを逃すなんて、財宝を目の前に逃げるようなものだ」
 彼を本拠地から動かすなど何の策があってしたのやら、アルドには見当もつかない。彼さえ居なければ、フルシュガイドなどちょっと堅い積み木でしかないというのに。
 全く不思議だ。彼は一体全体どうして―――こちらに向かってくるのだろうか。
 怪訝な顔を浮かべているチロチンだが、やがて軽く頭を下げた。
「成程……承知しました。皆にはそのようにお伝え致します」
 チロチンならば一言一句、真意をくみ取ったうえで、正確に報告してくれるだろう。
「では私はこれで―――」
「待ってくれ」
 アルドの声が飛ぶと同時に、チロチンは腕をマントの下へと隠し、飛ぶのをやめる。
「何かご指示でも?」
「ああ、いや、それはさっきの通りでいい。私が言いたいのは……ファーカの事だ」
 チロチンがこちらに向き直るのを確認すると、アルドは遅まきながら動揺した。
 果たしてこれは言うべき事なのだろうか。仮に言ったとして彼女の行動に支障はないのだろうか……
 様々な思いが自らの心内で交錯するが、やがて覚悟を決めたようにアルドは言う。
「もしこの一件が無事に終わって、お互いに生きているのなら、二人きりで食事でもしないか? と伝えておいてくれ」
「―――ッ! ……ありがとうございます」
 チロチンは身を翻し、暗雲漂う果てなき空へと飛び立った。それはやがてチロチンを包み込み、今ではアルドでさえ、どこを飛んでいるのか分からない。
「……ふう」
 チロチンがファーカの事を気にかけているのは分かっていた。そのせいで世話係と他の者からはからかわれているようだが、それくらい気にかけているのだ。
 一見すると、寡黙で冷たいような印象を受けるが、そんな事はない。むしろ誰よりも世話焼きな人物なのがチロチンなのだ。
 だからこそ、アルドは悩む。チロチンの言ったファーカの好意に。
 チロチンは色よい返事など微塵も期待してなかったのだろうし、アルドも本来は返事をするつもりは無かった。ファーカの事は確かに好きだが、それは恋愛と言うより、家族のような感情だからだ。聞く限りファーカは逆のようだが、アルドにはその想いに応えられる自信が無い。
 だからするつもりは無かったが―――それは失礼だと思い直した。
 自分を愛してくれる者には相応の態度で接するべきで、決して邪険、蔑ろにするべきものではないと。勿論そんな事をすれば、ファーカはますますその感情を強くしていくのは見えている。
 しかし彼女も含め、ナイツはタフだ。下手な拒絶をすれば、ますます思いを強めてしまう。
 だから受け入れる。受け入れて、感情の上昇を出来るだけ穏やかにする。そういう作戦だ。姑息なのは分かっているが、身内に甘々なアルドにはそれしか出来ない。『真剣に』拒絶をすれば、ファーカも諦めるだろうが、アルドにはそれが出来ないしだからと言って一線を越える事も出来ない。
 所謂、屑というやつだ。
 これの問題点は、彼女が真剣に迫ってきた場合だ。今はまだ姑息な手段で抑える事が出来るかもしれないが、もし、如何なる障害も気にせず、如何なる誤魔化しもはねのけ迫ってきたらその時は―――
「今はまだ―――大丈夫だ」






 休憩室に戻ったが、部屋にはキリーヤと鼾を掻きながら寝るデューク以外、誰もいなかった。
「あ、ウルグナ様! 二人はもう寝室の方へ行ってしまわれましたよ」
 こちらに、とことこと歩み寄ってくるキリーヤ。何気ない報告だったのだろうが、アルド―――ウルグナからすれば、その報告は最低最悪なモノだった。
「……何ッ?」
「キャッ!」
 キリーヤの肩を掴もうとするが、体躯の違い故、突き飛ばしてしまった。あまりの手応えのなさに、反動でウルグナも転んだ。
 今の状況を他の人が見れば、大男が年端もいかない少女を押し倒しているように見えるだろう。
 困惑しているキリーヤを気にせず、ウルグナは低い声で尋ねる。
「二人から目を離したのか?」
「あの……この体勢……」
「どうでもいい。二人から目を離したのかと聞いているんだ」
 語勢を強めて再び尋ねる。キリーヤは目を見開いたまま動かない……いや動けない、という方が適当だろう。その言葉に圧されてしまったのだ。
 やがてキリーヤが「ハイ……」と頷く。ウルグナは彼女から離れて、立ち上がった。
「……気をつけてくれ」
 手を貸して、キリーヤも立ち上がらせる。許したつもりなのだが、キリーヤの瞳にはすっかり怯えが張り付いていた。
「それで二人はどこへ行ったんだ?」
「え」
「ん? いや、どこへ行ったと聞いてい……まさか聞いていないのか?」
 数十秒にも及んだ沈黙。気まずい雰囲気が二人を包んだ。一度ならず二度までも。心なしかウルグナも、失望したかのような瞳でこちらを見ている。
 キリーヤは泣きそうな表情を浮かべながら、震えるように首肯した。「……はい」
「―――そうか」
 部屋から出ていこうとするウルグナ。その左手を、すんでの所でキリーヤが掴んだ。
「……怒らないんですか?」
 自らの失敗による叱責をキリーヤは恐怖している。しかしそれ以上に。見放される事を恐れていた。
 目には涙。声音は震え、心拍が早まる。恐怖。恐怖。恐怖。アルドの口から伝えられる答えに、恐怖している。
 現実にして刹那。己にして悠久。それ程までにその答えを―――恐れていた。
 しかし。
「怒ってほしいのか?」
 それは素朴な疑問のように。アルドの言葉からは憤怒の感情は見受けられなかった。
「え……あ…………いえ」
「ならば怒らないさ。一度起きた事は仕方ないし、失敗踏まえての成功だからな」
 掴んだ左手がするりと抜ける。アルドは扉を押し開いて、廊下へと姿を消した。 
「―――すみませんでした」
 既に閉じた扉に向かってキリーヤは頭を下げる。もう二度と、失敗はしない―――




 丁度その時、毛布が落ちる音がした。






 ワドフはどこだ、フィネアはどこだ。
 一応他の休憩室やら、食堂やらを覗いたが、見えるのは歩哨ザコばかりで、二人は居ない。後覗いていない所は更衣室だけだが、流石に入る訳にはいかないだろう。
 となればやはり寝室か。ウルグナの記憶が正しければワドフは三〇二、ウルグナとキリーヤは三〇三、デュークは三〇四、フィネアは―――どこだろう。
 そうだフィネアだ。彼女は一体どこに居るのだろう。
 分からないので、仕方なくワドフの個室へ向かう。あの性格ならば嘘を吐くことも無いだろうし、彼女ならばフィネアの所在を知っているかもしれないと、そう思ったからだ。
 部屋の前に辿り着いた。番号は三〇二。間違いはあるまい。
「済みません、ウルグナです。少し話があるのですが」
 声が届いたか不安だったが、それは杞憂だったようだ。奥の方でバタバタ聞こえるものの、数分後。軋んだ音を響かせ、扉からワドフが姿を現した。
「はあ、はあ……ってウルグナさん? こんな時間にどうしたんですか?」
 出てきたワドフは、丈の長い肌着を着た―――所謂、寝間着姿である。
「……どうしてそんな息切れを?」
「いえ丁度着替えていたもので―――じゃなくて! どうかしたんですか?」 
「ああいや、フィネアさんがどちらに行ってしまわれたか知りませんか」
「何故私に?」
「二人はもう寝室に行ったと、彼女から聞いたものですから」
 彼女、がキリーヤを指す単語と分かったようで、ワドフは「成程」と言って微笑んだ。
「そうなんですか。でも、申し訳ありません……フィネアさん、どうしてか部屋を聞こうとしても、全然教えてくれなくて」
「何も知らない訳ですね」
 その発言は流石に直球すぎたとは言った後に気づいた事。ワドフが頭を下げようとするのを急いで止めた。
「頭を上げてくださいッ。別に貴方が謝る必要はありませんよ。むしろ謝るのはくだらない用で貴方を起こしてしまった私の方ですよ」
 昔は騎士だっただけあって、ウルグナは、『女性を起こす時は、余程の緊急事態か無理やりモノにしようとする時』という言葉を教わっている。故にこんな五分も掛からないような用で、起こすのは女性に大変失礼だと、己の過去に刻まれた経験がそう叫んでいる。
「何だかウルグナさん、傭兵じゃなくて騎士みたいですね」
 これがもし当たっているなどと彼女に言ったら、彼女は一体どんな顔をするだろう。自嘲気味にウルグナも調子を崩す。
「良く言われますよ。『お前騎士になった方が良いんじゃないか』とね」
「へえそうなんですか」
「そうなんですよ」
 …………
 話のオチが酷すぎた。いや、もうあれはオチなのか、それすら分からない。
 言い換えれば、話の締め方を見失った。
「……とりあえず、今日は私も床に入るとします。ありがとうございました」
 気づけば五分。気まずさに耐えられなかったのか、ワドフは部屋の方に引っ込んでしまった。
 どう切り上げていいか分からなかったので、正直な話、助かった。眼前の扉に頭を下げ、ウルグナは再び廊下を歩く。
「……仕方ないな」
 収穫は無かったので、今日はさっさとキリーヤを回収して寝るとしよう。
「キリーヤ。そろそろ戻る―――」
 休憩室に彼女は居なかった。






 居るのはウルグナとデュークのみ―――どこにもキリーヤは居ない。隠れている可能性は、前後の出来事から考えてありえないだろう。そんな非常識な子供ではないはずだ。
 奥の壁に近づき、壁を押した。ここは機械仕掛けになっていて、この奥から砦の外壁に出られるのだ。これはキリーヤに教え忘れていたために、ここに居るとは思えない……
 案の定キリーヤは居なかった。
「ん、どうしたんだお前。もう就寝時間は過ぎてるはずだが」
 休憩室の物音を聞いてきたのか、フィネアが扉を開け、こちらを怪訝な表情で見つめていた。
 お前じゃない、という言葉が喉まで出かかるが、何とか止める。さっきまで自分はフィネアを探していたではないか。チロチンとの密会がばれているか否か、その確認のために。
 しかし今はそんな事はどうでもいい。
 キリーヤを、あの少女を探さなくては。
「済みませんフィネアさん。キリーヤがどこへ行ったか知りませんか」
「……知りたいか?」
 期待値の低い質問だったのだが、予想外の答えに、ウルグナは素っ頓狂な声を上げる。
「は?」
「知りたいかと聞いている」
「知っているんですか?」
 フィネアは頷き、ついて来いとばかりに歩き出した。どうにも違和感が拭えないウルグナだが、おとなしく付いていく事にする。
 彼女が犯人か、だとするなら何故ばらす? それとも全く別の事?
 どうでもいい。彼女が疑わしい事に変わりはないのだ。疑わしきは―――




「さて……ここまでお付き合いいただき、どうも有難う。さあ―――かかってこい」
 フィネアはこちらに背を向けながら、双剣を抜いた。どういうつもりかは分からないが、丁度いい。
 ウルグナは仕込み杖を抜くと同時に踏み込み、彼女へと突っ込んでいった。




 

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