喫茶店リーベルの五人姉妹+1

日向 葵

第三話『ローションでぬるぬる』

「お、水紋ちゃん。今帰りか?」

「八百屋のおじさん。こんにちは。そうですよ、家に帰る途中なんです」

「今日もいいのが入っているぞ。どうだ、買ってくか?」

「う~ん、いま手持ちがあまりないので、一度帰ります。また戻ってきますので」

「あいよ、お得意様である水紋ちゃんの為、いいのはちゃんと確保しとくから」

「ありがとうございます!」

 僕は学校からまっすぐリーベルに向かう。まだみんなが忙しいから喫茶店は再開していないけど、主夫としての生活には慣れてきた。料理を作ったらみんなが笑顔になる。とってもやりがいがあるさ。
 一人暮らしを始めたときに、できるだけ美味しいものを食べたいという想いで、いろんなお店を探し回ったことがある。
 そのうちの一つがさっきの八百屋さん。おじさんはとっても優しく。時々サービスしてくれる。奥さんも綺麗で仲のいい夫婦だ。
 僕も将来的にあんな感じの夫婦になれたらいいなと思うほど。
 まぁ、相手がいないからな~。まだまだ先の話だよ。
 そんなことを考えていると、リーベルにたどり着いた。あのアパートよりも学校が近くなったから、ちょっと楽。

「さ~て、今日も美味しい料理を作りましょうっ! ただいま帰りました~」

 扉を開けて中に入る。
 すると奥から「おかえり~」という言葉が帰ってきた。この声は真麻ちゃんかな?

 帰ってきたんだから顔を見せに行ったほうがいいんだろうけど、早く買い物にも行きたい。だから先に自分の部屋に向かった。

 よく制服のまま遊びに行ったりする人がいるけど、意味不明。シワになったり汚れたり、洗うほうが大変なのによく汚せるなと思う。どうせ親にやってもらってんだろうな。
 そんなわけで、さっさと着替える。
 あとは買い物リストを台所に取りに行くだけ。冷蔵庫に貼ってあるけど、一応他に買ったほうがいいものがないか確認しておこう。勝手に消費されてなくなっていることだってあるからね。

 僕は自分の部屋を出てリビングに向かう。扉を開けたその先に見えたものは、割ととんでもない光景だった。

「へい、いらっしゃいっ!」

 僕を見るや大きな声で返事をする真麻ちゃん。
 彼女の目の前には桶のようなもの。その中に透明でヌメっとした液体が入っており、それを素手でかき混ぜていた。
 それはもう、リズミカルに、トットットと混ぜて混ぜて、ドロッとさせて……。

「真麻ちゃん……それ何?」

「ローション」

「……えっ」

「真麻のローションだよ! 水紋お姉さまのために精一杯混ぜてたの。トロットロのねっちょねちょだよ! ガバッと行こう!」

「絶対に嫌よ! どうしてそんなことを!」

「え~~~~、なんとなく?」

「そもそも、ローションをどっから……」

「三丁目の八百屋のおっちゃんからもらった」

「あの優しそうなおじさんから?」

「うん、口では言い表せないすごい表情でくれた」

「……犯罪の匂いがする。どんな様子だったか教えてくれない」

「う~ん、無理。イラストだったら説明できるよ。ちょっと時間かかる」

 そっか。直ぐにわかったら八百屋のおじさんをとっちめてやろうかと思ったのに。時間が掛かるなら仕方がない。それに、真麻ちゃんが大げさに言っているだけで、実際はそうでもないかもしれないし。ローションを渡している時点でちょっとおかしいけど。

「時間かかりそうなら先に買い物行ってくるね」

「は~い。真麻は紙芝居を作ってローション混ぜながら待ってるね。はい、水紋お姉さま、これ」

「……赤まむし」

「ぐいっと行こう。今日も美味しいご飯、おねしゃす」

「ったく、しょうがないな~」

 なんだかんだで頼られるのも悪い気はしない。むしろもっと頼ってほしい。女みたいな僕はいつも助けられてばっかりで、ちょっと心苦しいところがあった。
 まぁ、やっているのは主夫業だけどな!
 美味しいご飯をお願いと言われてしまったし、張り切ってやりますか!



「ただいま~」

 今日もいい買い物が出来た。新鮮な野菜。玉ねぎとじゃがいも、人参、ブロッコリーと、おすすめされたものを一通り買ってきた。
 ついでに近場の肉屋さんとスーパーによって行ったからちょっと時間かかっちゃったよ。

 もちろん買ってきたのは豚肉とカレールー。いい野菜が全部カレーの材料だったからね。
 今日はカレーライス。明日はカレーうどんにすればちょっと楽できる。
 あ、カレーとマヨネーズを混ぜてサラダにかけるのもいいかも。あれも美味しいんだよね、カレーマヨネーズ。売ってるところを見たことないから自分で作るしかないんだけど、誰か商品化してくれないかな?

「あ、水紋お姉さま。おかえり~。今手を洗ってくるね。ローションでネットネトだよ~」

「……わかった。その後、ちゃんと教えてね」

「うんっ!」

 元気よく返事するところは年相応に見えるけど、やっていることがな~。
 ローションって卑猥なイメージが強くて真麻ちゃんに触らせたくない。
 てか、本当に八百屋のおじさんが渡したの。ロリコン? 犯罪? 警察に連絡しておいたほうがいいかな?

 そんなことを考えながら台所で手を洗い、買ってきたものを冷蔵庫にしまう。
 常温で放置すると直ぐに傷むからね。肉とか腐ったら臭いが……。
 今日使う材料がほとんどだけど、だからといって放置はいけない。
 ついでに冷凍庫にうどんが入っているか確認する。
 うん、なかった。買い忘れちゃったよ。明日買えばいいかな。
 あ、小麦粉はあったりするのかな。
 台所の床下を開ける。なんかたくさん置いてあった。

 一つ、二つ、三つ……全部で十七個。何に使うんだろう。しかもその内十六個の小麦粉に『真麻のなの!』と大きく書かれていた。
 真麻ちゃんの将来が不安になる。
 イラストレーターをやっているのは聞いているけど……。

「手を洗ってきたよ~」

「おかえり。ねぇ真麻ちゃん」

「な~に?」

「この小麦粉、どうするの?」

「あ~それ。菜乃華お姉さまの息抜きネット小説に小麦粉パニックがあったんだの~」

「こ、小麦粉パニック?」

「うん、小麦粉パニック。タイトルじゃないよ。イベントだよ」

「よくわからないんだけど……」

「心の清らかな水紋お姉さまにはわからなくていいことなんです。それで、それ用のイラストを書くために自分でやろうとして……百合お姉さまに怒られた」

「あ、そうなんだ。この小麦粉は使うの?」

「もう使わないから、水紋お姉様が使うならどうぞ、どうぞ」

「じゃあ、ありがたく使わせてもらうね」

 小麦粉がたくさんあるなら冷凍うどんはなしかな。あとでうどんつくろ。この前テレビでやっていた『名店の職人が教える! 美味しいうどんのつくり方特集』をチャレンジしてみたかったんだよね。

「それよりも早く、真麻の紙芝居を見るの! 紙じゃないけど」

「え、紙じゃないの? 紙芝居なのに?」

「真麻、デジ絵で作ったから。リビングにあるテレビにパソコン繋げた。それで見るの。ナレーションは……真麻!」

「わ~楽しみ!」

「ほんとに?」

 ちょ、怖!
 なんかじっとりとした感じに睨みつけられた。この子、心に闇を抱えてそう。そう、ヤンデレとかメンヘラとか……。リアルじゃなくてゲームとかで出てくる感じのアレ。
 ちょっとビックリしたけど、真麻ちゃんは直ぐにニコリとした。僕はその後ろをついて行ってリビングのソファーに座る。
 真麻ちゃんがテレビをつけると、とっても不自然な絵が表示された。

「真麻のローション入手物語、始まり始まり~」

「あの~」

「な~に? 水紋お姉様」

「早速ツッコミたいんだけど、この絵は何?」

「ん? 通学路だけど?」

 そっか、通学路か。道ってこうなってるのか。変だな~。ほかの家は遠近法だっけ。パースを考えられて描かれてる。だけど道だけおかしいんだよね。まっすぐ下に描かれた線に黒に近い灰色を塗って、白く通学路の文字。見た感じ角度が九十度の危ない危ない。同感がても崖かな。
 道を上から見ているならわかるけど、これ、正面から見た感じ?? なんだよね。
 そして道のてっぺんに、一人の女の子が立っている。服装から真麻ちゃんだとわかった。

「質問タイム終わり! はっじま~るよ~」

「わ、わ~」パチパチ

「世界は無慈悲に残酷で、暗く汚い世界だ……」

 お、おう。いきなりすごい展開だ。

「『ああ、こっから飛び降りたら……楽になれるのかな?』」

「いきなり重いよ!」

 この子やばい。どんな闇を抱えたら一発目でこんな展開のお話になるの。そもそも、ローションをどんな感じに八百屋のおじさんからもらったの? って話だったよね!

「少女、真麻はまっすぐ下に向かう道を、ハイライトのない病んだ目で見下ろした」

 真麻ちゃんの顔がアップで映し出される。もちろんイラストなんだけど、目に光が宿ってない。怖!

「この道を進まなければ、喫茶店リーベルにはたどり着けない。毎日この崖……ゴホン、道を上り下りしている真麻にとって、明日を考えると憂鬱でしかなかった……」

「……そうでしょうね」

 あんなほとんど手を掴めそうにない崖みたいな道。毎日なんて無理でしょうに。てか登るほうが無理あると思うんだけど。

「『このまま……楽になりたいな。でも、最近新しい家族が増えた。水紋お姉様の手料理は暖かくて美味しい……。こんな理不尽な世界でも、希望はあるんだね。今日はカレーだといいな~』。真麻は小さな希望を胸に、今日も飛び降りる」

 ……これは喜ぶべきか、ツッコミを入れるべきか。
 たしかに今日はカレーだよ。それにあったかくて美味しいなんて、照れちゃう。
 だけどそれを生きる希望にするのはどうなのよ。あと飛び降り。絵を見た感じだとランドセルしか背負っていない。パラシュートは? このままだと死んじゃうよ!

 あ、イラストが、ふぐぅ。ひ、ひどい絵だよこれ。真麻ちゃんがランドセルを背負いながスカイダイビングをしている人みたいなポーズを取っている。

「今日も嫌な風が当たる。落ちるときにスカートがめくれるから女の子としては恥ずかしい。めくれるスカートにカメラを向ける汚い大人たち。夢も心も、自由も、希望もない濁った瞳をしているのに、この時だけはいつも輝いているように見える。このロリコンどもが。真麻のパンツは安くないぞ」

「せ、世界に希望がない……。そして大人たちは犯罪者しかいない!」

 真麻ちゃん、世界はそんなに汚くないよ。もっと健全で希望に溢れているのに……。

「真麻はランドセルに付けられた紐を引っ張った。すると……」

 ぶふぅう。これは……笑っちゃうよ。
 紐を引っ張ったからだろうか。ランドセルからパラシュートが開く。
 当然、ランドセルに入っているものはそれだけではない。教科書、筆記用具、学業に必要なモノがしまってある。
 それらが全て空を舞った。そんなイラストだ。
 あれ、この学校は教科書を捨てることを推奨しているのかな。かなり間違っているぞ、学校教育!

「教科書たちが流星のように降り注ぐ。カメラを向けていた犯罪者たちは蜘蛛の子を散らすよう逃げていく。だが、真麻の道具はそう甘くない。筆箱が開き、鉛筆が飛び散る。逃げられない犯罪者たちを楽しそうに見つめる。『ははは、人がゴミのようだ!』」

「黒! 真麻ちゃん黒すぎ!」

 なんかファンタジーと科学が混じった展開。鉛筆がミサイルの如く飛んでいき、犯罪者を貫く感じのイラスト。それを笑顔で見守る少女って……ヤバ過ぎでしょうに。

「だが、今日は少しだけおかしい。一人だけ素早い動きで全てを避けるやつがいた。頭の毛は抜けている。その事実を隠し続けるあいつ。オーガと結婚し、辛く苦しい地の底にたどり着いて、その才能を開花させたあの男」

 ごくり。なんか面白くなってきた気がする。

「三丁目の八百屋のおっちゃんだ」

 ぐふぉお。こ、ここでこのイラストか。
 ふさふさした髪。どっかに芸能人に似せているのだろうか。髪型だけはカッコいい。だけど顔と格好、髪以外の全てがひどい。
 はぁはぁと息を切らしながら、ねっちょりとした笑みを浮かべるおじさんの顔。服装は上しかわからないけど、ただのシャツ。
 完全に変態で危ないおじさんなのに、どことなく三丁目の八百屋のおじさんに似ている。
 腹筋が……痛い。笑いが……止まらない!

「あははははははは」

「水紋お姉様! これからがいいところなんだから!」

「くふ、ふふふふ。だってこのイラスト、とっても面白いんだもの」

「そ、そう? 真麻のイラスト、面白い?」

「うん、面白いよ。すごいね、真麻ちゃん」

「へへ、真麻はすっごいんだから! じゃあ続き、いっくよ~」

 ちょっとワクワクし始めた僕がいる。小学生がこんなお話を考えているんだ。僕なら絶対に思いつかないような楽しいお話を。
 これって才能なのかな? 僕にはそういうのないから、羨ましいな……。

「真麻はポケットに入れていたチョークを、おっちゃんに投げた。迫るチョーク。ちゃんと鋭く研いでいる。当たればひとたまりもないだろう。そのはずなのに、おっちゃんに当たることはなく、チョークはヌルリと軌道が変わった」

 おじさんにチョークが当たったようなイラストがあったけど、その後、ぬめりか何かで軌道がそれたようなイラストになった。おじさんは一体何を隠しているって言うんだろう。

「『な、なに』
 真麻が驚愕の表情に染まる。今までチョークで貫けないものはなかった。真麻は、ここで死ぬのだろうか。不安が広がる中、地面に降り立つ。すると大きな影が真麻を覆う。上を見ると……八百屋のおっちゃんがいた」

 ワクワク! おっちゃんと真麻ちゃんの激しいバトルとかかな?

「『おっちゃん、一体何をしたの』
 つい、真麻の不安が口から漏れた。それを聞いたおっちゃんはにちゃりと笑う。
『ぐぶぶぶぶ、とってもいいものが入ったんだよ、はぁ、はぁ。もうたまらん!』
『っち、この愚物が』
『真麻ちゃんはわかってないな~。今日はとってもいいものが入ったんだって。これ……わかる~』
『そ、それは!』
 おっちゃんの手にあったもの、それはローション」

 そ、そこで八百屋のおっちゃんとローションがつながるか~。もしかして、チョークがそれたのもローションを塗っていたから。まさかな。

「『まさか、体にローションを塗って、チョークをそらすなんて』」

 やっぱりこの展開ーー

「『いや、あれは汗だ』」

 ぐほぉ。予想外の展開。吹きそうになる。

「『もしかして、それは……』
 この世界に希望なんてあるはずがない。良い子にあって大人にないもの。夢、心、自由、そして希望。イラストレーターとして大人の世界に片足を突っ込んでいる真麻に、希望なんてあるはずがないのに……目の前に髪が吹き荒れる」

 うわぁ……イラストが切り替わったら八百屋のおじさん……ハゲになってる。髪が本当に吹き荒れてるよ。髪っていうよりカツラだけどさ、空に飛んでいったの。

「『ひ、ひひ。お前はこれが欲しいんだろ』
 たしかに、真麻にはある計画があった。次の仕事。そのイラストに、ヌメヌメしたちょいエロイラストを描かなければいけなかったのだ。そして、そのモデルとなる人は……。
『っち、要件を早く言え。言えないなら奪い取るまでだが』
『そう慌てるな。要件は……これだ』」

 次のイラストは僕の写真のようだった。
 このタイミングで何故? というかなんで僕の写真を八百屋のおじさんが持っているの?
 イラストを見た感じだと……どう見たってトイレなんだけど。と、盗撮されていたとか。でも、このトイレは……。

「『ふ、まだそれを持っていたのか。我が女神、水紋お姉さまの盗撮写真』
『ああ、持っているともさ。愛しの偶像アイドル、水紋様のなんだからな。毎日これで……』
『おっと、それ以上はやめてもらおうか。真麻だって一応女だ。それにここは外だぜ』
『ふん、忠告感謝する』」

「と、とっても気になる。八百屋のおじさん。僕の写真で何をしているのさ!」

「『お前もなかなかーー』」

「ちょ、進めないでよ。教えてよ!」

 真麻ちゃんは僕の言葉を無視する。大人の事情ってやつなんだろうか。真麻ちゃんはまだ小学生だけど。
 うわぁぁぁっぁ、気になるよ。

「真麻は警戒心を説いた。このおっちゃんが同士だということを思い出したからだ。同じ偶像アイドルを崇めるもの。手を取り合って行くべきだ。
 真麻の心境に気がついたのか、おっちゃんが汚い笑みをしながら手を差し伸べた。ぬっちょぬちょだった。
 真麻はハエたたきでおっちゃんの手を叩く」

「ど、どっから出たの、ハエたたき!」

 これはついツッコミしてしまうよ。ハエたたき、まさか魔法的な?

「『ほう、空間魔法を使えるのか』
 おっちゃんはそういうが、真麻は返事をしない。女の子は秘密がいっぱいあるものなのだ。それに……この世界に魔法なんていうものは存在しない。中二病乙」

 きゅ、急に現実に戻してくるなぁ~。
 聞いているだけだとおじさんが妄想癖のある危ない人に見えてくるから恐ろしい。

「『ほら、これをやる』
 そう言って、おっちゃんは真麻にローションを投げ渡す。
『いいのか、おっちゃん』
 おっちゃんは照れくさそうにそっぽ向きながらこう言った。
『また、例のものをくれるってんならな。それを使ったやつで頼む。そのために手に入れたんだから』
『ふ、同士よ。任せておけ』
 夕日があたりを綺麗に染める。そんな中で二人は笑いあった。同じものを崇める仲間として。だけど、それも長くは続かない。
『あ~な~た~』
『ひぃ、かあさん!』
『今までどこをほっつき歩いてたんだい。店番一つもできやしないのか。だらしないね。今日は容赦しないよ』
『ひぃぃぃい。おた、お助け~~~~』
『だまりな!』
『ブヒィ』
 元プロレスラーの奥さんの技が決まる。ぐったりとして動けなくなったおっちゃんを引きずりながら去ろうとした。
 でも、おっちゃんにはまだ意識があったんだ。真麻にはそれがわかった。だから目を離さず、最後まで見ていた。
 すると、ゆっくりとだが、おっちゃんの手が動く。手信号による合図だ。
『み・な・も・さ・ま・の・げ・き・え・ろ・しゃ・し・ん・を・た・の・ん・だ・ぞ』
 ふ、同士よ。この真麻に全て任せておけ。この借りは、ちゃんと返すさ。
 これがおっちゃんとの最後の出会いとなるなんて、真麻はまだ知らなかった。
 夕暮れに染まる道を、ローション片手に真麻は歩く。世界で唯一希望があるあの喫茶店に。水紋お姉様がいるリーベルに……完」

 最後、寒気がした。完全にフィクションだと思うけど……本当におじさんがそんなことを考えていると思うと震えが……。フィクション……なんだよね?

「8割ノンフィクションの紙芝居、無事完結しました!」

「8割!」

「うん、真麻ね。三丁目の八百屋のおっちゃんに水紋お姉さまの可愛らしい写真をもらえないかって聞かれたの。八百屋だけじゃないんだけど……今日は八百屋さんだった」

「ほ、他にもいるの!」

「水紋お姉様はここらへんでとっても有名だよ? 地元のアイドルって言われているんだから。知らなかった?」

「知らなかった……」

「ストーカーは?」

「…………たまに出る」

「そういうことなんだよ~」

 今まで信じていた人たちに裏切られた気分になった。心の中にポッカリと穴があいたような、そんな気分。

「ど、どうしたの、水紋お姉様」

「あ、あれ?」

 目頭が熱くなり、頬に何かが伝う。僕は泣いているのだろうか。
 いつもお世話になっている八百屋のおじさん。まさかあんなに変態だったなんて。そしてほかの人も同じようなことを考えているって思うと……。

「はい!」

 どばぁーっと頭からかけられる。うん、あのローションだ。

「水紋お姉様、ポーズ頂戴!」

「ちょ、真麻ちゃん、やめなーーーーぐへぇ」

 ローションでヌメってしまったので上手くたちあがれたない。転んで頭をぶつけてしまう。生まれたての小鹿な気分を味わった。
 そんな姿をパシャパシャと撮られる。恥ずかしい……。

「水紋お姉様、元気出して! みんな変なことを考えているわけじゃないの。テレビのアイドルを追っかけるオタクさんたちと一緒だよ。大丈夫、真麻が物販するから!」

「やめて、やめてよ……」

 この子もう嫌。

「ちょっと、すっごい声がしたんだけど……って、なんじゃこりゃぁぁぁぁっぁ」

 ちょうど帰ってきた菜乃華に情けない姿を見られてしまった。

「真麻! あんたなにしているの! またこんなことして!」

「あ~真麻のカメラ!」

「没収! どうせあれでしょ。イラストに詰まったから水紋で遊んだんでしょう。でもやっていいことと悪いことがあるの、わかる?」

「うわぁぁぁん、ごめんなさ~い」

「ごめんね、水紋。真麻って時々こういうことがあるから」

「ぐす……こういうことって?」

「高校生が小学生に泣かされるなよ。はぁ、真麻はインスピレーションがわかないときは誰かにいたずらをするんだよ。相手の困った反応を見るといいイラストがかけるんだって。好きな人を困らせると特に……」

「じゃあ、さっきの話は全部嘘なのかな」

「さっきの話?」

「三丁目の八百屋のおじさんが僕を危ない目で見てはぁはぁ言ってるって」

「………………」

「なんで目をそらす! やっぱり、やっぱり本当なの! もう誰も信じられーーーー」

「ごめんって。もう、本当に女の子みたいだな。水紋のお姉さんのせいで地元じゃ有名人なの。危ない目で見ているわけじゃなくて、アイドルみたいに見られているだけだから。大丈夫。元気出して!」

「ほんとに、ほんと?」

「もう、疑り深いんだから。どうせ孫娘でも見ているような感じでしょう」

「ほ、良かった~」

「真麻、水紋は信じやすいんだから変なこと言わない。美味しいご飯、作ってくれなくなっちゃうかもよ」

「そ、それは嫌だ! やりすぎました、ごめんなさい。だから今日はカレーでおねしゃす!」

「ふふ、ちょうど今日はカレーをつくろうと思っていたの。良かった、さっきのが嘘で。体を洗ってきたら美味しいカレーを作るから、待っててね」

「……八百屋のおっちゃんからローションもらったのは本当だよ?」

「……えっ」

「なんかね、奥さんに隠していたものがバレそうだからあげるって」

「……八百屋のおじさんは何をしているんだか。それはそうと真麻ちゃん。もうこんないたずらしちゃダメだよ。僕だって悲しくなるんだから、ね」

「は~い。今度絵に詰まったときはあらかじめ宣言してからやりま~す」

「もう、真麻ちゃん!」

「あはははははは」

 真麻ちゃん走ってどこかにいってしまった。多分自分の部屋だろう。
 僕って、真麻ちゃんに嫌われてる?

「水紋、好かれてるね~」

「え、もしかして真麻ちゃんに?」

「あの子、外だとすっごい猫かぶっている感じでね。あんなふうにはしゃがないの。本当に信頼していて、大好きな人の前だけだよ。家族意外じゃ見たことない」

「そ、そうなんだ」

「よかったじゃない。家族以外で真麻が素を晒してくれたんだから」

「でも……」

「ん、どうしたんの。小学生に好かれて嬉しくないのかな~」

 なんかニマニマと笑う菜乃華。とりあえず無視。それよりもすっごく心配なことがあるんだよ。

「真麻ちゃんの将来……かなり不安だよ」

「たはぁ~そっちか~」

「それ以外にないでしょう。住み込みアルバイトの身だけど、一緒に住んでいる家族みたいなものだしね」

「頑張れ、お姉ちゃん!」

「そこはお兄ちゃんでしょう! ったく、今日はカレーにするから」

「今日もありがと」

「ん、出来たら呼ぶから」

「りょうか~い」

 さて、菜乃華も部屋に仕事をやりに行ったし、僕も僕のやるべきことをしますかね。
 今日も美味しく作りますか!

 お父さん、お母さん。夢乃家の五女はかなり特殊な子のようです。
 赤まむしだったりローションだったり、それでいじめてくるので泣きたいです。
 ……ごめんなさい。今日は泣いてしまいました。変態怖い。
 でも、いじめっぽい行動は真麻ちゃんなりの愛情表現だと菜乃華から聞きました。
 どうやら僕は気に入られているようで。可愛い妹が出来た気分になります。
 僕もお姉ちゃ……じゃなくて、お兄ちゃんとして、精一杯構ってあげたらと思います。
 でも、精神攻撃だけはやめて、心くじけちゃう。今日はそんな一日でした。

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