花弔風月

T木S夫

 葬式場に居た誰もの空気が止まった。

 ただ、カノジョの声が響くばかりで、急激に部屋の温度が下がる。

 異様な光景だった。

『そんな狭い所で何寝ているのよ』

『明日は大学で必要な物を買わないといけないのだから、早く起きなさい』

『私の声が聞こえないの?』

『分かったわ。私をからかっているのね。いつもみたいに』

 カノジョは膝を折って、届かんばかりにその顔を兄の顔へと近づけた。

『これだけ近ければ聞こえるわね』

『狸寝入りはもう止めなさい』

『……これ以上黙っている気ならキスするわよ』

 数瞬の間を持って、彼女は兄の唇と自分の唇を重ねた。

 童話ならこれで兄の瞳が開きそうな物だが、そんな事は起きる筈が無い。兄は毒リンゴで死んだ訳では無いのだ。

『……あら? 今日は強情ね。いつもならこれで飛び起きそうな物だけれど』

『良いわ。そういう事なら持久戦ね。あなたが起きるまで何度でもキスをしてあげるわ』

 カノジョがまた兄の唇にキスをしようとした所で、ハッと私はカノジョへと走りよりその肩を抑えた。

 これ以上は私が見ていられなかった。

 肩へと触れられてカノジョの体がピタリと止まった。

 カノジョは緩慢に私へと眼を向けて、一瞬眼を見開いて、

――――飛鳥?

 そう小さく呟いた。

 聞こえたのは私だけであろう。

『え?』

 私が動いた事で場の空気が再び動き出し、悠太郎さんと玲子さんがカノジョへと駆け寄った。

『風香。止めなさい。飛鳥君はもう死んでしまったんだよ』

 カノジョは悠太郎さんの言葉に首を振った。

『何を言っているの、お父さん? 飛鳥が死ぬはずが無いわ。ただ私をからかおうとしているだけよ。こんな大掛かりなセットまで作って失礼してしまうわ』

 悠太郎さんと玲子さん、そして私を初めとするこの会場に居る誰もが絶句した。

 カノジョの言葉の色に嘘が無かったからだ。

 カノジョは本心からそう発言したのだ。

『違うわ、風香。これはジョークでも何でも無い。飛鳥君は死んだのよ。あなたもその目で見たでしょう?』

 玲子さんの言葉もカノジョには届かない。

『いいえ。見ていないわ。そうよ。飛鳥は死なないわ。約束してくれたもの。何があっても私を一人にはしないって。飛鳥は絶対に約束を破らないわ』

『いい加減に現実を見なさい。飛鳥君は死――』

『死んでないっ!』

 カノジョが叫んだ。それはまるでヒステリーを起こした女優の様でもあり、夫を失った雪女の慟哭の様でもあった。

『飛鳥は絶対に生きているっ、絶対に絶対に飛鳥は起きるわ! 私を一人にしない! 四月から一緒にY大に通うのよ! 飛鳥は、……飛鳥は――』

 そこまで言って唐突にカノジョは膝から崩れ落ちて気を失った。

『…………』

 葬式情に居る誰もが口を開けなかった。皆氷付けにされたように口を閉じ、沈痛な面持ちで顔を伏せていた。

『……申し訳ございません』

 悠太郎さんと玲子さんが私達に頭を下げて、カノジョを抱えて葬式場から出て行った。


 それから葬式は滞りなく進み、兄の体は火葬され、私が簡単に抱えられるほどのサイズの骨壷へと入れられた。

 父も母もつぐみも誰もが泣き腫らし、この骨壷を抱えられるとは思わなかったので、兄は私が抱える事と成った。

 生前の重さの何分の一なのだろう? 腕に掛かる重さにぼんやりとそう思いながら、私達は立花家へ帰宅し、兄をつい先日まで共に囲んでいた食卓へと置いた。

『飛鳥ぁ』

 母の涙腺が再び決壊し、その場で泣き崩れ、父が母の方を抱いてまた泣き出した。

『……』

 つぐみの涙はどうやら枯れた様で、我が妹は何の感情も移していない瞳で、食卓へと置かれた骨壷を見ている。

 どうやら、私が泣けるのはまだまだ先の事に成りそうであった。

 大きく息を吸って私は食卓とセットの椅子に座り、ゆっくりと長く息を吐いた。

 脳裏には葬式場でのカノジョの姿が過ぎっていた。

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