子猫ちゃんの異世界珍道中
第227話、ずっと言えなかった思い。
三者会談が行われた迎賓館に隣接する宿泊用の屋敷は迎賓館の入り口を出て右に100m進んだ所に建てられている。
石畳の通路に接続されたこの屋敷は全部で5つ建てられておりアンドレア王国を中心としたエルストリア王国、ガンバラ王国、ドレイストーン国、アルフヘイム、砂漠の国と大陸の5国で会議を行うときの為に用意された。
この中に魔族が入っていないのはその後の調査で分かったことだが、魔王があの時口走った様に元々温和な民族で繁殖能力に劣る彼らは、過去の種族間戦争が災いし種を極端に減らした。現在生存が確認されているのはほんの少数の集落で細々と暮らしている者を残すのみであった。
国を構築していない村に居住する部族民といった扱いになる。
まだ真新しい石畳にぽつり、ぽつりとシミが出来ている。
その後を追うように、こぼれた絆を拾い直すようにフローゼ王女は歩みを早めた。
子猫ちゃんをこの手にかけた自分があの時気を失っていたエリッサちゃんに何を伝えればいいのか……苦悩しながら。
答えが見つからないままエリッサちゃんの宿泊する屋敷の前に到着する。
一段高くなった玄関の入り口に足を踏み入れようとするが、そこで立ち止まってしまう。
国を背負う者としてあの翌日にはサースドレインへ戻った。
大事な仲間が苦しんでいるのを横目に――。
ミカちゃんが数日間あの場所で子猫ちゃんの帰りを待っていた事は後で知った。
それを間近で見ていたエリッサちゃんに何を――自分は何を伝えるというのか。
国を奪取してからエリッサちゃんとは何度もあって会話をしている。
だが――。
お互いにミカちゃんと子猫ちゃんの話は出さなかった。
2人の中ではそれが暗黙の了解の様に、口に出すのは躊躇われた。
実際に自分がミカちゃんと最後にあったのは国を平定してから、自身の地盤固めを行った後だ。
その時には既にミカちゃんは物言わぬ人形の様になっていた。
そのまま放っておくことなど出来ず、国が管理する孤児院に客分として預けた。
都度、アンダーソンの爺やに様子を見てきてもらい報告を受けてはいたが、ミカちゃんとはあれっきり会ってはいない。
何度か自身でも孤児院に赴こうとした。
だが、孤児院の建物が見えてくるとどうしても足がすくんで動かなかった。
怖かったのだ。
お前が、お前が子猫ちゃんを殺したんだ!
そう言われるのが……。
エリッサちゃんの滞在している屋敷の前でしばらく立ち尽くしていたフローゼ女王に、今回の会談に同行していたフェルブスターさんが気づく。
素面を装った面持ちで、
「おや、いかがなさいましたかな、お嬢様にご用なのでしょう。そこでは寒うございます。中へお入りください」
まるで1年前のように立場が変わっても相対してくれる事に感謝しながらフローゼ王女は礼を言う。
「すまないな。何たいした用事では無いんだが――」
言葉を紡ぎながらもその声音が震えている彼女にフェルブスターさんが何食わぬ表情を取り繕い談話室へ通すとテーブルの上のカップに紅茶を注ぎ、
「今、お嬢様を呼んで参ります」
すっと丁寧なお辞儀をして退室していった。
心に靄が掛かっていなければ執事の見本のようなその対応に関心しただろうが、 フローゼ王女にはその余裕が無い。
フェルブスターさんが入れた紅茶で一口、唇を湿らせる。
陶器で出来たカップに歯が当たりガチャガチャ鳴る。
彼女は震えていた。
そんな自分を見透かされないように、直ぐにカップをテーブルに戻す。
そうこうしていると扉がノックされ、
「お邪魔しますわ――ご心配をおかけしたようですわね」
若干赤く腫れぼったい瞼を隠すように俯き加減で挨拶を紡ぐとエリッサちゃんが入室する。
妾もあの場からは逃げ出したかったのだ。
そう言えれば気持ちも楽になるのだろうけれど、女王としての矜恃がそれを許さない。
「うむ、そこまで体調が悪いようで無くて安心した。明日は予定通り昼過ぎからだ。体調が悪くなければ出席してくれ」
事務的な会話ならば何度もこなしてきた。
今日もそれでいこうと心に決めたとき、エリッサちゃんの前に置かれたカップが、ガシャン、と音を鳴らす。
フローゼ女王が驚き視線をあげると――。
「何で、何故、本当の事を言っては下さらないのです。私はずっと、この1年ずっと――」
一度、止めた涙は容易く決壊する。
さすがにトベルスキー陛下の前では遠慮した涙がフローゼ女王の前では暴風雨の様にこぼれ落ちる。
「妾も――何度も話さなければとは思っておったのだ」
自分から言い出せず先にエリッサちゃんの口から出たことで、フローゼ女王は羞恥からまるで浮気がばれた旦那のような言葉を吐き出す。
そして――。
「全ては妾が悪いのだ。子猫ちゃんを、魔王を葬ったのは妾の魔法なのだから」
勢いに任せこの1年言いたかった事を吐き出した。
「えっ、何で今頃?」
「――むっ」
エリッサちゃんから言葉を返されると、何か自分はおかしいことを言ったのかとフローゼ女王は一瞬思考するが分からなくてそれが声に漏れる。
エリッサちゃんは姿勢を正し、少し乱れた髪を手ぐしで整えると――。
「私が言っているのはミカさんの事ですわ」
「だから今のミカ殿の状況を作った原因を――ん? 妾は直ぐサースドレインへ引き返したが、あの後何かあったのか?」
エリッサちゃんに本題を教えられ初めて会話の齟齬に気がつく。
そしてフローゼ王女が知らない後日談を聞くことになる。
「子猫ちゃんを待ち続けて憔悴しきっているミカさんを私はどうしても見ていられませんでしたの。それでコックに依頼してミカさんの食事に眠り草を仕込むように渚さんに頼んだんですの。でも、眠りから覚めてもう子猫ちゃんはこの世にいないと彼女が受け入れた時から――ミカさんは今のような状態で……うぅっ」
自分が不在の時にそんな事があったと初めて知ったフローゼ王女でしたが、2人の懺悔をぶちまけてもすでに起きた結果は変えられません。
フローゼ王女は自らの心を説得するように、言葉をひねり出します。
「エリッサ嬢がミカ殿に薬を飲ませても、飲ませなくても、子猫ちゃんが居ない事実は変えられない。妾もあの時魔法を放たなければ――そう何度も考えたが、あの子猫ちゃんを倒したヤツだ。あそこで逃がした方がもっと後悔したやもしれん。すでに子猫ちゃんは死んだのだ。ミカ殿の心に空いた穴を妾達が埋めていこうじゃないか。あれからもう1年だ――きっと彼女の凍った心も溶けてくれるさ」
決め台詞の様に語るフローゼ王女にさっきまで泣いていたエリッサちゃんの心も多少は解されたようです。微かに笑みを浮かべた後、2人は俯きあい号泣します。
この1年それぞれに思うことがありました。
誰にも打ち明けられずずっと1人で悩み続けました。
ミカちゃんに会いに行けなかったのもお互いに後悔の念があったから。
でも1年が経ち、それを声に出して打ち明けたことでようやく前を向く決心が付きました。
談話室は閉め切られていて、2人の火照った体温で窓ガラスは曇りガラスのように変化しています。
ひとしきり泣きじゃくった後で、顔をあげると2人の間にあるテーブルの上には小さな猫の置物が――。
2人は気づかぬうちにフェルブスターさんがおいていったのだろうと思い、まじまじとそれを見つめると、
「ふぅ、ようやく泣き止んだ。ねぇ、2人とも何で泣いてたの? まぁそれは後で聞くとしてミカちゃんを探しているんだけど……居るんでしょ? この王都に」
置物だと思えば声を発したのは――小さな子猫。
1年前の事で若干記憶がかすんではいるものの忘れる事など出来ない。
今まで泣いていた元凶、白地に灰色の毛並みの子猫がそこにいた。
石畳の通路に接続されたこの屋敷は全部で5つ建てられておりアンドレア王国を中心としたエルストリア王国、ガンバラ王国、ドレイストーン国、アルフヘイム、砂漠の国と大陸の5国で会議を行うときの為に用意された。
この中に魔族が入っていないのはその後の調査で分かったことだが、魔王があの時口走った様に元々温和な民族で繁殖能力に劣る彼らは、過去の種族間戦争が災いし種を極端に減らした。現在生存が確認されているのはほんの少数の集落で細々と暮らしている者を残すのみであった。
国を構築していない村に居住する部族民といった扱いになる。
まだ真新しい石畳にぽつり、ぽつりとシミが出来ている。
その後を追うように、こぼれた絆を拾い直すようにフローゼ王女は歩みを早めた。
子猫ちゃんをこの手にかけた自分があの時気を失っていたエリッサちゃんに何を伝えればいいのか……苦悩しながら。
答えが見つからないままエリッサちゃんの宿泊する屋敷の前に到着する。
一段高くなった玄関の入り口に足を踏み入れようとするが、そこで立ち止まってしまう。
国を背負う者としてあの翌日にはサースドレインへ戻った。
大事な仲間が苦しんでいるのを横目に――。
ミカちゃんが数日間あの場所で子猫ちゃんの帰りを待っていた事は後で知った。
それを間近で見ていたエリッサちゃんに何を――自分は何を伝えるというのか。
国を奪取してからエリッサちゃんとは何度もあって会話をしている。
だが――。
お互いにミカちゃんと子猫ちゃんの話は出さなかった。
2人の中ではそれが暗黙の了解の様に、口に出すのは躊躇われた。
実際に自分がミカちゃんと最後にあったのは国を平定してから、自身の地盤固めを行った後だ。
その時には既にミカちゃんは物言わぬ人形の様になっていた。
そのまま放っておくことなど出来ず、国が管理する孤児院に客分として預けた。
都度、アンダーソンの爺やに様子を見てきてもらい報告を受けてはいたが、ミカちゃんとはあれっきり会ってはいない。
何度か自身でも孤児院に赴こうとした。
だが、孤児院の建物が見えてくるとどうしても足がすくんで動かなかった。
怖かったのだ。
お前が、お前が子猫ちゃんを殺したんだ!
そう言われるのが……。
エリッサちゃんの滞在している屋敷の前でしばらく立ち尽くしていたフローゼ女王に、今回の会談に同行していたフェルブスターさんが気づく。
素面を装った面持ちで、
「おや、いかがなさいましたかな、お嬢様にご用なのでしょう。そこでは寒うございます。中へお入りください」
まるで1年前のように立場が変わっても相対してくれる事に感謝しながらフローゼ王女は礼を言う。
「すまないな。何たいした用事では無いんだが――」
言葉を紡ぎながらもその声音が震えている彼女にフェルブスターさんが何食わぬ表情を取り繕い談話室へ通すとテーブルの上のカップに紅茶を注ぎ、
「今、お嬢様を呼んで参ります」
すっと丁寧なお辞儀をして退室していった。
心に靄が掛かっていなければ執事の見本のようなその対応に関心しただろうが、 フローゼ王女にはその余裕が無い。
フェルブスターさんが入れた紅茶で一口、唇を湿らせる。
陶器で出来たカップに歯が当たりガチャガチャ鳴る。
彼女は震えていた。
そんな自分を見透かされないように、直ぐにカップをテーブルに戻す。
そうこうしていると扉がノックされ、
「お邪魔しますわ――ご心配をおかけしたようですわね」
若干赤く腫れぼったい瞼を隠すように俯き加減で挨拶を紡ぐとエリッサちゃんが入室する。
妾もあの場からは逃げ出したかったのだ。
そう言えれば気持ちも楽になるのだろうけれど、女王としての矜恃がそれを許さない。
「うむ、そこまで体調が悪いようで無くて安心した。明日は予定通り昼過ぎからだ。体調が悪くなければ出席してくれ」
事務的な会話ならば何度もこなしてきた。
今日もそれでいこうと心に決めたとき、エリッサちゃんの前に置かれたカップが、ガシャン、と音を鳴らす。
フローゼ女王が驚き視線をあげると――。
「何で、何故、本当の事を言っては下さらないのです。私はずっと、この1年ずっと――」
一度、止めた涙は容易く決壊する。
さすがにトベルスキー陛下の前では遠慮した涙がフローゼ女王の前では暴風雨の様にこぼれ落ちる。
「妾も――何度も話さなければとは思っておったのだ」
自分から言い出せず先にエリッサちゃんの口から出たことで、フローゼ女王は羞恥からまるで浮気がばれた旦那のような言葉を吐き出す。
そして――。
「全ては妾が悪いのだ。子猫ちゃんを、魔王を葬ったのは妾の魔法なのだから」
勢いに任せこの1年言いたかった事を吐き出した。
「えっ、何で今頃?」
「――むっ」
エリッサちゃんから言葉を返されると、何か自分はおかしいことを言ったのかとフローゼ女王は一瞬思考するが分からなくてそれが声に漏れる。
エリッサちゃんは姿勢を正し、少し乱れた髪を手ぐしで整えると――。
「私が言っているのはミカさんの事ですわ」
「だから今のミカ殿の状況を作った原因を――ん? 妾は直ぐサースドレインへ引き返したが、あの後何かあったのか?」
エリッサちゃんに本題を教えられ初めて会話の齟齬に気がつく。
そしてフローゼ王女が知らない後日談を聞くことになる。
「子猫ちゃんを待ち続けて憔悴しきっているミカさんを私はどうしても見ていられませんでしたの。それでコックに依頼してミカさんの食事に眠り草を仕込むように渚さんに頼んだんですの。でも、眠りから覚めてもう子猫ちゃんはこの世にいないと彼女が受け入れた時から――ミカさんは今のような状態で……うぅっ」
自分が不在の時にそんな事があったと初めて知ったフローゼ王女でしたが、2人の懺悔をぶちまけてもすでに起きた結果は変えられません。
フローゼ王女は自らの心を説得するように、言葉をひねり出します。
「エリッサ嬢がミカ殿に薬を飲ませても、飲ませなくても、子猫ちゃんが居ない事実は変えられない。妾もあの時魔法を放たなければ――そう何度も考えたが、あの子猫ちゃんを倒したヤツだ。あそこで逃がした方がもっと後悔したやもしれん。すでに子猫ちゃんは死んだのだ。ミカ殿の心に空いた穴を妾達が埋めていこうじゃないか。あれからもう1年だ――きっと彼女の凍った心も溶けてくれるさ」
決め台詞の様に語るフローゼ王女にさっきまで泣いていたエリッサちゃんの心も多少は解されたようです。微かに笑みを浮かべた後、2人は俯きあい号泣します。
この1年それぞれに思うことがありました。
誰にも打ち明けられずずっと1人で悩み続けました。
ミカちゃんに会いに行けなかったのもお互いに後悔の念があったから。
でも1年が経ち、それを声に出して打ち明けたことでようやく前を向く決心が付きました。
談話室は閉め切られていて、2人の火照った体温で窓ガラスは曇りガラスのように変化しています。
ひとしきり泣きじゃくった後で、顔をあげると2人の間にあるテーブルの上には小さな猫の置物が――。
2人は気づかぬうちにフェルブスターさんがおいていったのだろうと思い、まじまじとそれを見つめると、
「ふぅ、ようやく泣き止んだ。ねぇ、2人とも何で泣いてたの? まぁそれは後で聞くとしてミカちゃんを探しているんだけど……居るんでしょ? この王都に」
置物だと思えば声を発したのは――小さな子猫。
1年前の事で若干記憶がかすんではいるものの忘れる事など出来ない。
今まで泣いていた元凶、白地に灰色の毛並みの子猫がそこにいた。
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