闇属性の少年は絶望から這い上がる
力とは何のために奮うものか
ハクナは目の前にいる女性に「力が欲しいの?」と見下ろされている。その女性は後ろからガンガウルが駆けてきているのに自然な笑みを崩さず、只者ではないと感じた。
しかし、ほどほどに露出した肌からは筋肉はほとんど見られず、どちらかと言えばびくびくと怖がる方が合っている。
「力・・・」
「そう。力」
ハクナの口から漏れた言葉に彼女は嬉しそうに返し、ハクナの答えを待っていた。その間にもガンガウルの足音は近付いてくる。
「ああ。欲しい」
「君の欲しい力は何のためにあるの?」
淡々と紡がれた言葉に、ハクナは身体が危機になっているのを忘れ、自問自答を繰り返した。
僕の力は何のため?それは誰かを殺すため?違う。
 じゃあ自分のわがままを貫き通すため?違う。
 それじゃあ優越感に浸るため?絶対に違う。
僕は今日何を思った?
「もっと力があれば・・・」
なんでこう思った?何がしたくてこう思った?何ができなくてこう思った?
そうだ。僕の力はーーー
「大切な人を守るためにある」
「ふふ。君は優しいね」
そう言って白髪の女性はずいっと近付いてきて、ハクナの唇に口づけした。
「んん!!?」
あまりにも唐突過ぎるファーストキスに、ハクナは目を回し、慌てふためいた。その様子を見て、女性は小悪魔っぽく笑うと、ハクナを立ち上がらせて後ろを向かせた。
そこには腕を振り下ろしているガンガウルがいて、時間がスローになったような感覚をハクナは感じていた。
誰かを守るために手に入れた力。今、彼女を救わなければ、ハクナの存在する意味はない。
反射的に動いた体は、左手に握られた刀を残像を引く速度で振り、ガンガウルの両腕と顔を付け根から深々と切り裂いた。
断面から噴き出た血の雨に濡れながら、ハクナはゆっくりと刀を下ろし、肩越しに後ろを振り向いた。その時、ハクナが見た場所にはキスをした女性はもうそこにはいず、閑散とした風景が広がるだけだった。
「全くなんだったんだろうあの人は・・・」
呆れたようにそう言うと、手と頭が離れたガンガウルの胴体に近づき、ハクナはおもむろに手を伸ばすと、静かに言葉を紡いだ。
「【回収】」
すると、まるでガンガウルが手品のように輝き始め、体をすり抜けるように石が浮かび、ハクナの手に収まって重力に従い始めた。
この手品、ではなく【回収】は、モンスターの体内にある<輝石>という宝石を文字通り回収する魔法だ。息絶えたモンスターに手を向け、呟くだけで、体内にある輝石が反応して手っ取り早く輝石を取り出すことができるので、冒険者になる場合は必ず覚えておこう、と昔ダンカに言われた。そして、簡単だったので、サクッと習得しておいたのだ。
そうして取りだした輝石だが、これは<ギルド>で買い取ってもらうことができ、冒険者の収入源とされている。その中にも、質の良いものや、簡単に魔法が使えるものや、武器が入っているものまである。この違いはモンスターの生き方や強さによって変わり、強いモンスターほど高品質で大きい輝石が手に入るので、冒険者たちは一攫千金を狙って迷宮、冒険者の間では『ラビリンス』と呼ばれる場所に行く人もいる。
ただし、今回のガンガウルは普通の輝石で、色も普通に白い半透明で、値段が高くなる透明度もあまりなく、ただちょっとデカいだけだった。
「まあ、これが現実だよな」
そう片付け、今度こそメトルガンデから脱出したハクナだった。
ガンガウルを倒し、一先ずモンスターはいなくなったので少し休憩をして、街の外を歩き始めた。
今日が初めて外の世界に出る日だったので、ハクナは若干の緊張と恐怖を胸に行く当てもなく彷徨った。太陽が容赦なく照り付け、体の水分を奪っていく。
「はぁ・・・外の世界で生きるって簡単じゃないな・・・」
重たい足取りで進む中、ハクナは一人呟いた。
外の世界のことはダンカとシェルカイムに聞いていて、力と頭脳と知識が必要な弱肉強食の世界だ、とハクナは思っていた。
そんな中、八歳のついさっきまで貴族だった子供が準備もしないで外の世界に放り出されたら、たまったものじゃない。
「とりあえず水が欲しい」
走って戦ったから、喉はもうカラカラに渇いている。汗も尋常じゃないほど出てるし、服はガンガウルの返り血で汚いし、誰かに見つかったらまず警戒されるのは間違いないだろう。
その返り血を浴びる原因のガンガウルを斬った刀。ハクナの八歳の誕生日プレゼントとして皆にもらった大切な刀だ。名前は<漆刀>。ダンカが知り合いの鍛冶師に無理を言って頼んでくれた世界に一振りしかない刀で、冒険者になった時のために、ということで今までは装飾品の役割しかなかったが、さっき人とモンスターをバターを斬るかのように、ぬるりと切断してみせた漆刀はすごかった。
脳内で刀のことを思っていたからか、自然と漆刀を見ていて、鞘の真ん中あたりに何か袋が付いてあるのに気付いた。
「ん?なんだこれ?」
その袋を手に取ってみると、ジャラッっと金属が擦り合う音がして、もしやと中身を見てみると、果たしてお金が入っていた。
この世界の通貨は<エージュ>という単位で、銅貨一枚一エージュ、銅貨十枚で銅板一枚。銅板十枚で銀貨一枚百エージュ、銀貨十枚で銀板一枚。銀板十枚で金貨一枚一万エージュ、金貨十枚で金板一枚。銅、銀、金以外にも、輝石硬貨という一個で金板百枚分の特殊な石のような形の硬貨があるが、この輝石硬貨はまず見ない。
ハクナも一度だけ、あるパーティーに出席していた貴族がそれをネックレスにしていたので見たことがあるが、その一度だけだった。その貴族を見つけて、ダンカに聞いたのだが、とても不機嫌だった。ちなみに、これは最上位の滅多に手に入らない金色の輝石を使っていたりする。
そして、その袋に入っていたのはもちろんーーー金板である。しかし、十五枚も入っていたので、一瞬にして合計百五十万エージュという大金を持つことになった。
この用意の完璧さは、泣く子も黙るダンカ様の煌く部分だ。シェルカイムも「これであの怠けがなかったらな~」と可哀想にぼやいていた。
ひとまず、ダンカのおかげで金銭問題は解決できたのだが、お金を持っていても買う場所がなければ、石ころ同然
なので、目標は町を見つけることに決定だ。
「そうと決まれば行動に移すべし!」
とは言ったものの、そう簡単には見つからず、気が付けば太陽は沈み始め、明かりが薄くなってきた。
自分がどこにいるかも分からず迷子状態で、腹もなり、喉も痛みが発生して目が虚ろになっていた。
周りは木々が生い茂り、一層不気味さを増して、ハクナの精神を追い詰める中、ハクナは太陽の光を反射して、少し光る物を見つけた。
「水だ!」
今までの喉の渇きから、獣のように湖にがつき、ごくごくと透き通った天然水を飲んでいく。
一分ほど飲み続け、腹がきつくなってようやく飲むのを止めたハクナは、服をサラッと洗い、今度は空腹感に襲われ、グウゥゥと音が鳴ったお腹を押さえた。
「あ~・・・腹減った・・・」
まるで貴族とは思えないセリフに、ハクナは気にせず周りを見渡す。
湖があるということは、モンスターにとってはなかなか住みやすい環境で、竹のような木もあり、食料にはそんなに困りそうではない場所だが、さっきから動物の姿どころか、モンスターの呻き声すらも聞こえていない。
少し異常な状態に、ハクナは嫌な予感を抱いた。
最も、抱いただけであって、今からメトルガンデに引き戻すなんてことはしない。だが、不安に駆られて湖からあまり動こうともしなかった。
そうやって狼狽しているうちに、日は完全に沈み、代わりに月が顔を出した。
「うわ~すっかり夜だよ・・・」
湖のすぐ傍で静かに佇んでいると、後方から不穏な鳴き声が耳に届いた。
ワオォォォォン!!
顔を一瞬にして青ざめさせ、カクカクと首を後ろに向けると、ガンガウルよりは少し小さめだが、限りなく黒に近いグレー色の毛皮を生やしている、三つ頭がある犬がハクナをギロリと睨んでおり、それぞれの牙からは「食料だぞ!やった!」と言わんばかりに唾液が滴っている。
六星級モンスター、<ケルベロス>。
ガンガウルと出会った時と同じように、ハクナは冷や汗が噴き出て、顔が引きつっているのが見なくても分かった。
空腹と不安と疲労から気配を感じ取ることができず、ケルベロスが二回ほどジャンプすれば届きそうなほど危険な距離で、ハクナとケルベロスは対峙していた。
心臓がバクバクと鳴り、視線はケルベロスの紅色に光る瞳に吸い寄せられるように固定されているが、左手は無意識的に動き、右腰に帯刀している漆刀を抜いて正面に構える。
低い声でハクナを威嚇しつつ、じりじりと歩み寄ってくるケルベロスに、深呼吸をして戦闘態勢に入る。
そしてすぐさま駆け出した。
「グオァァァァ!」
「フッ!」
左の頭の噛み付き、右前足の引っかきの同時攻撃をすれすれで左に回避し、攻撃してきた頭の首を横に斬る。
驚くほどサクッと斬れた首は、付いていた頭を地面へボトリと落とした。残った二つの顔が驚愕に染まり、続いて怒りに染まった。
「ガァァァァ!」
ハクナを払おうと、左前足が前に繰り出されるが、ハクナはあっさりそれを内側に入ることで回避し、漆刀を心臓部に突き刺した。
「ギャァァァァ!!」
甲高い悲鳴と、外へ飛び出してきた血にハクナは顔をしかめると、漆刀を大きく左側へ薙ぎ払った。
腹に大きく傷を負ったケルベロスは一度飛び退き、殺意のこもった目でハクナを見ている。
その殺意にびくともしない貴族様に腹が立ったのか、ケルベロスの左前足に炎が灯る。
「魔法!?」
流石にこれはハクナも焦った。
モンスターにも魔法が使えるやつはいるが、普通は使えないモンスターが多く、普通は魔法が使えないはずのモンスターが魔法を使っている場合は<メイジモンスター>といって特殊扱いされるほど珍しい。
しかも、珍しいだけじゃなく、強さも上がるので、かなり危険視されている。そんなモンスターに運悪くハクナは遭遇してしまった。さらに、外見では見分けることができないのも厄介だ。
業火をまき散らせながら繰り出されたパンチは、さっきとは比べ物にならないほど威力が上がっており、全力のバックステップで避けたのにもかかわらず、体が燃えるように熱かった。
「ぐっ・・・」
熱の余波だけで辺り一面の雑草が焼き焦げ、僅かに湖の水が蒸発した。呼吸もしづらく、陽炎がゆらゆらと立っている。
ケルベロスは続けて右前足にも炎を纏わせて引っかき、真ん中の頭でも噛み付き、ハクナが後退したところに本当の魔法攻撃、<ファイア>を放ってきた。それらを全部何とか回避すると、ハクナは素早く反撃に転じた。
手で地面を押し、勢いよく接近すると、刀の刃を上に向け、手首をひねって左前足を切断した。ケルベロスは悲痛な声を上げる間もなく、もう一方の前足もさっきの攻撃と繋がっている下からの斬り上げによって、湖の方へ飛んでいった。
このとき、ケルベロスはハクナに強大な殺意を向けられ、死んでたまるか、と魔法を放った。
しかし、動揺したケルベロスの魔法は、相手を斬ることによって切れ味が増す漆刀と、神経が研ぎ澄まされたハクナの剣技によって一刀両断されてしまった。
高難度技術、<魔切り>だ。
魔法を凶器で切ったりするとどうなるのか?
その疑問を持ったある青年が、剣で魔法を斬ったことからこの技術は始まった。数百年前まで、魔法は避けるか優位属性で打ち消す、というのが魔法に対する一般的な対処方法だった。
しかし、その青年は魔法を斬り続け、ある時、魔切りは成功した。
それまでは斬っても再生し、青年に衝突。もう一度と気合を入れて斬るも再生して衝突。これの繰り返しだったが、魔切りが成功したときは、魔法が再生されることはなく、その場で跡形もなく消滅した、と記録されている。
魔切りの成功した瞬間を見ていたものたちは、その原理について徹底的に研究し、成功させた青年も魔切りの成功確率を上げる努力をした。
その結果、魔切りの原理が解明され、その武器を極めたものが成功したり、運よく発動することがたまにあることが分かった。
魔切りの原理というのは、魔法の<核>を断つことによって、魔法の形を消す、ということだった。魔法は発動源があり、そこに核が自然に形成され、核から魔法が出来上がる。その核をピンポイントで斬ることができれば、魔切り成功、というわけだ。
ちなみに、鉄板のようなもので魔法全体を殴るとどうなるのか、という実験は、魔法が拡散し、殴った人に思いっ切り被害が出る、という残念な結果で終わったため、魔切りはやはりピンポイントで斬らなければならないという結果に終わった。
では、魔法はなぜ魔法で消滅できるの?という疑問は、ただ単に魔法を魔法で相殺しているだけで、ゴリ押しに過ぎないのだ。
話は逸れたが、その魔切りをたった八歳で成功させるというのは、かなり異常なことで、ケルベロスは驚きで目を見開いていた。
「終わりだ」
ハクナがそう言った瞬間、まだ無事だった二つの顔に横の線が入り、四つの目を全て潰した。
「ガアァァァァァウ!?」
いきなり視界が真っ暗になって、ケルベロスはのた打ち回るが、それではハクナの的だ。
さっさと息の根を止めようとして、刀を振り上げると、野生の勘からか寸分違わずハクナの方に、巨大な咆哮と魔法を放ってきた。
「グオォォォ!!」
「ゲッ!?」
ハクナはまさか攻撃してくるとは思ってもいなかったので、無防備な腹にファイアを撃ち込まれ、後方に五メートル程吹き飛んだ。
浮遊感が一秒ほど続き、月が視界の真ん中に来ると同時に地面に背中から叩きつけられ、空気を吐き出す。
さらに、衝撃の後にジリジリと燃える痛みが全身を電撃のように走った。
「うわぁぁぁ!?熱い熱い熱いぃ!!」
あまりの熱さに倒れ込むようにして湖に跳び込むと、ジュウゥゥと水が蒸発する音が聞こえ、お腹にあった熱が治まっていくのが分かった。
そして熱が冷めて水面から顔を出すと、さっきから一歩も動いていないケルベロスが、弱々しい呼吸をして横たわっているのが見れた。
ハクナも乱れた息を整え、不覚にも手放してしまった漆刀を拾い、ケルベロスに静かに歩み寄った。
そして、スッと音もせずにケルベロスの真ん中の首に落とされた刀によって、ケルベロスは音一つ立てぬ屍になった。
「ハァァァ~・・・めっちゃ疲れた・・・」
極度の緊張から解放されたハクナは、肩の力を抜くと、そのままへなへなと地面に倒れ込んだ。
立つ気がなくてもしっかり【回収】を行い、ケルベロスの輝石を抜き取っておく。さっきまで戦っていたケルベロスはメイジモンスターなので、取れる輝石は当然、
「魔法輝石だ」
ハクナの左手にある輝石は赤色の輝きを持ち、生きているかのように中身の火がうごめいている。透明度も高く、かなり貴重な輝石を手に入れたことと、六星級のメイジモンスターを倒したことにより、ハクナの頬が自然と綻ぶ。
「あ~腹減った」
安心したからか、異様に空腹がアピールをしてきて、ハクナは横で死んでいるケルベロスをちらっと見る。
「こいつ食うか」
元貴族のハクナの口から、普通なら爆弾発言のようなものが零れ、口元が大きく横に裂けた。
クッキングタイムの始まりだ。
漆刀で皮を剥ぎ、肉を木の棒に刺し、ファイアでこんがり焼く。完成だ。料理もくそもない、魔法で焼いただけの貴族には似合わないワイルドな肉料理に、ハクナは唾を飲むと、一気にかぶりついた。
 え?モンスターって食えるのかって?
 ダンカが前にこれと同じ料理を振る舞ってくれたことがあるから大丈夫だ。
一心不乱に食べ、なくなったらすぐに新しい肉を焼き、また貪る。
「あ~美味かった~」
そうして食べつくしたころには、満腹感で瞼が重くなり、意識を手放した。
まだ意識が覚醒していない中、ゆっくりと目を開けるとハクナは見覚えのある空間に立っていた。
「ここは・・・」
今、ハクナの目の前にある場所は今日までずっと過ごしてきた家だ。
芝と石のタイルが交互に敷き詰められた、兄と父が訓練していた庭とは違う、門の近くの庭で、後ろを振り向けば、見慣れたレンガ造りの青色の豪邸があった。
庭には金色の噴水があり、その周りを楽しそうに走る黒髪の子供がいた。
その子は風魔法のジェットを使って、優雅に宙を舞ったり、大きく跳んで空中で一回転したり、十メートルくらいを跳躍したりと、自由に庭を駆けまわっていた。
「あれは、自分?」
綺麗な服装に身を包んだ姿は、どう見ても幼少期のハクナでこれは記憶に残っている四歳の日の朝のことだ。そこでハクナは気付いた。これは夢だと。
『わははは~、うわあぁい』
愉快に声を上げて小さいハクナがダンスを踊るように庭を回っていると、頑丈な鉄の門の前に、茶色い髪の体躯の良い若い男性の人が立っていた。
その男性は家を見上げて、口を開けている。
ハクナは走るのを止め、その男性を興味深そうにジーと眺めていた。
すると、ハクナの視線に気付いたのか、男性はニッと笑うと、四メートルはある門を跳び越え、呆然としているハクナの元に来た。
『やぁ坊ちゃん。ここはグレイディーさんの家かな?』
子供のような無邪気な笑顔で男性はハクナに尋ね、ハクナは一瞬目をパチパチと瞬きさせ、質問に答えたのち、自己紹介を始めた。
『はい。えっと・・・ハクナ・グレイディーです』
その姿に、感心した男性は「えらいな~ちゃんと自己紹介できるのか~」と目を細めると、ハクナの頭を優しく撫で、返すように自己紹介をした。
『俺はダンカだ。平民育ちだから家名はない』
ハクナの頭を撫でながら自己紹介をした男性こそ、ハクナの家庭教師であり、護衛のダンカなのだ。
「みんな、どうしてるだろう・・・」
ハクナの心配は、夢で拾われることなく、目の前のやりとりはマイペースに進んでいくのだった。
しかし、ほどほどに露出した肌からは筋肉はほとんど見られず、どちらかと言えばびくびくと怖がる方が合っている。
「力・・・」
「そう。力」
ハクナの口から漏れた言葉に彼女は嬉しそうに返し、ハクナの答えを待っていた。その間にもガンガウルの足音は近付いてくる。
「ああ。欲しい」
「君の欲しい力は何のためにあるの?」
淡々と紡がれた言葉に、ハクナは身体が危機になっているのを忘れ、自問自答を繰り返した。
僕の力は何のため?それは誰かを殺すため?違う。
 じゃあ自分のわがままを貫き通すため?違う。
 それじゃあ優越感に浸るため?絶対に違う。
僕は今日何を思った?
「もっと力があれば・・・」
なんでこう思った?何がしたくてこう思った?何ができなくてこう思った?
そうだ。僕の力はーーー
「大切な人を守るためにある」
「ふふ。君は優しいね」
そう言って白髪の女性はずいっと近付いてきて、ハクナの唇に口づけした。
「んん!!?」
あまりにも唐突過ぎるファーストキスに、ハクナは目を回し、慌てふためいた。その様子を見て、女性は小悪魔っぽく笑うと、ハクナを立ち上がらせて後ろを向かせた。
そこには腕を振り下ろしているガンガウルがいて、時間がスローになったような感覚をハクナは感じていた。
誰かを守るために手に入れた力。今、彼女を救わなければ、ハクナの存在する意味はない。
反射的に動いた体は、左手に握られた刀を残像を引く速度で振り、ガンガウルの両腕と顔を付け根から深々と切り裂いた。
断面から噴き出た血の雨に濡れながら、ハクナはゆっくりと刀を下ろし、肩越しに後ろを振り向いた。その時、ハクナが見た場所にはキスをした女性はもうそこにはいず、閑散とした風景が広がるだけだった。
「全くなんだったんだろうあの人は・・・」
呆れたようにそう言うと、手と頭が離れたガンガウルの胴体に近づき、ハクナはおもむろに手を伸ばすと、静かに言葉を紡いだ。
「【回収】」
すると、まるでガンガウルが手品のように輝き始め、体をすり抜けるように石が浮かび、ハクナの手に収まって重力に従い始めた。
この手品、ではなく【回収】は、モンスターの体内にある<輝石>という宝石を文字通り回収する魔法だ。息絶えたモンスターに手を向け、呟くだけで、体内にある輝石が反応して手っ取り早く輝石を取り出すことができるので、冒険者になる場合は必ず覚えておこう、と昔ダンカに言われた。そして、簡単だったので、サクッと習得しておいたのだ。
そうして取りだした輝石だが、これは<ギルド>で買い取ってもらうことができ、冒険者の収入源とされている。その中にも、質の良いものや、簡単に魔法が使えるものや、武器が入っているものまである。この違いはモンスターの生き方や強さによって変わり、強いモンスターほど高品質で大きい輝石が手に入るので、冒険者たちは一攫千金を狙って迷宮、冒険者の間では『ラビリンス』と呼ばれる場所に行く人もいる。
ただし、今回のガンガウルは普通の輝石で、色も普通に白い半透明で、値段が高くなる透明度もあまりなく、ただちょっとデカいだけだった。
「まあ、これが現実だよな」
そう片付け、今度こそメトルガンデから脱出したハクナだった。
ガンガウルを倒し、一先ずモンスターはいなくなったので少し休憩をして、街の外を歩き始めた。
今日が初めて外の世界に出る日だったので、ハクナは若干の緊張と恐怖を胸に行く当てもなく彷徨った。太陽が容赦なく照り付け、体の水分を奪っていく。
「はぁ・・・外の世界で生きるって簡単じゃないな・・・」
重たい足取りで進む中、ハクナは一人呟いた。
外の世界のことはダンカとシェルカイムに聞いていて、力と頭脳と知識が必要な弱肉強食の世界だ、とハクナは思っていた。
そんな中、八歳のついさっきまで貴族だった子供が準備もしないで外の世界に放り出されたら、たまったものじゃない。
「とりあえず水が欲しい」
走って戦ったから、喉はもうカラカラに渇いている。汗も尋常じゃないほど出てるし、服はガンガウルの返り血で汚いし、誰かに見つかったらまず警戒されるのは間違いないだろう。
その返り血を浴びる原因のガンガウルを斬った刀。ハクナの八歳の誕生日プレゼントとして皆にもらった大切な刀だ。名前は<漆刀>。ダンカが知り合いの鍛冶師に無理を言って頼んでくれた世界に一振りしかない刀で、冒険者になった時のために、ということで今までは装飾品の役割しかなかったが、さっき人とモンスターをバターを斬るかのように、ぬるりと切断してみせた漆刀はすごかった。
脳内で刀のことを思っていたからか、自然と漆刀を見ていて、鞘の真ん中あたりに何か袋が付いてあるのに気付いた。
「ん?なんだこれ?」
その袋を手に取ってみると、ジャラッっと金属が擦り合う音がして、もしやと中身を見てみると、果たしてお金が入っていた。
この世界の通貨は<エージュ>という単位で、銅貨一枚一エージュ、銅貨十枚で銅板一枚。銅板十枚で銀貨一枚百エージュ、銀貨十枚で銀板一枚。銀板十枚で金貨一枚一万エージュ、金貨十枚で金板一枚。銅、銀、金以外にも、輝石硬貨という一個で金板百枚分の特殊な石のような形の硬貨があるが、この輝石硬貨はまず見ない。
ハクナも一度だけ、あるパーティーに出席していた貴族がそれをネックレスにしていたので見たことがあるが、その一度だけだった。その貴族を見つけて、ダンカに聞いたのだが、とても不機嫌だった。ちなみに、これは最上位の滅多に手に入らない金色の輝石を使っていたりする。
そして、その袋に入っていたのはもちろんーーー金板である。しかし、十五枚も入っていたので、一瞬にして合計百五十万エージュという大金を持つことになった。
この用意の完璧さは、泣く子も黙るダンカ様の煌く部分だ。シェルカイムも「これであの怠けがなかったらな~」と可哀想にぼやいていた。
ひとまず、ダンカのおかげで金銭問題は解決できたのだが、お金を持っていても買う場所がなければ、石ころ同然
なので、目標は町を見つけることに決定だ。
「そうと決まれば行動に移すべし!」
とは言ったものの、そう簡単には見つからず、気が付けば太陽は沈み始め、明かりが薄くなってきた。
自分がどこにいるかも分からず迷子状態で、腹もなり、喉も痛みが発生して目が虚ろになっていた。
周りは木々が生い茂り、一層不気味さを増して、ハクナの精神を追い詰める中、ハクナは太陽の光を反射して、少し光る物を見つけた。
「水だ!」
今までの喉の渇きから、獣のように湖にがつき、ごくごくと透き通った天然水を飲んでいく。
一分ほど飲み続け、腹がきつくなってようやく飲むのを止めたハクナは、服をサラッと洗い、今度は空腹感に襲われ、グウゥゥと音が鳴ったお腹を押さえた。
「あ~・・・腹減った・・・」
まるで貴族とは思えないセリフに、ハクナは気にせず周りを見渡す。
湖があるということは、モンスターにとってはなかなか住みやすい環境で、竹のような木もあり、食料にはそんなに困りそうではない場所だが、さっきから動物の姿どころか、モンスターの呻き声すらも聞こえていない。
少し異常な状態に、ハクナは嫌な予感を抱いた。
最も、抱いただけであって、今からメトルガンデに引き戻すなんてことはしない。だが、不安に駆られて湖からあまり動こうともしなかった。
そうやって狼狽しているうちに、日は完全に沈み、代わりに月が顔を出した。
「うわ~すっかり夜だよ・・・」
湖のすぐ傍で静かに佇んでいると、後方から不穏な鳴き声が耳に届いた。
ワオォォォォン!!
顔を一瞬にして青ざめさせ、カクカクと首を後ろに向けると、ガンガウルよりは少し小さめだが、限りなく黒に近いグレー色の毛皮を生やしている、三つ頭がある犬がハクナをギロリと睨んでおり、それぞれの牙からは「食料だぞ!やった!」と言わんばかりに唾液が滴っている。
六星級モンスター、<ケルベロス>。
ガンガウルと出会った時と同じように、ハクナは冷や汗が噴き出て、顔が引きつっているのが見なくても分かった。
空腹と不安と疲労から気配を感じ取ることができず、ケルベロスが二回ほどジャンプすれば届きそうなほど危険な距離で、ハクナとケルベロスは対峙していた。
心臓がバクバクと鳴り、視線はケルベロスの紅色に光る瞳に吸い寄せられるように固定されているが、左手は無意識的に動き、右腰に帯刀している漆刀を抜いて正面に構える。
低い声でハクナを威嚇しつつ、じりじりと歩み寄ってくるケルベロスに、深呼吸をして戦闘態勢に入る。
そしてすぐさま駆け出した。
「グオァァァァ!」
「フッ!」
左の頭の噛み付き、右前足の引っかきの同時攻撃をすれすれで左に回避し、攻撃してきた頭の首を横に斬る。
驚くほどサクッと斬れた首は、付いていた頭を地面へボトリと落とした。残った二つの顔が驚愕に染まり、続いて怒りに染まった。
「ガァァァァ!」
ハクナを払おうと、左前足が前に繰り出されるが、ハクナはあっさりそれを内側に入ることで回避し、漆刀を心臓部に突き刺した。
「ギャァァァァ!!」
甲高い悲鳴と、外へ飛び出してきた血にハクナは顔をしかめると、漆刀を大きく左側へ薙ぎ払った。
腹に大きく傷を負ったケルベロスは一度飛び退き、殺意のこもった目でハクナを見ている。
その殺意にびくともしない貴族様に腹が立ったのか、ケルベロスの左前足に炎が灯る。
「魔法!?」
流石にこれはハクナも焦った。
モンスターにも魔法が使えるやつはいるが、普通は使えないモンスターが多く、普通は魔法が使えないはずのモンスターが魔法を使っている場合は<メイジモンスター>といって特殊扱いされるほど珍しい。
しかも、珍しいだけじゃなく、強さも上がるので、かなり危険視されている。そんなモンスターに運悪くハクナは遭遇してしまった。さらに、外見では見分けることができないのも厄介だ。
業火をまき散らせながら繰り出されたパンチは、さっきとは比べ物にならないほど威力が上がっており、全力のバックステップで避けたのにもかかわらず、体が燃えるように熱かった。
「ぐっ・・・」
熱の余波だけで辺り一面の雑草が焼き焦げ、僅かに湖の水が蒸発した。呼吸もしづらく、陽炎がゆらゆらと立っている。
ケルベロスは続けて右前足にも炎を纏わせて引っかき、真ん中の頭でも噛み付き、ハクナが後退したところに本当の魔法攻撃、<ファイア>を放ってきた。それらを全部何とか回避すると、ハクナは素早く反撃に転じた。
手で地面を押し、勢いよく接近すると、刀の刃を上に向け、手首をひねって左前足を切断した。ケルベロスは悲痛な声を上げる間もなく、もう一方の前足もさっきの攻撃と繋がっている下からの斬り上げによって、湖の方へ飛んでいった。
このとき、ケルベロスはハクナに強大な殺意を向けられ、死んでたまるか、と魔法を放った。
しかし、動揺したケルベロスの魔法は、相手を斬ることによって切れ味が増す漆刀と、神経が研ぎ澄まされたハクナの剣技によって一刀両断されてしまった。
高難度技術、<魔切り>だ。
魔法を凶器で切ったりするとどうなるのか?
その疑問を持ったある青年が、剣で魔法を斬ったことからこの技術は始まった。数百年前まで、魔法は避けるか優位属性で打ち消す、というのが魔法に対する一般的な対処方法だった。
しかし、その青年は魔法を斬り続け、ある時、魔切りは成功した。
それまでは斬っても再生し、青年に衝突。もう一度と気合を入れて斬るも再生して衝突。これの繰り返しだったが、魔切りが成功したときは、魔法が再生されることはなく、その場で跡形もなく消滅した、と記録されている。
魔切りの成功した瞬間を見ていたものたちは、その原理について徹底的に研究し、成功させた青年も魔切りの成功確率を上げる努力をした。
その結果、魔切りの原理が解明され、その武器を極めたものが成功したり、運よく発動することがたまにあることが分かった。
魔切りの原理というのは、魔法の<核>を断つことによって、魔法の形を消す、ということだった。魔法は発動源があり、そこに核が自然に形成され、核から魔法が出来上がる。その核をピンポイントで斬ることができれば、魔切り成功、というわけだ。
ちなみに、鉄板のようなもので魔法全体を殴るとどうなるのか、という実験は、魔法が拡散し、殴った人に思いっ切り被害が出る、という残念な結果で終わったため、魔切りはやはりピンポイントで斬らなければならないという結果に終わった。
では、魔法はなぜ魔法で消滅できるの?という疑問は、ただ単に魔法を魔法で相殺しているだけで、ゴリ押しに過ぎないのだ。
話は逸れたが、その魔切りをたった八歳で成功させるというのは、かなり異常なことで、ケルベロスは驚きで目を見開いていた。
「終わりだ」
ハクナがそう言った瞬間、まだ無事だった二つの顔に横の線が入り、四つの目を全て潰した。
「ガアァァァァァウ!?」
いきなり視界が真っ暗になって、ケルベロスはのた打ち回るが、それではハクナの的だ。
さっさと息の根を止めようとして、刀を振り上げると、野生の勘からか寸分違わずハクナの方に、巨大な咆哮と魔法を放ってきた。
「グオォォォ!!」
「ゲッ!?」
ハクナはまさか攻撃してくるとは思ってもいなかったので、無防備な腹にファイアを撃ち込まれ、後方に五メートル程吹き飛んだ。
浮遊感が一秒ほど続き、月が視界の真ん中に来ると同時に地面に背中から叩きつけられ、空気を吐き出す。
さらに、衝撃の後にジリジリと燃える痛みが全身を電撃のように走った。
「うわぁぁぁ!?熱い熱い熱いぃ!!」
あまりの熱さに倒れ込むようにして湖に跳び込むと、ジュウゥゥと水が蒸発する音が聞こえ、お腹にあった熱が治まっていくのが分かった。
そして熱が冷めて水面から顔を出すと、さっきから一歩も動いていないケルベロスが、弱々しい呼吸をして横たわっているのが見れた。
ハクナも乱れた息を整え、不覚にも手放してしまった漆刀を拾い、ケルベロスに静かに歩み寄った。
そして、スッと音もせずにケルベロスの真ん中の首に落とされた刀によって、ケルベロスは音一つ立てぬ屍になった。
「ハァァァ~・・・めっちゃ疲れた・・・」
極度の緊張から解放されたハクナは、肩の力を抜くと、そのままへなへなと地面に倒れ込んだ。
立つ気がなくてもしっかり【回収】を行い、ケルベロスの輝石を抜き取っておく。さっきまで戦っていたケルベロスはメイジモンスターなので、取れる輝石は当然、
「魔法輝石だ」
ハクナの左手にある輝石は赤色の輝きを持ち、生きているかのように中身の火がうごめいている。透明度も高く、かなり貴重な輝石を手に入れたことと、六星級のメイジモンスターを倒したことにより、ハクナの頬が自然と綻ぶ。
「あ~腹減った」
安心したからか、異様に空腹がアピールをしてきて、ハクナは横で死んでいるケルベロスをちらっと見る。
「こいつ食うか」
元貴族のハクナの口から、普通なら爆弾発言のようなものが零れ、口元が大きく横に裂けた。
クッキングタイムの始まりだ。
漆刀で皮を剥ぎ、肉を木の棒に刺し、ファイアでこんがり焼く。完成だ。料理もくそもない、魔法で焼いただけの貴族には似合わないワイルドな肉料理に、ハクナは唾を飲むと、一気にかぶりついた。
 え?モンスターって食えるのかって?
 ダンカが前にこれと同じ料理を振る舞ってくれたことがあるから大丈夫だ。
一心不乱に食べ、なくなったらすぐに新しい肉を焼き、また貪る。
「あ~美味かった~」
そうして食べつくしたころには、満腹感で瞼が重くなり、意識を手放した。
まだ意識が覚醒していない中、ゆっくりと目を開けるとハクナは見覚えのある空間に立っていた。
「ここは・・・」
今、ハクナの目の前にある場所は今日までずっと過ごしてきた家だ。
芝と石のタイルが交互に敷き詰められた、兄と父が訓練していた庭とは違う、門の近くの庭で、後ろを振り向けば、見慣れたレンガ造りの青色の豪邸があった。
庭には金色の噴水があり、その周りを楽しそうに走る黒髪の子供がいた。
その子は風魔法のジェットを使って、優雅に宙を舞ったり、大きく跳んで空中で一回転したり、十メートルくらいを跳躍したりと、自由に庭を駆けまわっていた。
「あれは、自分?」
綺麗な服装に身を包んだ姿は、どう見ても幼少期のハクナでこれは記憶に残っている四歳の日の朝のことだ。そこでハクナは気付いた。これは夢だと。
『わははは~、うわあぁい』
愉快に声を上げて小さいハクナがダンスを踊るように庭を回っていると、頑丈な鉄の門の前に、茶色い髪の体躯の良い若い男性の人が立っていた。
その男性は家を見上げて、口を開けている。
ハクナは走るのを止め、その男性を興味深そうにジーと眺めていた。
すると、ハクナの視線に気付いたのか、男性はニッと笑うと、四メートルはある門を跳び越え、呆然としているハクナの元に来た。
『やぁ坊ちゃん。ここはグレイディーさんの家かな?』
子供のような無邪気な笑顔で男性はハクナに尋ね、ハクナは一瞬目をパチパチと瞬きさせ、質問に答えたのち、自己紹介を始めた。
『はい。えっと・・・ハクナ・グレイディーです』
その姿に、感心した男性は「えらいな~ちゃんと自己紹介できるのか~」と目を細めると、ハクナの頭を優しく撫で、返すように自己紹介をした。
『俺はダンカだ。平民育ちだから家名はない』
ハクナの頭を撫でながら自己紹介をした男性こそ、ハクナの家庭教師であり、護衛のダンカなのだ。
「みんな、どうしてるだろう・・・」
ハクナの心配は、夢で拾われることなく、目の前のやりとりはマイペースに進んでいくのだった。
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