サヨナラ世界

こぶた

SE1・ツヅリの場合

ーーこの世界は希望で溢れている。




渋谷の街頭ビジョンに映るミュージシャンが明るく前向きな歌を歌い、スクランブル交差点の信号を待つ人々はそれを見上げて目を輝かせている。





「希望の歌、か…」
俺は人々とは正反対にスクランブル交差点で下を向き、誰に届ける訳でもなく呟く。





「死にたい」と口にした人間は死刑になる、【希死念慮口外禁止法】が制定されてから長い年月が経った。



この法律が作られてから、この日本で社会問題になっていた「自殺者」および「精神病患者」はほぼ居なくなった。



法律によって「死にたい」と思うこと、口に出すことが重罪とされた。
自殺することも精神を病むことも同じく罪とされたも同然だからだ。




人々は「死にたい」と思わないように必死になった。




ーーこの世界は希望で溢れている……




俺はスクランブル交差点を抜けて道玄坂を登る。
下を向いて歩いているとまるでこの世界にささやかな抵抗をしているみたいに感じた。



道玄坂の途中、路地を曲がった先。そのビルの地下、ライブハウスへ向かう階段を降りていく。



ツヅリ。遅かったじゃねぇか。」
「…悪い。すぐに支度する。」
「先行ってるぞ。」


バンドメンバー達に声をかけられる。そんなに遅れたつもりはなかったけど、集合時間は過ぎていたみたいだった。



俺達はリハーサルを終えて衣装を着替え、メイクをして楽屋で出番を待つ。




ーーこの世界は希望で溢れている。
いや、「溢れかえっている」だろう。



たとえば、失恋した人の心の痛みはどこへ行くのだろうと考える。痛いと思うことが罪なのか。


たとえば、夢破れて挫折した人の心の苦しみはどこへ行くのだろうと考える。苦しいと思うことが罪なのか。


たとえば、周りに合わせて生きる人の心の辛さはどこへ行くのだろうと考える。辛いと思うことが罪なのか。


たとえば、誰にも理解されない人の心の悔しさはどこへ行くのだろうと考える。悔しいと思うことが罪なのか。




その先に「死にたい」と思う人の苦しみは、辛さは、痛みは、悔しさは、その絶望感はどこへ行くのだろうと考える。口にすることでそれらが全て罪にされてしまう。



「死にたい」と思わないことが希望。



そして人々は負の感情を隠してその希望に縋っている。





「この世界は希望で溢れている…。」


俺達【リベリオン】のキャッチコピーとも言える決めゼリフをヴォーカルの俺が呟く。


それをスイッチにして轟音が鳴り響くと共にライブの幕が上がる。





ーーこの世界が希望で溢れ返っているなら。


負の感情を罪として隠すなら。


そんなことをしてまで希望に縋るなら。


そして人の絶望の行き先がないなら……




俺がこの世界の絶望を歌ってやる。




サヨナラ世界:絶望のカリスマ

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