ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

片翼の剣

 リスデディア大森林。ウルグナは今、キリーヤと共に森の中心に来ていた。
 やっとワドフから逃れる事が出来た。勝手にリーダーにされた狼は可哀想だが、あんなに近い距離にワドフがいては、迂闊に動く事が出来ないので許してほしい。
 彼女が狼に勝てるかどうか、というのは悩みの種だったが、近くに人の気配がしたのでそれに任せる事にした。恐らく今は、その人と共に、狼を駆除しているのだろうが、不自然に思われたくないので、駆除が終わるまでには帰りたい。
 こんな依頼に何日も掛けていられないのだ。今は何よりも実績が欲しい。
 今回の任務は魔物の掃討、期間は一週間。酷い言い方だが、結局の所これは魔物を抑えているだけで―――姑息というか何というか、根本的な解決には至っていない。
 森の中の魔物を殲滅すれば絶対数は確実に減る。後は森の外の奴らを殲滅すれば魔物は居なくなるし、そうなれば依頼は早々に完了する。
 そう思ったのだが―――
「何もいませんね」
 そう、キリーヤの言う通り、森には何も居ない。だがそれを不思議には思わなかった。大抵の場所に魔物はいるが、ここは例外。この森には本来何もいないし、居るはずが無いと知っているから。
 だからこの森の噂を聞いた時からずっと違和感は覚えていた。
 この森の本来の名前は、リスデディア大森林。通称『邂逅の森』だ。二度と会う事のない二人を運命的に出会わせる森。それがこの森の持つ特性。
 確かに木々の密度は高いし、土地勘が無ければ普通に迷うレベルだが、決して、一度入ったら出られないとかそういう訳ではない。『邂逅』後なら、ある条件を満たさないと出られないのだが、それが起きるより以前ならば―――それこそ方向音痴でもなければ何時でも出られる。
 そしてこの森の本来の名前が忘れ去られている以上、皆が『邂逅』しているとも思えない。そんな森がどうして、魔物の湧出地点と化しているのか。
「……」
「ウルグナ様?」
 いずれにしろ、短縮は出来そうもない。失敗はよくある事だが、今回は……悪意を感じる。砦に何かしようとしている者の悪意が。砦がどうなろうと知った事ではないが、ウルグナの行動予定を妨害した罪は重い。
 たとえあっちにそのつもりが無かったとしても、情状酌量の余地はない。
「……その行為で私の行動をどれだけ遅らせたか、分かっているだろうな?」
 森を抜ける風が木々を揺らす。擦れさざめく木の葉は、ウルグナに嗤いかけているようだった。






「はあ、はあ」
「……ふう」
 ワドフと鎧の女性の周りには、たくさんの死体があった。
 ある狼は頭部を潰れている。
 ある狼はバラバラに切り刻まれている。
 ある狼は内臓を焼かれて、死んでいる。
 多種多様な死に方をしている狼が、彼女達の周りにはあった。
「ありがとう……ございます」
 鎧の女性にお礼を言って、ワドフは武器をしまう。女性は「気にするな」と言うが、そういう訳には行かない。
 もし彼女が来なかったら、ワドフは確実に死んでいたのだから。いいや、仮に生き残っても、その後は確実に死んでいただろう。ならば、多少太ももと腹に傷を負ったくらいで済むのは彼女のおかげと言う他ない。
 いや、今はそんな事よりも―――
「ウルグナさんはッ?」
「ウルグナ? 誰だそいつは」
 女性の問いに、ワドフは必死に言葉をかき集めて答える。
「えっと、私と同期の傭兵でして、とても強くて、えーと、子供と一緒で……さっきまで一緒に居たんですが……」
 ウルグナが死んでいるのは考えにくい。どれ程低く見積もっても、ワドフの三倍以上の強さがあるのは確かだし、何よりあの落ち着き。狼相手に一度も引かなかった彼が、そうそう死ぬはずはない。というより、死なないでもらいたい。
「死んだんじゃないのか?」
「絶対に死んでません! ウルグナさんは私なんかよりずっと強いんですから」
「でも姿が見えないんだろ?」
「うっ……」
 姿が見えない以上、生存の根拠はない。ワドフは思わず言葉に詰まる。
「森の中にでも入ったというのもあるな。それか狼が怖くて逃げたとか―――」


「………………誰の事を言ってるんですか?」


「ん? ああ、ウルグナって男の事を言ってるんだ……って」
 入ってきた声に、ワドフは顔を上げた。髪、武器、目、身長、口調。
「ウルグナさん!」
 ワドフは嬉しさのあまりウルグナに抱き着こうとしたが―――異性である事を思い出し、すんでの所でやめる。
「ウルグナさんッ、どこ行ってたんですか!」
「ああ、申し訳ありません。キリーヤが狼に連れて行かれたものですから、思わず持ち場を離れてしまいました」
「え? ウルグナ様、私はそんなおっちょこちょいじゃ……!」
 キリーヤの頭に手刀が落ちて、言葉が切られる。
「私は……!」
 尚もキリーヤが何かを言おうとするので、ウルグナはキリーヤの頭を掴んだ。その後に起きる出来事を予想したキリーヤは冷や汗を浮かべながら「すみません」と言い、口を噤む。手は直ぐに離れた。
「彼女はお気になさらず」
 ワドフも、恐らく女性もキリーヤの事については触れなかった。触れてはいけないような気がしたからだ。もし気にしようものなら……
 何故か寒気がした。
「それで、貴方は?」
「……人に名前を尋ねるときは―――」
「……まず自分から、ですか。既にワドフさんからお聞きの通りだと思いますが、私が傭兵ウルグナです。以後どうぞ、お見知りおきを」
「私はフィネア。フィネア・ウールランドだ。デュークに誘われた三人目であり、お前と同じ傭兵だ。宜しくな」
 息ピッタリの自己紹介に、ワドフは感心せずにはいられなかった。やはり傭兵同士、通じるモノがあるのか。
 二人は自己紹介を終えた後、楽しそうに会話をし始めた。
 それが仲睦まじくも見えて、嬉しくもあり、仲間外れにされているみたいで、悲しくもあった。
 というか、初対面にも拘らずこの仲の良さは何だろう。ウルグナは普通に接しているだけだろうが、何と言えばいいのだろうか。事情を知らない人が見れば親友同士でじゃれてるようにしか見えない。
「あの……取りあえず、デュークさん達と合流しませんか?」
 困ったような表情を浮かべながら、ワドフは言った。いつも敬語で人間らしさを感じなかったウルグナだが、今だけはすごく人間らしかった。








 フィネアという女性、どうもおかしい。ワドフはそんな事を思ってすらいないような平和な顔をしているが、ウルグナは少なくともそう思っていた。
 会話の途中、魔人擁護や人間侮蔑などを少々混ぜてみたのだが、何とフィネアはそれに乗っかって来たのだ。この反応は予想外と言う他無いので、アルドは動揺を抑えるのに必死だった。
 しかしよく考えてみれば、彼女は武装からしておかしいので、その時点で気づくべきだったのかもしれない。
 彼女の武器は双剣。それも長剣による二刀流だ。
 自分がやるのならまだいい。ウルグナからすれば剣は羽根ペンを持っているようなものなので、二刀流が出来ない道理はない。
 しかし彼女は人間で、それも女性だ。筋力、持久力が要求される二刀流が出来る筈はない。軽いサーベルのようなモノならまだ分かるが、彼女の剣には一般では珍しい素材がたくさん使われているため、軽いという事はありえない。
 素材からみて、武器の強さは上位だろうし、上位の中でも軽い方だとは思うのだが、それでも上位の時点で武器はかなり重い。結論から言って、おかしい。
 彼女が森を変えた犯人という事はないだろうが、後で調べておくべきかもしれない。
「おーい生きてるか―!」
 前方から聞こえるデュークの声。
 リスドアード砦前。太陽が沈んだのとほぼ同時に、遅刻した仲間フィネアを加え、そこに全員が集合した。






「まじあれは死ぬかと思ったね。ゴーレムがこっちに突進してきた恐怖! それを俺は華麗に躱しエリさんと共に心臓部を的確に狙っていく! いやあ、みせてあげたかったなあ!」
「あ、あの……」
「そういえばお前らの所の敵は何が来たんだ。なんだってそりゃ大変だ。いやあお前らも頑張ったなしかしやはり俺の方が頑張ったと言わざるを得ない!」
 リスドアード砦、休憩室。デュークは貰ってきた酒を飲みながら、耳障りな声で喋り続けた。部屋から出たいのは山々だが、メンバー全員が揃っての集会との事なので、彼が寝るまでは帰してはくれそうもない。
「いやフィネアが来るなんて思ってなかったよ! だってさー、遅刻したもんだからさー、一方的に契約破棄されて逃げられたのかと思っちゃったけどいやー助かったよ来てくれてさ。そうだせっかくだからパーティー名でも考えない?」
 すごく中身のない会話に、これまた中身のない提案をしてくるデューク。酒を飲むと人格が変わる者は多いが、もはやここまで来ると人格崩壊を疑うレベルだ。彼の過去に興味はないが―――悲しい事でもあったのだろうか。
 ウルグナは無言で酒を喉へ流す。誰かが話を進めるだろうと考えての行動だったが、キリーヤを含め皆頑として口を開こうとはしなかった。どうやらデュークとの絡みを面倒だと思ってる人物は自分だけではないらしい。
 ため息を吐く。結局自分が引き受けなければならないのか。
「パーティー名ですか?」
「そうなん、だよ。おりゃ考えた、んだよ。このチームすごく強いけど内二人が傭兵っていう悲しいけ、つまつだからさ、『片翼の剣』なんてどうかなとおもったんだがどう思うよ」
 あまりにも早く喋るので、ウルグナは三割くらいしか聞き取れなかった。可能な限り聞き取れた単語を組み合わせ、何と言っているのかを理解するが、中身は無いので時間の無駄である。
「片翼の剣ですか! いいですね、次からはそう呼びましょう」
 調子の良い声で答えるウルグナ。「絶対そんな事思ってないだろ」とでも言いたげな女性陣の目線が痛かった。
 そんな目線を向けるくらいなら話し相手を変わってほしいものだが、この世界はひどく自己中で醜い故、泣こうが喚こうが嘆こうが救いはない。現実は万人に厳しいのである。
「だろう……へ……俺……天才……」
「……デュークさん?」
「い…………い…………へ……」
 何という僥倖。デュークは机に突っ伏したまま、寝てしまった。このまま朝を迎えれば風邪でも引きそうなものだが、生憎と、誰も毛布を掛けようと―――キリーヤが掛けた。
「それにしても―――本当に疲れましたね」
 デュークとの会話も同じくらい疲れた、という思いは、フィネア辺りが察してくれそうである。
「全くです。あんなのがまだあるなんて……私死にそうです」
「危なくなったら私の横にでもいればいいさ」
 フィネアが煽るように笑いかける。その笑みに含まれた思いに感づけないワドフは、その提案に嬉々とした表情を浮かべた。純粋すぎる。
「……私も居ていいですかね?」
「―――――――――――――あんたは戦えよ」
 呆れ気味に突っ込まれてしまった。まあ、する気は無い。
「キリーヤ」
「はい?」
 キリーヤが近づいてくると、ウルグナは耳を貸せと合図。読唇で内容を悟られると困るので、右手を添えて唇を隠し、囁いた。
「二人の相手をしていてくれ」
 返事は聞かなかった。代わりにキリーヤの肩を叩き立ち上がる。
「あれ? ウルグナさんどこへ?」
「夜風に当たってきます、と言いたい所ですが、只の見回りですよ」






 辺りは冷たい風と全てを呑み込む黒に包まれ、酷く不気味だった。
 野盗の死体も、この暗闇なら発見される事はない。夜は存外に有能な存在だ。
 夜襲が効果的な戦法なのは何故? 魔術を行使する以外に相手を発見する方法が人にはないからだ。
 寝込みを襲うのは? 至近距離まで簡単に接近出来る為、確実性に優れているからだ。
 女性が男性の寝込みを襲うのは―――関係ないが、そういう事だ。たとえ木陰で誰かと話をしていたとしても、気付く者はいないだろう。
 ウルグナ―――アルドは、道を外れ、邂逅の森付近に近づく。
 そこには予想通りの人物がいた。
「アルド様、久しぶりでございます」
 アルドの前に現れた男は、暗闇のせいで輪郭すら判然としない。
 だがアルドには誰か分かっていた。
「お前は三日か四日会っていないだけでその言葉を使うのか、チロチン。まあいい。詳細に報告しろ。お前達が私と別れてから何をし、何を見たか。そして今どんな状況なのか」
「ハッ」
 チロチンは頭を下げたのだろうが、やはり暗闇で分からなかった。
  

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