喫茶店リーベルの五人姉妹+1
第六話『冬雪水紋の腐女子な日常』
「やってきました、池袋~~~~」
「あ、うん、そうだね」
元気な花梨とは裏腹に、僕はゲンナリとしていた。なんでって当たり前だろうに。
最近僕をつけ回すようになった花梨が、この前僕にお願いをしてきた。その内容が余りにもひどい。
花梨は描いている漫画でもわかるように腐女子だ。それも、ただの腐女子ではない。僕も噂ぐらいでしか聞いたことないが、学校での彼女の通り名が『腐の伝統者』らしい。
なんでも、クラスの女子を全員腐女子に導き、彼女を筆頭に怪しげな宗教が生まれたとかなんとか。今ではいくつかの派閥ができて、いつ爆発してもおかしくない状況。
それなのに平和な理由は、花梨がいるからだ。
腐女子には譲れないものがある。それは彼女たちの好きなことに対するこだわりだ。
僕が料理の味や見た目にこだわるのと一緒で、腐女子はキャラクターのカップリングに情熱を注いでいる。
例えば、メガネ×ヤンキーという感じかな。この場合メガネが攻めでヤンキーが受け。それが大好きな人がいれば、逆にヤンキー×メガネが好きな人もいる。
好みは人それぞれ。だけど腐女子はこのこだわりに強い思い入れがあるのか、攻めと受けが逆なだけで大喧嘩になるらしい。
自分の好きなカップリングに共感できる腐女子達の集まりが派閥であり、それが複数あることがいつ爆発してもおかしくない原因なのだ。
自分との好みが合わないと、認めたくないって気持ちは僕にもわかる。
料理で例えるなら、目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかの違いに似ているかもしれない。
僕は断然醤油派だ。それ以外は認めたくないって気持ちがある。だから目玉焼きにソースをかける不届きものを許したくない。
ふん、なんだよ、ソースって。ありえないでしょう。
だからってそれで喧嘩をするのもよくない。だからお互いのことを認め合い、自分の好みと共感できる仲間で集まろう。例え許せないカップリングであろうとも、広い心で受け止めて、見逃してあげればいい。
そうすれば、自分たちの仲間内で楽しめる。そう広めまわっている花梨がいるからこそ、学校で派閥戦争が起きないのだ。
つまり、互いに干渉しないようにするある種のルールが出来上がっており、それを作ったのがほかならぬ花梨である。
こいつすげーよ。好きなものに対する情熱がやばいぐらい。
ちなみに、花梨が好きなカップリングは強気なショタ×弱気なショタらしい。
クラスの中心人物であり友達がたくさんいるショタが、いじめにあってしまいそうな弱気なショタを気にかけて仲良くなり、無垢な少年同士が性に目覚めて危ない関係になっていくのが大好きらしい。
おっと、かなり話がそれた。
何故、腐女子な花梨と僕が池袋にいるかと言うと、ある店で待ち合わせをした腐女子仲間とオフ会をするってことになっているからだ。だけど今日が初対面。いままで何度か誘われていたらしいけど、一人で行くには心細いらしく、ずっと断っていたんだとか。
ほら、ネットで知り合った人ばっかりだから、どんな人なのかもわからないし、不安だって感じると思う。
顔も知らない相手に会いにいくのにはかなりの勇気がいるってところだろう。
一度は行ってみたかったオフ会、だけど一緒に来てくれる人がいない。
学校の友達とか連れて行けばいいんじゃないかと思ったけど、女の子だけだからこそ、相手が悪い男だったら太刀打ちできないという恐怖があるんだとか。
そんで、僕が一緒に行くことになった。男の僕がガチガチの女装をして腐女子の集まりに。
本当に危ない道に引き込まれそうで、ちょっと怖かったりする。だってあれだよ。腐女子だよ。男と男のあれやこれやが好きな人たちの集まりだよ。僕が男だってバレたら、何をされるかわからない。
「水紋先輩、どうしたんですか、そんなに震えて」
「いや、これから腐女子に恐怖を抱いているだけだから」
「ちょっと、腐女子に偏見持ちすぎですよ。腐女子は淑女なんですから。秋葉オタクが紳士なように!」
「本当にそうなんだろうか?」
「疑り深い。それに、最近は腐男子なんかも増えつつあるんです。水紋先輩には是非ともそれになっていただきたい」
「嫌だよ!」
「大丈夫、俺が優しく教えてあげますから」
「帰りたくなってきた……」
「ちょ、お願いです。俺の夢だったんですよ。このオフ会に参加するの。付いてきてください!」
「はぁ、しょうがないわね。それで、待ち合わせってどこなの?」
「椿屋珈琲店で予約をとっているらしいの」
「へぇ~椿屋珈琲店か……」
それってかなりお高めの喫茶店じゃなかったっけ。ユメダ珈琲店みたいにコンビニのがあるわけじゃなかったはずだけど、厳選された椿ブレンドのコーヒーがかなり美味しいって噂があるレベル。
食べログとかでも高評価でシフォンケーキがこれまたコーヒーにあう。一杯900円ぐらいの高級喫茶店って感じだったような。
僕も喫茶店リーベルで働いている身だ。これは勉強になりそう。
あ、そういえばこの近くにユメダ珈琲店もあったっけ。コンビニのやつと飲み比べしてみたいな。絶対お店の方が美味しいに決まっているけど、その味がどれだけ再現されているのかはちょっと気になる。
うーん、このまま危ない道に引きずり込まれるのもあれだし、こっそり抜け出してそっちを見に行くか?
「水紋先輩。一体何を考えているんですか。怪しい……」
「えっと、今から逃げようかと……」
「ダメ! 絶対に逃がさない!」
花梨が僕の腕に楽しそうにしがみついた。まるで場所をわきまえないカップルがするような腕組だ。僕の姿だと、仲のいい女の子どうしでじゃれあっているように見えるのだろうか。それはそれとして……。
「か、かたい……」
「へへ、ちょっと死んでみますか?」
このあと花梨に殴られた。頬が痛いよ……。
◇
椿屋珈琲店は池袋駅東口から左に進み、横断歩道を渡った先、ヤマダ電機のお隣にあるビル。その地下に進んだ場所にある。外に大きな看板があるからいいけど、それがないとわかりにくい場所にあるよね。池袋自体がごちゃごちゃしてわかりにくいってところもあるけど。何回迷子になったことか。
僕たちは階段を降りて、店の中に入る。喫茶店特有のいい香りが漂ってきてとても心地が良い。
店内の奥を覗いてみると、コーヒーをカップに入れている店員さんの姿が目に入る。フリフリの白いエプロン。ちょっと黒に近い緑色の制服が、まるでメイドさんのようだ。
あれ、どことなくリーベルの制服に似ているような?
「あの~花梨?」
「水紋先輩が言いたいことはわかるよ。椿屋さんの制服と家の制服が似てるってとこだよね」
「うん、なんで?」
「そんなの、お父さんが真似をしたからに決まっているじゃない。なんたって、椿屋珈琲店に入って珈琲にハマったぐらいだし」
「へぇ~そうなんだ」
「それよりも、店員さんがきたみたいよ」
僕たちが無駄話をしていると、店員さんのひとりがやってきた。男の人で、ザ・バリスタって雰囲気がある。この人が店長なんだろうか?
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
「えっと、黒崎で予約が入っていると思うんですが」
花梨が店長らしき方に予約のことを言った。すると、「少々お待ちください」といって、奥に戻ってしまった。多分予約と席の確認をしているのだろう。
それにしても、黒崎ってなんか本名っぽいよね。普通こういう時ってネット上の名前とか使うんじゃないのかな。
あ、でも百合さんみたいにペンネームが普通の名前っぽい人もいるよね。百合さんはたしか、柚木亜梨沙だったし。うん、黒崎っていう人も偽名なんだよ、きっと。
僕と花梨はもとっできた店長らしき人の後をついて行って、案内された席に座る。
席にはすでに二人も座っていた。
一人はメガネをかけていて、前髪で目元が隠れている、全体的な雰囲気が暗い女の子。ふふふと怪しげに笑っているので実に不気味だ。典型的なオタクって感じがする。それも中二病よりで黒魔術とかやっていそう。それにクトゥルフ神話とかも好きそうだね。家には骸骨の模型とかあって、夜には魔法陣の中心にそれを置き、怪しげな呪文を唱えて悪魔召喚とかやっているんだろうか。僕の考えすぎだといいな。
もうひとりは、セミロングぐらいの黒髪で、雰囲気の明るそうな、リア充っぽい女の子だった。花梨とは違うタイプかな。花梨は運動が得意で、ボーイッシュなところがあって、女の子らしさとはちょっと離れている。だけど見た目的には腐女子に見えないんだよね。どちらかというと、部活に熱を注いでいる体育系な感じかな。セミロングの女の子はその逆で友達が多くいてクラスの中心、おしゃれとかに興味があって、アニメとかは全くの無知。彼氏もいそうなところから、まさにリア充って感じが漂ってくる。
「えっと、初めまして。冬雪水紋です。よろしくお願いします」
とりあえず、挨拶からだよね。女装だとバレたくないから、ちょっと女の子っぽい仕草をしてアピールしておく。初めて会うんだから第一印象が肝心。でもなんだろう、合コンというかお見合いというか、そんな雰囲気がある。いや、僕はそんなことやったことないよ?
「「ビッチ?」」
「え、なんで!」
突然のビッチ扱い。理不尽極まりない。僕が混乱していると花梨が服を引っ張って、耳元で囁いてきた。
「何やっているんですか、ビッチ先輩。そんなリア充っぽい自己紹介はなんですか。最低……」
「ぼ、僕が最低……。それにビッチ先輩って……」
ふふ、涙が出ちゃう。だって男の娘だもん。
「俺が手本を見せてあげるんで、ちゃんと見てください」
花梨が怪しげにヒソヒソ話している二人に向き合い、自己紹介を始めた。
「俺のツレがすいません。俺がふわゆるです。水紋先輩は僕の下僕っす。総受けな男の娘。ゲスで男にヤられたい変態……」
「ちょ、僕はそんなんじゃないからね。適当なこと言わないでよ!」
ついツッコミを入れてしまった。喫茶店で大声なんて出さないよ。一応周りに気を使ったつもりなんだけど。うん、大丈夫そう。それより、花梨が僕のことをひどく言う件について!
「うわぁ、ふあゆるさんですか!」
「私、『君は僕のヒーロー』のファンなんですよ。あとでサインください!」
「えっと、それはちょっと困るかな。下僕の水紋先輩を通してもらわないと……」
何やらキラキラした目で僕を見つめる二人。あのギラついた目がちょっとどころかかなり怖い。
ビクビクおびえていると、メガネっ子の黒魔術的女の子から声をかけられた。
「えっと、私はフルフルって言います」
「フルフルって言ったら、『ゴエティア』という作者不明のグリモアールに記載されている、26の軍団を率いる序列34番の地獄の大伯爵でしたっけ」
「君、なかなかやるね。結婚しようか?」
「遠慮させていただきます」
「そ、残念ね」
フルフルさんの表情はとても残念そうには見えない。むしろなんか楽しそうだ。
ニヤニヤと笑いながら一冊の本を取り出した。悪魔BL大百科。フルフルさんが好きなカップリングは生物ですらなかった。
「私も自己紹介したほうがいいかしらね。私はヤンメガって言うのよ。この名のとおり、ヤンキー×メガネが大好きなのさ! 水紋ちゃんはどうかな」
「僕は別に……。そもそもBLに興味ないし」
「え、そうな……あ~わかった。彼氏持ちなんだ。男の娘だもんね。攻め? 受け? 水紋ちゃんはどっちかな? やっぱり受けだよね」
「僕に彼氏なんていません!」
「それは俺が保証するよ」
「え、ふわゆるさんが? それまたどうして」
「水紋先輩は俺の家の居候。家での生活からパンツの柄、みんなには秘密にしている、女装して鏡の前でニヤついていることまで、全部知っているわ」
「なんでそんなことまで知っているの!」
「観察対象にプライバシーなんてない」
「付きまとった挙句にデタラメを書く酷いジャーナリストみたいなこと言わないでよ!」
花梨はなんで嘘ばっかりいうのさ。いや、あながち嘘ではないのかもしれない。僕は取材対象として採用されているわけで、盗撮や盗聴も仕事の内。つまり、僕が夢乃家であんなことやこんなことをしても、みんなにバレている。きゃ、恥ずかしい……。
同じ趣味を持つものどうし、軽く話したら仲良くなった。僕はBLについてなんにもわからないから、全く話についていけない。だからだろうか、次第に空気になっていく。
だけどね、さっきからみんなが話していることって、僕のことなんだよね。水紋ちゃんが受けだとして、どんな人が攻めだと萌えるかとか、そんな話ばっかり。背筋がゾクゾクする。テーブルに置いてある水を手に取って、飲もうとしたとき、通路側に人の影。どうやら三人。ひとりは店員さんだろう。
ということは、残り二人は今回のオフ会参加者。これで全員揃ったかな?
「やぁ、待たせてごめんね。私が黒崎だ。こっちが若葉。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
クラス委員長っぽい雰囲気を出している黒崎さんに、ちょっと気が弱くて、クラスのマスコットになりそうな若葉さん。
この人たち、普通に見ても腐女子には見えない。男のオタクって割と見た目を気にしない人が多い。チェックのシャツに白タオル、おっきいリュックを背負っている。開いたチャックから丸めたポスターがはみ出しているイメージが強い。
それとは違い腐女子って見た目だとわからない人が多いのかな?
見た目に気を遣い、リア充的な雰囲気がするのに、男同士の絡み合いが大好きだったりする不思議。女子って怖い。そんなことを思っていると、黒崎さんが人数を確認して首をかしげる。
「えっと、なんかひとり多い気がするんですけど?」
「あ、私がプラス1です。かり……ふわゆるさんのツレで「変態の」水紋です……って変なこと言わないでよ、花梨!」
いたずらが成功したからか、口元を手で押さえてクスクス笑う。こんちくしょう。
さてさて、オフ会メンバーが揃った。僕が男の娘で腐女子でも腐男子でもないことを説明したあと、BL談義が始まった。もちろん、僕にはついていけない次元の話。だけど、花梨は楽しそうに話していた。
話しているといってもここは喫茶店。そこまで大声を出して話しているわけではない。だからかな。僕は美味しいコーヒーを楽しんでいた。
この椿ブレンド。優雅な香りとほのかな苦味が最高。それに、ついでに頼んだケーキの甘味と絡み合ってかなり美味しい。幸せな空間が広がる。
耳に入ってくる男同士の絡み合いとかなんとかっていうのが入ってこなければ、もっと最高なんだけど。
「さて、たくさん話したし、今度は買い物をしながら楽しみましょうか」
「俺も賛成だよ、黒崎さん。この前行けなかったイベントの同人誌が委託販売されているらしいから、見に行きたかったんだよね」
「ふわゆるさんはどんな同人誌を?」
「若葉さんみたいなブーメラン水着男子の絡みのようにハードじゃないですよ。俺はショタ×ショタ本を……」
「それもかなりハードだと思うよ、ふわゆるさん?」
言葉だけで聞くと喧嘩しているような雰囲気があるけど、互いに笑い合って楽しそうだ。
店も出るようだし、お会計を……。
「水紋先輩、よろしくね」
「……え?」
「「「「ごちそうさまです」」」」
「え~~~~~~」
合計7820円。僕のお財布からなくなりました。僕もアニメイトとか行ったことないから楽しみにしていたんだけど……。とほほ。
次に向かったのはアニメイトだった。
なんかBL関連の漫画を漁って、楽しそうにしている花梨の姿が見れて良かったと思うんだけど、僕は一体どうすればいいんだろうか? BLにそれといって興味があるわけではない。どうせなら興味がある漫画とか漁りたいよね。
あ、これ、とっても面白そう。グルメ漫画。最近だとこういうのがあるんだ。これに載っている料理とか作ったらみんなが喜んでくれるかな?
「あれ、水紋先輩はそれを買うの?」
「うん、グルメ漫画って面白そうだなって思って。それはそうと花梨は何か買うの?」
「うん、これ」
うわぁ、すっごい量。値段的に見たら十万ぐらいするんじゃないかな?
そんだけ買ってどうするんだろう。悶えるのかな?
「水紋先輩、変なこと考えているでしょう。この変態!」
「僕の扱いひどくない!」
「だって、水紋先輩が腐男子になってくれないから……」
「ふ~ん、拗ねているんだ?」
「すすす、拗ねていないよ!」
「ふふ、なんか一緒に買い物していると楽しいね」
「突然何言うんですか。まぁ、お母さんとあまり買い物に行ったことないから。もしお母さんと一緒だったらって思うと……ないな~、アニメイトだし」
「たはぁ、それはそうだ」
◇
こんな感じで僕たちは買い物を続けた。黒崎さんや若葉さんたちと仲良くなり、連絡先も交換したな。機械音痴なのか、メアドを交換したら本名を知ってしまったよ。ヤンメガが大好きだって言ってたのが宮野さんで、フルフルって言っていた人が長原さん。黒崎さんと若葉さんは本名なんだって。
本当なら僕とメアド交換なんてする必要ないと思うんだけど、気に入られてしまったみたい。ヤンキー×水紋本を書きますって宮野さんに宣言されたぐらいだからね。そんな本、一生でないことを祈るよ。
あと、実はみんな家が近いことを知ったかな。帰り道どっちって聞いたらみんな同じ方面だったしね。これなら気軽に会いに行ける。
帰りの電車で、花梨は疲れきったのか、寝てしまった。僕の肩に寄りかかり、少し笑いながら気持ちよさそうに寝てたな。よっぽど楽しかったんだろう。
僕は女装して大変な目にあったけどね。あ、椿屋珈琲店の椿ブレンドはかなり美味しかった。また行こうかな。
ねぇ、お父さん、お母さん。僕に腐女子な友達ができたよ。しかも女装をして池袋を歩いてしまった。汚れてしまってごめんなさい。あの姉なら発狂しながら喜びそうだけどね。
腐男子には絶対にならないですけど、僕はきっとかなりのオタクになると思います。うん、休憩中に読んだグルメ漫画がかなり面白く、チャレンジしたい料理がたくさんあったぐらいです。
それは置いておいて、花梨も楽しんだみたいだし、今日は忙しくも楽しい一日でした、まる。
ちなみに、フルフルの長原さんからは、あとでふたりっきりで会おうねとか言われたけど、あれは一体どういう意味があったんだろう?
「あ、うん、そうだね」
元気な花梨とは裏腹に、僕はゲンナリとしていた。なんでって当たり前だろうに。
最近僕をつけ回すようになった花梨が、この前僕にお願いをしてきた。その内容が余りにもひどい。
花梨は描いている漫画でもわかるように腐女子だ。それも、ただの腐女子ではない。僕も噂ぐらいでしか聞いたことないが、学校での彼女の通り名が『腐の伝統者』らしい。
なんでも、クラスの女子を全員腐女子に導き、彼女を筆頭に怪しげな宗教が生まれたとかなんとか。今ではいくつかの派閥ができて、いつ爆発してもおかしくない状況。
それなのに平和な理由は、花梨がいるからだ。
腐女子には譲れないものがある。それは彼女たちの好きなことに対するこだわりだ。
僕が料理の味や見た目にこだわるのと一緒で、腐女子はキャラクターのカップリングに情熱を注いでいる。
例えば、メガネ×ヤンキーという感じかな。この場合メガネが攻めでヤンキーが受け。それが大好きな人がいれば、逆にヤンキー×メガネが好きな人もいる。
好みは人それぞれ。だけど腐女子はこのこだわりに強い思い入れがあるのか、攻めと受けが逆なだけで大喧嘩になるらしい。
自分の好きなカップリングに共感できる腐女子達の集まりが派閥であり、それが複数あることがいつ爆発してもおかしくない原因なのだ。
自分との好みが合わないと、認めたくないって気持ちは僕にもわかる。
料理で例えるなら、目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかの違いに似ているかもしれない。
僕は断然醤油派だ。それ以外は認めたくないって気持ちがある。だから目玉焼きにソースをかける不届きものを許したくない。
ふん、なんだよ、ソースって。ありえないでしょう。
だからってそれで喧嘩をするのもよくない。だからお互いのことを認め合い、自分の好みと共感できる仲間で集まろう。例え許せないカップリングであろうとも、広い心で受け止めて、見逃してあげればいい。
そうすれば、自分たちの仲間内で楽しめる。そう広めまわっている花梨がいるからこそ、学校で派閥戦争が起きないのだ。
つまり、互いに干渉しないようにするある種のルールが出来上がっており、それを作ったのがほかならぬ花梨である。
こいつすげーよ。好きなものに対する情熱がやばいぐらい。
ちなみに、花梨が好きなカップリングは強気なショタ×弱気なショタらしい。
クラスの中心人物であり友達がたくさんいるショタが、いじめにあってしまいそうな弱気なショタを気にかけて仲良くなり、無垢な少年同士が性に目覚めて危ない関係になっていくのが大好きらしい。
おっと、かなり話がそれた。
何故、腐女子な花梨と僕が池袋にいるかと言うと、ある店で待ち合わせをした腐女子仲間とオフ会をするってことになっているからだ。だけど今日が初対面。いままで何度か誘われていたらしいけど、一人で行くには心細いらしく、ずっと断っていたんだとか。
ほら、ネットで知り合った人ばっかりだから、どんな人なのかもわからないし、不安だって感じると思う。
顔も知らない相手に会いにいくのにはかなりの勇気がいるってところだろう。
一度は行ってみたかったオフ会、だけど一緒に来てくれる人がいない。
学校の友達とか連れて行けばいいんじゃないかと思ったけど、女の子だけだからこそ、相手が悪い男だったら太刀打ちできないという恐怖があるんだとか。
そんで、僕が一緒に行くことになった。男の僕がガチガチの女装をして腐女子の集まりに。
本当に危ない道に引き込まれそうで、ちょっと怖かったりする。だってあれだよ。腐女子だよ。男と男のあれやこれやが好きな人たちの集まりだよ。僕が男だってバレたら、何をされるかわからない。
「水紋先輩、どうしたんですか、そんなに震えて」
「いや、これから腐女子に恐怖を抱いているだけだから」
「ちょっと、腐女子に偏見持ちすぎですよ。腐女子は淑女なんですから。秋葉オタクが紳士なように!」
「本当にそうなんだろうか?」
「疑り深い。それに、最近は腐男子なんかも増えつつあるんです。水紋先輩には是非ともそれになっていただきたい」
「嫌だよ!」
「大丈夫、俺が優しく教えてあげますから」
「帰りたくなってきた……」
「ちょ、お願いです。俺の夢だったんですよ。このオフ会に参加するの。付いてきてください!」
「はぁ、しょうがないわね。それで、待ち合わせってどこなの?」
「椿屋珈琲店で予約をとっているらしいの」
「へぇ~椿屋珈琲店か……」
それってかなりお高めの喫茶店じゃなかったっけ。ユメダ珈琲店みたいにコンビニのがあるわけじゃなかったはずだけど、厳選された椿ブレンドのコーヒーがかなり美味しいって噂があるレベル。
食べログとかでも高評価でシフォンケーキがこれまたコーヒーにあう。一杯900円ぐらいの高級喫茶店って感じだったような。
僕も喫茶店リーベルで働いている身だ。これは勉強になりそう。
あ、そういえばこの近くにユメダ珈琲店もあったっけ。コンビニのやつと飲み比べしてみたいな。絶対お店の方が美味しいに決まっているけど、その味がどれだけ再現されているのかはちょっと気になる。
うーん、このまま危ない道に引きずり込まれるのもあれだし、こっそり抜け出してそっちを見に行くか?
「水紋先輩。一体何を考えているんですか。怪しい……」
「えっと、今から逃げようかと……」
「ダメ! 絶対に逃がさない!」
花梨が僕の腕に楽しそうにしがみついた。まるで場所をわきまえないカップルがするような腕組だ。僕の姿だと、仲のいい女の子どうしでじゃれあっているように見えるのだろうか。それはそれとして……。
「か、かたい……」
「へへ、ちょっと死んでみますか?」
このあと花梨に殴られた。頬が痛いよ……。
◇
椿屋珈琲店は池袋駅東口から左に進み、横断歩道を渡った先、ヤマダ電機のお隣にあるビル。その地下に進んだ場所にある。外に大きな看板があるからいいけど、それがないとわかりにくい場所にあるよね。池袋自体がごちゃごちゃしてわかりにくいってところもあるけど。何回迷子になったことか。
僕たちは階段を降りて、店の中に入る。喫茶店特有のいい香りが漂ってきてとても心地が良い。
店内の奥を覗いてみると、コーヒーをカップに入れている店員さんの姿が目に入る。フリフリの白いエプロン。ちょっと黒に近い緑色の制服が、まるでメイドさんのようだ。
あれ、どことなくリーベルの制服に似ているような?
「あの~花梨?」
「水紋先輩が言いたいことはわかるよ。椿屋さんの制服と家の制服が似てるってとこだよね」
「うん、なんで?」
「そんなの、お父さんが真似をしたからに決まっているじゃない。なんたって、椿屋珈琲店に入って珈琲にハマったぐらいだし」
「へぇ~そうなんだ」
「それよりも、店員さんがきたみたいよ」
僕たちが無駄話をしていると、店員さんのひとりがやってきた。男の人で、ザ・バリスタって雰囲気がある。この人が店長なんだろうか?
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
「えっと、黒崎で予約が入っていると思うんですが」
花梨が店長らしき方に予約のことを言った。すると、「少々お待ちください」といって、奥に戻ってしまった。多分予約と席の確認をしているのだろう。
それにしても、黒崎ってなんか本名っぽいよね。普通こういう時ってネット上の名前とか使うんじゃないのかな。
あ、でも百合さんみたいにペンネームが普通の名前っぽい人もいるよね。百合さんはたしか、柚木亜梨沙だったし。うん、黒崎っていう人も偽名なんだよ、きっと。
僕と花梨はもとっできた店長らしき人の後をついて行って、案内された席に座る。
席にはすでに二人も座っていた。
一人はメガネをかけていて、前髪で目元が隠れている、全体的な雰囲気が暗い女の子。ふふふと怪しげに笑っているので実に不気味だ。典型的なオタクって感じがする。それも中二病よりで黒魔術とかやっていそう。それにクトゥルフ神話とかも好きそうだね。家には骸骨の模型とかあって、夜には魔法陣の中心にそれを置き、怪しげな呪文を唱えて悪魔召喚とかやっているんだろうか。僕の考えすぎだといいな。
もうひとりは、セミロングぐらいの黒髪で、雰囲気の明るそうな、リア充っぽい女の子だった。花梨とは違うタイプかな。花梨は運動が得意で、ボーイッシュなところがあって、女の子らしさとはちょっと離れている。だけど見た目的には腐女子に見えないんだよね。どちらかというと、部活に熱を注いでいる体育系な感じかな。セミロングの女の子はその逆で友達が多くいてクラスの中心、おしゃれとかに興味があって、アニメとかは全くの無知。彼氏もいそうなところから、まさにリア充って感じが漂ってくる。
「えっと、初めまして。冬雪水紋です。よろしくお願いします」
とりあえず、挨拶からだよね。女装だとバレたくないから、ちょっと女の子っぽい仕草をしてアピールしておく。初めて会うんだから第一印象が肝心。でもなんだろう、合コンというかお見合いというか、そんな雰囲気がある。いや、僕はそんなことやったことないよ?
「「ビッチ?」」
「え、なんで!」
突然のビッチ扱い。理不尽極まりない。僕が混乱していると花梨が服を引っ張って、耳元で囁いてきた。
「何やっているんですか、ビッチ先輩。そんなリア充っぽい自己紹介はなんですか。最低……」
「ぼ、僕が最低……。それにビッチ先輩って……」
ふふ、涙が出ちゃう。だって男の娘だもん。
「俺が手本を見せてあげるんで、ちゃんと見てください」
花梨が怪しげにヒソヒソ話している二人に向き合い、自己紹介を始めた。
「俺のツレがすいません。俺がふわゆるです。水紋先輩は僕の下僕っす。総受けな男の娘。ゲスで男にヤられたい変態……」
「ちょ、僕はそんなんじゃないからね。適当なこと言わないでよ!」
ついツッコミを入れてしまった。喫茶店で大声なんて出さないよ。一応周りに気を使ったつもりなんだけど。うん、大丈夫そう。それより、花梨が僕のことをひどく言う件について!
「うわぁ、ふあゆるさんですか!」
「私、『君は僕のヒーロー』のファンなんですよ。あとでサインください!」
「えっと、それはちょっと困るかな。下僕の水紋先輩を通してもらわないと……」
何やらキラキラした目で僕を見つめる二人。あのギラついた目がちょっとどころかかなり怖い。
ビクビクおびえていると、メガネっ子の黒魔術的女の子から声をかけられた。
「えっと、私はフルフルって言います」
「フルフルって言ったら、『ゴエティア』という作者不明のグリモアールに記載されている、26の軍団を率いる序列34番の地獄の大伯爵でしたっけ」
「君、なかなかやるね。結婚しようか?」
「遠慮させていただきます」
「そ、残念ね」
フルフルさんの表情はとても残念そうには見えない。むしろなんか楽しそうだ。
ニヤニヤと笑いながら一冊の本を取り出した。悪魔BL大百科。フルフルさんが好きなカップリングは生物ですらなかった。
「私も自己紹介したほうがいいかしらね。私はヤンメガって言うのよ。この名のとおり、ヤンキー×メガネが大好きなのさ! 水紋ちゃんはどうかな」
「僕は別に……。そもそもBLに興味ないし」
「え、そうな……あ~わかった。彼氏持ちなんだ。男の娘だもんね。攻め? 受け? 水紋ちゃんはどっちかな? やっぱり受けだよね」
「僕に彼氏なんていません!」
「それは俺が保証するよ」
「え、ふわゆるさんが? それまたどうして」
「水紋先輩は俺の家の居候。家での生活からパンツの柄、みんなには秘密にしている、女装して鏡の前でニヤついていることまで、全部知っているわ」
「なんでそんなことまで知っているの!」
「観察対象にプライバシーなんてない」
「付きまとった挙句にデタラメを書く酷いジャーナリストみたいなこと言わないでよ!」
花梨はなんで嘘ばっかりいうのさ。いや、あながち嘘ではないのかもしれない。僕は取材対象として採用されているわけで、盗撮や盗聴も仕事の内。つまり、僕が夢乃家であんなことやこんなことをしても、みんなにバレている。きゃ、恥ずかしい……。
同じ趣味を持つものどうし、軽く話したら仲良くなった。僕はBLについてなんにもわからないから、全く話についていけない。だからだろうか、次第に空気になっていく。
だけどね、さっきからみんなが話していることって、僕のことなんだよね。水紋ちゃんが受けだとして、どんな人が攻めだと萌えるかとか、そんな話ばっかり。背筋がゾクゾクする。テーブルに置いてある水を手に取って、飲もうとしたとき、通路側に人の影。どうやら三人。ひとりは店員さんだろう。
ということは、残り二人は今回のオフ会参加者。これで全員揃ったかな?
「やぁ、待たせてごめんね。私が黒崎だ。こっちが若葉。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
クラス委員長っぽい雰囲気を出している黒崎さんに、ちょっと気が弱くて、クラスのマスコットになりそうな若葉さん。
この人たち、普通に見ても腐女子には見えない。男のオタクって割と見た目を気にしない人が多い。チェックのシャツに白タオル、おっきいリュックを背負っている。開いたチャックから丸めたポスターがはみ出しているイメージが強い。
それとは違い腐女子って見た目だとわからない人が多いのかな?
見た目に気を遣い、リア充的な雰囲気がするのに、男同士の絡み合いが大好きだったりする不思議。女子って怖い。そんなことを思っていると、黒崎さんが人数を確認して首をかしげる。
「えっと、なんかひとり多い気がするんですけど?」
「あ、私がプラス1です。かり……ふわゆるさんのツレで「変態の」水紋です……って変なこと言わないでよ、花梨!」
いたずらが成功したからか、口元を手で押さえてクスクス笑う。こんちくしょう。
さてさて、オフ会メンバーが揃った。僕が男の娘で腐女子でも腐男子でもないことを説明したあと、BL談義が始まった。もちろん、僕にはついていけない次元の話。だけど、花梨は楽しそうに話していた。
話しているといってもここは喫茶店。そこまで大声を出して話しているわけではない。だからかな。僕は美味しいコーヒーを楽しんでいた。
この椿ブレンド。優雅な香りとほのかな苦味が最高。それに、ついでに頼んだケーキの甘味と絡み合ってかなり美味しい。幸せな空間が広がる。
耳に入ってくる男同士の絡み合いとかなんとかっていうのが入ってこなければ、もっと最高なんだけど。
「さて、たくさん話したし、今度は買い物をしながら楽しみましょうか」
「俺も賛成だよ、黒崎さん。この前行けなかったイベントの同人誌が委託販売されているらしいから、見に行きたかったんだよね」
「ふわゆるさんはどんな同人誌を?」
「若葉さんみたいなブーメラン水着男子の絡みのようにハードじゃないですよ。俺はショタ×ショタ本を……」
「それもかなりハードだと思うよ、ふわゆるさん?」
言葉だけで聞くと喧嘩しているような雰囲気があるけど、互いに笑い合って楽しそうだ。
店も出るようだし、お会計を……。
「水紋先輩、よろしくね」
「……え?」
「「「「ごちそうさまです」」」」
「え~~~~~~」
合計7820円。僕のお財布からなくなりました。僕もアニメイトとか行ったことないから楽しみにしていたんだけど……。とほほ。
次に向かったのはアニメイトだった。
なんかBL関連の漫画を漁って、楽しそうにしている花梨の姿が見れて良かったと思うんだけど、僕は一体どうすればいいんだろうか? BLにそれといって興味があるわけではない。どうせなら興味がある漫画とか漁りたいよね。
あ、これ、とっても面白そう。グルメ漫画。最近だとこういうのがあるんだ。これに載っている料理とか作ったらみんなが喜んでくれるかな?
「あれ、水紋先輩はそれを買うの?」
「うん、グルメ漫画って面白そうだなって思って。それはそうと花梨は何か買うの?」
「うん、これ」
うわぁ、すっごい量。値段的に見たら十万ぐらいするんじゃないかな?
そんだけ買ってどうするんだろう。悶えるのかな?
「水紋先輩、変なこと考えているでしょう。この変態!」
「僕の扱いひどくない!」
「だって、水紋先輩が腐男子になってくれないから……」
「ふ~ん、拗ねているんだ?」
「すすす、拗ねていないよ!」
「ふふ、なんか一緒に買い物していると楽しいね」
「突然何言うんですか。まぁ、お母さんとあまり買い物に行ったことないから。もしお母さんと一緒だったらって思うと……ないな~、アニメイトだし」
「たはぁ、それはそうだ」
◇
こんな感じで僕たちは買い物を続けた。黒崎さんや若葉さんたちと仲良くなり、連絡先も交換したな。機械音痴なのか、メアドを交換したら本名を知ってしまったよ。ヤンメガが大好きだって言ってたのが宮野さんで、フルフルって言っていた人が長原さん。黒崎さんと若葉さんは本名なんだって。
本当なら僕とメアド交換なんてする必要ないと思うんだけど、気に入られてしまったみたい。ヤンキー×水紋本を書きますって宮野さんに宣言されたぐらいだからね。そんな本、一生でないことを祈るよ。
あと、実はみんな家が近いことを知ったかな。帰り道どっちって聞いたらみんな同じ方面だったしね。これなら気軽に会いに行ける。
帰りの電車で、花梨は疲れきったのか、寝てしまった。僕の肩に寄りかかり、少し笑いながら気持ちよさそうに寝てたな。よっぽど楽しかったんだろう。
僕は女装して大変な目にあったけどね。あ、椿屋珈琲店の椿ブレンドはかなり美味しかった。また行こうかな。
ねぇ、お父さん、お母さん。僕に腐女子な友達ができたよ。しかも女装をして池袋を歩いてしまった。汚れてしまってごめんなさい。あの姉なら発狂しながら喜びそうだけどね。
腐男子には絶対にならないですけど、僕はきっとかなりのオタクになると思います。うん、休憩中に読んだグルメ漫画がかなり面白く、チャレンジしたい料理がたくさんあったぐらいです。
それは置いておいて、花梨も楽しんだみたいだし、今日は忙しくも楽しい一日でした、まる。
ちなみに、フルフルの長原さんからは、あとでふたりっきりで会おうねとか言われたけど、あれは一体どういう意味があったんだろう?
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