子猫ちゃんの異世界珍道中
第228話、おかえり!
「なっ! 一体どこから――」
「フローゼ女王、今はそんな事よりも、子猫ちゃん生きていたなら何故もっと早く戻って来なかったのです……この1年わたくし達がどんな気持ちで――」
僕が声を掛けるとフローゼ姫は青の双眸を大きく見開き仰天し、そんなフローゼ姫を軽く窘めながら、エリッサちゃんがまくし立てる様に、そして――願ってやまなかったとでもいうように感情を高ぶらせながら吐露します。
僕としては1年も経過していたとは思っていませんでした。
白の世界で会った女性に僕の願いを打ち明けると、僕の魂は実体化を始め次に気づいた時にはエルフが繋いだ穴の先、初めてこの世界に転移したあのお花畑に立っていました。
冬に入りお花畑の花は咲いてはいませんでしたが……。
そこから初めてミカちゃんと会った今は無き廃村跡地を経由してサースドレインに行ってみれば、大きく様変わりした街になっていて驚きながらも入門すれば城には子爵様とウォルターさんしか見知った人はいないし……。
皆の所在を聞けば、今日と明日ならば王都で行われているサミット? で全員が集まっていると聞いて、預かって貰っていたお馬さんに頑張って貰いすっ飛ばして来てみれば何故か2人が号泣しているし……。
僕が何から話したら良いのか迷っていると、
「こうしてはいられませんわ、早くミカさんに知らせないと――」
「う、うむ。それが一番だな。これで妾達の悩みも解決だ」
フローゼ姫に抱きかかえられ強制的に部屋から連れ出された僕は視線をあげると、再度ミカちゃんの所在を尋ねます。
「てっきりミカちゃんも一緒だと思ったんだけど……一緒じゃないの?」
「――っつ、それは……」
フローゼ姫が険しい面持ちで言い淀んだ事を訝しんで、視線をエリッサちゃんに投げます。
するとエリッサちゃんは軽く嘆息した後で、
「これからミカさんの所に行きますわ。子猫ちゃんの無事な姿を見ればきっとミカさんも――」
意味深な言葉を残し途中で会話を止めたエリッサちゃんに首を傾げることで応えると、
「すぐに分かりますわ」
彼女は短く告げると、扉の外で待機していたフェルブスターさんに馬車の支度を頼みました。
フローゼ姫が女王になって最も力を注いでいる事業は先代国王が発案し、死の間際までその財源の所在を明かさなかった慈善事業などの社会保障制度です。
アンドレア王国の元国王は王国民から集めた税金で、スラム街などの貧困層に食事を提供し自立を促すと共に、食い詰めて盗みを働くなどの犯罪抑止。
身寄りの無い子供の収容先として孤児院を運営し次世代の国の宝を育成。
老齢や怪我で働けなくなった者への生活保障にあてていました。
フローゼ女王の時世になり、エルストラン皇国からの賠償で北の鉱山を獲得しそこで採れた金銀などの鉱物資源と、領土が拡大した事で増えた税収でアンドレア王国の国庫は一気に潤った。
フローゼ姫はその資金を使い各地の孤児を集めた広い孤児院を新たに建設。
ミカちゃんはそこの客分として預けられていました。
客分であることから孤児院内の清掃当番や菜園での労働義務も無く、孤児院の内庭に植えてある木の下で一日中ボーッと空ばかり眺めていました。最もミカちゃんに何かを頼んでも常に虚ろな状態で仕事どころではありませんが……。
フローゼ女王の従者であるアンダーソン爺が連れてきた客人と言うことで、孤児院のシスター達からは腫れ物を触る様な接し方をされ、それとは逆に子供達からは1人だけ働かないで日がな一日ずっと空ばかり見つめている彼女は鬱陶しい対象になっていました。
子供達からすれば、客分などと言われても自分達と何が違うのか分かる筈もなく新人が入所初日からその様な有様だった事で、最初は話しかけていた優しい子も次第に離れていき、今では彼女が一人でいることが普通になっていました。
「あいつまたあんな所でさぼってる!」
「あの子にアンリが話しかけてやったのにシカトされたって泣いてたってよ?」
「なんだよそれ!」
「でも院長先生とシスターがあの子は特別だからって言ってたわよ」
「俺達と歳変わんねぇじゃん! 何がきゃくぶんだよ!」
「あいつだけ一人部屋で、しかも食事は俺達とは違う美味いもの食っているって話だぜ」
「「「「ずるい!」」」」
「それあたし見たわよ。シスターに食べさせて貰ってる所見ちゃったもん」
院長室から子供達の様子を眺めていたシスターが、困惑顔で院長に尋ねます。
「あの獣人の娘さんをいつまで預かるんでしょうか? 多感な子供達の中に特別な子が混ざっていると子供達の情操教育に悪影響を与えてしまうのでは……」
シスターからの発言をうけて院長はチラリと窓の外に視線を投げると、聖職者らしい静謐な物腰で応対します。
「それは分かりますよシスター。でもね、ここに預けられた以上はあの子もここの子です。どうすれば立ち直るのか私にも分かりませんが、アンダーソンさんからは彼女は強い子だからきっと大丈夫と伺っています。今はもう少し様子を見ようではありませんか」
尊敬する院長にそう言われてしまえばシスターにはそれ以上言葉を返す事は出来ません。
短く小さな声で「わかりました」とだけ告げて院長室を退出します。
シスターが退出し一人残った院長は、
「それにしても、あの魔王討伐にあんな幼い子が立ち向かって行ったなんてね。大人の私達がもっとしっかりとしなくてはいけませんね」
ミカちゃんの置かれた状況、境遇をあらかじめアンダーソンさんから聞いていたのでしょう。視線を再び窓に向けると木陰にしゃがみ込むミカちゃんにいたわるような視線を送りました。
私はずっと夢を見ている。
赤子の頃に孤児院の前に捨てられ、5歳まで孤児院で寂しく過ごし、小さな村で村長をやっているお爺さんの養子になり5年。
オードレイク伯爵の陰謀によって村の住民は皆殺され、村は廃墟に――。
それと前後して知り合った子猫ちゃんと夢のような体験をする夢だ。
冒険者になって各地を回り、私はいろいろなことを経験する。
夢の中の子猫ちゃんはいつも強くて、優しい。
私よりも、ずっと、ずっと小さいのにとっても頼もしい。
孤児院と村しか知らなかった私に、広い外の世界を見せてくれる。
子猫ちゃんは私の歩く速度に合わせる為に、早歩きをしてくれる。
私が食べたことの無い豪華でおいしい料理をごちそうしてくれる。
魔物を倒しては、色々な魔法を私に分け与えてくれる。
産まれて初めてフカフカの布団が敷いてある宿に泊まれたのも子猫ちゃんのお陰だ。
もう一人の時間なんかいらない。
子猫ちゃんが約束してくれたから。
でも夢はいつも途中で終わりを告げる。
――まって。
まだ旅を続けたいの。
子猫ちゃんと二人の幸せな旅を。
私は懇願する。
見たことの無い神様に。
でも夢の中に神様は現れてくれない。
そうしている内に辺りは暗闇が支配する。
月明かりの無い草原に一人きり。
どれだけ叫んでも、どれだけ泣いても、誰も迎えには来てくれない。
子猫ちゃん、戻ってきて。
いつまでも私の寝顔を見つめてていいから。
ずっと一緒にいて欲しいの。
草原の風景はいつも同じ場面で破砕する。
目映い輝きに飲み込まれ一瞬で。
私は叫ぶ――。
やめて――。
消えないで――。
私を一人にしないで――。
私の願いも虚しく、そこで夢は終わる。
そして私には何も無い。
瞳に映るのは空虚な景色だけ。
色も匂いも、味も無い。
気配すら感じられない。
握る腕にあの小さな掌の感触はもう無い。
虚無という空間があればきっとこの世界のことだ。
自分の存在すら感じられない。
私は誰。
私に話しかけるあなたは何者。
喉に流される流動食が私の身体を満たしても、私の心には届かない。
ぽっかりと空いた穴はただ冷たく、どこまでも深い。
助けて。
助けてよ。
こんな暗い場所は嫌なの。
あの暖かい場所がいいの。
あの場所に戻りたい。
戻れるのなら。
「なぁ、あいつに意地悪してやろうぜ」
孤児院の中庭の陰で、少年の一人が陰湿な面持ちを浮かべてミカちゃんを指さす。
特別扱いをされている少女を疎ましく思ってのことだ。
隣にいる少女がチラリと院長室の窓へ視線を向け、
そして自らの考えを告げる。
「でも――後でばれたらシスターと院長先生に叱られるよ」
「――ちっ、意気地がねぇーのな」
少年は提案を否定され、短く舌打ちすると庭にいくらでも転がっている小石を拾う。
「いいか? あいつに近づかないでこれを投げれば目撃者はお前達だけだ。ずっとボーッとしてる獣人に鳥がちょっかいをかけたと思われるだろ? お前達が喋らなければな」
少年は凄みをきかせジロッと仲間を一瞥すると自分が考えた浅はかな作戦を披露する。
ここで誰かが止めても恐らくは少年を止めることは出来ないだろう。
ばれなければ何してもいいと考える奴は口に出した事を遂行する事が格好いいことだと間違った考えを抱く。
周囲に集まっている仲間達に、今更止めますなどと格好が悪くて言い出せない。
後には引けなくなった少年は小石をしっかりと手の中に握りしめると――。
ただ座っているだけのミカちゃんに思いっきり投げつけた。
周りが固唾を呑み見ていると、放たれた小石は狙い違わず一直線にミカちゃんの顔面に飛んでいき、少年に意気地が無いと言われた少女が目をつむる。
――その瞬間。
当たったと思われた小石は何かによって跳ね返され、奇しくも投げた少年の手に帰ってきた。
「いてっ!」
少年が投げた威力の数倍の速さで戻ってきた石は少年の掌に当たるとその皮をこじ開け肉を抉る。少年は思わず苦悶の声を漏らす。
周囲には何が起きたのかまったく理解不能で「どうした! 大丈夫? 血が出てる」といった少年を心配する声があふれ出す。
少年が怪我をしたことで周囲の視線は少年に向く。
すると、いつの間にそこにいたのか小さな子猫が現れた。
子猫は毛を逆立て、誰が見ても怒っている。
子猫の両手には透明な爪が伸びているが、少年達にはそれが見えない。
少年、少女が呆気にとられていると院長先生を伴ったフローゼ王女、エリッサちゃんが現れ子猫と少年の間に割り込む。
そして――。
「まて! 子猫ちゃん。子供の悪戯じゃないか」
どう見ても強そうな身なりの女性が子猫を相手に低姿勢なのを見て取った少年達が、不思議そうな表情を見せると、
「子供でもミカちゃんに石を投げた事実はかわりませんよ!」
その子猫は流暢な言葉を喋った。
「「「「「猫が喋った!!」」」」」
少年達がお約束とばかりに驚愕の言葉を漏らすが、子猫ちゃんの怒りは収まらない。
すると、これまで黙っていたエリッサちゃんが、
「子猫ちゃん、こんな事より一刻も早くミカさんに会ってあげてください」
エリッサちゃんに言われたからという訳では無いだろうが、首をひねり振り向いた子猫ちゃんは今まで出していた怒気を一瞬で沈めて神速を使って姿を消した。
「今のなんだよ?」
「今のはいったい――」
少年達も院長先生も子猫が忽然と消えた事に驚きを隠せない。
だがフローゼ女王とエリッサちゃんの視線は木陰に座り込むミカちゃんへと向けられていて、既に子猫ちゃんの姿はミカちゃんの正面にあった。
ぼんやりと地面に座り込むミカちゃんに子猫ちゃんが言葉を紡ぐ。
「ミカちゃん、遅くなってごめんね。今帰りました」
ミカちゃんを見上げながらお座りの格好で子猫ちゃんが挨拶をする。
彼女の視線が刹那下を向く。
でも呆けた面持ちで首を傾げるとまた空を見つめてしまう。
子猫ちゃんはここまで来る途中の馬車内で、この1年のミカちゃんの様子を聞かされていた。
どこかに自分が声を掛ければ、姿を見せれば直ぐに元に戻れる。
そんなふうに高をくくっていた。
でも実際は――。
子猫ちゃんの双眸に涙が溢れる。
自分が下した判断が、彼女を、こんな風に変えてしまったと。
あの時の判断は間違いだったのかと。
そしてありったけの感情を吐露する。
「ごめんね。ミカちゃん。もう一人にしないって約束したのに。勝手に突っ走って勝手に死んじゃって。本当にごめん。みゃぁ~みゃぁ~みゃぁ~」
止めどなく溢れる涙で視界を歪めながら子猫ちゃんはミカちゃんの胸に飛び込む。
白い空間に漂って居たときに何度も恋い焦がれたミカちゃんの胸に。
何故この子猫は泣いているんだろう。
私が何かしたのだろうか?
でも自分にはそんな記憶は無い。
じゃいったいどうして――。
子猫ちゃんに似た猫は私の前に突然現れると、何か言葉をまくし立てた。
私がその言葉を咀嚼して理解しようと頭を働かせていると、突然号泣しだして、私の胸に飛び込んできた。
あーあ。こんなに涙で顔をぐしゃぐしゃにして。
何か悲しい事でもあったのだろうか?
思考の追いつかない頭で胸元の子猫をジッと見る。
本当に子猫ちゃんに似ているな。
でも子猫ちゃんはフローゼ姫の魔法で死んだ。
あの後、何日も現場を捜索したのだから間違いない。
じゃあ、この子は誰?
ぼんやり霞のかかる意識が、心が、心臓が震える。
もう一度、目線を下げ子猫を見るとあろうことか子猫が私の顔を舐めだした。
子猫の舌が這った場所が温かい。
それだけでなく、何故か青い粒子が降り注ぐ。
そして私の心に、脳にストンと落ちる。
靄のかかっていた心に、視界が戻り始める。
意識の戻った瞳で子猫を見ると、子猫も私を見つめていた。
涙で濡れた双眸ですがるように――。
そしてその口からあの優しい声が聞こえてくる。
「ミカちゃん、ただいま!」
今度こそはっきりと認識できる。
「な、なんで――」
私には蘇生魔法が使える。でも成功させるには厳しい条件がつきまとう。
だから私はあの現場で子猫ちゃんを探した。
でも見つからなかったのに、何故?
そんな疑問が口にでる。
でもそんな疑問などどうでも良くなる事を子猫ちゃんは口に出す。
「僕は帰ってきました。これからもずっとミカちゃんと共にあるために……」
私の薄い青の双眸からも濁流のように涙があふれ出す。
そして――。
「ぐすっ、おかえりにゃ~~~ん」
二人で思いっきり泣いた。
これからも私を助ける為ならこの子猫ちゃんは無理をするだろう。
自身の命をなげうって。
でも、もう離れない。
私は子猫ちゃんが大好きだから。
第1部 完
「フローゼ女王、今はそんな事よりも、子猫ちゃん生きていたなら何故もっと早く戻って来なかったのです……この1年わたくし達がどんな気持ちで――」
僕が声を掛けるとフローゼ姫は青の双眸を大きく見開き仰天し、そんなフローゼ姫を軽く窘めながら、エリッサちゃんがまくし立てる様に、そして――願ってやまなかったとでもいうように感情を高ぶらせながら吐露します。
僕としては1年も経過していたとは思っていませんでした。
白の世界で会った女性に僕の願いを打ち明けると、僕の魂は実体化を始め次に気づいた時にはエルフが繋いだ穴の先、初めてこの世界に転移したあのお花畑に立っていました。
冬に入りお花畑の花は咲いてはいませんでしたが……。
そこから初めてミカちゃんと会った今は無き廃村跡地を経由してサースドレインに行ってみれば、大きく様変わりした街になっていて驚きながらも入門すれば城には子爵様とウォルターさんしか見知った人はいないし……。
皆の所在を聞けば、今日と明日ならば王都で行われているサミット? で全員が集まっていると聞いて、預かって貰っていたお馬さんに頑張って貰いすっ飛ばして来てみれば何故か2人が号泣しているし……。
僕が何から話したら良いのか迷っていると、
「こうしてはいられませんわ、早くミカさんに知らせないと――」
「う、うむ。それが一番だな。これで妾達の悩みも解決だ」
フローゼ姫に抱きかかえられ強制的に部屋から連れ出された僕は視線をあげると、再度ミカちゃんの所在を尋ねます。
「てっきりミカちゃんも一緒だと思ったんだけど……一緒じゃないの?」
「――っつ、それは……」
フローゼ姫が険しい面持ちで言い淀んだ事を訝しんで、視線をエリッサちゃんに投げます。
するとエリッサちゃんは軽く嘆息した後で、
「これからミカさんの所に行きますわ。子猫ちゃんの無事な姿を見ればきっとミカさんも――」
意味深な言葉を残し途中で会話を止めたエリッサちゃんに首を傾げることで応えると、
「すぐに分かりますわ」
彼女は短く告げると、扉の外で待機していたフェルブスターさんに馬車の支度を頼みました。
フローゼ姫が女王になって最も力を注いでいる事業は先代国王が発案し、死の間際までその財源の所在を明かさなかった慈善事業などの社会保障制度です。
アンドレア王国の元国王は王国民から集めた税金で、スラム街などの貧困層に食事を提供し自立を促すと共に、食い詰めて盗みを働くなどの犯罪抑止。
身寄りの無い子供の収容先として孤児院を運営し次世代の国の宝を育成。
老齢や怪我で働けなくなった者への生活保障にあてていました。
フローゼ女王の時世になり、エルストラン皇国からの賠償で北の鉱山を獲得しそこで採れた金銀などの鉱物資源と、領土が拡大した事で増えた税収でアンドレア王国の国庫は一気に潤った。
フローゼ姫はその資金を使い各地の孤児を集めた広い孤児院を新たに建設。
ミカちゃんはそこの客分として預けられていました。
客分であることから孤児院内の清掃当番や菜園での労働義務も無く、孤児院の内庭に植えてある木の下で一日中ボーッと空ばかり眺めていました。最もミカちゃんに何かを頼んでも常に虚ろな状態で仕事どころではありませんが……。
フローゼ女王の従者であるアンダーソン爺が連れてきた客人と言うことで、孤児院のシスター達からは腫れ物を触る様な接し方をされ、それとは逆に子供達からは1人だけ働かないで日がな一日ずっと空ばかり見つめている彼女は鬱陶しい対象になっていました。
子供達からすれば、客分などと言われても自分達と何が違うのか分かる筈もなく新人が入所初日からその様な有様だった事で、最初は話しかけていた優しい子も次第に離れていき、今では彼女が一人でいることが普通になっていました。
「あいつまたあんな所でさぼってる!」
「あの子にアンリが話しかけてやったのにシカトされたって泣いてたってよ?」
「なんだよそれ!」
「でも院長先生とシスターがあの子は特別だからって言ってたわよ」
「俺達と歳変わんねぇじゃん! 何がきゃくぶんだよ!」
「あいつだけ一人部屋で、しかも食事は俺達とは違う美味いもの食っているって話だぜ」
「「「「ずるい!」」」」
「それあたし見たわよ。シスターに食べさせて貰ってる所見ちゃったもん」
院長室から子供達の様子を眺めていたシスターが、困惑顔で院長に尋ねます。
「あの獣人の娘さんをいつまで預かるんでしょうか? 多感な子供達の中に特別な子が混ざっていると子供達の情操教育に悪影響を与えてしまうのでは……」
シスターからの発言をうけて院長はチラリと窓の外に視線を投げると、聖職者らしい静謐な物腰で応対します。
「それは分かりますよシスター。でもね、ここに預けられた以上はあの子もここの子です。どうすれば立ち直るのか私にも分かりませんが、アンダーソンさんからは彼女は強い子だからきっと大丈夫と伺っています。今はもう少し様子を見ようではありませんか」
尊敬する院長にそう言われてしまえばシスターにはそれ以上言葉を返す事は出来ません。
短く小さな声で「わかりました」とだけ告げて院長室を退出します。
シスターが退出し一人残った院長は、
「それにしても、あの魔王討伐にあんな幼い子が立ち向かって行ったなんてね。大人の私達がもっとしっかりとしなくてはいけませんね」
ミカちゃんの置かれた状況、境遇をあらかじめアンダーソンさんから聞いていたのでしょう。視線を再び窓に向けると木陰にしゃがみ込むミカちゃんにいたわるような視線を送りました。
私はずっと夢を見ている。
赤子の頃に孤児院の前に捨てられ、5歳まで孤児院で寂しく過ごし、小さな村で村長をやっているお爺さんの養子になり5年。
オードレイク伯爵の陰謀によって村の住民は皆殺され、村は廃墟に――。
それと前後して知り合った子猫ちゃんと夢のような体験をする夢だ。
冒険者になって各地を回り、私はいろいろなことを経験する。
夢の中の子猫ちゃんはいつも強くて、優しい。
私よりも、ずっと、ずっと小さいのにとっても頼もしい。
孤児院と村しか知らなかった私に、広い外の世界を見せてくれる。
子猫ちゃんは私の歩く速度に合わせる為に、早歩きをしてくれる。
私が食べたことの無い豪華でおいしい料理をごちそうしてくれる。
魔物を倒しては、色々な魔法を私に分け与えてくれる。
産まれて初めてフカフカの布団が敷いてある宿に泊まれたのも子猫ちゃんのお陰だ。
もう一人の時間なんかいらない。
子猫ちゃんが約束してくれたから。
でも夢はいつも途中で終わりを告げる。
――まって。
まだ旅を続けたいの。
子猫ちゃんと二人の幸せな旅を。
私は懇願する。
見たことの無い神様に。
でも夢の中に神様は現れてくれない。
そうしている内に辺りは暗闇が支配する。
月明かりの無い草原に一人きり。
どれだけ叫んでも、どれだけ泣いても、誰も迎えには来てくれない。
子猫ちゃん、戻ってきて。
いつまでも私の寝顔を見つめてていいから。
ずっと一緒にいて欲しいの。
草原の風景はいつも同じ場面で破砕する。
目映い輝きに飲み込まれ一瞬で。
私は叫ぶ――。
やめて――。
消えないで――。
私を一人にしないで――。
私の願いも虚しく、そこで夢は終わる。
そして私には何も無い。
瞳に映るのは空虚な景色だけ。
色も匂いも、味も無い。
気配すら感じられない。
握る腕にあの小さな掌の感触はもう無い。
虚無という空間があればきっとこの世界のことだ。
自分の存在すら感じられない。
私は誰。
私に話しかけるあなたは何者。
喉に流される流動食が私の身体を満たしても、私の心には届かない。
ぽっかりと空いた穴はただ冷たく、どこまでも深い。
助けて。
助けてよ。
こんな暗い場所は嫌なの。
あの暖かい場所がいいの。
あの場所に戻りたい。
戻れるのなら。
「なぁ、あいつに意地悪してやろうぜ」
孤児院の中庭の陰で、少年の一人が陰湿な面持ちを浮かべてミカちゃんを指さす。
特別扱いをされている少女を疎ましく思ってのことだ。
隣にいる少女がチラリと院長室の窓へ視線を向け、
そして自らの考えを告げる。
「でも――後でばれたらシスターと院長先生に叱られるよ」
「――ちっ、意気地がねぇーのな」
少年は提案を否定され、短く舌打ちすると庭にいくらでも転がっている小石を拾う。
「いいか? あいつに近づかないでこれを投げれば目撃者はお前達だけだ。ずっとボーッとしてる獣人に鳥がちょっかいをかけたと思われるだろ? お前達が喋らなければな」
少年は凄みをきかせジロッと仲間を一瞥すると自分が考えた浅はかな作戦を披露する。
ここで誰かが止めても恐らくは少年を止めることは出来ないだろう。
ばれなければ何してもいいと考える奴は口に出した事を遂行する事が格好いいことだと間違った考えを抱く。
周囲に集まっている仲間達に、今更止めますなどと格好が悪くて言い出せない。
後には引けなくなった少年は小石をしっかりと手の中に握りしめると――。
ただ座っているだけのミカちゃんに思いっきり投げつけた。
周りが固唾を呑み見ていると、放たれた小石は狙い違わず一直線にミカちゃんの顔面に飛んでいき、少年に意気地が無いと言われた少女が目をつむる。
――その瞬間。
当たったと思われた小石は何かによって跳ね返され、奇しくも投げた少年の手に帰ってきた。
「いてっ!」
少年が投げた威力の数倍の速さで戻ってきた石は少年の掌に当たるとその皮をこじ開け肉を抉る。少年は思わず苦悶の声を漏らす。
周囲には何が起きたのかまったく理解不能で「どうした! 大丈夫? 血が出てる」といった少年を心配する声があふれ出す。
少年が怪我をしたことで周囲の視線は少年に向く。
すると、いつの間にそこにいたのか小さな子猫が現れた。
子猫は毛を逆立て、誰が見ても怒っている。
子猫の両手には透明な爪が伸びているが、少年達にはそれが見えない。
少年、少女が呆気にとられていると院長先生を伴ったフローゼ王女、エリッサちゃんが現れ子猫と少年の間に割り込む。
そして――。
「まて! 子猫ちゃん。子供の悪戯じゃないか」
どう見ても強そうな身なりの女性が子猫を相手に低姿勢なのを見て取った少年達が、不思議そうな表情を見せると、
「子供でもミカちゃんに石を投げた事実はかわりませんよ!」
その子猫は流暢な言葉を喋った。
「「「「「猫が喋った!!」」」」」
少年達がお約束とばかりに驚愕の言葉を漏らすが、子猫ちゃんの怒りは収まらない。
すると、これまで黙っていたエリッサちゃんが、
「子猫ちゃん、こんな事より一刻も早くミカさんに会ってあげてください」
エリッサちゃんに言われたからという訳では無いだろうが、首をひねり振り向いた子猫ちゃんは今まで出していた怒気を一瞬で沈めて神速を使って姿を消した。
「今のなんだよ?」
「今のはいったい――」
少年達も院長先生も子猫が忽然と消えた事に驚きを隠せない。
だがフローゼ女王とエリッサちゃんの視線は木陰に座り込むミカちゃんへと向けられていて、既に子猫ちゃんの姿はミカちゃんの正面にあった。
ぼんやりと地面に座り込むミカちゃんに子猫ちゃんが言葉を紡ぐ。
「ミカちゃん、遅くなってごめんね。今帰りました」
ミカちゃんを見上げながらお座りの格好で子猫ちゃんが挨拶をする。
彼女の視線が刹那下を向く。
でも呆けた面持ちで首を傾げるとまた空を見つめてしまう。
子猫ちゃんはここまで来る途中の馬車内で、この1年のミカちゃんの様子を聞かされていた。
どこかに自分が声を掛ければ、姿を見せれば直ぐに元に戻れる。
そんなふうに高をくくっていた。
でも実際は――。
子猫ちゃんの双眸に涙が溢れる。
自分が下した判断が、彼女を、こんな風に変えてしまったと。
あの時の判断は間違いだったのかと。
そしてありったけの感情を吐露する。
「ごめんね。ミカちゃん。もう一人にしないって約束したのに。勝手に突っ走って勝手に死んじゃって。本当にごめん。みゃぁ~みゃぁ~みゃぁ~」
止めどなく溢れる涙で視界を歪めながら子猫ちゃんはミカちゃんの胸に飛び込む。
白い空間に漂って居たときに何度も恋い焦がれたミカちゃんの胸に。
何故この子猫は泣いているんだろう。
私が何かしたのだろうか?
でも自分にはそんな記憶は無い。
じゃいったいどうして――。
子猫ちゃんに似た猫は私の前に突然現れると、何か言葉をまくし立てた。
私がその言葉を咀嚼して理解しようと頭を働かせていると、突然号泣しだして、私の胸に飛び込んできた。
あーあ。こんなに涙で顔をぐしゃぐしゃにして。
何か悲しい事でもあったのだろうか?
思考の追いつかない頭で胸元の子猫をジッと見る。
本当に子猫ちゃんに似ているな。
でも子猫ちゃんはフローゼ姫の魔法で死んだ。
あの後、何日も現場を捜索したのだから間違いない。
じゃあ、この子は誰?
ぼんやり霞のかかる意識が、心が、心臓が震える。
もう一度、目線を下げ子猫を見るとあろうことか子猫が私の顔を舐めだした。
子猫の舌が這った場所が温かい。
それだけでなく、何故か青い粒子が降り注ぐ。
そして私の心に、脳にストンと落ちる。
靄のかかっていた心に、視界が戻り始める。
意識の戻った瞳で子猫を見ると、子猫も私を見つめていた。
涙で濡れた双眸ですがるように――。
そしてその口からあの優しい声が聞こえてくる。
「ミカちゃん、ただいま!」
今度こそはっきりと認識できる。
「な、なんで――」
私には蘇生魔法が使える。でも成功させるには厳しい条件がつきまとう。
だから私はあの現場で子猫ちゃんを探した。
でも見つからなかったのに、何故?
そんな疑問が口にでる。
でもそんな疑問などどうでも良くなる事を子猫ちゃんは口に出す。
「僕は帰ってきました。これからもずっとミカちゃんと共にあるために……」
私の薄い青の双眸からも濁流のように涙があふれ出す。
そして――。
「ぐすっ、おかえりにゃ~~~ん」
二人で思いっきり泣いた。
これからも私を助ける為ならこの子猫ちゃんは無理をするだろう。
自身の命をなげうって。
でも、もう離れない。
私は子猫ちゃんが大好きだから。
第1部 完
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