花弔風月

T木S夫

 リビングに戻ってすぐ、私は悠太郎さんと玲子さんに顔を向けた。その眼は困惑に満ちている。

 その口が何か言いあぐねている様に開閉していたので、彼らが言葉を生む前に私はお暇する事にした。

『すいませんが、今日はこれで帰る事にします』

 彼らの返事を待たずに私は学生鞄を持って玄関へと足を運びローファーを履いたが、悠太郎さんが慌ててこちらへと近寄ってくる。

『翼君! 君は――』

 私は彼の言葉を遮った。彼が何を言おうとしているのかは大体見当が付いていたが、それに相対する丁度良い言葉を私は持ち合わせては居なかったからだ。

『また来ます』

 速やかに玄関のドアを開けて私は望月家を後にした。

 時刻は午後三時を越えていて、暖かな外気と陽光が私の体を包んだ。

『……はぁ。やっちまったなぁ』

 私は額に手を当てた。

 彼らの感情は最もである。

 私は自分が正しくない選択肢を選んだ自覚があったし、アレが誰かの理解も得られない事も分かっていた。

 立花翼としての幸せを考えるのなら、間違い無くあの選択は不正解である。

 私がした事は立花飛鳥の尊厳を汚し、立花翼の未来を潰し、立花家の笑顔を奪う行為に他ならない。

 利益を横から掠め取るような卑怯極まりない行いだ。

 吐き気がする。

 ……だが、私はもう決めたのだ。

「……はぁ。何て言おう?」

 きっと、今日私は家族と大喧嘩する事だろう。

 その未来を想像して私はやれやれと息を吐いた。


 この後、一週間に渡る家族全員を巻き込んだ大喧嘩が繰り広げられるのだが、この場では割愛しよう。話したとしても特に意味の無い事だし、結論さえ分かっていれば問題がない。

 結果として、私はカノジョの前では立花飛鳥として生きる事にしたのだ。

 母は泣いて、父は激怒したが、私は自分の我儘を曲げなかった。

 立花家の幸せを考えるのなら、私はカノジョを見捨てるべきである。所詮他人であるし、家族より愛しているかと問われたら迷う相手だ。父と母とつぐみも同じ気持ちであろう。

 けれども、どうしても私を飛鳥と呼んだ時のカノジョの安らかな顔が忘れられなかったのだ。隈が貼り付いた顔、光を吸い込む様な真っ黒な瞳、触れれば壊れてしまいそうな体、壊れてしまった心、その全てを私は見捨てる事が出来なかった。

 望月風香は壊れていた。何時の間にか、カノジョは立花飛鳥が居なければ生きていけない様に成っていたのだ。

 我が兄ながら何という事をしてしまったのか。文句を言いたくなるが、死人に耳なし。今更何を言っても意味が無い。

 カノジョが私を立花飛鳥と認識したのは、一種の防衛反応だろう。立花飛鳥と似た顔を持ち、似た雰囲気を持つ私を心の平穏を保つための人形としたのだ。

 様は体良く立花翼と言う人間を利用したのだ。

 立花飛鳥の死から逃避したのだ。

 自らを守る為に、現実から眼を背けたのだ。

 だが、それの何が悪いのか?

 壊れてしまった心が現実から逃げた事を誰が責められよう?

 残酷な現実に留まり、擦り切れて死ぬのを待てとでも言う気なのだろうか?

 カノジョの心は壊れているが、まだ死んでいないと言うのに、カノジョの心に死ねと言う気なのだろうか?

 もちろんだが、私におぞましい下心が無かったかと言われれば嘘となる。カノジョは私の初恋の相手であったし、私はまだ若い男であったから、兄を失ったカノジョに付け入ろうと言う気持ちを嘘には出来ない。

 私は聖人君子ではなかったし、欲情を持て余す男子高校生であった。

 けれど、私の下劣な感情は置いておくとして、何よりカノジョの心に死んで欲しく無かった事は本当である。

 何時の日か、また、あの図書館での笑顔を私は見たかったのだ。私はあれほどまでに美しい顔を見た事が無かったから。

 最終的に夜を徹して行われた私の土下座と第八回立花家家族会議に父と母は折れ、カノジョの前限定で望月風香の彼氏と成る事を許してくれた。

 彼らにはもう頭が上がらない。

 また、ここでつぐみと一つ約束をさせられた。

 期限は私に任せ、その期限までは私の自由にして良いが、期限を超えたらカノジョに全てを話す事。つぐみは私が見た事も無い真剣な顔で家族の前で私にそう誓わせた。

 妹の意図はこうだ。

 時間をやるからそれまでにカノジョのを何とかしろ。

 彼女はしっかりと私の逃げ道を塞いだのである。

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