ウィッチ&タフネス

一森 一輝

 地下牢に入れられて五時間。グラントは後悔もだいぶ薄れて、状況が動くのを待っていた。もっと端的に言うと石畳の上でゴロゴロしていた。誰かこのやる気のない勇者を引っぱたいてやれ。
 しかし剣もなければ魔法の一つも使えない能力値極振り勇者であるグラントは、自力で地下牢を破るなどできない。実際は筋力にものを言わせればかろうじて出来るのだが、そこまでのやる気がなかった。お腹が空いていたのである。
 空腹の限界。実はもう二日抜いている。
「……こんなところで餓死か……。リリスにもう一度会いたかった……」
 すでに死を覚悟するところまで来ていた。渇きはないが、飢えていた。そう簡単に飢えるものかと疑われるかもしれない。しかし、グラントの筋肉はそれだけで常人の何倍もの栄養を必要とする。ムキムキのまま餓死という稀有な状況の一歩手前だったりする。
 何故逃げない。逃げて食え。
「さってと、暇つぶしに構いに来てやったぞ浮浪者め。囚人苛めはスカッとするからやめらんねぇぜ。ハハッ」
 そうこうしていると、門兵の一人が下種なことをほざきながら檻の前に現れた。ガチャガチャと鍵を開け、剣を片手にニヤニヤと笑みを浮かべて入ってくる。
「……」
「おいおい、何とか言ってくれよ。それとも手錠を十個近くつけたの怒ってんのか? だってお前、ガタイ良かったからさぁ、反撃されたら怖いじゃねぇの」
 ん? と言いながらグラントを剣でつついてくる門兵。チクチクすると思いながら、グラントはじっとエネルギーの消費を抑えている。門兵の持っている鈍らで切られたところで、傷などつきはしない。しかし空腹は死へと形を変えてグラントの目の前に立ち塞がっている。
「……おい! なんか反応しろよクソがッ!」
 とうとう、門兵はグラントに剣をたたきつけた。すると次の瞬間筋肉に剣がはじかれて門兵は無様にひっくり返る。驚いてしばし目をパクリさせてから、怒鳴った。
「お、お前! 抵抗する気か! クソッ、処刑! 処刑だ! お前なんか縛り首にしてやる!」
 言い捨てて逃げていく門兵。リリスあたりがこれを見たら、腹を抱えてひとしきり笑った後筋肉痛になったことだろう。そんな情けないチンピラ門兵の遠ざかっていく背中に、我らが勇者は声を絞り出す。
「処刑でもいいから、何か食べ物を……」
 縛り首以上の脅威が、グラントの命に手を伸ばしている。






 一方その頃リリスは酒場のカウンターに座って、葡萄酒をちびちびやりながら情報を集めていた。
「だからな、キャラバンが無事につかないのもギガントサンドワームの仕業って噂だ」「本当か? ってことは市場の声に元気がないのも」「商品そのものがないってことなんだろうな」
「聞いたか? 第三公国の勇者がキャラバンに乗って来たが、どうやら失踪したらしいって話」「聞いた聞いた! 勇者を乗せたキャラバンが賊だか何だかに、って話だろ? こうなりゃここもおしまいかもな。迷宮の稼ぎがいいから長居しちまったが、そろそろ他に流れるか」
「勇者がギガントサンドワームに食われたって話を聞いたんだが、ありゃ本当か?」「分からん。第三公国って話だったが、となるとあの剛剣グラントだろ?」「ああ、そうだ。あの魔女にご執心な変人で有名のな」「肝心の魔女からは毛嫌いされてるからお咎めなしって言われてるが、俺はどうも信用できないね」「だが強さだけは一流らしい」「帝国の嬢ちゃんと唯一遣り合えるんだったか」
「サンドワームって炭火で焼くとうまいけどさ、ギガントサンドワームはそこら辺どうなの?」「倒して食って来いよ」
「……どいつもこいつも、グラントと魔物の話でもちきりね」
 クイ、とグラスを傾けるリリス。一応ローブで身を隠しているが、S級冒険者などの顔見知りはいまだ居ないようだった。数日前にあったばかりなのだし、もしかしたらグラント自身が、とも予想していたのだが、奴自体も姿が見えない。
「ここ以外に碌な食堂はなかったはずだけど。待ってれば来るのかしら」
 無論、こんなところで鉢合わせするような間抜けな行動はしない。魔物がいない街中でグラントと遭遇するなど、もっての外だ。リリス自体も強力な魔法を使えるが、グラントを傷つけるには至らない。魔物を魅了し手下にして、その上で強化したほうが何倍も効率がいいのだ。
 つまるところ、街中で捕捉されたら抵抗の手段がない。むしろ宿屋にまで山賊スタイルで連行され、朝までしっぽりやられるまでは想像に容易かった。
「……私はいったい何を考えているのよ……」
 ふるふる、と顔を赤くしつつ首を振るリリス。ぐい、と残るワインを一口にし、適当に銀貨を投げて酒場を出た。
「お客さん! お釣り!」
「面倒だから取っときなさい」
 押戸をくぐり、リリスは外へ出た。夜。空を見上げると、満天の星空が見える。
 それを、じっと睨みつけた。
「……見下ろさないでくれる? 不快だわ」
 星は、その一つ一つが神の目だといわれている。神。数百を超えるそれらが、この一つ上の世界でこちらを見つめて歓談していると。
「フン」と鼻を鳴らして、リリスは夜の街を歩きだす。そのまま、少し考え始めた。
(このままギガントサンドワームを見つけて強化してもいいけれど、その前にグラントの様子を見ておかないと怖いわね。下手に遭遇しててご、てっ、手籠めにされてたまるもんですか!)
 基本憎たらしい高飛車女のリリスも、出会う度に自分をのしてキスしてくる変態を前にすると、普段通りでいられないらしい。実際には前にしていないのだがリリスは妄想たくましいのである。
 というわけで、ぼそぼそと歩きながら召喚魔法を行使する。呼び出したるは、一匹の蝙蝠。胸元に精巧な魔方陣を描かれたその生物は、歩き続けるリリスをじっと見つめている。
「飛び立ち、増えて、グラントの場所を探りなさい」
 キィ、と一声上げ、蝙蝠は飛んでいく。その過程で、バサバサという羽の音が二重になる。
 そして、分離。二匹となった蝙蝠は二手に分かれ、さらに分かれた先から二匹に増え、四匹、八匹、十六匹と数を増していく。
「数時間もしないうちに見つかるでしょ。ああ、歩き疲れてしまったわ。一度ラボのほうに戻りましょう」
 人気のない裏通りに入ってから、すぐに魔方陣をくぐり、姿をかき消すリリス。その転移魔法のつながる先は、自宅兼研究室のある魔界へと通じていた。
 さて、ここで蝙蝠の一匹に注目しよう。蝙蝠は数分後には千匹を超える数になっていて、国の規模を鑑みて増殖をやめ、捜索に専念していた。
 そのうちの一匹が、暗闇にひかれて地下牢の入り口を見つけていた。最低限空気を通すための、天井間際の小さな檻である。そして、そこに躊躇いもなく潜り込んだ。そして、のんきに鳴き声を上げている。
 この蝙蝠は性質上非常に勇敢で、好奇心旺盛であった。死んでもいくらでも代わりがいるため、怯えるということがないのだ。
 キィ、キィ、と鳴き声を上げながら、ばさばさと羽をはためかせて飛び回る蝙蝠。地下牢の廊下をパタパタと横切っていると、お目当ての人物を見つけた。
「キィ!」
 即座に主人にテレパスを送る。すると、指示が返ってくる。
『……なんでグラントは毎回毎回捕まっているのかしら。まぁいいわ、あなたはそのまま監視を続けなさい』
「キィ!」
 主人に直接指示をもらったのがうれしく、元気にパタパタ飛んで喜びを表現する蝙蝠。悲しいかなリリスはすでにテレパスを切っている。
 ともあれ監視を続けろとのお達しだったので、蝙蝠はグラントのほうに近づいた。近くからの情報の方が主人も喜ぶと思ったのだ。畜生のくせにいじらしい忠誠である。
 すると、身じろぎをしたグラントが蝙蝠の存在に気付く。「キィ!」とあいさつを兼ねて鳴き声を一つ。そして、人間でいうところのこんな感じの意味を込めてもう一鳴き。
(おう! 俺はリリス様に言われてお前の監視役についたゴンドルリール五百二号ってモンだ。あの方のご寵愛を受けるべくお前をきっちりかっちり監視してやるから覚悟しやがれ!)「キィ! キィ、キィ!」
 そんな風にしていると、グラントはおもむろに手を伸ばしてきた。何だ? といぶかる蝙蝠。
(おう、何だ。長い付き合いになるからまずは握手をって? なかなかいい心がけじゃねぇの。いいぜ。流石はリリス様にあれだけ目をかけられる野郎だ。見どころあるじゃね)
 食われた。
「キィィィィィィィィィィィイイイイイイイ!」
 もっしゃもっしゃと蝙蝠を生きたままもぐもぐするグラント。奴の健康的な歯と驚異的な顎を前にすれば、蝙蝠の肉や骨など焼き菓子みたいなものである。さらには地龍をほぼほぼ生で食らうだけの健啖家、というか悪食であるので、蝙蝠くらいなら朝飯前だった。
 大体二分くらいで完食したグラント。ようやく気力が回復し、脱出するに気になって立ち上がった。
「……仕方がない。牢を破ろう」
 腕力にものを言わせて手錠などの拘束具を一斉に粉砕し、次いで檻を無理やりこじ開けて、グラントは廊下に出た。どっちだったか、と廊下をうろうろしていると、光の漏れ出る木の扉にたどり着く。少々動かして鍵がかかっていることに気が付いたので、申し訳なく思いながら静かに破壊した。
 扉を開けると、そこには数人の男性がいた。
「だから、あいつは抵抗して俺のことを殺そうとしたんですよ! 頼みますよ騎士団長! 奴を処刑してください!」
「しかしなぁ……、そうは言うが、お前自身には怪我の一つもないじゃないか。確かに気になるところはあるし、明日にでも確認するつもりでいるが、報告ではただの浮浪者だったと上がってい、何だ!?」
 グラントに気付いて警戒しだす門兵ら。その中心で、先ほどの屑門兵と、凛々しい姿をした身なりのいい男性が、片や恐怖、片や怪訝な視線をグラントによこしている。
「お、お前! どうやってあの牢から出た! それに手錠は! くっ、牢破りだ! 処刑! 処刑だ!」
「貴様は二言目には処刑だな」
「なっ、何者だ! どうやって牢を破った」
「腕力だ。それより私の剣はどこだ」
「……」
 騎士団長と呼ばれた凛々しい男性は、言葉を失っていた。他の門兵たちもきょとんとしている。騒いでいるのは屑門兵だけだ。五月蠅いので、グラントは脳天にごつんとやる。
 きゅー、と言って倒れた。
「……鉄をも曲げうる鋼の体、何があろうと泰然たる冷静さ――もしや」
 門兵を倒されたというのにどこか平然としている――いや、違う意味で怯えた表情をする騎士団長。そんな彼は、かろうじてグラントに尋ねた。
「お前、いや、あなたはもしや――第三公国の勇者、グラント殿ではあるまいか」
「……」
 渋い顔をするグラント。できるだけギルド長以外の人物に明かしたくない事実だったが、看破されては仕方がなかった。その瞳の色にはすでに理解の色があり、否定しても決定的な証拠とともに断定される可能性も高い。
「……ああ、そうだ」
 絞り出すように答えると、彼は顔を両手で覆った。
「……五人がかりで必死にならなきゃ運べない剣を持っている時点で、只者ではないと思っていたんだ……」
 バツの悪そうな顔だった。

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