花弔風月

T木S夫

私とわたしと兄とあなた 一

 結局カノジョからの音沙汰も無く、一月十一日日曜日に成った。

 朝日の眩しさで眼が醒めて、数日振りに昼前に眼が覚めた私はまずため息を吐いた。カノジョは来ないのだろうか? 私が待てるのは今日までである。

 眼鏡の縁が消えた視界にやっと慣れてきた。元々眼は悪い方ではなかったから眼鏡が無い方が楽であるのだが、四年間も視界の端にチラチラと存在していた景色が無くなるのは違和感を覚える。

 一階に下りてみると、家族の誰もまだ居ず、どうやらまだ全員寝ているようである。久しぶりに早起きをした。

 私は冷蔵庫のフルーツジュースをコップに注ぎ一息に飲み干した。甘さを持った酸味が口内に広がり、喉を通った後、ただ苦味だけが残った。

 と、私は左手でコップを持っていた事実に気付き苦笑した。

 カノジョの前で意識して左手を使い続け四年間、今では無意識にこちらの手を良く使ってしまう。

 コップを流しに置いて、私は左のペンダコを擦った。もう、右手で字を書いて良いのだから、この四年もかけて作ったペンダコも一月ほどで無くなってしまうだろう。

「割とあっさりだな」

 誰も見ていないので独り言を呟いた。

 この四年間胃が捩じれる様な毎日だったが、その証はすぐに消失するだろう。

 中々に気分が悪い。

「……はぁ」

 私は息を吐いて、リビングにある兄の仏壇の前に座った。

 写真の中の兄が私を見ているように感じたが、それは思い込みだろう。今日と言う日も相まって多少感傷的に成っているようだ。

 慣れた手つきで私は線香を立て、〝チーン〟と鈴を鳴らした。

「……誕生日おめでとう」

 遺影の前に置かれた眼鏡を撫でて、私はまた長く息を吐いた。

 今すぐ私はカノジョの家に行きたかった。


 休みでなければ通勤電車に乗っている頃に成ると、家族全員が眼を覚まし、朝食と成った。

 ご飯に味噌汁に鮭とこれぞ日本の朝食と言ったラインナップを食していると、珍しく父から話しかけてきた。

「今日まで家に居るのか?」

「うん。明日早めに家を出て戻る。勉強道具は全部あっちにあるし」

 少し塩辛い味噌汁を啜りながら答えると、父は神妙な顔をして言葉を続けた。

「翼。もう風香さんと二人暮らしはしなくて良いのだろう?」

 事実である。私が立花飛鳥ではないとばれた今、私がカノジョと同棲する理由は無い。

「……そうだね」

「なら、二人が暮らしていた部屋は解約するか? この家からでも大学は通えるだろう? もしも一人暮らしが良いのなら、他の部屋を改めて借りれば良い」

 父の言い分は最もである。もう共に暮らさないであろう部屋を何時までも借りているのは金の無駄だ。

 私はここで頷くべきである。〝そうだね。じゃあ、解約してもらっても良いかな?〟と言うべきだ。

 なのに、口は開かなかった。

「……まあ、少なくとも来月一杯まで契約は続くから考えておきなさい」

 閉口する私に父はこう言葉を残した。

 未練でもあるのだろうか? カノジョと過ごしたあの部屋に。

 ……あるのだろう。あの部屋で過ごした二年間はあまりに重すぎた。

「……」

 私は再び味噌汁を啜った。

 今度は味が分からなかった。


 だらだらと午前を潰し、そのまま昼食を食べ終えた頃、沢口からメールが来た。立花家に兄の線香を上げに来たい様だ。

 特に断る理由も無かったので私は〝了解〟と短くメールを送り、彼の訪れを待つ事とした。

 沢口家から立花家まで自転車で十五分、すぐに来るだろう。

 沢口にはカノジョにばれた経緯をメールでだが話していたので、突然、我が家に来たいと言ったのは彼なりの気遣いに違いない。

 親友の思いやりに感謝しつつ、私はお茶請けの品が無いものか、冷蔵庫を漁った。


 程無くして沢口が立花家を訪れた。

「お邪魔します」

 彼は私達全員に頭を下げた後、兄の仏壇へと線香を備え、鈴を鳴らし、短く手を合わせた。

 私とつぐみも彼に続き、手を合わせて眼を瞑る。

「……良し」

 黙祷を終え、沢口は私を見た。その眼は先日会った時と変わらず、今にも何して遊ぶか問い掛けて来そうである。

「……ありがとうな」

「ん。気にするな」

 私に礼を言われ、恥かしくなったのか、沢口はつぐみへと眼を逸らした。

「つぐみちゃん。久しぶり。大きくなったねぇ。今年から受験生になるんだっけ?」

 つぐみはアハハと笑い、ポニーテールが揺れた。

「その事を思い出させないでくださいよー。現実逃避してたのにー」

「大丈夫だって。きっと受かれるさ。何処が志望校かは知らないけど」

「そうですか? まあ沢口君がそう言うなら、あたし頑張りますけど」

 私と沢口は十年以上の付き合いであり、当然、つぐみも彼とは十年を超える付き合いである。そのため、沢口はつぐみが家族以外の人に素を見せる数少ない人物でもあった。

 沢口が立花家に訪れた時、兄も含めた四人で良くパーティーゲームをし、大いに盛り上がった思い出がある。

 過去へと少々物思いにふけっていると、親友と妹は勝手にお喋りを始めていた。私を抜きに盛り上がるとは寂しいではないか。

「おいおい。俺を無視して楽しく喋るんじゃない。寂しさで震えるだろう。もっと兄と親友を大切にし給え」

 大仰に言ってみると、彼らは揃ってジトッと私を見て、

「めんどくさい。後、立花を大切に扱うのは親友として耐えられない」

「妹は兄を雑に扱う。それがあたしのアイデンティティ」

 そんな事をのたまった。

 少々傷ついた私はジュゲムに癒されようとしたが、我が家の猫はつぐみの側を離れず、そっぽを向かれた。

「俺の立場どんだけ低いんだよ」

 私は苦笑し、胸中で感謝した。

 彼らがどれほど私を気遣い、この様な三文芝居の如き日常を演じてくれているか。考えるだけで、言葉が出なくなる。

 親友と妹が頑張ってくれるのだ。私も彼らの提案に乗る事としよう。

「ああ、じゃあ、久しぶりに三人でゲームするか? 確か桃鉄あったし」

 予想通り、沢口とつぐみは頷いた。

「良いな。やろう」

「あたしソフトとか取ってくるよ」

 パタパタとスリッパを鳴らして、つぐみが二階へと上り、リビングには私と沢口のみと成った。

 父と母は両方とも日課の散歩に出かけている。帰るのは四時頃だろう。

「沢口」

「ん?」

「ありがとう」

「ああ、どういたしまして」

 照れ臭いが私は彼に礼を言った。

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